二話 『スレイブという男』
水と空の王国ヴァルトゥナ。
その王都をスレイブはサングラスをかけて歩いていた。
(あいも変わらず、やかましい所だ)
スレイブは心の中で舌打った。
この王都は大変豊かだった。
商売人のガラガラ声や芸人の楽器の音が絶えず響き、目がまわるような程の大勢の人達が行き交う。
夜になってもこの盛況は衰える事はない。
人工的な光が太陽のようにこの王都だけを照らし、日夜お祭りのように人々は騒ぎ立てる。
それが王都セルバーナ。
スレイブはこの街が嫌いだった。
地に大きな影を落とす、巨大な金の像を見上げる。
この王国の王、ヴァルハタを模った像。
スレイブは、いつか必ずこの像をぶっ壊してやると思っている。
スレイブはこの王を憎悪していた。
「……ふぅ」
スレイブはギロリとその像を睨むと、スタスタと目的の場所へ向かった。
この街が嫌いとは言っても、ここが一番の都会である事には変わらない。
そして、ここに住む人達が全員嫌いというわけでもなかった。
スレイブはひとつの露天に立ち寄った。
そこには、ガタイのいい中年の男が暇そうに椅子に座っていた。
「よう、頑固親父。出来てるかい?」
「なんだバルターか。まあ座らんかい」
そう呼びかけられ、バルターと呼ばれたスレイブは近くの椅子にどかっと座った。
ここは武器屋。
名物の頑固親父が立派な髭をいじりながら、スレイブに目を合わせた。
スレイブはサングラスをかけ直し、笑いながら話す。
「いや、ここに武器を預けてるうちにチンピラに絡まれてさ。大変だったぜ」
「それは大変だったな。どうやり過ごした?」
「相手は武器持ちだったんでな。必死に謝って見逃してもらったさ」
スレイブがそう言うと、目の前の親父は豪快に笑った。
「がははは、ツイてないな! まあ無理もない。素手でそんな奴らに立ち向かうなんて、勇気ではなく無謀だからな」
「慰めはよしてくれ。それより、頼んだ物は?」
親父がどっこいしょと立ち上がると、雑に積み上げられた箱の中から、ひとつの小さな箱をスレイブの前に持ってきた。
その箱を開けると、そこには短身の剣と鞘があらわになった。
無駄な装飾も一寸の刃こぼれも揺らぎもない、美しい短剣だった。
「とっておきに仕上げておいたぞ。これでそいつらに復讐してやれ」
スレイブは短剣を取り出して、刀身を光に当てながら。
「そんなつもりはさらさらない。これは護身用に留めておきたいよ。……相変わらずいい腕だ」
この鍛冶親父、名はガンダイと言う。頑固な事で有名だが、その腕はこの王都の誰よりも良かった。
スレイブはなんとかこの親父に取り込んで、こうして直接の依頼を受けてくれるまでの仲となった。
剣を鞘にするりとしまうと、スレイブはそれを懐にしまった。
「いや、ありがとう。これでチンピラに襲われてもいじめられずに済みそうだ」
「いいって事よ。……それより、バルターはいつもサングラスをしているな。その目立つサングラスのせいで変な奴らに絡まれるんじゃねぇか? わしはいまだにお前の目すら見た事ねえぞ」
「俺は目が弱いんだ。こればっかりは仕方がないだろう」
「まあ、お前さんがいいんだったら、何も言わねえが……」
と、その時。
鎧に身を纏った複数人の男がこの店にやって来た。
(こいつら、国王軍か)
華やかな装飾が施され、胸に国王軍の紋章が彫られている。
直接国王に仕えるこの国最高の騎士団だ。それが何故ここに……?
