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ep.11 夢を見る『過去』

 大陸の北西海岸沿いにある一際大きく斗出した岬には貿易で栄えた港街がある。しかし、そこから船を出し三刻もすれば見えてくる島に、足を踏み入れた者はいなかった。


 街に伝わる民話。カイモニオと呼ばれるその島には、昔から悪魔が住まうという。足を踏み入れたなら最期。死んでも出られない魔境島。


 その理由は、カイモニオの沖合では強い寄せ波が発生していることに由来する。

 何もない海の途中で、カイモニオを中心とした蟻地獄のような波が起こるのである。飲まれれば、抜け出せず、必ず島に引きづり込まれる。漁師は語る。渦に触れ、飲まれた漁船を何度も見てきたと。彼らが帰ってきた試しはないと。


 だが波がカイモニオを飲み込むことはない。島の海岸から見える高波が、浜辺に到達することはない。雨の日も嵐の日も穏やかな海岸が島を囲む。


 魔法の力を超えている。言うなれば悪魔の所業。


 そして悪魔の力は海にだけ通じるものではない。空は風が、地中は砂が、万物が島へと向かい、生命だけが辿り着く。


 生命だけがだ。


 港街は貿易で栄えていた。


 他国から、荷を積んだ異邦人が大勢訪れてくる。


 彼らを饗すために栄えていた。


 男を饗すために栄えていたのだ。


 港街には娼婦館が競うように建ち並んでいた。長い船旅を労うように女が一夜の夢を見せる。妖しく艶やかに。都の貴族の装いで、身なりを整えた女たちが白い柔肌を魅せる。


 自国に残した女房にも、別の街で囲った女にもバレることのない遠方。異邦人は欲に綻び金を落とした。


 民話は続く。


 どうして畑を耕そうか。どうして都に出稼ぎに行こうか。一晩床に就くだけで、家は潤うというのに。


 どうして妻を許せようか。どうして金より大切なものを手放せようか。家族の眠る間に妻は女となり娼館へ。


 生まれた我が子の髪色よ。瞳の色よ。肌の色よ。あの人と似ても似つかぬ悪魔の子。


 女は生まれた赤子に浮きをつけ、遠い島へ業を流す。悪魔の住まう島へ涙を流す。



 件の島には小さな村があった。流れ着いた漁師たちが木を切り葉を重ね小屋を作ったのである。漁師は流れ着いた赤子をも必死に育てていた。土は耕され、穏やかな海には養殖場ができた。


 島を一周し、それが小さな無人島であることを知った。人が住んでいる生活感のない島。


 だが、それならばこれは何か。漁師たちは、毎夜、星明かりに照らされる首の捥げた女神像を見ていた。


 高く聳える石造りの建物を、枯れゆく葉の屋根の間から眺めていた。


 ある時、一人の漁師が提案した。島内は粗方散策した。今度はこの建物に入るべきだと。

 されど、船長が反対する。ダメだと何度も強く反対した。この島へ辿り着いてからずっと、入るなの一点張り。赤子が言葉を覚えるようになると、決して近づくなと教え込んでもいた。


 船長は漁師たちの中で最年長者だった。何年も漁船に乗り込み、時には荒れ狂う嵐の中を船員一人も欠かさず守り抜いた伝説のある男だ。その男がこの島へと連れ込んだのだ。漁師たちはいい気がしない。長幼の序。経験の差。罵詈雑言。船の上では船長がルールだが、島ならどうか。


 もしかしたなら、建物の中には缶詰の一つでもあるかもしれない。そうでなくとも、雨風を凌げるのなら寝泊まりは石の中がいい。木を組み葉を被せた小屋に未練はない。夜は寒く、地を這う虫が肌を登り、無数の星が不安を煽る。そんな思いをしなくて済むなら悪魔が住んでいようと構わない。


 若い船員たちは、船長の叫びも無視し、扉を開けた。建物の内部は暗く、光が入り込まない。布に魚の油を染み込ませ、石を打ちつけ火をつける。内装は、横長の椅子が転げ、石の柱には剣が刺さる。正面には髪のない女の後ろ姿が壁画として描かれていた。


