14.変化
夕方、オフィス内には定時を知らせるチャイムが微かに鳴り響いた。
書類を閉じて席を立つ社員たちのざわめきの中、美波は自分のデスクでまだぼんやりと画面を見つめていた。
「…ねぇ、美波」
隣に立った由香が、少し遠慮がちに声をかけてくる。
振り返ると、昼間とは違う穏やかな表情で、けれどどこか決意の滲んだ瞳をしていた。
「今日、…家に行ってもいい?」
一瞬言葉に詰まった美波だったが、すぐに小さく頷いた。
「うん。……いいよ」
由香はにっこり笑い、二人で荷物をまとめると、会社を後にした。
夜の街は穏やかだった。電車に揺られながらも、美波はずっと窓の外を見ていた。
由香は無理に話しかけようとせず、ただ静かに隣に座っていた。
そして、美波の最寄り駅に着き、二人で並んで歩いて家へと向かう。
玄関の鍵を開け、靴を脱いでリビングに入ったとき、家の中はしんと静まり返っていた。
「…あの、航平さんって…まだここに?」
由香がぽつりと尋ねる。
美波は少し間を置いてから、こくんと頷いた。
「いるよ。……奥の部屋に、ずっとこもってるけど」
由香は頷くと、鞄を静かにソファの上に置いた。
「……私、航平さんに伝えたいことがあるの。あの人がまだここにいるなら、話したい」
「……でも……」
美波は何かを言いかけたが、言葉にならなかった。
どうしても、心のどこかに引っかかっている。
航平に会うことすら、自分にはまだ許されないような気がして。
「私はリビングにいる。……今の私で航平に会うのは……ずるい気がするから。ごめん」
「ううん。……ありがとう」
由香は美波の肩にそっと手を置き、それからまっすぐに奥の部屋へと歩いていった。
ドアの前で小さく呼吸を整え、ノックもせずに静かにドアを開ける。
そこには、かつて由香もよく知る姿の航平が立っている気がした。
目に見えるわけではない。
ただそこにいるという確信が由香にはあった。
――未来の美波を、どうか、見守ってやって。
その部屋に、優しい声が静かに響く。
言葉の届くことを信じて、由香は静かに話し始めた。
リビングに残った美波は、ソファに座ったまま、ぎゅっと両手を握りしめていた。
胸の奥がざわついて、言いようのない痛みに締めつけられる。
しばらくして、奥の部屋のドアが再び開いた音がした。
美波が顔を上げると、ずっと姿を見せなかった航平が、ゆっくりとリビングに現れた。
その顔には、まだ言葉にしきれない想いが滲んでいた。
「……行きたいところがある」
ぽつりと航平が言った。
美波はゆっくりと立ち上がり、彼の横に並ぶ。
何かが、変わろうとしていた。




