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第3章 中学1年 夏




「だから!ちゃんと練習しろって!」

 

 気がつけば夏。一つ上の先輩は2週間前に引退試合を終えた。その後、部内は新しいキャプテンを筆頭に、秋の新人戦に向けて練習を開始した――はずだった。

「やってんだろ」

「先輩から言われたメニューと違うことすんなよ!」

 部活中は四六時中、新キャプテン伊藤昂が声を張り上げていた。

「何言ってんだよやってんじゃん!」

「うるせえな昂、お前大してわかってねーんだから口出すなよ」

 部活中にメニューをこなさない、私と同期のメンバーが三名いた。面倒なので問題児トリオとでも言っておこうか。トリオの一人は最近、消臭スプレーを薬局で万引きしたことで警察署に連行され、もう一人は二時間ほど前に、渡り廊下のドアに向かってスライディングをして破壊し、破損報告届を書いていた。


 先輩が引退する前はこんな問題行動はなかったのに、どうしてこうなってしまったのか。私が何を言っても彼らが聞くはずがないので、ため息をつくことしかできない。

 隣にいた三好の表情を見た。眉間にしわを寄せて、はめたグローブにボールを投げ込みながら何かを呟いた。

「えっ?」

 とっさに聞き返した。すると、

「いや、なんなんだろうな、あの先輩たちはと思って」

「……だよね。とりあえずメニュー進めてようか」


 言い合いをしている2年生を無視し、私たちは三塁側でトスバッティングをはじめた。さっき三好のチラッと放った言葉が少し気になった。

 1セット目が終わったくらいの時、言い合いをしている三年生を横目に、1年生のキャプテン、浅島星が誰に言うわけでもなく吐き捨てた。


「おれらさ、あんな先輩たちの言うこと聞かなきゃいけないわけ?嫌なんだけど。」

 凛輔や凛太も浅島星のほうを見て、目で合図をした。冷たい目線が三年生に向けられているのを感じたが、誰も私の方は見ていなかった。頭の中では、どうしよう、どうまとめたらいいかわからない、どうしよう、と、自分に問うても答えの出ない問いを繰り返していた。

 こんな調子で部活をしていけるのだろうか。


「なんでそんなに急に荒れだすんだよ」

 大介先輩は困ったように笑った。わかりません、と力なく呟くことしかできない。むしろ私が聞きたいくらいだ。何か言おうにも暴走する3人を止められるような発言権は私にはない。


「大介先輩、たまには部活に顔出してくださいよ」

「委員会と塾があってなー。まあ、考えるよ」

「お願いします」

 委員会が同じこともあり、大介先輩とはよく話す。今日もこれから体育委員会が教室で開かれる。

 部活を引退した大介先輩は髪の毛が少し伸びていて、坊主姿しか知らない私にとっては少し新鮮だった。そういえばこの前、友達の友達伝いに、大介先輩が同い年の女の子を家まで送っていたという話を聞いた。その女性の先輩は生徒会なので、よく前に立って話すことがあるから私も知っていた。

もしかしたら大介先輩はその人と付き合っているのではないか、先輩が付き合ったらどんな彼氏になるんだろう…とか、どうでもいいことを委員会中に考えていた。


とにかく恋愛なんて私には縁のない話だ。


そういながら委員会の先生の話なんて聞かずに、窓の外を飛んでいる雀を見ていた。


その日の放課後、私はトイレ内の個室でユニフォームに着替え、理科のプリントを届けるために職員室に寄った。

「失礼します!」

 ドアを開けると、左側の一年生の教師陣のデスクが並んでいる場所に三好を見つけた。担任の先生と何かを話していたが、視線に気が付いたのかこちらを振り返り、一瞬目が合った。

