第2話 シングルベッドは彼女の墓
罪悪感は人を殺す。他者に負い目があることによって、人はどこまでも縛られる。
例えば仕事のミスで同僚に迷惑をかけたりとか、友達に借りた本にラーメンの汁を跳ねてしまったりとか、家族喧嘩の勢いでライン越えの暴言を吐いてしまったりとか。いずれの過ちも私は未だ清算しかねている。
そして、そんな私に最新の負い目が一つ増えた。未成年をホテルに連れ込み(恐らく)事に及んでしまったことだ。
「ほら、ちゃんとする。そこ曲がってる」
「ッアーーー!! わかってるからちょっと黙っててくれっかなぁ!?」
今、私は自宅で木くずと汗にまみれながらその罪を償っている。まさかDIYとは思わなかったが。
「チックショ……ドリルなんて持つの初めてだっつーの!!」
〜〜〜
事の起こりは、私がゾルカの目覚まし係に任命された直後。土曜の午後のことだった。
「とりあえず、杏朱ちゃんが寝てる間に部屋の間取りは見たから……今日はわたしの住環境を整えるよ」
青白い顔でフラフラ揺れながら、ゾルカがそう宣言した。夜行性の吸血鬼がむりやり昼に起きている時点で住環境は地に落ちていると思うのだが。
「……やっぱ私んちに住む流れ?」
「当たり前じゃん。わたしんち遠いし、杏朱ちゃんの通勤にも影響が出ちゃうでしょ」
わぁ。細やかな気遣いに涙が出そう。
「だから、わたしがここに間借りするのがベストなの。そうだなぁ、まずは……この部屋、雨戸って閉まる?」
布団を頭巾のように被りながら、ゾルカが言った。雨戸……どうだっけ? 日頃使わないから有無すら覚えていない。
「確認して」
質問の意図を測りかねたまま、私は彼女に促されるままカーテンを開け、窓から身を乗り出して外壁をまさぐった。ガラス窓の外側に戸袋のようなものはなく、雨戸が格納されている様子はない。
「どうなの?」
「ないよ。普通の1LDKだし、そんな高等な設備はない」
「そう……」
布団に身を包んだまま、ゾルカは少し思案した。
「窓に板でも打ちつけようかな」
と、不穏なことを言い出す彼女の顔はやけにキリッとしていた。
「却下だわバカタレ。ここ賃貸」
「ああそっか。ごめんご」
謝罪しながらペロリと舌を出すゾルカ。昨夜の彼女がやればおどける仕草も可愛らしかっただろうが、今はさしずめ幽霊の見栄切りか。
「敷金は大事だよねぇ。じゃあ……カーテンだけ遮光のやつに替えてくれる? ちょっと……眩しくて」
と、ゾルカが体を丸めて姿を隠す。その様子を見て、私は彼女の意図を察した。
「日光は吸血鬼の大敵、か」
生き物は生活周期を破ると体調が崩れる。ゾルカのやつれた姿はその結果だろう。しかしそれに加えて、彼女には昼に降り注ぐ日差しそのものも有害なようだ。
「……別に、日光に当たったところで溶けたり塵になったりはしないよ。でも、直射を浴び続けると物凄く……物凄〜く体調が悪くなる。頭痛がして、体が痙攣してきて、そのうち意識も朦朧とするんだ」
「なんか熱中症みたいだな」
会社の営業が、真夏の外回りでどんな有様を晒すか私は知っている。それが年がら年中続くと思えば、吸血鬼の日光アレルギーは充分過酷と言えるだろう。即死はしないというだけで、重症化すれば衰弱死もあり得る類のものだ。
「……そ。だから……検討してくれると助かるかな」
ゾルカは私がカーテンを開け放った時点で布団で我が身を守っていた。やはり日光が恐ろしいのだろう。私は注意深くカーテンを閉め、ひとつ息を吐いた。
「しゃーない。ホムセン行ってなるたけ分厚いの買って来るよ」
こんなお人好しな一面が自分にあったことを私は驚きと共に受け止めていた。ゾルカが言っていた吸血による支配とやらはぶっちゃけ眉唾ものだが……やはり私は彼女に負い目を感じているようだ。少なくとも、これから我が家に居座ろうという不届き者のために模様替えをしようなどと思うほどには。
「……ありがと」
ぽつりと呟くように、ゾルカが謝意を告げる。そのしおらしい様に、私は恥ずかしながらグッと来た。
「杏朱ちゃんって優しいよね。ゆうべ一目見てわかったよ。人の痛みがわかる人だって。そういうの、わたし好きだな」
「なっ!……へ、変なこと言ってんじゃねーよ。何だよいきなり……私は行くからな!」
弱っているせいだろうか。昨夜の妖艶で強かそうなゾルカと違い、今のゾルカは何と言うか儚げで、素直で……
(悔しいが、可愛い……!)
