四話 『スレイブとティーマ』
ガンダイには大まかな地図と紹介状とスレイブの署名が記された紙を手渡し、目の前でガンダイが拇印を押すのを確認すると、その場を別れた。
スレイブと一緒なら直接アジトまで連れて行けたが、そうでない場合はこうして間接的に案内をしていた。
地図周辺には常に自由解放団の仲間が見張っており、紹介状を手にした人がやって来たら声をかける。
その後、仲間内にしか分からないその紹介状に仕込まれた仕掛けを調べ、本物の紹介状だと判明すればアジトへと案内される。
そのようにして、出来る限り足がつかないように、団員を増やしていった。
スレイブとティーマは王都セルバーナを離れ、その近辺の街へと来ていた。
王都の近くの街ではあるが、華やかなセルバーナと違って、一気に寂れた雰囲気に変わっていった。
街並みは薄暗く、行き交う人々の表情は暗い。
スラム程ではないが、治安だってよくなさそうな雰囲気だ。
「本当にここに住んでいるのか?」
スレイブは横に並んで歩くティーマに問う。
「はい。私はここの国立職業斡旋所で働かせていただいてます」
(国立職業斡旋所……)
この国において、職業斡旋所は要は何でも屋。裏では奴隷派遣所とも呼ばれていた。
景気の悪いこの国で、最後に行き着く先がこの国立職業斡旋所である。
安い賃金で仕事は選べず、奴隷のように働かせる為の組織。
仕事内容によっては、命を落としてしまう事だって少なくはない。
(なんと、まあ……)
スレイブは心の中でそう同情をもらす。
「一人で暮らしているのか?」
「……はい」
少女の顔に陰が差す。
こんな年端のいかぬ少女が、たった一人で、何故そんな所で働いているのか。
事情があるのだろう。問いはしなかったが、スレイブは哀れに思った。
「一人でよく頑張っているな。すごいよ」
そんな少女はと言うと、いまだに何かに怯えながら歩いている様子だった。
服はすっかり濡れてしまったものだから、ガンダイが持ってきた荷物の中から上着を貸してもらっている。
「こんなおっさんのボロ布じゃせっかくの美人さんが勿体無いわい」
と言うガンダイの顔が印象的だった。
「ええと……バルター様は、何のお仕事をされていらっしゃるんですか?」
「俺? 俺かぁ……」
自由解放団はあまり大きな組織ではない。現政府に不満を持つ人達から活動資金を援助してもらっている。
だが、それだけじゃ足りないので、各々が団員である事を隠して表に出て働き、普通の人間のふりをして生きていたりする。
スレイブはと言うと、足がつかないようにあらゆる場所で日雇いの仕事をして食い繋いでいる。
そういう意味では、この少女に置かれた境遇と似通ってはいた。
「そうだな……。何でも屋みたいなものだ」
そう言うと、ティーマの顔がほのかに明るくなった。
「では、私と同じなのですね」
「そうだな、同じだ」
「でっ、では。その、さっき助けてもらった時、見ちゃったんですけど、ええと、すごいこう……傷だらけでムキムキで……歴戦の戦士! って感じでしたよね。どうやってそんな身体になったんですか?」
「ああ、そうだな……。まあ、修行だ」
「修行……? 武術をなさっていらっしゃるのですか?」
「そうだな。俺は強いぞ〜」
そう言って筋肉を強調するようにおちゃらけてみせた。
かすかにだが、少しずつ少女の緊張が解けていく。
「何か、誰かと戦う為に鍛えているんでしょうか」
そう言われて、少し言葉に詰まった。
自由解放団の一員として戦う為に鍛えているとはとても言えない。上手い言い訳を考える。
「いいや、男の子なら意味もなく修行したりするのよ。喧嘩に勝つ為だったり、モテる為だったり」
そう言うと、少女は口元に手を当ててくすりと笑った。
「ごめんなさい、殿方ってそういうものなんですね」
その花のような仕草を見て、スレイブは不思議に思う。
(なんというか、お上品な奴だなぁ)
本当に一人、この街で育ったのだろうか。そう思う程、出来た子だった。
「それで、ええと。私、初めて殿方の、その、陰茎を見たのですが。バルター様のは平均と比べて大きいのでしょうか?」
(なんというか、思ったよりおしゃべりだなぁ)
突如の下の話にスレイブは困惑した。
