5.声
「先輩…なんでそんな飲んだんですか…」
「ん〜…緊張したからかなぁ…」
美波は顔を赤らめながらふらふらと陽翔に体を預けていた。
彼女の家の前にたどり着く頃にはすっかり酔いが回っていた。
「先輩。鍵、出せます?」
「んー…これぇ!」
美波が取り出した鍵を陽翔が受け取り鍵を開け、扉を開けるとまるで誰かに呼ばれたように美波は吸い込まれていく。
ソファにぱたんと倒れ込んでくったりとした声で笑った。
「ただいまぁ……航平…」
陽翔は男の名を呼ぶ美波に驚き思わず動きを止める。
「……?」
この家に自分と美波以外に人の気配などなかった。
なのに美波は誰もいない隣の空間に微笑みながら語りかける。
「大丈夫だよぉ。今日ね、陽翔くんが家まで送ってくれたの。優しいでしょ、あの子」
陽翔はその言葉を受け取ったがすぐに自分に向けられたものではないことを悟った。
そこに"誰か"がいるのだ。
彼女には誰かが見えているに違いなかった。
その誰かにやわらかくいつもより幼い表情を向けている美波に胸が締め付けられる。
これが心から信頼し、愛する人にだけ見せる顔なのだろうか。
その顔がいつか自分に向けられる日が来るのだろうか。
自分じゃない誰かに向けられた笑顔に焼け付くような想いが湧き上がった。
美波に何が見えているなど関係なかった。
ただ、ただ、今のまま美波と共にいるには心がもたないと判断しただけのこと。
「俺、帰りますね…先輩…」
そう小さく呟いて陽翔は静かに家を出て行った。
どうも帰りが遅くて心配だった。
美波は動揺した時ほど酒を飲むタイプだ。
何かあったのではないか。迎えに行こうにもどこにいるかさえわからない状況に苛立ちさえ覚えた。
玄関のドアが開いた時航平は思わず立ち上がって玄関まで走って行こうとしたが、すこし格好がつかなくてそわそわしながらソファに腰かけ直す。
ドタドタと美波が部屋へと入ってきてソファに倒れ込んだ。
「おかえり美波」
「ただいまぁ……航平…」
へにゃっとした笑顔が酔いのせいで幼く、そして懐かしい。
ふと部屋に入ってきた男の姿に航平は驚き
「こいつ誰だ?大丈夫なのか?」
「大丈夫だよぉ。今日ね、陽翔くんが家まで送ってくれたの。優しいでしょ、あの子。」
美波が親しげに名前を呼ぶ男…。
航平の顔がわずかに曇った。
そんな男…。
思わずでかかった言葉を航平は飲み込んだ。
自分は死者なのだ。生きる美波の新しい歩みを引き止めることはしてはいけない。
彼女には幸せになってほしい。この世界で。
彼女の中に生きる俺はいつか思い出となってまた新しい大切な人と美波は思い出を上書きするのだ。
それでもーーー
「簡単には譲れないよ。」
声が部屋に響いた。
触れることも手を引くこともできない男の悲しみに満ちた声が。




