グレアの母親
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作業にひと段落が着いてから数日。本日もヴィーレはグレアの工房にて作業の補佐をしていたが、グレアが作業をしている間ヴィーレはやることがなかった。
使用した素材の在庫や道具の手入れ、工房の掃除など、作業に直接かかわらない部分での仕事はあるが、それとてずっと続くものではない。ある程度働けば、後はグレアの近くでその作業を眺めるくらいなものだ。眺めている時も必要であれば助言をしているし、意見を求められれば答えるが、言ってしまえばそれだけだ。
「――ヴィーレちゃん。ちょっといいかしら?」
そんなグレアの作業をじっと眺めていると、不意に工房の奥――居住空間と繋がるドアからグレアの母親であるセリアが姿を見せてヴィーレのことを呼んだ。
「はい、なんでしょうか?」
「ありがとうね」
「……? 何に対しての感謝なのでしょうか?」
呼ばれたヴィーレは、グレアの集中を切らさないように音を立てることなくセリアのいる隣の部屋へと移動したのだが、突然の感謝を告げられてヴィーレは首をかしげた。
「そうね……ここに来てくれたことに対する、かしらね」
少し悩んでから答えたセリアだったが、その言葉がはっきりしていないのはいい加減な気持ちや曖昧な気持ちで口にしたからではなく、その感謝の一言の中にいくつもの意味が込められていたからなのだろう。
しかし、その一言に込められた気持ちの全てを理解することができないどころか、一つも理解することができなかったヴィーレ。その後に告げられた言葉についても、そこに含みがあることを察することができずにその言葉通りの意味で受け止める事しかできなかった。
「ですがそれは私にとって必要だからであって、お互いに利益のある話でした。貴方が感謝をする必要はありません」
ヴィーレにとっては本当に何でもないことだった。そもそもが事故であったし、自分の意思で来たともいえるようなものではない。その為、感謝されることではないと判断しているのだ。
「だとしてもよ。お互いに利益があるって言っても、ただ単に義肢職人を探すだけならグレアではなくともよかったはずよ。むしろ、無名のグレアよりも腕のいい職人の元を訪れた方が良いし、それが普通の判断だと思うわ」
「そうでしょうか?」
「そうよ。特に、あなたの場合はお父さんの形見なんでしょう? だったら、そんな大事なものをそれ以上壊されないようにするためにも、ちゃんとした工房を選ぶものよ」
「なるほど。では次からはそうすることにします」
当時は街や人々の暮らしというものをよく理解していなかったため、下手に自分で探して行動するよりも任せてしまったほうが問題が少ないと判断し、加えて情報収集もかねていたのでグレアの工房に訪れ、任せることにした。
だが今のヴィーレはこの街についてある程度は理解しているし、言われてみれば確かセリアの言う通りなのかもしれないと思えた。
その為、次はもっと良い場所を探すべきなのだろうと考えながら頷いたのだが、そんなヴィーレの反応にセリアは微妙な顔を返した。
だがそれも当然だろう。グレアは自身の気持ちをヴィーレに伝えることはないし、そもそも自分自身でも理解しているのか怪しいが、それでも周りから見ればその想いは明白だ。そしてそれは母親であるセリアから見てもそう。
だが、当のヴィーレ本人にはまったく脈がなく、セリアの発言が原因とはいえ、ともすればすぐにでも離れていってしまいそうな様子さえある。そこに不満や不安を感じないわけがなかった。
「……あなたがどう生きるのか、何を選ぶのかは自由だけれど、できることならグレアのことを選んでくれないかしら? 選ぶと言っても結婚してほしいという意味ではなくて、グレアが何か大きな問題を起こしてたりあなたに不義理を働いたりしない限り、あの子のお客さんとしていてほしいの」
そんなセリアの言葉は、グレアの恋路を応援する意味でもあったが、それ以外にもグレアに親しい相手を残してあげたいという思いからでもあった。
自分は近いうちに死ぬかもしれないが、その時に誰か一人でも側にいてくれれば安心だから、と。
「その願いであれば問題ありません。私としても、グレアは信頼に足る人物だと判断していますし、その能力も最低限の基準は満たしていますので」
「そう……ありがとうね。私はもう先が長くないと思うから、そう言ってもらえると安心できるわ」
ヴィーレとしてはなんてことのないただ現状の考えを口にしただけだったが、それでも……いや、そうだからこそセリアはどこかホッとしたような表情を浮かべ、ヴィーレに微笑みかけた。
だが、そんなセリアの言葉にヴィーレは普段の無表情を歪めて眉を顰めた。
「先が長くないとは、死ぬのですか?」
「多分だけれど、そう遠くないうちにね」
実際、今もセリアはあまり外に出ることができないでいた。家の事はセリアが行っているが、精々できることと言ったらそれくらいなものだ。外に出て働くことなんてできないし、その時の調子によっては家事すらも怪しいときがある程だった。
「なぜですか? 怪我をしているようには見えませんし、内臓に不備があったとしてもその部分だけ人工臓器に変えれば問題ないはずですが」
人間であればちょっとした症状や異変を見逃すこともあるだろうが、ただの人間とは違って機械的に対象を観察するヴィーレであればそんな体の不調を見逃すことはない。だが、そんなヴィーレから見ても、セリアの体には異変は存在していなかった。
もちろん体調が悪く、ろくに動くことができないのは理解していた。だがそれは、生まれつきの体が弱いのだろうと判断していた。
加えて、目に見えない内臓のような部分がダメになったとしても、人工臓器に変えれば死ぬことはないだろうとも考えていたのだ。
にもかかわらず死ぬ可能性を聞かされ、驚かずにはいられなかったのだ。
けれど、セリアは力なく微笑みながらゆっくりと首を横に振った。
「無理なのよ。私の体に問題があるわけじゃなく、魂の方に問題があるみたいだから」
「魂に……?」
「ええ。多分だけれど、『闇』に汚染されているんでしょうね。ヴィーレちゃんは聖女のお姉さんがいるのよね? だったら知らないかしら? 汚染されるのは死者だけじゃないんじゃないか、って」
姉、と言っているが、実際にはヴィーレは聖女本人ともいえる存在であり、その知識を全て有しているのだから、今セリアが言ったことは本当なのだと判断することは容易だった。むしろ、魂や『闇』に関してはセリアよりも詳しいほどだ。
「そうですね。稀にですが、屍獣やその残骸に接触した者が汚染され、生きたまま死者のように動き出すことはあります。屍獣の素材を使って何かを作る工房の関係者であれば、その可能性は他の一般市民よりも格段に高くなることでしょう。加えて、聖者が祓うことができるのは完全に死者となった者のみとなります。まだ生きている者は、その魂が浄化の力に耐えきれないため、『闇』を祓ったとしても死んでしまうことになりますので」
「やっぱりそうよね……」
ヴィーレの話を聞いてもセリアは微笑みを崩さなかったが、それでもその顔には悲しみや諦めの色も見て取れた。
けれど、一度だけ深呼吸をするとすぐに意識を切り替えたようで、セリアは真剣な眼差しでヴィーレのことを真っすぐ見つめた。