十四話 『ズガドガン、再び』
列車の中に乗ると、そこには大勢の奴隷がいた。
ぼんやりと橙色の灯りに、奴隷達の表情が照らされる。
涙を流す者や、歓喜に震える者。怯える者もいれば、静かに眠りにつく者など、様々だった。
スレイブはそれらに目を配らせ、内心舌打った。
(哀れな)
あざだらけの奴隷、傷だらけの奴隷。
両腕を無くした奴隷、失明した奴隷。
ここにいる者は皆、人ではない扱いを受けてきた者達だった。
ティーマは辺りを見渡す。
(ランダ様は……いない)
結局、最後までランダは現れなかった。
やはり、あの過酷な労働で亡くなってしまったのだろう。
いつも手助けしてもらってばかりで、ランダにばっかり重荷を背負わせてしまったからだ。
ティーマは心の中でそう呟くと、心臓がキュッと痛んだ。
解放奴隷は前方車両に、自由解放団員は最前と後方車両に分けて乗車した。
そして、スレイブとヤラドゥとガンダイとラァーフは、ティーマの話を聞く為に、奴隷達の車両へと乗り合わせた。
ガタンと列車が揺れる。とうとうバズバルドを離れるのだ。
夜の闇の中を列車は進んでいく。線路と車輪が掠れる音が宵闇に静かに響いた。
「つまり。ティーマは本当に王家の人間って事か」
スレイブは背もたれに肘をつき寄りかかって、椅子の上にちょこんと座ったティーマを見た。
奴隷達もみんな、遠巻きに彼女らに注目している。
「ああ、私が断言する。むしろ、スレイブ。お前はいつもティーマの横にいたんだろう。気づかなかったのか」
ヤラドゥが答えた。
それを聞いて、スレイブは頬をポリポリと指の先端で掻いた。
「と言われてもなぁ。あんまり王族に興味は無かったし……そもそも中々表舞台に姿を見せなかったじゃないの。顔を知る機会がないよ」
その言葉に、ティーマは顔を俯かせる。
スレイブの隣でガンダイが神妙な顔つきで髭をいじっていた。
それを見て、スレイブは声をかける。
「どうした、ガンダイ」
ガンダイは頭を掻きながら、目線だけをスレイブに向けた。
「いやあ、何か夢を見てるようだわい。何が何だか……」
地べたにあぐらをかくラァーフは、顎を拳に乗せてティーマを見つめる。
「しかし、驚いたね。まさか他にもヴァルティス派が生き残っていたとは……。それも、相手は姫さんと来たもんだ。ヤラドゥにとっては奇跡の再会って奴かい」
ヤラドゥは顔を手で覆い、何かを熟考しているようだった。
やがて、そのまま静かに口を開いた。
「……もしかしたら、ヴァルティス派は他にもいるかもしれない」
その言葉に、列車の中はざわめきで満ちた。
スレイブもラァーフも目を丸くして、身を乗り出した。
「どう言う事だ、ヤラドゥ。何か確証があるのか」
スレイブがそう尋ねると、ヤラドゥはゆっくりと顔から手を離し、切長の目に影を落とす。
「どこから話そうか……。そもそも、お前達が知っている、ヴァルティス派の経緯はどんなのだ」
その問いに、ラァーフは少しの沈黙の後に答える。
「先王ヴァルガルムの暴虐ぶりを見かね、ヴァルティス王子は王の毒殺を企てた。その計画をヴァルハタ王子は暴き、ヴァルティス派を処刑台に送り、見事ヴァルハタは次期国王の座を手に入れた……。こんな所かね」
「兄様は、毒殺なんか企ててません!」
ティーマは思わず立ち上がって、そう叫んだ。
突然の激昂に、辺りはしんと静まり返るのを見て、ティーマは気まずそうに再び椅子に座った。
「そう、殿下は無実だ。濡れ衣を着せられ、私達は刃を向けられた。──全てはヴァルハタの自作自演だ」
「……何だと?」
ちょうどその時だった。
突如として列車内に爆音が鳴り響き、衝撃で列車は大きく揺れ、皆が体制を崩した。
車内は悲鳴で満ち、混乱が起きた。
スレイブは背もたれになんとかしがみつくと、周辺を見渡す。
「なんだ、何が起こった。事故か」
ヤラドゥが警戒しながらそう言った。
スレイブは冷や汗が額に浮かびあがり、それを拭う事をせずに後部車両を注視した。
「いや、今の衝撃は後ろの方から聞こえた」
何故だか、ひどく嫌な予感が、心臓の血と共に全身へ駆け巡る。
ピリピリとした空気が、鳥肌を立たせる。
「バ、バルター様」
ティーマが不安げに声を漏らすも、スレイブは後ろを見たまま動かない。
やがて揺れが収まると、悲鳴はざわつきへと落ち着いた。
ガタンガタンと列車は静かに走り続ける。
「ラァーフ姐さん、皆を連れて前の車両へ避難してくれないか」
スレイブはじっと後部車両への扉を見たまま、静かにそう言った。
「スー坊、アンタ何か分かるのかい」
「いや、さっぱり。だが、何かこう……嫌な予感がする」
扉の向こうから、刺すような殺気が漏れ出ている。
その様子をラァーフも察したのだろう。地べたから立ち上がると、スレイブの背中を見た。
「一人でいいのかい」
「戦える奴らはみんな後ろか前の車両だ。念の為、前の奴らに武装させて待機するよう伝えてくれ。ガンダイ、何か予備の武器があったら、こっちに渡してくれ。前に貰った奴は全部落としちまった」
「な、アレを作るのに一体どれだけ……」
スレイブはガンダイから短剣を何本か譲り受けると、懐に忍ばせる。
