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第5話 今日誰も寝てはならぬ 前編

 まもなく始まる高校生活に備え、朝起きる練習中の吸血鬼ゾルカ。その居候先に選ばれてしまった私は既に彼女のために色々働いたと思うのだが、そんな努力を無にするかのごとく、ゾルカは朝帰りをぶちかまして寝床に入ろうとする。そんなことは許さないと毅然と言い切った私だったが、何だかんだでゾルカに吸血を許してしまい二人揃ってフラフラの体になってしまった。正常な生活リズムを維持するため、私も彼女も日が沈むまで一睡も許されない。過酷な日曜日が始まった。


〜〜〜


「ねぇ〜杏朱ちゃ〜ん、それ何〜」


「育て屋。レベル上げしてくれるとこ」


 ゾルカは私の背中にへばりつき、肩越しに手元を見ている。


「杏朱ちゃ~ん、キョロキョロして何してんの~」


「地下通路はアイテムが落ちてんだよ」


 吸血鬼の体温が常人より低いことを、私は初めて知った。ゾルカの薄い胸からお腹にかけてが私の背中にぴったりと密着し、服越しに程よい冷感を伝えている。


「ねぇねぇ杏朱ちゃ~~ん、そこ避けれるじゃん先行こうよ~~」


「船乗る前にごんたのレベリングすんの」


 三月も終わりに近付き、日に日に気温が上がって来ている。今は適温といった感じだが、すぐに汗ばむ季節になるだろう。それを思うと吸血鬼との同居は思わぬ僥倖かもしれない。彼女の冷感ボディにクーラーの冷気をたっぷり溜め込んで、膝の上にでも転がっていてくれるだけで夏の煩わしさがどれだけ和らぐことか。冷房器具にしては少しやかましいが、それはこちらが割を喰わないよう工夫すればいい。


「……絵面が同じでつまんないよ~」


「人の原体験を悪く言うもんじゃねーぞ。冒険は想像力でするんだよ」


 私に同棲の経験はないが、思うに長続きの秘訣は相手が居て良かったと思える点を多く見つけることなのではないか。如何に役に立つか……と言えば冷たく聞こえるが、個人的な愛着とは別に相手と離れない理由を作っておくのは大事だろう。これは、同棲解消を繰り返しては愚痴を言いに来る友人の愛子に対して私が説教した内容だが、今こそ実践する時だろう。何せ、私はこのゾルカという女から離れることを許されていないのだから。


「あのさ……ちょっといいかな杏朱ちゃん」


「おっ、街に着いたぜー」


 今にしても、思い出のレトロゲームを一からプレイしている私に対してゾルカは邪魔にならない程度の会話とスキンシップで刺激を提供してくれている。この分なら、日没まで睡魔に負けることなくゲームをやり通すことができるだろう。早くも私は、彼女と過ごすメリットをひとつ見出した。ひょっとすると私には同棲の才能があるのかもしれない。


「ふ・ざ・け・ん・な~~~~~~~っ!」


 と、軽く悦に入っていた私の背中をゾルカが突き飛ばした。私は腰をかけていたベッドから転落し、フローリングに尻餅をついた。


「いってぇ! 何すんだよ。痛いだろが」


「こちとらの台詞だよ!」


 弱った状態から全力を出したせいで、ゾルカは肩で息をしている。他にも目は乾いて充血し、顔色はおろか部屋着のスウェットから覗く胸元に至るまで真っ白で何とも幸薄そうだ。


「ひどいよ杏朱ちゃん……頑張って一緒に起きてようねって言ったのに……ふたりなら眠気に耐えるのも楽しいねって良い感じに始まったのに! わたしをほったらかしてクソゲーに没頭しちゃうなんて!」


 一応、私が今やっているのはゲーム史において不動のマスターピースと評される一本なのだが……吸血鬼が人間の文化に疎いのは何ら不思議ではないのでひとまず置いておく。


「ほったらかしてない。後ろから見てていいって言っただろ」


「人がやってる携帯ゲーム機の手元を凝視し続けるのは無理があるよ! 杏朱ちゃんがプレイし始めてからこっち、わたしが何度寝落ちしかけたかわかってる!?」


 キャンキャン文句を言うゾルカ。そう言えば、後ろにしがみついている彼女の顎が何度か私の肩にぶつかるタイミングがあったような気がする。あれは意識が飛びかけて頭が落ちていたのか。


