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第8話 祝福と宵の女神

 落ちた意識の中に、ぼんやりと景色が浮かんでくる。どこか朧気で、ふわふわと実感の伴わないその映像は、夢なのか、それともリュシエンヌの身体に残った記憶の欠片なのか判別がつかない。


 きらきらと木漏れ日が落ちる広場に、暁の男神像と宵の女神像が対になって立っている。そこは神殿の中庭だ。像の前には透き通った水が湧き出る泉があり、その前に司祭が立っているのを、彼女は見上げていた。


 見える映像の視線が低い。どうやら子どもの目から世界を見ているらしい。


「それでははじめましょう」


 司祭がそう言い、祝詞を読み上げる。古代語でろうろうと読み上げられるそれを、リュシエンヌは理解ができない。やがて言葉が終わると、司祭の指先がぼんやりと青白い光を発した。


「暁と宵の神よ、この者の祝福(ギフト)を示したまえ」


 司祭の手が近づいてきて、トン、と額を叩いた。そこからゆらゆらと光が漂ったが、やがてそれは消えてしまう。


「これは……」


 穏やかな顔をしていた司祭が、明らかに曇る。


「どうしたんです?」


 声に振り返った視界が、赤銅色の髪の男をとらえる。少し若いが、バティストに間違いない。


「おとうさま」


 幼い声が不安そうな声をあげる。これが夢かリュシエンヌの記憶か、まだわからない。はっきりとしているのは、小説にはないシーンだということだけだ。


「とてもレアなケースですが……お嬢様には祝福がありません」

「何だと……!?」

「宵の女神の子であるリュシエンヌ様に、そのようなことがあるはずがないのですが……」


 しきりに困惑したような司祭に、バティストは声を荒げる。


「もう一度調べなおしてください! 何かの間違いだ!」

「申し訳ありませんが、規則で祝福の儀式をやり直すことはできません。やりなおしたとして、結果は同じでしょう」


 つかみかからんばかりの勢いだったが、かろうじてバティストは司祭から離れる。

 そこで映像は砂嵐になって、場面が飛んだ。どうやらそこはルベル家の一室のようだった。


「お前がとんだできそこないだったとはな……」

「おとうさま……? あっ!」


 バティストが髪を引っ張る。その手に握られているのは、美しい銀色の髪だった。これで確信する。これは間違いなくリュシエンヌの記憶だろう。


「くそっとんだ恥さらしだ」

「やめて、おとうさま。痛い……!」

「うるさい!」


 乱暴に髪を離して、地面に叩きつけられる。


「旦那様、やめてください、こんな……」

「お前のせいだろう!」


 ばしん、と音が響いた先に視線が動く。そこには、銀髪の女性が床に倒れ込んでいた。


「おかあさま……」

「何が神の子だ。あの目を見ろ! 俺にもお前にも似ていない。紫の目だと? お前がどこぞの男に抱かれて作った子どもだろうが」


 バティストはリュシエンヌの母親に口汚く罵る。


「違います……違います、旦那様……」

「何が違うものか! 貴族の子どもで祝福がないだと!? 平民の血を継いででもなければ起きないだろうが!」

「おとうさま、やめて……」


 母親の胸ぐらをつかんだバティストに対し、リュシエンヌが震える声でそう言うが、彼女自身は床に叩きつけられた痛みで動けない。


「今まで我慢してやったが、もう限界だ。俺の血を引いてない子どもなぞ知るか!」

「旦那様……」


 母親の胸ぐらを乱暴に離すと、バティストの顔はリュシーの方を向いた。その煮えたぎった憎悪の目がリュシエンヌを捉えて、凶悪な腕が伸びてくる。


***


「いやぁ……っ!」


 叫び声をあげて、はっと目をあけると、そこはベッドの上だった。辺りが暗くてよく見えないが、布団にくるまっているのは確かだ。身体には酷い汗をかいている。


(夢……、だったの……?)


