五話 『ヴァルハタ王の為に』
ここは、ティーマが住む街の近辺の駅。
普段は寂れているこの街だが、さすがに駅周辺にはそれなりの人だかりがあった。
「ま、待ってください!」
今にも出発しそうな列車に向かって、ティーマは人混みをかき分け走る。
後ろから罵声や怒声が聞こえ、ティーマは謝りながらも駆け込み、なんとか発進寸前で乗り込むことが出来た。
どうやら、今バズバルドは国王像の建設をしているようで、人手が足りていなかったらしい。
バズバルドに出稼ぎに行くという体で国立職業斡旋所を通せば、交通費も負担してもらえる。
貧乏なティーマがバズバルドに向かうには、この手しかなかった。
王都セルバーナから続く、バズバルド行きの列車の中は人で溢れかえっていた。
甲高い発車音が鳴り響くと同時にガタンと列車が揺れ、ティーマは人混みに押しつぶされる。
(うぐっ……)
体格の小さい彼女にこの人混みは苦痛だった。
(あまり人目にはつきたくないけど……)
ティーマは顔をフードで隠しながら、どこか空いている場所を探した。
人の群れをかき分けながら進んでいると、やがて車両の貫通扉に辿り着いた。
隣の車両に行けば、少しは空いている場所があるかもしれない。
そう思って、ティーマは扉を開けた。
瞬間、異様な雰囲気が広がった。
今までのぐしゃぐしゃな人混みとはうってかわって、きちっと整列された人達がこちらを見つめていた。
その一人一人が同じ軍服を纏っている。胸の紋章には見覚えがあった。
(国王軍!?)
その車両は、国王軍の兵士で埋め尽くされていた。
ティーマは急いでフードを深く被り直す。
「どうした、ここは軍用の車両だぞ」
前列の席の、周りの兵士達より一際体格の良い大男がこちらに向かって近づいてきた。
ティーマはこの男の事を知っていた。
(確かこのお方は、巨槍のズガドガン……)
ズガドガン・ハッパライト。
国王軍全体の中でも一番と言っていい程の体格を誇るこの大男は、自分の身の丈をさらに上回る大槍を手に暴れ回り、巨槍のズガドガンとして恐れられていた。
(どうしてこんなにたくさん国王軍が……! やっぱり、バズバルドで何かが……)
ティーマは一歩下がって、この車両から離れようとした。
彼女は国王軍に顔を見せる事を嫌っていた。
「迷子か? どれ、怯えるな……」
そう言ってズガドガンは近づいてきた。
どうしようかと、ティーマは心臓がバクバクと高鳴る。
ちょうどその時だった。
隣の車両で、怒号が響いた。
ティーマへの視線は、全て怒号の方を向いた。
(な、何……?)
そして、その次の瞬間には悲鳴が聞こえた。
「なんだ、いったい」
ズガドガンも不審に思っていると、突然大勢の人達が軍用の車両は雪崩れ込んできた。
その人々の顔は、恐怖に怯えているようだった。
兵士達に気づくと、人々は助けを求める。
「へ、兵隊さん! 向こうで、ナイフを持って暴れてる奴がいるんだ!」
隣の車両では、一人の男が血塗れのナイフを振り回して暴れていた。
その周りでは、男に刺されたのであろう人達が倒れていた。
「なるほど、俺達の乗り合わせている所で暴れたのが仇となったな。ようし、ここは……」
「待て、ズガドガン。ここは俺が行く」
いきり立つズガドガンに、後方の席から男の声が割って入った。
コツコツと足音を響かせながら、その男が歩み寄る。
雪崩れ込んできた人々も道を開け、やがてナイフの男の元に辿り着いた。
「あ、ああ! なんだてめえは!」
男は驚いて、ナイフを騎士に向かって突き立てる。
騎士は動揺ひとつせずに、面倒くさそうにこう言った。
「答える前にふたつ訊く。貴様は何故このような事をした」
「復讐だよ! てめえらヴァルトゥナ人のせいで、俺達はどんなに苦しんだか。てめえらがのうのうと生きている裏で、俺の妹は奴隷に身を落とし、そのまま死んでしまった。全てはヴァルトゥナ人のせいだ!」
「あー。もういい。世の中には足し算すら理解できない奴らがいるとは聞いたが……貴様、どこの生まれだ?」
「あ?」
その騎士は、剣を抜刀しながらこう言った。
「俺の持論だがな、文化が違えば共生など不可能。貴様みたいな反乱分子を生み出す民族は危険だ。見せしめに、貴様らの一族を掃除してやらねばな」
それを聞いた男は、激昂した。
「ふっ、ふざけるな!」
その様子を人混みに紛れて見ていたティーマは、記憶を探っていた。
あの騎士にも見覚えがあった。
(あのお方は……!)