「うっせーなぁ……そんなに退屈ならあんたが操作すれば? 私は横から指示するだけでも結構楽しめるから。1ドットの誤差も許さずエンディングまで導いてやるよ」


「そんな息苦しい成功体験は求めてないんだよ……ってか、そもそもわたしゲームの何が良いか全然わかんないし。ふたりで暇を潰すならさぁ、もっとこう……あるじゃん?」


 そう言いながら、ゾルカがベッドの上にころりと寝転び、スウェットの裾をたくし上げて見せる。先程まで私の背中を冷やしていた白い腹が、形の良いへそごと露わになって私の目に飛び込んで来る。


「楽しいコト……しよ?」


 ゾルカの長いまつ毛の奥で、エメラルド色の瞳が淡く光る。体調が優れない中で絞りだした、それは間違いなく渾身の誘惑だった。


「……アホかお前は」


 しかし私には関係のないことだ。したり顔の彼女の額にデコピンを喰わせ、私は床に座りなおしてゲームに戻る。


「いったぁ~~~~!……何よもう真面目ぶっちゃってぇ。一緒にイチャイチャしようよぉ。そんで眠気を吹き飛ばそうよぉ」


 音が出るほどの勢いで額を弾かれ、ゾルカが身悶えしながら抗議する。布団が乱れるから暴れないでくれっかなぁ。


「未成年とはナニしない。それが社会の常識だ」


 ゲームの中でゴミ箱を漁りながら、私はそう突き放した。実際のところ、ゾルカが未成年かどうかは議論の余地がある。15歳で吸血鬼になったということは本人の口から明かされているが、それ以降彼女が何年生きているかによって実年齢が変わって来るかもしれないからだ。しかし、例え彼女が15歳プラス12年生きていて私とタメだったとしても、或いは既に数百年は生きていたとしても、私がゾルカに対して抱く倫理的抵抗は変わらないだろう。


(いくら見た目が垢抜けてても、こんな情緒が子どもっぽい奴を大人の女として見るのは無理があるって話だ。第一、本人の自認がこれからJKになろうっていう未成年そのものじゃないか。うん、無い無い。こいつに性的なメリットは期待すべくもない)


 一方、私に誘いを振られたゾルカはスウェットの裾を直すとベッドに座り込んでしばしふてくされていたようだが、やがて思い出したようにポツリと言った。


「ふーん、偉そうに。その未成年の体にのしかかって、隅から隅までねぶり倒してたのはどこの誰だったっけ?」


「うぐっ……」


 当然というか、ゾルカの言葉は私の痛い所を突いていた。ゾルカに出会った一昨日の夜、どうやら私は彼女に猥褻な行為を働いたらしい。


「まだ咲き満ちぬ花の蕾を散らしといてさぁ〜、反省が足りないんじゃな〜い?」


 ゾルカがここぞとばかりに私をなじって来るが、私としてはその時の記憶は曖昧で断片的にしか思い出せないのだ。らしい、と推し量る言い方になってしまうのもひとえにその所為だ。


(大体、先に私を誘惑して不意打ちで血を吸って来たのは誰だと言いたい! その所為で意識が飛んで、蕾を散らすも何も全く実感がないんだわ! こっちは!)


 言いたいことは色々あるが、やってしまった事実がある以上私の方が圧倒的に分が悪い。私が返答に窮している間にも、ゾルカは床の上に下りてきて再び私の背中に抱き着いて来る。


「ね、ね、もう手遅れなんだからさ、いっそ開き直って溺れちゃわない? こぉ〜んな絶世の美少女との爛れた生活……労働の対価としてはむしろお釣りが来ると思うんだけどな〜……」


 彼女が耳元でささやくその声が、甘い振動となって私の鼓膜を揺さぶる。酸素不足で判断の鈍っている頭が、あらぬ方向に舵を切ろうとするのを私は懸命に抑え込む。


「わたしは全っ然オーケー。杏朱ちゃんがわたしに魅力を感じてるように、わたしも杏朱ちゃんの体にドキドキするもん」


 そう言ってゾルカが私の腋の下から手を差し入れ、乳房を鷲掴みにする。


「良い感じに肉が余っててさ、ぷにぷにで気持ちいいじゃん?」


 悪戯っぽく言いながら、ゾルカが指を動かして私の胸を揉みしだく。だがその手つきは愛撫と言うにはややぎこちなく、服越しに私の肌を圧迫し痛みを覚えさせるものだった。その違和感が辛うじて私の理性を保たせた。


「……調子に乗るなバカタレ」


「いだだだだ!?」


 私に手の甲を思い切りつねられ、ゾルカが悲鳴を上げた。その隙に私は思考を整理し、彼女の方へ向き直る。


「あんたの言うことはわかった。ただ眠気を紛らわすだけじゃ能がない、どうせならもっと建設的なことに時間を使おうってことだな。実にもっともだ」


「えっ、いや違……」


 ゾルカには有無を言わせない。私は咄嗟の思いつきを惜しげもなく開陳する。


「今日は3月23日だから、再来週には4月に入る。あんたの高校入学はもうすぐそこだ。すなわち、私の目覚まし係としての義務もそこから発生する。契約の円滑な履行のため、今のうちに詰められる所は詰めておこうじゃないか。差し当たり……通学の方法について!」