 ぐ、と胸をおさえると心臓がバクバクと脈打っている。深呼吸をすればやがて脈も落ち着いてきて、彼女は深く息を吐いた。


(久しぶりに長い夢を見たかも……)


 ぽつりと呟くと、まるで現実のようにリアルだった夢がおかしく思えてくる。


(あんなに夢に入り込んだファンタジーなの、本当に久しぶりだな。本当なわけないのに、現実だと思い込んだりして……変なの。とりあえず水でも飲もう)


 ぼんやりとする頭を振れば頭が痛んだが、ベッドを抜け出ようと身体を起こす。そこで彼女は違和感に気付いた。いつもの安い布団ではない。手触りの良い高級品を使われたベッドだった。それに着ているのもいつものティーシャツとズボンではなく、ネグリジェである。


「待って……」


 暗さに目が慣れてきて、ぼんやりと辺りが見えるようになってくる。そこは明らかに、アパートのワンルームではなかった。さらにはショートボブのはずの自分の髪が、長いことに気付く。それ以前に、声がリュシエンヌのものだった。


「……憑依は夢じゃなかったんだ」


 はあ、とため息を吐いてリュシエンヌは項垂れる。痛覚があったから一度は現実だと思っても、寝ぼけた頭でこの世界にきたのが夢だったと思ってしまうのは仕方ない。それほどまだこの新しい環境に慣れてなどいないのだ。


(それにしても……)


 先ほど見た夢の意味について、彼女は考える。

 夢を見たにも関わらず、あのシーンにまつわる記憶を探っても、リュシエンヌの中になかった。加えて、記憶を探っても探っても、リュシエンヌの母親が存在しない。


(どうして記憶にないのかな。……リュシエンヌ自身が、忘れてる……?)


 それならば合点が行く。あんなショッキングなできごとならば、忘れていたっておかしくはない。続いて夢に出てきた『祝福』について考える。


(小説には、あんなシーンなかったし、設定も作ってない)


 記憶を探ってもあの司祭も、広場の記憶もない。恐らくこれも忘れた記憶なのだろう。だが、『祝福』という単語についてはすぐにわかった。


 思い出のような記憶がおぼろげであるのに対し、常識的な知識ははっきりとしている。『祝福』とは魔法に似たもので、貴族が生まれながらに持つ能力のようなものだ。大した力はないが、稀に癒しの祝福などのような重要な祝福を備え持つ者もいる。


 貴族はその祝福を調べるために、ある程度の年齢になると神殿で祝福の儀を受けて、自らの祝福が何であるかを司祭に読み取ってもらい、調べるのである。


(できそこないってバティストに呼ばれていたけど、あれは祝福を持ってないって意味だったんだ)


 貴族なら当然持っているはずの祝福を持っていないとなれば、妻が平民と姦通していたと疑うのも無理はない話である。リュシエンヌの記憶に母親がいないのも、姦通を理由にバティストが追い出したのかもしれない。


(虐待されてた理由はなんとなくわかったけど……司祭様が『宵の女神の子』って言ってたのはどういうこと?)


 宵の女神は、暁の神と対をなす神で、銀色の月の髪を持ち、宵の口の空のような菫色の瞳を持つ女神である。宵の神の子と言えば、銀髪に日暮れの空色、つまり紫の瞳を持つ人ということになるが、リュシーはアイスブルーの瞳である。


(あれ、でも……倒れる前には左目が濃いって言われたんだっけ?)


 そっと左目に手を添えたが、もうそこは痛くない。だが、アイスブルーの目が濃い色になったとして、それは宵の神の子ではないだろう。夢の中では紫の瞳と言われていたが、いずれにせよ今は違う色なのだ。


(さっきのが本当に『リュシエンヌ』の記憶の夢なのか、それとも『私』のでたらめな夢なのか……わかんないことだらけだなあ)


 また溜め息が漏れて、リュシエンヌはベッドに倒れ込んだ。頭脳労働しかしていないが、身体は疲れていたのだろう。彼女はそのまま、再びうとうとと眠りについてしまった。

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