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第2章 中学1年 春

春になり、桜が続々と花を咲かせる時期になった。


「学級委員またやるん?」


 ポニーテールが揺れた。中1のクラス替えではクラスが離れてしまったが、小学校では仲が良かった女子の1人が話しかけてきた。

「推薦されればね」

「でも小学校でやってたんだから、やるでしょ!」

 もう1人、うるさいやつが話しかけてきた。この、バスケができて、足の速い女子はいつも俺に絡んでくる。最も、この学年の女子は何かにつけて冷やかしたりバカにしたりしてくるのだが。

 

 廊下にいる時に話しかけてきた女子の対応に追われていると、気がついたらポニーテール姿は見えなくなっていた。そうだ、この後には入学式が控えている。




 体育館に移動してしばらくすると、校長先生の話が始まった。1年生以外の学年は教室で待機しているはずだ。中学生になった自覚をもち、勉強や部活に励むこと。優しい先輩ばかりだから、分からないことがあったら聞くこと。要約するとそんなところだ。

 隣に座っていた、小学校の時に同じ野球チームだった凛輔(凛太と名前が似ていることから、凛々兄弟と言われていた)に目で合図をされた。

「話長くね?」

 そうだなと、目で俺も応答する。自分にしか分からないくらいの小さなため息をついて、もう一度前を向き校長の顔を見てみる。

 希望に満ちた中学生活になるのだろうか。自分にも、漫画や小説にあるようなキラキラした学校生活が送れるのだろうか。

 ふと考えたが、ないな、と心の中で自分を笑った。そして、校長の話にもう一度耳を傾けた。

入学式後にHRが開かれ、案の定、と言ってはなんだが、俺は学級委員に推薦され、クラスをまとめる役割を引き受けることになった。先程話しかけてきたバスケ部の女子も同じく学級委員に選ばれた。担任の先生は軽く自己紹介をした後、再度、中学生としての自覚を持つようにと念を押した。中学生としての自覚はもう既に自分の中で持っているつもりなのだが。

 HRが終わり、一旦廊下に出た。丁度、2年生のクラスもこの時間で終わりのようで、廊下の奥の教室から生徒が何人か出てくるのが見えた。頭にスケジュールを思い浮かべ、1年生の体験入部は来週からで、自分は特に用事もなく帰れることを考えた。

「よっしゃー、ゲームしよ!」

 誰に声をかける訳でもなく、大きめの声で呟いて教室に戻り、配布物をカバンにしまい込み、もう一度廊下へ出た。2組と3組はまだ授業が終わっていないのか、まだ教室の前に人はいなかった。


 その時、左斜め後ろから突然、何かの衝撃を感じた。考えている暇は一瞬もない刹那の出来事だった。体をガードする暇もなく、二三歩ほど前に押し出され、自分が人とぶつかったことに気がついた。


「ごめん! 大丈夫?」


 身長は同じくらいだろうか、帽子をかぶった男と目が合った。体操着の下から野球のユニフォームが見えていたので、野球部の人であることは間違いない。顔を覗き込まれたこともあり、驚きで一瞬言葉を失った。髪の毛は短く、中性的な顔立ちをしていながら、眉目は整っていた。イケメンだとは思わなかったが、最近ではこんな雰囲気の顔がモテるのではないかと思った。

 足元を見るとシューズの紐は赤で、ひとつ上の先輩であることが分かった。


「大丈夫……?」


 再度聞かれ、自分が黙っていたことに気がついた。その人は被っていた帽子を取っていた。

「いや、大丈夫です。 すみません」

 その人はごめん!と、再度謝り、階段の方へかけていった。肩からかけていた紺色のエナメルバッグは、大きな音を立てて揺れていた。そして、その人が階段横の角を曲がると、その音もすぐに聞こえなくなった。



*****


「後輩が入るから、気を引き締めていくぞ」

 練習の前に3年のキャプテン、中津先輩がそう言った。中津先輩の名前は瑠璃といって、名前通り綺麗で整った顔立ちをしている。私は一体、何度同学年の女の子に何度サインを頼まれたことか。アップシューズのマジックテープをきつく締め、ついでに、自分の心も引き締める。

 とてもしんどかった冬の室内練習からは解放され、まだ少し土は湿っているが、春になってから何回目かのグラウンドでの部活だ。室内練習での体力作りにしっかりついていけないため、少しだけ胸をなで下ろしている自分がいた。