 理科の先生が不在だったため、先生のデスクにプリントを置き、職員室を出た。

「失礼しました!」

 私がそう言ってドアを閉めたすぐ後に、もう一つのドアからも「失礼しました」と声が聞こえた。


「三好。何してたん」

「あぁ、学級委員の仕事です」

 三好は何枚かプリントを持っていた。まだユニフォームには着替えておらず、学校指定のジャージの半袖半ズボンを着ていた。

「ふーん、大変そう」

「大変ですよ、授業の時間以外にもいろいろやらなきゃいけないし、クラスのやつは言うこと聞かないですし」

 不機嫌そうな顔になった。この子は本当に、なんて真面目なんだろうと感心しかしない。品行方正という四字熟語があるが、この人にピッタリだと思った。

 がんばって、と言いかけたところで、渡り廊下の向こうから何人かがすごい勢いで走ってくる音がした。咄嗟に三好と私はその音の方向に目を向ける。


「ちょっと三好!!」

 

 その声は恐らく渡り廊下中に響き渡り、窓をカタカタと振動させ、職員室前の廊下にまで十二分に聞こえてきた。


靴ひもを見た。黄色だから、三好と同じ一年生だ。

 走ってきたのは三好と同じくジャージ姿の女子3人。ショートボブの子と髪の毛を結んでいる子、もう一人髪の毛が肩ではねてるタコウィンナーのような子。おそらく今の大声はショートボブの子が発したようだ。先ほどに続けて、恐ろしい声のボリュームで三好に詰め寄った。

「ちょと、早く帰ってきてよ!なにしてるの!?こっち大変だったんだから」

「先生に頼まれ事してたんだよ」

 面倒くさそうに、三好は目をそらす。

「まじでさ、そうやって先生にいい子アピールしなくていいから」

 タコウィンナーの子が少し冷ための声で吐き捨てた。

 えっ、そんなこと言うか、普通。と内心驚いてしまい、声が出なかった。この子の頭どうなってるんだ?


 その3人の女子はワイワイと三好に話しかけ、なにやら教室で問題が起こったこと、明日の学年委員会で間に合わないことなどを話していた。仲がいいようにも見えるが、そうではないようにも見える。

 そんな大変な時に引き留めてごめんよ、と内心思いながら無言でその場を去る。その時、ポニーテールが揺れ、一人の女の子がこちらを見た、ような気がした。





*****


 伊角さんは部活に向かった。俺も部活に行かないといけないのに。なんで他の学級委員のメンバーはこんなに仕事ができないんだよ、と少し腹が立つが、俺はこの仕事は嫌いではなかった。

「今の人、女子の野球部の先輩だよね」

 なんかちょっと格好いいなーと呟いたのはリサだ。こいつもバスケができるという理由で、一部の女子からは格好いいと騒がれているのだが。

「三好、とりあえず教室戻って」

 瀬々菜乃華がポロリと言葉をこぼす。パッチリとした目がこちらを捉えた。

このパッチリとした目に捉えられると、俺は何も言えなくなる。


「…わかったよ」



「来週から夏休みです。」

 学年委員会用に頼まれていたプリントも昨日のうちに作り終え、仕事はなんとか間に合った。担任の天野先生は、夏休み中の宿題を管理するプリントを配りながら話している。自分の席に回ってきた薄いピンク色の紙を見てため息をつきたくなる。特に夏の予定は決まっていない。おそらく去年と同じく、野球とゲームをして終わるだろう。だがしかし勉強もしなくてはいけない。次の期末テストは、前回と同じく学年5位なんていう順位は取っていられないのだ。


 先生の話が終わり、号令とともに教室を出る。流石に今日くらいは早めに部活に行こう、と思いかけたが、まともに部活をしない先輩達の顔を思い出した。正直、行きたくはない。そんなことを思いながらも、足はグラウンドの方に向かう。


「三好」

 階段を降りているところで、階段の上の方から昂さんに声をかけられた。


「今日部活中練だから」


「ああ…」


そういえば外は雨が降っていた。久々の“中練”というワードについていけなかった。野球部は室内で練習するときは玄関の前が集合場所だ。

玄関に荷物を置き、ドアを開けると雨の匂いが体を包んだ。梅雨以来の強い雨だ。明日のダブルヘッダーの試合もなくなるかもしれないなと思った。玄関前で待っていると、一年生が全員集まった。