 教会だ。偶像も知る神もいない。だが、空間が持つ厳かな空気がそう認識させる。


 研磨された石材が積み重なり、それを支える幾つもの柱と半円のアーチ。明らかに知識あるものが建築した物。明らかに島外から運ばれてきた装飾品。明らかに——。


 島の子どもはすくすくと育ち、いつしか十三人の少女が伸び伸びと過ごす。


 十三人の少女は毎日、朝日が登る時間に祈り、夕陽が隠れる時間に祈る。それが代々のしきたりであり、一つのルールだからだ。


 島のルールは幾つもある。


 海岸に近づいてはいけない。教会の地下に近づいてはいけない。地面を掘ってはいけない。教主の言葉には従わなければならない。本を見つけたら触らず教主に報告しなければならない。見知らぬ人がいれば、教会へ連れてこなければならない。眠る時は教会の外で眠なければならない。毎日決まった時間にホペナ様に感謝をしなければならない。


 上げ出せばキリがないほど無数にあった。


 十三人の少女には序列があった。教会に住まう教主はルールを守った利口な子ほど位がいいと言った。


「私は四番目だ。生まれた時からずっと四番目だ。階級も四番目。遊びの時は最後から四番目」


 一番には幾つもの権利が与えられる。教会の地下に行ける。海岸に行ける。夜眠るのは温かい教会の中。


「羨ましい妬ましい」


 一番上の少女は、海に行ってから慈愛を帯びた顔をする。知らないわからない母親面を貼り付けるようになった。


 二番目の少女は、いつも空を見上げている。同じ物を食べているのに、体の一部分にだけ栄養が偏るせいで脳には回っていないのだ。


 三番目の少女は、木を飛び回る。枝を折って空を舞う海鳥を突き刺す野蛮な生物。


「四番目の少女は、至って普通。他人を見下さない。空より前を見ている。猿ではない。そして何より後の九人より規律正しい良き人間」


 そもそも十三番目はまだ赤子だった。教主様が教会の地下から持ってきたのがそうだ。赤子は乳しか飲めないらしい。だから一番目がいつも独占する。


 そして四番目の少女()はみんなよりも賢かった。


 ちょっと前まで先生がいた。島の少女よりも背の高い大人の女。先生はさらにその上の先生から、その人はさらに上の先生から知識を伝えて来たという。


「先生の先生の先生は船長さんだったから、島の外の事も知っていたの」


 先生は何でも教えてくれた。私が他の子たちより聞いていたからかもしれない。言葉も数の数え方も、島外の暮らしのことも。それを話すたびに先生はいつか外へ出るんだと儚げに笑っていた。


「エリスはどう? 外に出たらどうしたい?」


 私には、わからなかった。外になんて興味がなかったから。


「夢を持つのよエリス。先生の先生の先生も同じことを言ってたそうよ。夢を持てば必ず……必ず……何だったけ」


 夢の話をすると必ず先生は言葉に詰まった。それでも仕方がないだろう。船長の話を先生は直接聞いていないのだから、正確には話せるはずがない。


「とにかく、夢を持てば夢を持てるし、外に出たら外に出られるの!」


 話の終わりはいつもこうだ。勢いで誤魔化すように同じ言葉を繰り返す。でも、私はそれに呆れていたわけでもないし、先生のそういうところが好きだった。いつか、先生は島の外に行くんだと信じていた。


 先生は地下に行った。序列が一番になって、海にも行った。教主様には内緒で作った帆船に乗って遠くに行くのだと思っていた。


「エリス。夢を持つの。夢さえあれば、夢さえ……」


 いつものようにそう口にする。目は虚でされど慈愛を持ったような瞳。それが悔しさを露わにするように滲む。


「夢なんてっ……持ったところで運命に抗えやしないっ!」


 声を荒げる先生を初めて見た。でも、怖いというより、可哀想に思えた。そして同時に——。


 他の子達も何事かと私たちを見る。されど閉ざされた教会の扉は開く事はない。先生が変わってしまったのは、あそこの地下に行ってからだ。一番になれたからだ。


「エリス。可愛いエリス。貴女だけが聞いてくれる。私の話を、先生たちの話を、ああ、だから、きっと、先生は」


 羨ましい。外に出るよりいい事があるのね。だから島にいるのでしょ?