「よろしくお願いします!!!!」


 アップに入ろうとしていると、バックネット裏の入口から、威勢のいい声が聞こえてきた。間もなく、1人、2人と同じような少し高めの声が続く。


 新1年生の仮入部のメンバーだと、すぐに察した。


 1年生はまだ身長が小さいように見えた。もしかしたら、全員自分よりも小さいかもしれない。

 そう思った時、1人だけ、周りの1年生よりも身長の高い子がいた。野球部にしては髪の毛は少し長めで、スラッとした体型でありながら、筋肉がしっかりついている印象だ。そして少し伏せ目がちに、こちらをじっと見た……ような気がした。

 どこかで見た事あるような。気のせいかな。


「じゃあ1年生は土手ランしてきて! 3年の先輩が誘導するから」

 中津先輩が指示を出し、3年生が一人ついて1年生は土手ランに連れ出されて行ってしまった。土手ランニング、通称土手ランは、往復4キロほどの道を走る、中学生にとっては少しきついメニューだった。2年と3年はそのままウォーミングアップを続け、キャッチボールに移った。


 キャッチボールをして間もなく、グラウンドの後ろの道を誰かが走ってきた気配がした。

「…うそやろ……」

 思わず小さな声で呟いていた。先程見た背の高い1年生が、土手ランから戻ってきたのだ。さすがに速すぎやしないか。ボールを相手に投げ返すことも忘れ、体育館の壁に設置されている大きな時計を仰いだ。1年生達が土手ランに出発してから、まだ15分も経っていなかった。間もなく彼はグラウンドにまで到着し、汗を滴らせながら膝に手をつけ、肩で息をしていた。彼の体から発される熱が、自分にまで伝わってきそうな気さえした。

 速すぎるだろ…。そう思いながら、私はそれを見ないふりをしてボールを投げ返した。どんな体力をしているのだろう。後輩といえど、少し恐怖を覚えた。


 こんな人、いるのか……。


彼と直接話をしたのは、その数日後の事だった。


「三好っていうんだ。三好…悠ニ……ゆうじ?だっけ」

「合ってます」


 彼から私の名前を確認されることはなかった。しかし、仮入部期間が終わる頃には私の名前を自然に呼んでいた。


伊角(いすみ)さん」


 同期のチームメイトの中には、私のことを〝奏音〟と、呼ぶメンバーもいたが、どうやら苗字呼びを選んだらしい。

 グラウンドにいる時の彼は、先輩にしっかりとした敬語を使い、かしこまっているように見えた。学校内でも学級委員が毎日しているあいさつ運動をすすんでやっており、私は彼に対していい印象しか持っていなかった。

 

 そう。これが、私と彼との出会いの始まりだ。


私は一年前、初心者で更に女子、という身でこの縦坂中学校の野球部の門を叩いた。少し、私が野球をするきっかけになった話をしておこう。

 

 きっかけは小学校の時の習い事で一緒だった8個上の先輩だった。彼は私が今通っている中学と同じ中学に通う先輩だったが、陸上部に所属し、シニアで硬式野球をしていた。とても野球がうまく、まだ小学生だった私相手に、よくキャッチボールをしてくれた。

「奏音、だから、ゴロはグローブを上から被せちゃダメだよ」

「なんで!? これでも取れるよ!」

「手のひらを上に向けるようにして取って」

「こう?」

「それは寝かせすぎ…」

 お兄ちゃん、と呼んでいた彼との会話は、うろ覚えではあるけれど、未だに思い出すことができる。丁寧に教えてくれたおかげで、野球チームに所属はしていなかったが、小学校ではかなりボールを遠くまで飛ばせるようになっていたと。私がお兄ちゃんと呼んでいた彼は、野球推薦で県内で有名な野球の強豪校に入学し、野球漬けの毎日を送っていた。そんな中でも、練習終わりによくキャッチボールをしたり、家で夕飯を食べて行ったりしていた彼を、私は本当のお兄ちゃんのように慕っていた。


私が小学4年生の時、お兄ちゃんが最後の引退試合を終えた。レギュラーとして出場していたが、甲子園には一歩、届かなかった。

「今はそっとしておくの。メールとか出しちゃダメだからね。」

 母親にそう言われ、当時の私にはよく理解出来なかったが、メールを出さずにとりあえずしばらく待ってみた。

 4ヵ月ほど後だっただろうか、次に会ったお兄ちゃんは、それまでの、“野球をしている好青年”とはかけ離れていた。金髪でロン毛、更には耳にピアスを開け、制服の胸ポケットにはタバコが入っていた。

 


 あぁそうか、人ってここまで変わってしまうんだ。



 子供ながらにそう思って、少し怖くなった。私が慕っていたお兄ちゃんが、もうそこにはいない気がした。

 

