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第3話 吸血鬼の御用聞き

 吸血鬼ゾルカに居候されることになり、泣く泣く休日返上で彼女のための寝床をこしらえていた私。慣れ親しんだベッドを魔改造し、ゾルカが入るかりそめの墓に仕立て上げたはいいが、今度はそれに土を詰めろという。既に腰や背中が悲鳴を上げつつあった私が絶望しかけた時、アパートの前に漆黒のトラックが乗り付けた。運転席から降りてきた影のような男は、どうやらゾルカの知り合いらしい。


〜〜〜


「お初にお目にかかります、坂出様。手前はこういうものでございます」


 玄関先で私に名刺を差し出した男は、低く沈み込むような声でそう言った。


「はぁ……どうもご丁寧に」


 私の名刺入れは、遥か後ろで脱ぎ捨てられた服の山に埋もれている。社会人として恥ずべきことかもしれないが、わざわざ取りに行くのも変に思えたので、私はその場で受け取った名刺を見た。


 民間非営利団体 夜の子どもたちの会

 保全主任 三田弓治


(みた、きゅうじ……いや、ゆみはるでいいのかな。どういう団体の人なのかはさっぱり不明だけど。いや待てよ、夜の子どもたち……ってどっかで聞いたことあるような……? う〜ん、この人がどう見ても配達員じゃないこと以外何もわからん)


 黄昏の空を思わせる藍色の紙に金文字で書かれた文言を眺めながら私が反応に窮していると、保全主任の三田は静かに首を傾け、私の肩越しにリビングの方を窺った。


「こちらにゾルカ・ホールデン・ザレスカ様がおいでになっておりますね」


「居るよぉ〜」


 私が三田の問いに答えるより先に、ゾルカがソファーの陰からヒラヒラと手を振って応じた。


「待ってたよサンダー。時間ぴったり、流石だね」


「サンダー?」


 ゾルカが男を指してそう呼ぶのを聞き、私は思わず名刺を二度見した。


 三田。さんだ。サンダー。


「……サンダーさん?」


「みた、で結構でございます。通常はそう名乗っておりますので」


 だよね。びっくりした。この落ち着いた物腰でどんなロックな名前をしてるのかと焦ったじゃないか。


 しかし、独特の雰囲気のある人だ。見上げるように背が高いのに威圧感はなく、とは言え広い肩幅からは鍛え込んでいる様子も見受けられる。顔に血の気はなく、髪を撫でつけ唇に紅を引いた様はまるで能面のように見える。


(この人もまさか吸血鬼……? でもゾルカとは雰囲気が違うな)


 三田の顔と名刺を交互に見ながら、何となく玄関に立ち尽くす私。やがて痺れを切らしたかのように三田が切り出した。


「作業を始めてもよろしいですか」


 その言葉で我に返り、私は慌てて横へどいて三田を中へ通した。確か、ゾルカの墓に詰める土を届けに来てくれたんだっけ?


「入れ物がもう出来ているではありませんか。わざわざ資材と工具を持参したというのに」


 リビングの敷居を跨いだ三田が、開口一番棘のある言葉を放つ。私が廊下で思わず居竦まる中、ゾルカは「フフン」と得意そうに鼻を鳴らした。


「良いでしょ。杏朱ちゃんが作ってくれた私のお墓。サンダーみたいに上手くはないけど、わたしへの愛情がたっぷり込もってるんだぁ」


「愛情、でございますか」


 そう言って、三田が私の方を振り返る。彼の切れ長の目に射抜かれるような心地がして、私は背筋が寒くなった。


「いや違っ……な、何というかそのっ……すみません……」


「なるほど。まあいいでしょう。こちらの手間が省けたので良しとします」


 何の中身もない私の謝罪を受け流し、三田が窓際へ向かう。そして、手を水平に動かしてゾルカに合図をする。恐らく、残陽を警戒して窓際から退避するよう促したのだろう。彼女がソファーから下りて脇へどいたのを確認してから、三田はカーテンと共に窓を開け放った。


「早々に済ませます。手前も暇ではございませんので」


 と、言いながら三田が上着のポケットから四角形の端末を取り出し、窓の外へ向けて2、3の操作をした。するとゴウン、という起動音がして、何やらモーター類の駆動する音が連続して響いた。