「え、先輩は?」


凛輔が言った。昂さんはさっき階段で会ったはずだが、他の2年生も誰も見当たらない。他の部活の生徒は部活を始め、渡り廊下ではテニス部が柔軟体操を始めているのが見えた。

すると、伊角さんが階段を駆け下りて来た。


「伊角さん、2年生どこ行ったんですか?」

「…パペット!」

「えっ?」

言いながら伊角さんは少し笑っていた。いや、頑張って笑うのをこらえているのかもしれない。


「家庭科のパペットが作り終わってないから、私以外居残りしてやってる」

「はぁっ?!」


びっくりし過ぎて、敬語も忘れて素っ頓狂な声を出してしまった。パペットというと、人形劇などで使われる手にはめて動かすぬいぐるみのことだと、2秒ほど経ってから思い出した。


「ほんと、なにやってんだか…」


凛太が呆れて物が言えないという様子で、俺の背後で呟いた。全くだ。だけど、あの部活をちゃんとやらない先輩たちが今、家庭科室でぬいぐるみを作っていると想像したら、少しだけ笑えた。


「だから今日は2年生は私だけ。とりあえず部活やろっか」


その伊角さんの声でようやく部活が始まった。


結局、校内を何周か走り、柔軟体操を終えた頃に昂さんが来た。


「昂さん!何やってんすか!」

「俺は少し手伝わされてたんだよ」


昂さんの苦しい言い訳にも呆れそうだ。いや、もう呆れ切っているかもしれない。


次の日は前日の雨が嘘だったみたいに晴れていた。

朝の5時半にかかってきた星からの電話では、予定通り試合をすると言っていた。


エナメルバッグに道具を詰め込み、玄関を出る。ユニフォームは紺色のセカンドユニフォームで、まだ少し新しいのが分かるほど大して使っていない。


「いってきまーす」

言葉では分からないが、恐ろしいほど力なく言葉を放った。玄関を開け、徒歩5分の中学のグラウンドまで歩く。日中は暑いと言えど、朝はかなり涼しく、この夏の朝の静けさと、肌に触れる冷たい空気が好きだ。

この感覚と、どこからかやってくる草と土の匂いを嗅ぐと、あぁこれから試合なんだと実感させられる。


徒歩15秒で中学校が見える。ここまで歩くと後はグラウンドまでは一本道だ。音がして振り返ると、チャリに乗った伊角さんがこちらに向かってきた。


*******


「おはよう」

 チャリで学校までの一本道を走っているとき、三好の背中が見えた。

「おはようございます」

 三好はいつも通り、適当というか、無気力というか、うまく日本語で表しにくいが、面倒くさそうに帽子に手を触れ、会釈にならないくらいの角度で首を曲げ、呟いた。そして、チャリいいな〜と呟いた。

「いや、三好は学校から近いんだからいらないでしょ」

「遠くてもいいから、チャリ通学がよかったです」

 なんか変なこと言ってる。そう思って笑いながら三好を追い越した。朝の空気の冷たさが気持ちよかった。チャリで風をかき分けながら進んでいると、冷たい空気の粒が何個も何個も顔に当たる。そうか、この感覚を三好は知らないんだ。いや、知っているから、遠くてもいいからチャリ通学がいいだなんて言ったのかもしれない。


