第8話 同期ちゃんストライク
朝の音がする。電線でさえずるスズメの声や、遠くを行き過ぎる箱トラックの走行音。それらは些細な物音だが、勤続5年のOLに月曜日の到来を認識させるには充分な情報量だ。
(うう……朝か)
続いて、スマホのアラームが鳴る。聴くだにけたたましく煩わしいその音は、嫌でも起きて止めずにはいられなくなるようにわざと設定したものだ。
(昨日、日が沈んでからの記憶がない。またノンストップで朝まで寝てたわけか。この週末、ちょっと寝過ぎだな私)
長時間眠ると健康にはいいのかもしれないが、夜更かしが板についた身からすれば一日が短くなって損した気分だった。
(目ヤニやば……)
半開きの目をこすって視界をクリアにする私。すると朝にしては部屋の中が暗いことに気が付いた。遮光カーテンのために朝日が入って来ないせいだ。
(そっか、あいつが太陽苦手だからって掛け変えたんだった……しかし暗いな。これだけ暗いと朝の気がしない。そのうち起きれなくなってて大遅刻をかましそうだな。まあ、今日のところはセーフだけど)
強制的に布団から出られるように、スマホは少し離れた座卓の上に置いてある。既に痺れを切らしているそいつの絶叫をやめさせるべく、私はのそのそと向かって画面をタップした。
アラームが止まると、アイコンの整列したホーム画面が目に飛び込んで来る。左上にある時計の表示は、アラームの設定と同じ7時半。その下の日付は……
3月25日(火)。
「……ア゛ア゛ッ゛!?」
カラカラに渇いた喉から、カラスみたいな声が出た。いや待って。火曜って。昨日が日曜だったから、普通に考えれば今日は月曜じゃないのかよ。スマホが嘘をつくとも思えないが……と、私が恐る恐る通知欄を見てみると、あるわあるわ、会社からの不在着信と上司からのLINE通知がズラリと並んでいた。
(セーフじゃ……なかったーーーー!!)
つまり、こうだ。日曜日、朝夕の二度に渡り血を奪われ体力を消耗しきった私は日没と共に寝落ち。そのまま昏睡し続け……月曜朝のアラームが鳴ったのにも気付かず眠り続け……丸一日以上経った火曜朝、ようやく目を覚ましたのだ。
(まずいまずいまずい……完全に無断欠勤をしでかした。係長絶対キレてる。これまで曲がりなりにも無遅刻無欠勤を貫いて来たっていうのに、私の数少ない評価ポイントが消滅の危機……!)
隣のデスクに居る睦ほどではないが、経理担当としての私の勤務態度は割とちゃらんぽらんだ。上司のこともそれなりに舐めているので、日頃の恨みをこの機にぶつけられるのは間違いない。時期的にボーナスの査定なんかにも関わるかもしれない。
予想だにしなかった自らの大ポカに、私は思いのほか焦っていた。そしてその焦りは憤りを生み、この事態を引き起こした元凶へと矛先が向かう。
「おいコラ吸血鬼ーーーーーッ!!」
私は枯れた喉で怒声を放ち、ベッドの天板をマットレスごと跳ね上げた。現れた内部空間には茶色い土が浅く敷き詰められており、その上には問題の居候……ティーンエイジ吸血鬼ことゾルカ・ホールデン・ザレスカが静かに横たわっていた。
まぶたと唇をぴったり閉じ、死んだように眠っている彼女の肩を私は掴み、ぐわんぐわんと前後に揺さぶる。
「起きろ起きろ起きろ! とりあえずあんたに文句がある!」
言いながらかなり激しく揺すったが、彼女の様子に変化はない。指先ひとつ動かさず、心なしか首も座っていないように見える。
「ハァ……ハァ……全然起きん」
遂には私が息切れする始末。夜行性の彼女を毎朝起こすのが私の役目らしいが、まさかこういう方向性だとは思わなかった。もっとこう、寝ぼけ眼で駄々をこねる子どもの布団をひっぺがすような微笑ましい感じを想像していた。
(こいつ……本当に死んでるんじゃないだろうな……?)