「ふむ。積載のリフトで事足りますね」


 ここはアパートの2階だ。そして通りに面したこの窓からは、先程三田が乗り付けたトラックが至近距離で見えている。


(おいおいまさか……)


 私は窓際に駆け寄り、三田の腋の下から外を見た。するとどうだろう、トラックの荷台の一角が高所作業車のようなリフトになっており、土嚢を満載したケージが今まさに窓の高さまで上がって来るところだった。


「いや大袈裟だろ!!」


 閑静な住宅地にあるまじき光景に思わず突っ込んでしまった私だったが、三田がうるさそうに見下ろして来たので慌てて顔を反らした。なんかこの人怖い。


「効率を重んじております。ご理解を」


「アッハイ、ドウゾヨロシク」


 縮こまる私をよそに、三田は窓の転落防止柵を越えてリフトに乗り移り、土嚢を部屋の中へ移していく。重い土嚢を放り投げるでもなく丁寧に運搬できているのは、三田の長身が活かされているのと、トラックがアパートの外壁にぴったり横付けされているからだろう。しかし慣れた手つきだ。


「見たところそちらのベッドは一般的なシングルサイズのようですので、中に10cm敷き詰めるとなれば……ふむ、体積にして約0.17立米。170リットルもあれば充分でございますね」


 必要量の土嚢を運び入れ、三田が室内に戻って来る。定位置に戻って行くリフトを見送る彼の背中に、ゾルカが「ちょっと」と声をかけた。


「10cmって浅すぎない? わたし、もっとふかふかの上で寝たいんだけど」


 ほぼ日が落ちたのを認識して元気になったのか、ゾルカは俄に立ち上がって三田に詰め寄る。それに対して三田は溜息をひとつつき、ポケットから電卓を取り出した。


「よろしいですか? 一般的な住宅の床は1平米あたり180kgの荷重に耐えられるよう設計されております。それは1階でも2階でも同じこと。このベッドの占有面積をざっと2平米とすれば、重量はどんなに甘く見積もっても360kg以内に留めなければなりません」


 三田は喋りながら電卓を叩き、その都度ゾルカに見せている。既に彼女はたじろいでいるが、三田はなおも続ける。


「対して、ベッドの内部空間に土を10cm敷き詰めるのに必要な最低量が170リットル。土の比重を1.6とすれば重量はおよそ270kgとなります。おわかりですか? 現在の計画で既に270kgでございます。正確に容積を割り出せば少しは軽い数値が出るでしょうが、寝具に加え人ふたり分の体重を考えればどのみちギリギリ。それを超えて土を盛り上げると、間違いなく床が抜けます」


「わ、わかった! わかったよもぉ〜」


 ゾルカが三田の手から電卓を奪い取り、数値をめちゃくちゃに入力してからその辺に放り出す。あまりにも子どもっぽいその報復に、私は少し笑ってしまった。


「ふかふかは我慢する。杏朱ちゃんの家を壊すわけにはいかないもん」


 ふてくされたようにそう言いながら、ゾルカは床に置いてあった毛布を掴み上げて頭から被った。数秒してそれを脱ぎ去ると、彼女は昨夜着ていたようなドレス姿に変わっていた。


(手品みたいだぁ……)


 などと感心する私の横を通り抜け、ゾルカは窓枠に足をかけて外へ身を乗り出す。


「どちらへ?」


「ちょっと遊んで来る。やっと気分が良くなって来たのに、サンダーと一緒じゃ息が詰まっちゃう。ほんとつまんない奴!」


 最後に三田に向かって舌を突き出し、ゾルカは夜の帳が落ちた空へと飛び出して行った。吸血鬼だもの、空ぐらい飛べてもおかしくない。こうやって彼女は毎晩街へ繰り出すのだろう。


(……そして私と出会った。なんか、着々と吸血鬼の拠点にされつつあるよな、私の家。賃貸なのに……)


 仄かに不安な気持ちを抱えながら、とりあえず私は一息つくことにした。一方の三田の方はせいせいしたように窓を閉め、作業に取りかかった。


(この人、ゾルカとはどういう関係なんだろう?)