頬が紅潮しかけているのを隠すように私は彼女に背を向け、車の鍵を取った。最寄りのホームセンターまでは片道約15分。行き帰りで火照りも冷めるだろう。
「あ、ちょっとタンマ」
と、ゾルカが布団から顔を出して私を呼び止めた。
「ついでに頼みたい物があるんだよね」
〜〜〜
そして現在。
私は自分のベッドをひっくり返し、木製のフレームにドリルで穴を開けていた。
「ハァ……ハァ……なぁ、下穴ってこれでいいのか!? 私DIYなんてやったことないからわかんないんだけど!?」
半ばキレ気味に問いかける私は、春先だというのに汗びっしょりになっている。何せ、カーテンだけ買う筈だったホームセンターで、更に厚さ1cmの木材多数と各種工具まで揃えて大工事をすることになったのだから。
「杏朱ちゃんって意外と不器用なんだね。まあいっか、最低限まっすぐなら。要はそのベッドが良い感じの箱になればいいんだから」
ゾルカによると、吸血鬼が手っ取り早く体力を回復するには故郷の土のある場所で眠りにつくのが一番らしい。日中の行動で体に負担をかける分、彼女には効率良く睡眠を取る必要がある。適切な寝床の確保は重要課題というわけだ。
しかし、何分手狭な我が家だ。ゾルカ専用の寝床を新たに運び入れる余裕はない。そこで彼女が提案したのが、既にあるベッドの改造だ。
「このベッドは天板の下が収納になってるでしょ。それを見てピンと来たの。この中をわたしの墓にすればいいじゃんって」
元あった引き出しを取り外し、空いた側面に木材を留め付けてぴったり塞ぐ。同じように底板も増設してやれば、人一人が収まる大きさの木箱が出来上がる。ベッドの天板は跳ね上げられる構造のため、マットレスをどかせば開閉も容易だ。
「……スペースに配慮してくれるのは助かるよ。あんたの寝てるすぐ真上で私が寝ることになるのも、二段ベッドだと思えばそうおかしくはないわな。けどさぁ……私の理解が正しければ最終的にこの中に……」
「気にしない気にしない。ほら、手を動かす。次はドライバーだよ」
ソファーに寝転びながら指示を出すゾルカを睨みつけながら、私は次工程へ進む。今しがたベッドフレームに空けた下穴は、木材の方にも対応する穴を空けている。双方を貫通させるように木ネジを差し込み、電動ドライバーで適度に締め付けて固定する。釘だとハンマーで指を叩いたり先端が飛び出したりして危ないというゾルカの判断によるものだ。
「トルクは弱めでね。あんまり強く回すと穴が広がっちゃうから」
彼女に言われるがままに電動ドライバーのダイヤルを捻ってトルクを調節する私。ずっとハラハラはしているものの、指示に従った結果どうにか完成しそうだ。
「どうでもいいけど……随分と工作に詳しいんだな。吸血鬼ってそういうもんなのか?」
「えー? そうだなぁ、わたしの場合は親の影響かな。親がこういうの何でも自分でやる人だったから」
ゾルカの親。それは恐らく、彼女が吸血鬼になる前に共に暮らしていた生みの親ということになるのだろう。彼女は一体いつ頃の話をしているのか……吸血鬼は歳を取らないというが、実のところ何年生きているのか……それは私の知ったことではない。しかし、少なくともゾルカは在りし日に得た知識を今でも覚えていて、私に語ったりしているわけで。
(……やっぱり、懐かしかったりするのかな。彼女にはもう縁遠いことになってしまった、人としての暮らしが。だから改めて高校に行こうだなんて……)
一度道を外れた者が再び戻ろうとするのにはすべからく理由がある。別にゾルカだけが複雑な事情を抱えているわけではないし、そもそも私の知ったことではない。
しかし、私は吹き出る汗に辟易しながらもドライバーを放り出すことができないでいる。それはゾルカが私を支配しているからか、はたまた罪滅ぼしの気持ちが私にあるからか……どちらにせよ呪縛には変わりないのだろう。
(あーあ、全く……私ってやつは!)