 野球をしたいと思うきっかけになったその人とは、ほとんど連絡を取らないまま中学生になった。しかし、ずっと野球が好きな気持ちだけは持ち続けていた。

 私は野球部の顧問の先生のところに行き、女子でも入部が可能かを聞いた。先生は笑って許可をしてくれたが、その代わり条件がある、と柔らかい物腰のままで私に伝えてきた。


「3年間、絶対に辞めないこと」


緊張した。わかりました、と自信を持って言い切ることができるのか自問した。


「やります」


 ここで覚悟を決めなければと、この時、手を握りしめたのだ。


「先輩、キャッチボールいいですか」

「ああ、いいよ」

 

 明日は練習試合があるという日のことだった。来週には先輩たちにとって最後の大会が行われる。部内の雰囲気はどこかピリピリと張りつめていた。慕っている大介先輩からも、最近は落ち着いた、少し近寄りがたい空気が流れているのを察知していた。

 大介先輩は体育委員でも一緒だったため、よく話すことがある。この前は委員会が終わった後に、一年生それぞれについて聞いた。

「あいつらはスポ少(スポーツ少年団の略。小学校の野球チームのことを指している)から一緒だけど、かなり独特なカラー持ってるよ。凛太はすげーふざけるし、凛輔は名前は似てても落ち着いてるな」

「ああ、そうなんですね」

「三好は、うざい」

「……えっ?」

「あいつは、変」

 一瞬、優しい雰囲気の大介先輩が放った言葉に動揺したが、言葉の内容とは裏腹に表情は柔らかかった。そのちぐはぐさに、私は少し笑ってしまった。

「見た感じ、めっちゃ真面目そうですけど」

「猫かぶってるだろ、あいつ」

 先輩は笑いながら、委員会で使った資料の整理をしていた。手伝います、と言って机の上にあるホッチキスを取り、プリント類をまとめる作業に取り掛かった。


 キャッチボールをしながら、その光景を思い出していた。そうだ、先輩は次の大会で引退してしまうのだ。引退してほしくない気持ちと、部内での最高学年になったときに、自分がどう振舞えばよいのか考えあぐねている気持ちが混合していた。

 

 空が曇ってきた。土手ランに行っていた、正式入部を決めた一年生が一人、二人と戻ってきていた。その時なぜか、正式入部を決めたはずの三好の姿はなかった。


*****


「わざわざ手伝ってもらってありがとうね。部活もあるのに」

「いえ、大丈夫ですよ」

 やっとのことでまとめ終えたクラス目標の集計用紙を、担任の天野先生に渡す。外はまだ明るかった。部活に遅れることは同じクラスの凛輔に伝えてある。あいつはしっかりしてるから、ちゃんと伝えてくれるはずだ。


「部活はどうなの?」

 担任の天野先生はとても柔らかい話し方をする女性の先生だ。確か、俺と同い年の野球をしている息子がいて、今は少し離れた市内の中学に通っているらしい。まだその彼を見たことはないが、いずれ試合をすることになると思っている。

「まだ慣れないですかね。体力的にもついていけるか不安なので、もっと頑張りたいです」

「そう。でもあんまり無理はしないでね。部活いってらっしゃい」

「ありがとうございます」

 失礼しますと言ってお辞儀をし、職員室を出る。あの先生はきっと、俺のまだ見えていない、色んなことを理解しているんだろうな、となんとなく思った。

 外はまだ明るい。入部したばかりなのに部活に遅れていくのは少し気まずい。一年生は今日も土手ランに連れていかれているだろう。秋には体力測定があるから、もっとタイムを縮めておきたい。今日は走らなかったから、家に帰った後少し走ろうか。

 教室でユニフォームに着替え外に出ると、ちょうど夕焼けが一番色濃く辺りを照らす時間帯だった。玄関を出てグラウンドまでの道を小走りで向かっていると、軟式テニスの白いボールが目の前に転がってきた。


そのボールを拾い上げてテニスコートの方を見ると、コートの入り口から瀬々菜乃華が出てきた。


「あっ、ありがと三好」


 ポニーテールがまた揺れる。左手にはラケットが握られていた。ボールを菜乃華の方になげ、小声でおつかれと言った。

「なに部活サボってるの?」

「いや、サボってない。学級委員の仕事」

「へーそうなんだー」

 聞いておきながら興味なさそうに踵を返してコートに戻っていく。瀬々菜乃華も隣のクラスの学級委員に選ばれていたはずだが、余程仕事が速いのか、それとも全く溜めないタイプなのか、普通に部活に出ている。

夕日が頬に当たり、少し風向きが変わったのを感じた。夕日はテニスコートと彼女を、淡いオレンジ色に染めていた。

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