 私がチャリ置き場に自転車を置き、そこからグラウンドの入り口に向かっていると、同じタイミングで三好も入り口近くを歩いてきた。

 なんとなく横に並んで歩き、グラウンドのフェンスの扉を開ける。同時に帽子をとってグラウンドに向かって一礼をする。

 あれ?と思った。

「どうでもいいけどさ、髪の毛濡れてない?」

 私は扉を閉めながら尋ねた。


「あーそれ、よく言われます。」

 口角は上がっているが、本人はどこかつまらなさそうにそう言った。髪の毛が濡れてるとよく言われるというのは、果たしてどういうことなのか。

「風呂はいってきたの?」

「いや、入ってないです。家出るときは普通なんですけど、気がついたらなってます」

 聞けば聞くほど意味がわからない。その割に、なんて返してくるのかが気になってむしろ興味をそそられた。

「寝汗か。」

「いや。でも確かに、昨日は2時ごろに目が覚めました。」

「なんていう時間におきてるの」

「最近2時間か3時間おきに目が覚めます」

「三好、それ赤ちゃんだよ」

「ああ、授乳……」

 ここで耐えられなくて爆笑してしまった。そのやる気のなさそうな表情で授乳とか言わないでくれ。

 何言ってんのと言って、歩きながら笑いが抑えられなかった。三好はなんだか困ったように少し笑っていた。

 いつも学級委員の仕事忙しくこなし、真面目で正しいことしか言わない印象だったこの人が、こんなことを言うのか。面白くてたまらなかった。


バックネット裏の荷物を置く場所に着いた時には、何事も無かったかのようにお互いコート整備を始めていた。



私が自分の気持ちの異変に気がついたのは、その日の試合が終わった後だった。


試合が終わり、トンボでグラウンドを整備した。もちろん恐ろしいほど荒れているこのチームの試合結果は想像通りだ。

コート整備が終わり、相手チームもそそくさと帰っていく。その時、問題児トリオの1人、副キャプテンでもある正が、ヘラヘラしながら言った。

「やっぱり、こんなチームじゃ勝てねえよなぁ」

正はトンボを持ちながら、バックネット裏に何やら絵を描き始めた。

「おい、やめろよ」

つかさず昂が注意をする。そんなことはお構い無しという様子で、トリオのほかのメンバーもそのふざけモードに便乗する。バックネット裏の水道の蛇口に指を押し付け、水を出して周りに撒き散らかし始めた。わりと、よくある光景ではあるのだが。

「いいかげんにしろって!」

昂はそう言いながら正のトンボを取り上げようとした。正はそれをひょいと避けた。そして、しまいにはそのトンボを振り回し始めた。

「ちょっと、正やりすぎだよ!」

私が声をかけようとも正たちは止まらない。さっきまで試合を見に来ていた保護者もいつのまにかおらず、もう収集はつかない。

これ、本当に中学生か?私は唖然とするしか無かった。


「うるせえよ!!」


後ろから声がして、困惑した。その声の主が、三好のような気がしたからだ。

恐る恐る振り返ると、今にも口から、 包丁のような鋭利な言葉を吐き捨てそうな、冷たい目をした三好がいた。


まずい、1年生と2年生の全面戦争が始まってしまった…と思った。ここまできたら、私は口を噤むしかない。


「2年生でしょ?いつまでこんなバカなことやってんの?」


冷たい言葉が三好の口から吐き捨てられる。彼の真面目さが、今日は嫌に冷たく感じた。

おいおい、というふうに見ていたのは知っていた。しかし、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまったようだ。


「もう2年生にはついていけないね〜」


凛太が正の横を通りながら、ニヤニヤしながらそう言った。ほかの1年生たちは付き合いきれないという感じで、帰り支度を始めていた。


そこで車に荷物を積みに行った顧問の先生が戻ってきて、その場は一旦収まった。野球部の顧問というと強面の監督を想像するだろうが、私たちの顧問はそのイメージとは対象の、温和で少しひょろっとした国語の先生だった。


「なにかあった?」


メンバーのギスギスとした雰囲気が伝わったのだろう。


「なんもないでーす」

正が応えた。1年生から正へ冷たい目線が向けられる。

これがそもそも副キャプテンになったのが間違いの始まりだったのではないかと思った。


「まあいいか、今日はこれで終わり。各自反省するところはあると思うから……」


顧問は何事も無かったように話初め、そして、すぐに切り上げた。話が終わると、微妙な雰囲気な私たちを残したまま、彼は車に乗って走り去って行った。


微妙な雰囲気のまま、解散することになった。気がつくと部員の半分はもう既にグラウンドを出ていた。


「昂」

昂は人一倍不機嫌そうな顔をしていた。私のかけた言葉も無視して、バッグを担いで歩いていってしまった。


さっきまで感じなかった暑さが、どっと自分の肩に押しかかってきたような気がした。


「大体、昂さんも昂さんでしょ。どうしてまとめられないんだよ。」


三好が、散らばったままの道具を部室に片付けながら言う。私も部室に入り、簀子の上の土をほうきで払った。気がつくと三好はタメ口で、2年生の部員について無気力に、しかし淡々と冷たい口調で話していた。