「エリス。覚えて、理解して。ファイアマジック。私にはわからない。先生が教えてくれた言葉。船長が伝えた言葉。でも、何でかはわからない。お願いエリス。……エリス?」


 私は外に出るより、一番になりたかった。教主様に褒められて、地下や海に行きたかった。それが夢だった。


 でも、先生も好きだ。だから、先生のお願いも聞いてあげる。


 私は彼女のような慈愛の瞳と笑みを作ると、彼女たちが教えてくれた言葉で返事をする。


「わかりました」


―――――――――――――――


 悪魔は序列を好むという。ともすれば島の少女たちの序列も悪魔によるものか。それを知る者はいない。かつて一番になり他の少女たちから先生と慕われていた女も、今や教会の地下から出てくることはない。


 代わりに一番となった少女も、最近はめっきり見なくなり、教主が次の一番を選ぼうとしていることを少女たちは知る。


 次に選ばれるのは二番目の少女であると誰もが思っていた。一番が居なくなれば順位が繰り上がるのは当然だからだ。それに異を唱える者は、四番目の少女。エリスだけだった。


 悔しい。羨ましい。妬ましい。


 物心ついた頃からハッキリと自覚した負の感情。それが、言葉を覚えるほどに増えていく。知識が増えるほどに、背が伸びるほどに、成長していくほどに増えている。


 自分の力量をわかっていた。他人を思いやれやしない。満天の星の名前を覚えられやしない。木を登り上空の鳥を仕留めるなんてできるはずがない。


「それが悔しい? いいえ違う」


 エリスは自分の力量をわかっていた。だからこそ、それを正確に測らない教主という人間に心底腹が立っていた。自分を正しく見れない人間に、自分の髪や瞳よりもドス黒い悪感情を抱いていた。


 夕日が沈む。エリスは毎日誰かもわからない謎の神様に祈りを捧げるのが馬鹿らしくなっていた。教会正面の壁画に描かれた後ろ姿のハゲ女。教主はそれをホペナ様と呼んでいた。


 遥か昔、この島にも大勢の人々が暮らしていた頃から大切にされてきた神様だという。


 だが、彼女が振り向いたことはない。祈りを捧げずとも朝日は登り、嵐は来ず、海は荒れず、魚や鳥は手に入る。


 祈りを捧げて一番目になれた試しはない。


「夢を持てば夢を持てる」


 今ならその言葉の真意が理解できた。夢を持ったなら、動かなくては。夢を持つことは夢を持つことでしかない。それで女神が振り向くことはないのだから。


 祈りの時間が終わり、二番目の少女が一番となることを教主に告げられる。それに合わせて三は二になり、四は三になった。


「にゃはは二番二番。このままいくとおりゃ三番か?」

「違いますよタナトスさん。それでは元に戻ってしまいます」

「そっか。エリスは頭がいいなぁ」


 お前の頭が猿並みだからだ。とは口が裂けても言わず、エリスはただこんなアホ女に序列で負けていることなど到底受け入れられるはずがないと憤る。


 星を見てぶつくさ呟くだけの駄肉は、教主に何かを説明され、エリスたちが教会を後にすれば、共に地下へと降りていく。その様子を半開きの扉から赤黒い淀んだ瞳は見届けた。


 夜は更けた。


 轟々と燃える炎が寒空に煙を立ち昇らせる。空にはいつも見える満天の星。煙はそこへ向かって手を伸ばすも、途中から見えなくなる。


 あの星々は宇宙にあるのだと先生の言葉を思い出す。100キロメートル。それがどれほどの距離なのか島に住むエリスにはわからない。ただ、その距離があるから、流れる星は地に落ちてこないのだと。


 また、星空で位置や時間がわかるのだと。ちょうどこの島の上空をアルクツルスという星が通るのだ。そして、船長が元いた島をタウヘルという星が。腕を伸ばし指を使い二つの星を測る。こうすれば位置がわかるというが、世界地図など見た事もない。ただの真似事だった。


