15.実家
「……行きたいところがある」
航平のその言葉に、美波は少し驚いたように顔を上げた。
あれほど姿を見せなかった彼が、自分から口を開くのは久しぶりだった。
長い沈黙のあとにようやく紡がれたその一言は、何かを決意したような、静かな力を帯びていた。
「どこに……行きたいの?」
美波はゆっくりと尋ねた。
心のどこかで答えを予感していたのかもしれない。
航平は少し目を伏せ、それから窓の向こう、夕闇に沈む空を見上げて言った。
「実家。……あの家に、まだ俺の、置きっぱなしのものがある」
言葉の一つ一つが、胸の奥に沁みていく。
美波は黙ってうなずいた。
電車に揺られて、2人は海沿いの街へと向かう。
日が沈みきるころ、駅に着いた。潮の香りがかすかに風に乗って漂い、街灯の明かりが細く道を照らしていた。
昔、航平の実家へ何度か訪れたときのことを、美波は思い出していた。
玄関の前で笑いながら靴を脱いだこと。
母親が淹れてくれた温かいお茶。
兄の瀬凪が、少し照れたように挨拶してくれたあのときの空気…
それらはすべて、時間の奥にしまい込まれていた記憶だった。
そして今、こうして再び並んで歩いているのが不思議に思える。
航平は、静かに家の門をくぐった。
その姿に、美波もそっとついていく。
玄関の灯りがついていて、ふと懐かしさが胸を打つ。
「ただいま……」
誰に向けるでもない小さな呟きが、航平の口から漏れた。
美波はそっと後ろから、その背を見守るように立っていた。
やがて玄関の扉が開き、中から母親の姿が現れた。
「久しぶりね、美波さん。」
柔らかな声に、緊張していた胸が少しだけ和らぐ。
「こんにちは。お邪魔します。」
美波は軽く会釈をして、玄関に入った。
「どうぞ、中へ。」
母はにっこりと微笑み、美波を招き入れた。
家の中はどこか昔のままの落ち着いた空気が漂う。
廊下を歩きながら、母が尋ねる。
「今日はどうしたの?」
美波は少し躊躇しながらも答えた。
「探したいものがあって……」
母は頷き、ためらうことなく廊下の奥へ美波を案内する。
やがて二人は航平の部屋の前に立った。
「ここよ。」
ドアの前で母が少しだけ立ち止まり、
「気をつけてね。」とだけ言った。
美波は息を飲んで、ゆっくりとドアノブに手を伸ばした。