そうだね、ほんとそうだよなー。うん。という3つを使いまわして、彼の言葉に応えた。


しばらくそんな感じで話しながら、流れで部室を掃除していると、風に乗って太鼓の低い音が聞こえてきた。三好と私は一旦話をやめ、その音に耳を傾ける。音はリズミカルに、少し嫌な重さを持った空気を、気持ちがいいくらい綺麗に切り刻んでいった。


「祭り…やってるんだ」

「祭りというか、神輿ですね。夏休み前のこの時期にやってるんです。」


へー、そうなんだ。と言いながら2人で外に出て、部室の扉を閉めた。三好の家の前までは同じ方向だから、自然と隣についてなんやかんやと話をしながら、グラウンドを出た。その後私はチャリを取りに、チャリ置き場に向かった。

チャリを漕いで、先に歩いていた三好まで追いつく。ブレーキの音と同時に、三好がこちらを振り返った。


その瞬間、鈴の音が私たちの周りを弾け飛んだ。銀色の様々な大きさのつぶが、うだるような暑さの空気を飛び跳ねるように舞ったような気がした。


「ダメだわ、帰れない」

三好が呟いた。帰るまでの一本道の少し先の方に十字路があるのだが、そこを神輿行列が横切っていたのだ。

三好の家はその十字路の少し先の曲がり角を曲がった場所にあり、私の家も、もちろんその一本道を真っ直ぐに行かなければ帰れない。神輿行列の中を横切るわけにもいかないので、待ちぼうけ状態になってしまったのだ。


「帰れない…ね」


笛の音が耳を涼し気に通り抜け、太鼓の音が心臓の真ん中にぶつかってくる。アスファルトに放射された熱が跳ね返り、自分の体の周りを覆っていた。自分がその熱と一体化してるんじゃないか、と錯覚を起こすほど暑いはずなのに、奏でる音だけが少しだけひんやりと感じた。子供たちのわっしょい、と言う声もなぜかもっと遠くから聞こえてくるような気がした。


ぼーっとした状態の中、三好の顔を見つめた。なぜか、あれ?と思った。

この人、こんな顔をしてたっけ?

見慣れない人を見ているような気分になった。部活で毎日顔を合わせている人と違う顔をしている気がした。


「どうしようもねーなぁ。あっちぃ」

いつもの無気力な顔に戻った。帰れないなーと言いながら、私もチャリを降りた。道路の横の畑のガーデンブロックに腰掛けている三好の横に、少し間隔をあけて座った。


私、今日はちょっとおかしいかもしれない。顔が熱かった。熱中症になったのだろうか。


取り留めもない話を続けた。それは部活の話ではなくて、例えば歴史の勉強の仕方だったり、担任の先生の話だったり、前の席の2人が突拍子もない会話を繰り広げている話だったり、みこしと、みよしってなんか似てるよね、という話だったかもしれない。


行列は長かった、ような気がした。正直何を話したか覚えていない。きっと時間にして10分も経たなかったと思うが、私の中ではとてもとても長い時間が経ったような感覚があったのだ。