ゾルカが死んでくれたら、それはそれで私が義務から解放されて万々歳かもしれない。しかしこの部屋で、しかも私の寝ている真下で人一人死なれたとあってはあまりに不吉極まりない。なのでひとまず死んでいないと仮定して、私は次の手に出た。
ザ・力技である。
「起ーーーーきーーーーろーーーー!!」
彼女の胸倉を掴んで体を引き起こし、両頬に往復ビンタを喰らわせる。だが、少しカサついた頬肉がぷるぷると揺れるだけで何の効果もなかった。
「はよ起きんかーーーーい!!」
続いて腋の下を思いっきりくすぐってみる。日曜から着たきりと思しきパーカーの上から指10本で徹底的にやらせて貰ったが、これも効果はなかった。
「ならば……これじゃーーーーー!!」
ヤケになった私は、隣の課の女の子との雑談の流れで買ったスタンガンを持ち出した。護身用のつもりが結局タンスの肥やしとなっていたそれは、ありがたいことに充電が少し残っている。
流し読みしたきり失くしてしまった説明書の記述を思い出しながら、私はスタンガンのロックを外し、銀色の電極をゾルカの首筋に押し当てた。
「喰らえ!!」
物理スイッチを入れる軽いクリック音と共に、バチチチチと電撃が加えられる。それに呼応してゾルカの体はビクビクと痙攣を始め、釣られて指が、口がパカパカと開閉を繰り返し……
「うびゃっ!?」
素っ頓狂な悲鳴と共に目が開き、ばね仕掛けのように上体が跳ね起きた。やっとお目覚めかこのアマ。
「何何!? 杏朱ちゃん今何したの!?」
「熱烈な愛のキス」
「そんなわけないよね!? わたしの手がなんかブルブル痙攣してるんだけど!? ねぇこれ何!?」
「うっさい。指の先まで痺れるほどキツいのをくれてやったんだよ。感謝しな」
恐ろしく適当な言葉でゾルカの追及をかわしながら、私はスタンガンをベッドの陰に滑り込ませた。
そして、図らずも私はゾルカの目覚まし係としての初仕事を無事こなしたようだ。
(やれやれ。起きたら無断欠勤させられた件で激詰めしてやろうと思ってたけど……まあいっか。さっきしこたま顔面シバいたし、泡食ってるこいつの顔を拝むのは案外悪くない。許してやろうじゃないか……)
「むう……なぁ〜に笑ってんの? 納得いかなーい!」
あんたの顔色が終わりすぎて面白いからだよ、と私は言いかけた。しかし、それより一瞬早く玄関のチャイムが鳴った。
「あれ、お客さん?」
ゾルカが墓から身を乗り出して玄関の方を窺う。だが、私としてはこんな朝早くに人が訪ねて来る心当たりはない。セールスや勧誘の類にしても早すぎる。
(もしかして三田さんか? また保全主任とやらの仕事で……?)
二度目のチャイムが鳴った。もし三田なら待たせるのは気が引ける。私は寝起きのゾルカをそのままに、やや早足で玄関へと向かった。
だが、
「坂出さん? 居るんですか?」
ドアの向こうからそんな声が聞こえた時、私は踵を返してダッシュでベッドに飛びつき、ゾルカの頭を掴んで再び墓の中へと押し込んだ。
「えっ、ちょっ、ええっ!?」
「シッ! 静かにしてろ。あと絶対に動くな。動くと後で酷いぞ」
面喰らう彼女に小声で念を押し、私は墓の蓋をそっと閉じた。そして、さも今初めてベッドから起き出しましたよというような足取りで玄関に向かい、手早くドアを開けた。
「出て来ましたね。全く、何をやってるんですかアナタは」
丸一日ぶりの外気と一緒に、凛とした声が戸の隙間から吹き込んで来る。外に立っていたのは、同じ会社の人事部で働いている真木芹奈だった。
「や、やあ……おはよ真木さん。どうしたのいきなりウチ来るなんて」
「どうしたのじゃありません」
冷静に、しかしそれでいてはっきりと咎める口調で真木は私の言葉を遮った。私より幾分小柄で線の細い彼女だが、パリッとしたスーツ姿で胸を張る姿はまるで壁がそびえ立っているかのようだ。
「アナタが無断で欠勤した上、夜になっても連絡がつかないので騒ぎになっているんです。本来なら緊急連絡先としてご実家に連絡が行く所ですが、上がトラブルを嫌ったのでひとまず私が様子を見に来ることに」
「あー……」
うちの人事部長ならやりそうなことだ。上長の対応としては100%間違っているが、私としてはこんなことで親に釈明なんかしたくないので結果的に助かった。ただ一人割を喰ったのは、出勤前に要らぬ寄り道をさせられた真木だろう。彼女の家はここから程近い場所にあり、私のアパートは通勤路上にあるので物のついでと言えばついでだが、それでも音信不通の同僚の生存確認なんて嫌に決まっている。