 それでも時間はわかる。刻々と、爪先にあった星が西の空へ落ちている。一時間。二時間。長い長い時が経つ。


 ガタンと音がした。視線の先、開け放たれた教会の内部。地下へと向かう階段から顔を覗かせた二人の驚くような顔がハッキリと見えた。


 何だこれはと教主が慌てた声を出す。普段見下したような声を出す男だった。下卑た笑みを浮かべる男だった。そんな奴が目を見開く姿があまりにも面白かった。


 教会は燃えていた。

 真っ赤な炎が外壁も内部も猛々しく燃え盛っていた。


「これは、どういうことだ」

「あ、教主様。遅かったですね。それとも早かったのでしょうか?」


 地下室から炎は見えなかったのか。見えなかったのならそのまま死んでくれてもよかったのだけれども。そんな意味を言葉に隠して態とらしく首を傾げる。


「まさかエリス。お前が」

「ええ、そうです! 私です」


 エリスは凄いでしょと自慢げに目を輝かせ、満面の笑みを見せる。光を灯した赤黒い瞳には炎と男の唖然とした顔と、一番目の困惑した顔が映り込んでいた。


「火……? なんで、石なのに……」

「あ、アパテさん。今更気づいたんですか? 凄いですよね。壁も柱も包み込んで!」


 壁や柱、それに床に屋根も。教会が何の石材を使われているのかはわからない。だが、それが石炭やダイヤモンドのような可燃性のものではないのは確か。炎は外壁から僅かな亀裂を通るように内部へと浸透し、教会を包み込んでいる。未だ倒壊もせずに低い呻き声を出している。


 熱はあった。空気を奪う呼吸のしづらさもあった。見えない煙が眼球を撫でていた。この赤く揺らめく光が炎であることは間違いなかった。なら、尚のことわからない。なぜ難燃性の石が、大きな岩壁が、人間が蒸し焼きにされない弱い熱で燃え盛るのか。


「まさか、魔法か……?」

「魔法? そういうのですか? 先生のお願いだから聞いていたけれど、素敵な力。……そうね、先生はもう居ないから、私の方が詳しくなれるのね」

「エリス……」


 寂しげに、俯いて——くれていたのなら、どれほど良かっただろうか。


「教主様、魔法が使えるのって凄いことですか?」


 恍惚に口を歪ませるエリスは、絶対に聞かなければいけないことだと言わんばかりの真剣な眼差しを教主に向ける。


「……魔法は、才能だ。呪文も絶対ではない。素質がなければ、唱えたところで不発に終わる。……特に、こんな炎の魔法。どこで知った?」


 教主の質問にエリスは答えない。ただ抑えきれない笑いが手のひらからこぼれ落ちていく。だが、一転。


「教主様、私は魔法が使えるのに、どうしてアパテさんを一番にしたのですか?」


 冷ややかな声。辺りは炎が皮膚をジリジリと照りつかせているというのに、エリスの声は二人の体から熱を奪おうとする。ゴクリ。生唾を飲み込んだのはどちらだったか。


 アパテの心には哀しさとやるせなさがつい先ほどまであった。教会の地下室で貪られる欲望。島を絶えさせぬための儀式。未知の食事は腹に温もりを満たし、心を喰い漁られた。一番目になるということの現実を知った。もう夜に星を眺められないことを知った。


 だというのに。目の前の少女は、何も知らないというのに。怒りだとか哀れみだとか、あらゆる感情を押し除けて湧いて出たのは恐怖だった。


 つい先刻まで島内で遊びあった少女の知らない一面への恐怖。いや、本当に彼女はあのエリスなのだろうか。共に先生の星の話を聞いた少女。言いつけを守り序列に遵守し、他者を敬う少女。落ち着いた物腰で誰よりも賢かったあの少女だというのか。


「どうしたの、エリス。大丈夫……?」

「……? 大丈夫? 大丈夫ですよ?」


 エリスは何を心配しているのかわからないと眉を顰めて見せた。そうして一歩一歩と、教会へと近づいていく。


「今、私すっごく嬉しいんです。魔法を使えるという事実がこんなにも心を豊かにしてくれるなんて知りませんでした」


 でも。


 まるで子どもが雪にはしゃぎ、空を見上げて踊り狂うように近づいてくるエリスは、一層低い声で逆接し、何かを抑え込むようにわしゃわしゃと不気味な赤黒い髪を掻いた。


「でも、教主様、ああ、くそっ。なんで、私じゃないんですか? 序列のことを考える度にこんなにも心が荒むなんて知りませんでした。ねえ教主様、救ってくださいよ。教会ってそういうものなんでしょ? 教える会で教えるかいって? ふふっ……はあ? ねえ!」