「国王軍騎士団特別総隊長クルバッカ・ランブリア。いざ」
国王軍所属のクルバッカ・ランブリア。
煌びやかな装飾が施された剣を、優雅に構える。
「死ねええええ!」
ナイフを握りしめた男が、クルバッカに向かって突進していく。
だが、それをクルバッカはすんなりとかわすと、すれ違い様に男のはらわたを切り裂いてみせた。
「うがぁっ!」
男の腹から勢いよく血飛沫が舞い散り、ドタッと地面に倒れ込んだ。
ドクドクと血が溢れ出る。もはや、助かりはしないだろう。
クルバッカは死神のような冷酷な目で見下ろす。
「う……く、くそぉっ!」
男は勢いよく立ち上がると、近くの乗客の首元を掴み、そのまま引き寄せると首元にナイフを突きつけた。
どよっと周りがざわめく。
「そ、それ以上近づくな! この女を殺すぞ! それくらいの力は残っている……!」
人質の女は怯え、クルバッカに助けを求める。
対するクルバッカは顔色ひとつ変えずに、人質の女にこう言い放った。
「ヴァルハタ王の為に」
男も女も戸惑った。
一般人が人質に取られたと言うのに、まるで警戒もせずに、それどころかどこか面倒くさそうなクルバッカの様子に、嫌な予感がした。
「返せ。ヴァルハタ王の為に」
「ヴァ、ヴァルハタ王の為に……?」
女が戸惑いながらもそう言うと、クルバッカは剣を構えた。
「よく言った」
クルバッカは即座に人質ごと、男を切り伏せた。
周りの人々は思わず息を呑んだ。
切り裂かれた人質は即死し、男は血の海の中クルバッカをかすかな瞳で見上げる。
「げ、外道め……」
やがてその目から生気が無くなると、そのまま息を引き取った。
クルバッカは血に濡れた剣を素振りし、懐から取り出した布で拭くと、鞘に収めた。
そして、倒れた人々に目も配らずに、元いた車両へと踵を返し歩き始めた。
押し寄せていた乗客も、思わず道を開ける。
まるで草食獣の群れの中に放たれた虎のように、誰もが彼を恐れた。
クルバッカはズガドガンの近くまで来ると、小声で話しかけた。
「さっきの女は?」
クルバッカはティーマの事を訊いていた。
今の騒ぎに乗じてどこかへと身を隠した事に、誰も気づきはしなかった。
「そういえばどこかに消えましたね。何か用件が?」
「いや……なんでもない」
そんなやりとりを遠くから見ていたティーマは、息が止まるようだった。
(罪のない一般人ごと殺すなんて……)
惨状を乗せた列車は、モクモクとバズバルドへと向かっている。
ティーマの心の底では、暗澹としたモヤが蠢きはじめていた。
予感がする。きっと、この先、バズバルドでは必ず争いが起きると。
(お願いだから、誰も血を流さないで……。お兄様……)
ティーマは服の上から、胸の首飾りを握りしめて、祈る以外にする事が無かった。