そう思っていると、国王軍の中の一人が一歩前に出て、店主に向かってかしこまった。
「いや、失礼。あなたがガンダイ氏で間違い無いだろうか」
「……ああ、わしがそのガンダイだが。わしはその無駄に派手な見てくれだけの国王軍が嫌いなんだ。つまらない用じゃないだろうな」
「あなたにとって良い報だ。評判は聞いているよ、この街じゃ一番の鍛冶師だってね。──国王がガンダイ氏の力をご所望だ。至急、荷物をまとめて城に来てくれたまえ」
「帰れ!」
ガンダイが眉間に皺を寄せ怒鳴った。
明らかに舐めた物言いだ。この頑固親父はそういうのが一番嫌いだってスレイブはよく知っている。
しかしめげずに、騎士は言う。
「あなた程の鍛冶師がいれば、我が軍はさらに強くなる。ひいては、この国の治安維持につながろう。……無論、環境も整えよう。今のボロっちい鍛冶場よりもっと上等な物をだ」
「はっ、貴様らにはとっくに立派ななまくらがあるじゃないか。何故今さらこのボロっちいわしなんぞを欲しがる?」
「──この国にはネズミがいる。自由解放団だ」
スレイブは腕を組みながら、黙って話を聞く。
「貧困隷属からの解放を志し、悪質な貴族から金を盗み貧民に配り、奴隷市場に乱入しては奴隷を保護する。……それだけ聞けば聞こえはいいが、要は奴らはただのテロ組織、反政府、犯罪者集団だ」
カツカツと店の中を歩きながら、その騎士は語り続ける。
「奴らの好きにさせてしまっては、いずれ治安など消え去ってしまう。そいつらを捕まえなければならない」
「既にハリボテの治安なら享受しているだろう、この王都は。国家ぐるみで奴隷制度を築き、税を上げわざと格差を作り、私腹を肥やしているのはどこのどいつだ。少しは目線を上げてみぃ、王都の外には至る所にスラムがあるじゃねえか」
ガンダイが反論すると、少しの沈黙が流れる。
ガヤガヤと店の外では人混みの音が聞こえる。
やがて、先に口を開いたのは騎士だった。
「昔、自然豊かでゴミひとつない綺麗な国があった。綺麗な自然を見たくて多くの外国人が押し寄せたと言う。……結果、その国はゴミで溢れ返り、自然も枯れていった。何故だか分かるか?」
騎士は店の外を見ながらそう語る。
外では、恰幅な男がゴミをポイ捨てしてる所が見えた。
「文明の違いだよ。その国が綺麗だったのは清掃員が頑張っているからではなく、元々その国民達が綺麗好きだったからだ。それを理解できなかった外国人はその国を汚していった」
「……つまり何が言いたい」
「我々はこの国を綺麗でいさせたい。その為にはゴミを排除するホウキが必要だろう?」
騎士は改めてガンダイに向き直ると、かしこまった。
「残念ながらこの国は外国人のせいで既に汚れてしまっている。だから我々がその清掃員にならなければならないのだよ。あなたに我々のホウキを作ってもらいたい」
中々に冷徹な男だ。スレイブはそう思った。
ガンダイは口を八の字にして、騎士達を睨みつけた。
「小難しい例え話をしたかと思えば訳の分からない事を言いやがって。帰れ」
そう言うと、騎士は深いため息を吐き、高圧的な態度で。
「噂に違わぬ頑固ぶりですね。だが、これは国王直々の命令だ。明日また迎えに来よう、それまでに荷物をまとめておくように」
そう言うと返事すら聞かずに踵を返し、先ほどポイ捨てされたゴミを拾い、振り向き様に一言。
「断れば我々もゴミ掃除をしなければならない。……では失礼した」
そう言ってくしゃりとゴミを握りつぶして、騎士団を引き連れ、そのまま歩き去っていった。
「ふっざけるな! 二度と来るんじゃねえ! このクソ野郎どもが!」
ガンダイは去り行く騎士団の背中にそう吐き捨てると、苛立ちを隠そうともせずにドカッと椅子に座った。
顔を真っ赤にしてしばらくわなわなと震えていたが、やがてひとつ深呼吸をすると、今度は静かに怒りを見せる。
「断るのか?」
スレイブがそう問いかける。
「行かなければ、殺されるだろうな……」
声を荒げ怒っていても、現状は冷静に理解していた。
国王直々の命令となれば、断るわけにはいかない。断れば処刑されるだろう。
この国において人民はすべて王の操り人形であり、少しでも操縦者に刃向かって仕舞えばプチンと糸を切られてしまう。
「ああ、畜生が。何が我々は清掃員にならなければならないだ。そのゴミをぶちまけているのはどこのどいつだ! 自由解放団の方がよっぽど綺麗好きだ!」
ガンダイは声を荒げながら憤怒の言葉を連ねる。
スレイブはただ黙ってその様子を見ていた。
……しばらくの後、ガンダイが思い切ったようにため息を吐くと、その視線はスレイブに向く。
「まあ、最後の客がお前さんで良かったよ。……もう会う事は無いかもしれんのう」
「……どうするつもりだ?」
「このまま奴らの言いなりになんかならねえ。とっとと店を畳んでとんずらこいてやる。仮に捕まったとしても、死んだほうがマシだ」
それを聞いたスレイブは、思わず吹き出してしまった。
「ははは、アンタらしいな!」
スレイブはひとしきり笑った後、すっと真面目な顔に変わった。
「しかし、名残惜しいな。もうアンタに武器は研いでもらえないのか」
「ああ。これ以上わしに関わると、お前もろくな目に合わないだろう。さっ、帰った帰った」
ガンダイがしっしっと手を振りながら、わざとらしく突っぱねた。
スレイブは少し考えた後、ガンダイにこう問う。
「──ガンダイ。俺達にその腕、貸してもらえないだろうか?」
「……あ? 俺達って、お前さん……?」
スレイブはそう言って、サングラスを外した。
そこには、まるで紅玉のように深い赤色の瞳が、ガンダイを映し込んでいた。
ガンダイはその瞳を見て、しばらく何かを思い出すように考え込み、そしてハッと目を丸くする。
「その目……お前さん、もしや!?」
そう驚くガンダイの口元は、かすかに笑みが溢れていた。
それを見て、スレイブもニヤッと笑った。
「改めて、俺は自由解放団のスレイブという。来てくれるのなら歓迎しよう」