 アパテにはわからなかった。もはや、教会の扉に寄りかかる彼女が、誰なのかさえ理解したくはなかった。


「エリス……」


 アパテが物心ついて、星以外に興味を持った初めての妹。ある日教会から教主様が運んで来た贈り物。教主は彼女をエリスと名づけ、アパテは十三番から十二番になった。


 島の少女たちの中で最も気の許せる家族だった。日中も夜中もずっとエリスの近くにいた。気恥ずかしさと、話すのが苦手な性格ゆえに会話はそれほど多くは無かったが、彼女のことはよく理解している。


 エリスという少女は、誰よりも向上心が強い。


 同時期に贈られた妹タナトスが、幼いながらもスルスルと木を登るのを見るや真似をして。星を見上げていれば横にいた。誰かが畑を耕せば、負けじと土を掘り、知識がないのを自覚して誰よりも先生の話を聞いていた。……その影響か、序列を重んじるようになったのは。


 エリスは、誰よりも昇進欲が強い。


 自分にはできないということが許せない。他人より劣っていることが許せない。


 ずっと一番に成りたがっていたことをアパテは知っていた。


 先生や教主に真っ先に質問した言葉を思い出す。序列が規律の厳守だと知ってからの変貌を思い出す。タナトスに序列を抜かされた時の怒りと仕打ちを思い出す。


 アパテにはわからなかった。どうしてそこまで一番に成りたいのか。目の前に佇む少女が紛れもなくエリスであることを認めたくはなかった。


「教主様……ねえ、教えてくださいよぉ!」

「お前は胸が小さい」

「……は?」


 エリスは間抜けた声で聞き返した。


「尻も小さいし、背も低い。肉付きの悪さは皆同じだが、タナトスより細い。顔だけは良いのに瞳が不気味だ。今見ても気持ち悪いな。ハッキリ言って欲情しない」

「……はあ? 待って、待ってください教主様。どういうことですか? その説明のされ方だと、私が、魅力的じゃないから序列が低いって……」

「そう言っている」


 絶望。虚無。怒りさえ孕まない表情が固まる。規律を守るとは何だったのか、序列を上げるための努力の意味は。ただ生命として欲情するかしないか。馬鹿げた基準が全てだったことに呆れさえ通り過ぎる。


 人間は目線が全てだ。目に映る情報が美醜を決める。前身が最も目に映る。顔と体。中でも印象付けるのは瞳の色が不気味だった。中でも異性を示す胸が平らだった。生まれつき。肉体の差。どうしようもない条件。


 ああ、でも、良かった。


「…………良かった。神様だとか私にどうすることができない存在が決めているわけじゃなくて」

「……」

「ファイアマジック。どちらにしても、教主様」


 エリスの体から炎が零れ落ちる。垂れ流しの魔力が溶岩のように流れていく。


「教主様の決定権をくださいね」


 落ちた溶岩が蛇のように地を這いずり教主へと牙を向く。隣に立っていたアパテは慌てて横へと飛んだ。だが、教主は何もせず立っていた。


「そもそも序列に何の意味がある。閉鎖的な島で何の価値がある。気にすることはないエリス。運命には抗えない。この島の王は私だ」


 無傷。いやその身は燃えている。だというのに、全く熱さを感じていない。肉は焼け焦げない。爛れることもない。教主は平然と炎の中で立っていた。


「いいえ違いますよ。教主様はそう、空なのです。日が照りつけば海鳥が飛び立ち、夜になれば魚たちは眠りにつく。それを見守る存在。ただそれだけの存在。私たちを導く以上に何もできない無価値な環境」

「エリス……」

「何も知らない無知蒙昧な戯言だなエリス。お前たちが生きているのは何故だ? 序列が途切れないのは何故だ? それは私が管理しているからに他ならない。運命は決まっている。ドゥームマジック。受け入れないというのなら、島から出ていくといい」


 巻き上がる熱が突風を生み出す。強い風が教会から外へと吹き荒れ、軽いエリスの体を持ち上げる。体のバランスを崩すエリスの瞳に、教主の手元に浮かぶ一冊の本が見えた。


「さて、アパテ。一人減ってしまったなぁ? 教会を消火する。地下に篭っていなさい」

「…………はい」


 口答えは許されない。炎を生み出すというおよそ人間には真似できない悪魔のような力を見せたエリスは風に連れ去られてしまった。妹に感化されて、この男に抗おうとしてもタナトスや他の妹たちの顔が思い浮かんでしまう。