 重い土嚢を腰だめで運び、ひとつひとつ裂いては中の土をベッド内部に充填していく三田。涼しげな顔でこなしているが間違いなく重労働だ。厳しいことを言いながら結局ここまでするとなると、彼はゾルカの保護者……いや従者のような存在なのかもしれない。


「あなた、ゾルカ様とはどのようなご関係なのですか?」


 唐突に三田が問いかけて来た。


「どっ、どのような?」


 彼が顔も見ずにいきなり言うので、私は言葉に迷ってしまう。


「どのようなって言われても……う〜ん、昨日バーで声をかけられて、ナンパだと思ったから普通にお持ち帰りして、そしたらなぜかこんなことに……」


 自分の行動を思い返してみると、なかなか軽率で呆れるばかりだ。しかし、三田の求める答えはそういうことではないらしい。


「恋愛関係なのですか?」


 一拍置いて、彼はより直接的な問いを投げかけて来た。


「えっ。違う違う、そんなんじゃないです」


 自分で言っててどうかと思うが、ゾルカとの関係は全く行きずりのものだ。そもそも出会ってようやく24時間になろうかという段階だし。


「肉体の関係は?」


「それはまあ、ね……って何言わせるんですか! セクハラですか!?」


 三田は一体何を聞きたいのだろう。彼の意図するところが見えず、私は困惑していた。


「……あの方は、ご自分の吸血鬼としての宿命を厭うておられます」


 当の三田は私に睨まれたことなど意に介さず、自分の話を続ける。


「夜の世界を自由に飛び回り、人の生き血を糧に優れた力を振るい、永遠の命を謳歌する。多くの人間が憧れてやまない吸血鬼としての生が、あの方にとっては苦痛のようだ」


「苦痛……」


 ゾルカは私に、当たり前の学校生活を楽しみたいのだと言った。それは裏を返せば本来の自分の生き方を嫌悪しているということなのだろうか。彼女が見せる屈託のない笑顔の、その輪郭が急にぼやけるような気がした。


「あの方は、今まで何度もご自分の体質を克服しようと試みて来ました。時にはあなたのような協力者が現れたこともありましたが、いずれも結末は悲惨なものでした。そうなるとあの方もしばらくは大人しい。与えられた宿命に従い、凪のような日々を過ごしてくださいます。率直に申し上げれば、手前としてはその方が好ましい」


 三田は話しながらも作業の手を止めない。こちらを向かないため彼の表情は窺えないが、彼の言い草はひどく突き放したものに思えた。


「ですから坂出様、手前はあなたに対して何の働きも求めておりません。ただ手前を早く無駄な仕事から解放していただきたいだけ。そして、あなたがあの方に深入りしすぎて破滅することのないように。そう願うばかりでございます」


「……ご忠告どうも。参考にする」


 三田の態度についてとやかく言う気にはなれなかった。彼とゾルカが築いて来た関係性について私は何も知らないし、私自身義憤に燃えるタイプでもないからだ。ただ……


(私もまた、ゾルカのお眼鏡に適った一人ってわけかぁ)


 ただ、ゾルカの過去に言及されたことで胸の中がもやもやしている自分が居て意外だった。


(いや、何を絆されているんだ私は。昨日知り合ったばかりの相手だぞ)


 ひとまず気分を入れ替えようと、私は顔を洗うことにした。洗面台に向かい、鏡の前に立ってライトをつける。と、その時だった。


「ん?」


 私は鏡に映った自分に異変を感じた。


「な、なんじゃこれぇ〜!?」


 私の左の首筋には、傷痕を思わせる菱形の痣がふたつ並んでついており、それがライトの下で仄かな光沢を見せていた。


(気付かなかった……こんな痕が首筋についてたなんて。私、これで買い出し行ってたのか!? しかもこれ位置的にはゾルカが噛んだ場所……無関係な筈ないよなぁ)


 鏡の前で狼狽える私の様子は、リビングの三田にも伝わったらしい。ややあって「お伝えしておりませんでしたが」と声がかかった。


「吸血鬼は、継続的に血を吸うと決めた相手の体に刻印を残します。周囲の目を考えるなら、あまり目立たない箇所を指定するのがよろしいかと」


 三田さん、もう遅いです。私、髪短いんで首筋めっちゃ見られます。特に左側なんて隣の席の同僚から丸見えです。


(ど、どうしよう……!?)


 今は土曜の夜。月曜の出社までに何とかしなければ、私は急に攻めたタトゥーを入れて会社に来た人になってしまう。プライベートばかりか社会生活にまで支障が出る可能性に気付き、私はまた変な汗が出るのを感じたのだった。


《つづく》


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