などと自嘲しているうちに作業は進んでいき、日が傾き始める頃には私のベッド兼ゾルカの墓という奇妙な一点物家具が出来上がっていた。
「つ、疲れた……」
ようやく工具の一切を床に置き、床にへたり込む私。その頬に、不意に冷たいものが触れた。
「ひゃっ!」
「お疲れ様。頑張ったね」
ゾルカが私の傍へ来て、冷えたお茶のペットボトルを私の顔に押し当てていた。如何にも差し入れを装っているが、それはこの家の冷蔵庫にあった物だからな?
「今日は色々ありがと」
夜が近いからか、ゾルカの顔には徐々に色艶が戻り始めている。俄に妖しさを増したその微笑みで謝意を伝えられ、悔しいことに胸がすく私が居た。
「……はいはい。お気に召したなら何よりですよ」
彼女の手からお茶を受け取り、喉を鳴らして飲み下す。
「ぷはっ……とりあえず、これで少なくともあんたの睡眠は確保されるわけか」
「うん。後はここに土を敷き詰めたら完成かな」
私はお茶を吹き出した。そう言えば忘れていた。吸血鬼が安眠を得る条件は、故郷の土に触れられる墓で眠ること。単に入れ物を作っただけでは墓にならない。つまり、今目の前にある寸法97×195×40の巨大な木箱に土を詰める作業が待っているというわけだ。
(こ、腰が壊れる……っ!!)
私の顔はさぞかし青ざめていたに違いない。声もなく宙を見つめている私の絶望の程を察したのか、ゾルカがケラケラと笑い声を上げた。
「大丈夫だって安心しなよ! 満身創痍の杏朱ちゃんにこれ以上負担かけるわけないでしょ? そもそも、土は土でもホムセンで買える園芸用の土なんかじゃ用を為さない……産地直送便がもうすぐ来る筈だから、ついでにやってもらうよ」
「……産地直送便〜?」
と、楽しそうな彼女の顔を私が睨みつけていると、窓の外で何やら大型車と思しきブレーキ音がした。
「お、噂をすれば」
彼女の言う人物が来たようだが、何せ吸血鬼の頼る相手だ。およそ一般の宅配業者などではあるまい。私はヨロヨロと立ち上がり、先刻設置した遮光カーテンをめくって外を窺った。
見れば、つや消しの黒で塗装された大型トラックがアパートの前に停まっている。ともすれば黄昏の薄闇に溶けてしまいそうなその車体の振動がはたと止み、運転席から人影がひとつ降りて来た。
(誰だ……?)
それは、軍服を思わせる詰襟の正装に身を包んだ長身の男。正面玄関をくぐって来るその姿の異様さに、私は胸が騒ぐのを感じたのだった。
《つづく》