 実際、頭に引っかかっていた件ではあるのだ。日光を極端に嫌っているゾルカだが、全日制の高校に通うとなれば日中に外を出歩くことは避けられない。寝床を用意し英気を養う算段がついたなら、次は具体的な段取りに移るべきだろう。


「確か、陽を浴びると熱中症みたいになるんだったよな。それで学校への行き帰りをどうするのか、既に対策があるなら聞かせて欲しい。なければこの場で捻り出す」


「むー……なんか杏朱ちゃん、強引に話を逸らそうとしてない?」


「だまらっしゃい! 言っとくけど、私はあんたの送り迎えなんかしないからな? 自分の通勤で既にギリギリだってのに、人の面倒なんか見てられん」


「むむむ……」


 ゾルカが眉根を寄せて私を見つめて来るが、私は何も強引じゃない。ゾルカの言ったことはつまり、契約内容を明確にしようと言うことだ。先回りして課題を特定し、曖昧な部分を潰していく。断じて話を逸らしてなどいない。


「……まあいっか。オーケー、日差し対策だよね」


 渋々了承した様子のゾルカ。詭弁の成果としては上々だろう。


「もちろん、対策は考えてあるよ。高校生は普通、歩きか自転車で通学するものだからね。ここで説明してもいいんだけど……折角なら実践した方がわかりやすいよね」


 ゾルカはそう言いながら視線を泳がせ、もじもじと手遊びを始めた。私は少し嫌な予感がした。


「杏朱ちゃん、今からデートしよっか」


「え゛っ」


 予感的中。私は自分の顔が引き攣るのを感じた。


「何その顔。ただのデートだよ? 女子ふたりが仲良く街に繰り出すなんて、全然普通のことじゃん。それとも、まさかアフターのことまで想定してるとか? うふふ……やーらしー!」


「バカ野郎!……あーもーわかったよ。デートだろ。あんたが本番でちゃんと通学できるか確かめる、あくまでそのためのデートだからな」


 あからさまに言い訳する自分が情けない。だが、契約内容を詰めようと言ったのは私だ。私が展開した論理の範囲で、彼女が己に有利な解を見つけ出したのならもう反論の余地はない。私の負けだ。


「……着替えて来る」


「はーい。わたしも準備してるね」


 衣装ケースから適当な服を引っ掴み、私は別室で服を着替える。ひとまずゾルカを視界から外し、思考を整えるためだ。


(前向きに考えよう。時刻はもう13時を回ってる……どうせメシを喰いに出なきゃならないタイミングだし、朝からゲームやり通しで若干飽きも来ていた。気晴らしに街歩きをするのは何も不自然じゃない。やましさも特に感じない。よし……いける)


 既に覆らない事柄に対し、自分の心情をフィットさせて乗り切るのは私の得意技だ。要はメリットありきで考えればいい。ゾルカはどんな服を着て行くのか知らないが、例のごとくお洒落なコーデで決めて来るだろう。絶世の美女を隣に侍らせて街を歩く気分は、きっと悪くない。本来の私にそんなマッチョな嗜好はないのだが、そう思うことにしよう。


「……おまたせ」


 ゾルカはもう例の早着替えで準備を済ませているものと思い、私はリビングに戻った。すると、


『あ、ごめんね杏朱ちゃん。まだ準備中なんだ〜』


 くぐもった声と共に、ゾルカがこちらを振り返った。その顔は先程までの儚げな美少女のものではなく、遥かに単純な曲面で構成されていて、メタリックな光沢があって、元の倍ぐらい巨大で……と言うかそもそも人の頭ではなくて……


『どうどう? わたしの日差し対策。かっこいいでしょ』


 格子状の面頬を通して、ゾルカの弾んだ声がする。彼女が被っているのは、西洋の鎧騎士が被るような金属製の兜だった。


(……た、確かに日差しは遮れるかもしれないけど……)


 兜の具合を確かめて満足したのか、ゾルカは鼻歌を歌いながら服を選んでいる。その様を見ながら私はひとり頭を抱えていた。


(これを連れて歩くのは……デメリットが大きすぎるだろ!!)


 心身の疲労も上り坂なお昼時、既に賽の投げられたふたりのデートはどんな顛末を辿るのか。そして、乱高下する私の情緒は一体どこへ向かうのか。ゾルカと過ごす初めての日曜日は、まだ前半戦を過ぎたばかりだ。


《つづく》


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