次の週から夏休みが始まった。野球部といったら部活で忙しいイメージがあるが、部活は基本お昼過ぎまでで、午後からは同じクラスの友達と遊ぶ日々だった。


「奏音、あそぼう」

夏休み中盤のある日。2時過ぎ頃、オレンジ色のガラケーが光った。同じクラスのすずなからのメールだった。

「いいよ。いつも通り公民館?」

と、返す。風呂上がりの濡れた髪をタオルで拭きながら、何を着ていこうと考える。短い髪の毛はドライヤーを使えば1分もしないうちに乾く。

「もう着いてるよ。ちなみに、三好くん公民館にいるよ」

うわ、と思った。ユニフォーム姿と制服姿しか見せていない彼に私服を見せるのは、なんか嫌だなと思った。

「じゃあ行かない」

そうすずなに返信をする。

「じゃあ私が話しかけよっかな〜奏音の後輩だよね?って。」

「まじでやめて。わかったから、すぐ行くから」

慌ててそう返信する。すずなは色白で、目がパッチリしていて、少し背が高い。細いかと言われればそうでは無いが、女性らしい体型でかなりモテる方だと思う。

すずなには三好の話を何度かしていた。変な後輩がいて、おもしろいと。それを聞くと、すずなはいつも全然違うところを見ながらふぅーんと言って、その後ニヤッと笑うのだ。この子、相当の悪女だな……と思うことは多々あったが、そのエピソードは今は置いておこう。


私は顔に似合わないであろう、紺色のワンショルダーに、膝上の白いミニスカートを着た。最近買ったばかりの、10センチは高さがあるであろうコルクウェッジのサンダルを履いて、チャリに乗った。



公民館に着くと、入口にすずながいた。私の学校の近くにある公民館は広くてとても綺麗だ。中にはダンスの練習や楽器を演奏する時に使えるホール、調理室、図書室がある。


私とすずなは公民館に入り、1階の奥の方にある休憩スペースに座って、他愛もないことを話した。


途中すずなは課題をやると言ってカバンからプリントを取りだし、それを解き始めた。そのプリントは昨日の夜に終わらせたものだったので、私は何が暇を潰せないかと周りを見渡した。


休憩スペースの左手側にある小さな図書室が目に入り、何か本を借りてこようと思った。


三好、いそうだな。


直感的にそう思った。着いてからすずなに三好の名前は出されていなかったが、公民館にいるなら恐らくここだろうという予測だった。


「すずな、私本借りてくるわ」

「うん、いってらー」


すずなは課題のプリントを解きながら返事をした。

あの神輿行列を見てから、自分はなんだかおかしい。でも、何がおかしいのかということには敢えて気付かないふりをしておこうと思った。


図書室の扉を開けると、中の小さなテーブルに、人が座っているのが確認できた。後ろ姿だが、三好だという確信を持った。


「三好」


座っているテーブルに近づき、声をかける。一瞬ビクッと肩を震わせ、三好がこちらを振り向いた。


「…あぁ、伊角さん」


「そんなに驚かなくていいでしょ」


こっちが笑ってしまう。


「誰の本?」


三好が読んでいた本を覗き込む。


「伊坂幸太郎です」


表紙を見せてもらう。死神の浮力、と書いてあった。伊坂幸太郎さん?聞いたことないな。


「好きなん?」


「伊坂幸太郎の本は、ほぼ全部読みましたよ」


へぇーと言いながら、その人の本ってどこにあるん?と聞いた。あの辺に色々ある、と三好は入口の横にある棚の下の方を指さした。

しゃがみこんで並んでいる本を見てみる。本はかなり好きで色んな作者の本を読んだつもりだが、背表紙に印刷されている題名で心当たりのある本は無かった。


「結構面白いですよ。癖のある感じがめっちゃ好き」


「そうなんだ。面白そうだから読んでみる」


そう言って、気になる本を2冊手に取り、貸出カードに、背表紙に書かれている番号を書いた。その2冊の本は年季が入っていて、よく借りられていることが分かった。まだまだ知らない小説家が沢山いるなぁと思いながら、三好にじゃあね、と言って図書室をでて、すずなの座っている席に戻った。


「なんの本借りたん?」


「伊坂幸太郎」


「へー。」


すずなは分かりやすい。全く興味ありませんと言う顔で再び課題を解き始めたと思ったら、やーめたっと言ってプリントを片付け始めた。


「奏音、ちょっと聞いて。この前ね」


そして、最近あった色恋沙汰について話し始めた。すずなの話は半分耳に届いてはいたが、心の中は、10数秒前にトートバックに入れ込んだ伊坂幸太郎の本を早く読みたい、ということでいっぱいだった。



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