「……なんかごめんね?」
「そんな形だけ謝られても気が悪いです」
私としては自然に零れた謝罪の言葉だったのだが、真木はそれをバッサリと切り捨てた。
「悪いと思うなら反省して、改めてください。ただでさえ、アナタたち経理の若手コンビは評判が悪いんですから。……ああ、そう言えば昨日、睦さんも音信不通になったんでした。彼女の場合、やけにツヤツヤした顔で午後から来ましたが」
真木の言う経理の若手コンビとは私と睦のことだ。睦の奴、昨日……じゃなかった一昨日の午後は例のカフェ店員とデートだったのだろうが、その様子ではさぞ意気投合したに違いない。
「……アナタもそのクチですか?」
真木が不愉快そうに眉根を寄せて睨んで来る。私は思わずリビングに視線が向きそうになるのを寸前でこらえながら、全力でかぶりを振った。
「違う違う! 私はただ、その……体調悪くて! 土曜からこっち寝込んでたから」
嘘は言っていない。誰かさんにこき使われたり血を取られたりで疲労困憊し、殆どの時間を気絶していたのは事実だ。
「……フーン」
真木は訝しげに私を睨め上げたが、やがて得心したのか溜息をひとつついた。
「とにかく、社会人なんですから連絡はきちんとしてください。アナタ個人がしんどいのは自由ですが、人に迷惑がかかりますので。私も、同期だからっていつまでもフォローできませんよ」
そう言うと、真木は素早く踵を返して玄関前から去って行く。彼女の、後ろで簡素に束ねた髪が馬の尻尾のようになびくのを見送っていると、
「今日は来ますよね?」
「は、はいっ!」
最後にダメ押しが飛んで来て、私は思わず姿勢を正した。真木は私と同年に新卒で入ったが、私なんか目じゃないぐらい働いてるし周りから頼りにされている。素晴らしく真面目なので、恐らく私のようないい加減な人間は嫌いなのだろう。
(改めて見ると、ちょっと三田さんに似てるかも? いや、あのスレンダーマンと一緒にしちゃ失礼か。真木さん小ぶりで可愛いからな……ハハハ……ハァ〜)
同期に怒られてしまった事実が遅れて効いて来て、私はすごすごと部屋に戻った。
リビングでは、ゾルカが墓の蓋を開けて体を起こしていた。二度寝しないでいてくれたのは助かるが、なぜか私を見る彼女の表情は憮然としたものだった。
「……何だよ」
「杏朱ちゃん、ああいう子が好きなの?」
「は?」
一瞬、無理やり墓に押し込んだのを咎めているのかと思ったが、ふくれ面のゾルカが気にしているのは先程の真木とのやり取りの方らしい。なんでだよ。
「杏朱ちゃん、あの子と話してる時ちょっと変だよ。なんかもじもじしてて、色気づいてるって感じ」
見ていたのか聞いていたのか知らないが、ゾルカは明らかに誤解している。私が真木に対して物怖じしているのは、ひとえに彼女の威圧感と正しさのオーラに気圧されているからだ。
「あのなぁ……真木さんはただの同期だし、私としちゃ仕事以外ではなるべく関わりたくない手合いだっつーの」
ただ人懐こいだけかと思いきや、ゾルカという女の思考回路はかなり下世話に出来ているらしい。率直に煩わしい。
「アホなこと言ってないで、さっさと顔洗って来い」
「えー……水嫌い」
「あんた一昨日から着たきりだろ。薄汚いから洗っとけ」
「デリカシー!!……も〜わかったよぉ」
私が身支度をする後ろで、ゾルカがベッドの木枠を跨ぐ音が聞こえた。そのまま洗面所へ向かうのかと思いきや、突然、彼女は私の後ろからむぎゅっと抱き着いて来た。彼女の薄い体が私の背中にぴったり張り付き、空気の追いやられる音がした。
「起こしてくれてありがと。でも、あんな子に目移りしちゃ嫌だよ」
「……」
私が脱ぎかけていたタンクトップの裾はゾルカに掴まれ、身動きが取れなくなる。彼女の顔は見えないが……まさか不安だとでも言うのだろうか。私が同期にペコペコしている姿が?
「返事は?」
憮然とした声で催促して来るゾルカは、何としてもこの場で返答が欲しいらしい。私は「うわめんどくさっ」と口が滑らないように気を付けながら、ゾルカの手に軽く触れながら答えた。
「バカ。目移りなんてしないっつーの」
「……よろしい!」
そう声を弾ませ、ゾルカはとてとてと洗面所へ駆けて行った。およそ人の心を支配しているとは思えない彼女の振る舞いに、私は首を傾げるばかりだった。
(あんたを裏切ってはならないって、契約にあるだろうに……変な奴)
汗のにじんだタンクトップを首から引き抜く。己の体臭に混じって、ほんのり桃のような香りがした。
《つづく》