小動物のように大人しい内気な子だと思っていたが、案外好奇心旺盛で人懐っこいのかもしれない。
「ああ……そうだな。まあ、大きいと思う……はずだ。というより、あんまりそういう話は振っちゃいけないぞ。傷付く人もいるからな」
「あ、ごっ、ごめんなさい! 世間知らずでした……」
そう言って、ティーマはしょんぼりとした。
少し気まずい空気に、スレイブも無言になる。
やがて、ティーマがもじもじと口を開いた。
「あの……手首、怪我されてましたよね。ついさっき出来たみたいな、火傷の痕が」
かつかつと、二人の歩く音が響く。
「私を助ける為に、その、怪我したんですよね」
「ああ、これか……。気にするな。見ただろう俺の身体! こんなのは傷のうちに入らねえよ。へっちゃらさ」
ズキズキと痛む手首をブラブラと揺らしながら、スレイブは言った。
「……どうしてそんな怪我をなさってまで、私を助けたんですか?」
ティーマが神妙な顔で問う。
そう聞かれれば、スレイブは返答に困ってしまった。
うーんと唸りをあげて、考える。
「そうだなぁ。困っている人を見たら放っとけない……って言えたらかっこいいんだろうけど。本当の事を言うなら、自己満足かな」
「自己満足?」
「そ。言うなら、一種のトラウマみたいな物さ。──実はな、俺は俺以外の家族、全員死んじまったんだ。悪い奴に殺されてな……。その時、俺は何をしてたかと言うと、逃げてしまったんだ。怖くってな。ひどい話だろう? それで、そうだな、人助けをして気を紛らわせる事にしてるんだ。まあ、俺なりの復讐みたいな物かな。……かっこ悪いだろう」
「そんな……かっこ悪いだなんてとんでもない。とても素敵だと思います。あなたがいなければ、私は今この大地に立ってませんでした」
「ありがとう。そう言われると、救われた気になるよ」
そうやってにこやかに笑うスレイブを見て、ふっとティーマの心は和らいだ。
「それで、その……踏み込むようでごめんなさい。悪いお方は、捕まったんでしょうか」
そう聞かれると、優しく語りかけるスレイブの目が、サングラスの奥底でふっと氷のように冷たくなった。
「──いいや。だから、復讐してやらねばならん。必ず……」
その冷徹な表情に、ティーマは心臓を鷲掴みにされたような気分になった。
「っと、暗くなっちまったな! 悪い悪い。ほら、もうすぐ着くんじゃないか?」
先ほどの表情とは打って変わって、晴れやかで暖かい顔を浮かべる。
その温度差にドギマギしながらも、ティーマは辺りを見回した。
「そうですね、ここら辺です。あの、今日は本当にありがとうございました」
そう言って彼女は深々と礼をする。
「いや、いいって事よ。無事に帰れたんなら何よりだ」
そう言って見送ろうとする彼に、彼女は上目をあげながら。
「あの……また会う事はできるでしょうか?」
捨てられた子犬のように見つめるティーマに、スレイブは少し困ったように笑った。
彼女はきっと、孤独なんだろう。
積もった感情が堰を切ったように、話したがりな彼女を見てそう思った。
しかし、スレイブとしては迷っていた。
多忙を極めると言う訳ではないが、それなりに慌ただしい立場ではあるのだ。
「そうだなぁ……ええと……」
自由解放団にでも連れて行こうか。
そう一瞬思ったが、あくまで反政府組織である。そんな所に、もう虐げられた奴隷でも、どこにも居場所がない訳でもない、こんな年端の行かぬ一般人を連れてはいけないだろう。
悩んでいると、ティーマが悲しそうに笑った。
「いえ、わがままでした。バルター様にもバルター様の事情がありますよね。……本日は助けていただいて、本当にありがとうございました」
そう言われてしまっては、面倒見の良いスレイブは断る訳にはいかなかった。
「そうだな。たまに仕事でここら辺に来るかもしれない。その時は、また一緒に遊ぼう」
ティーマはそれを聞いて、まだほんのりと濡れた白い髪を揺らして、「はい」と嬉しげな声をあげた。
何故だか、この少女を見ると放っておけない。よく分からないが、何か自分に近しい物をスレイブは感じていた。
そして、これが後にヴァルトゥナ王国を揺るがす事になる、スレイブとティーマの出会いだった。