「しかし、教会を覆うほどの魔力とは……」

「凄いというなら私を一番目にしてください」

「……っ!」

「エ、エリス……!」

「何故だ! 確かに島外に飛ばしたはず……っ」


 教会の扉。風に吹かれて開きっぱなしのその扉に飛ばされたはずのエリスが立っていた。


 まるで何事もなかったかのように平然と立つエリスの髪はグショリと濡れており、海まで飛ばされたことは間違いなかった。それなのに何故。


「さあね。島の外まで体が飛んだと思えば、背中から強い風が押し合って、海に落下しちゃいましたよ」

「…………あの魔法か……っ」


 教主は悔しそうに声を滲まして、振り払うように息を吐いた。


「そうか。おめでたいなエリス。命拾いしたということだ。なら、どうだろう。ひとつ愉快な話でもしてやろう」


 エリスは興味はないと首を振った。興味があるのは一番目という価値のみだったからだ。教主は残念そうに肩をすくめた。


「残念だ。本当に残念だ。だから話してやろう。ホペナの壁画が後ろ向きで描かれているのは何故だと思う?」

「…………わかりません」

「運命とは全てが決まっているのだ。どれだけクソみたいな過程や結末が訪れようとも仕方がないことなのだ。見向きもされない虫に構う暇はないからだ。それ故の後ろ姿」


 大演説を始めるかのように教主は大袈裟に身振り手振りで言葉を紡ぐ。


「だが、この私だからこその例外。エリス、あるいはアパテ。君じゃない君たちじゃない。運命が振り向くのは常にこの私のみ。運命の魔導書を持つこの私のみ」


 教主の前に浮かぶ本がパラパラと目から始める。まるで意思があるかのように一人でに。止まったページを満足げに教主は睨んだ。


「横顔くらいは拝めると良いなぁ? —— 悔め改め扇子腹 倣え齎せ——」


 刹那のことだった。呪文の詠唱、それが終わるよりも前に教主の足を誰かが引っ張った。階段の底から怨嗟のように伸びた腕が、彼を引き摺り込んだ。


「エリス!」


 それと同時に叫び出てきたのはアパテだった。エリスは和やかに駆け寄った。足元の暗い階段の底は見えないどれほどの長さなのかもわからない。自信満々の教主の顔がどう崩れたのか気になったが、アパテが服を引っ張る。


「エリス、早く逃げよう。教会も崩れてしまいそう」

「…………」


 確かに岩と岩の隙間から入り込んだ炎がその差を広げて、今にも天井を崩そうとしていた。エリスは後ろ髪を引かれる思いで仕方がないと二人教会を走り外に出る。


 地獄の外の遥か地獄へ。


「え……?」


 外に出たアパテの顔に困惑が浮かぶ。


「タナトス……ピロテス……みんな……どこ?」

「おかしな事を聞くんですね」


 見えないのだろうか。いいやそんなはずはない。


 こんな暗闇に煌々と燃える11の赤い火柱が見えないはずがないのだ。


「嘘、でしょ?」


 困惑するアパテの顔に希望も絶望も寄せ付けない気味の悪い赤黒い瞳が飛び込む。


「どうして……どうして、エリス」

「アパテさんの次はタナトスだった」


 それは序列の話だった。


「タナトスの次は私。だけどまた跳ばされるかもしれない」


 2が1になって、4が2になるかもしれない。


 エリスは平然と答えた。


「だから殺ました」


 アパテは言葉が出なかった。

 何と言えばわからなかった。


「ねえアパテさん。私ね夢があるの。まずはね、もっと魔法を学びたい。それから、教主様の言っていた魔導書っていうものにも興味があるわ。それからねそれから」


 まるで子どものように夢想する彼女を不憫に思えた。

 同時にこれまで一番目になった島の少女たちに後ろめたくなった。


「だからね。私は一番になるの、一番星(ハウメア)に」


 ああ、この少女はもう、どうしようもないほど縛られているんだ。


「可哀想に」


 胸を押されて体が倒れる。支える気などサラサラなく、後頭部から体を燃え朽ちる教会へと投げ出す。


 最期に星空が見えた。妹たちと共に見た神秘の世界。美しい世界を。


 最後にエリスの顔を見た。信じられないほど、衝撃を受けている馬鹿みたいな妹の愛おしい顔が見れた。ははは。ざまあみろ。

見下していた奴の哀れみがここまで響くなんてエリスは知らなかった。

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