ラァーフ達が誘導しながら奴隷達を避難させている間、ヤラドゥもスレイブと同じように扉を見る。
何故だか、悪寒がする。
その喉元を抉られるような悪寒に、思わず心臓が締め付けるように痛んだ。
「スレイブ。まさかとは思うが……」
「俺の勘違いだったらいいけどなぁ」
やがて、奴隷達の避難も完了すると、最後にラァーフ達も前方車両へと避難した。
その際に、ティーマがこちらを振り向くと、
「バルター様……」
そう呟いて、そしてこの車両からはスレイブ以外いなくなった。
しんとした静かさの中、走行音と心臓の高鳴りだけが鼓膜に響く。
じっと扉を凝視する。
そして、短剣を構えながら、じりじりと扉に向かって近づいた。
じりじりと、じりじりと、音を立てないよう、じりじりと。
やがて、扉の付近まで来ると、ひとつ深呼吸をする。
そして、そうっと扉の取っ手に手をかける。その直前だった。
「……っ!」
ぶわっと髪が逆立つような予感を察知し、スレイブは急いで後ろに下がった。
瞬間、大きな槍が扉を粉々に破壊して飛び出した。
間一髪でその槍がスレイブの顔をかする。
「ズガドガン!」
扉の奥から巨体がぬうっと現れる。
全身が血に濡れた、鬼のような風貌をしたズガドガンがスレイブを見つけると、にやりと笑った。
「どうやってここに来やがったんだ」
スレイブはいくつか距離を取り、そう尋ねた。
しかし、ズガドガンは巨槍を構え直すだけで何も答えない。
「あの爆発から生き残ったのか。本当に人間かお前」
ズガドガンは息も絶え絶えで、肩で大きく呼吸をする。
その際に口から血が流れるのを見て、スレイブは短剣を構えた。
「感動の再会だな。見た所アンタも限界そうじゃねえか。どうだ、ひとつここは顔見知りって事で、穏便に済ませない……かっ!」
スレイブは言葉の途中で短剣を投げ撃った。
ズガドガンはそれを槍の柄で撃ち落とすと、じろりとスレイブを睨んだ。
壊された扉の向こうからは、一切の音がしない。
まるでそこには誰もいないかのような静寂ぶりだった。
「……ケルビア達は、後ろの方にいた奴らはどうした」
そう尋ねると、ズガドガンは自慢げに血だらけの槍を見せつけた。
槍の先端からポタポタと、誰の物か分からない血が床に滴り落ちる。
「ああ、そうかよ」
スレイブは吐き捨てるように言うと、短剣を再び両手に構え直した。
(相手は満身創痍。それに、この狭い車内じゃ、あの巨槍を振るう事さえ難しいはずだ。これなら、勝機は充分にある)
途端、ズガドガンが巨槍を低く構えると、勢いよく振り回した。
その一振りは座席や床や、ありとあらゆる物を破壊して、それらの破片が弾丸のようにスレイブに向かって飛んでくる。
スレイブは驚いて座席に隠れると、着弾音があちらこちらから響いた。
(なんでもありか)
息を整える暇もなく、スレイブの顔に身体に巨槍の影が出来るのを見て、彼は咄嗟に横に転がった。
瞬間、隠れていた座席がズガドガンによって粉々に破壊される。
壁にまで大きな穴が空き、外の冷たい空気が入り込んで、破片が灰のように舞う。
スレイブはなんとか体勢を立て直し、その際に短剣を撃ち放った。
それは見事にズガドガンの首付近に突き刺さると、さすがのズガドガンも血の気が引き顔を歪めた。
続いて第二の短剣を奴の腕に向かって撃ち放ち、それが手首を貫くと、とうとう巨槍まで落としてしまった。
今こそ好機とスレイブはズガドガンに向かって踏み込んだ。
汗をも置き去りにするような素早い踏み込みだった。
スレイブの手が首元に突き刺さった短剣に伸びる。
この短剣を抉るように抜いて、最後に心臓を貫き、トドメを刺すのだ。
そして、今にも手が首元の短剣を掴みそうになったその時。
ズガドガンの目がギョロリとスレイブを睨んだ。
分厚い手がスレイブの頭をがっしりと掴むと、瞬間スレイブは床に叩きつけられた。
全身の骨が割れるような感覚がして、スレイブは叫び声を上げた。
そのまま頭を擦りおろすように、その手は壁の穴に向かって突き進む。
スレイブの頭が列車の外へ出た。ぶわりと冷たい風が、顔をぶん殴る。
突風によって息が出来ない。
身体を暴れさせようするも、既にズガドガンに馬乗りにされ、身動きが取れなかった。
地面からは車輪の転がる音が轟音となって鼓膜に響く。
「や、やめろっ」
微かにそう叫ぶも、ズガドガンは悪辣な笑みを浮かべる。
そして、スレイブの頭を地面で擦りおろそうと、腕に力をぐいっと入れた。
スレイブも必死に抵抗し、鍔迫り合いが起こった。
スレイブとズガドガンは声を漏らしながら、力で押し合う。
徐々にスレイブは押し込まれ、地面が迫り、車輪の音がどんどん大きくなる度に、心臓の鼓動が高く波打った。
「あ、ああああ!」
全身全霊の気合いも入れるも、まるで虚しく。
スレイブの髪がチリッと掠れると、とうとう地面と接触した。
凄まじい速度で頭の皮が削げ落ち、血の道が後方へ描かれる。
地獄のような苦痛の中、スレイブは必死にもがいた。
微かな視界に、ズガドガンの笑みだけが映る。
ふと脳裏にティーマの事が思い浮かんだ。
その次にヤラドゥや、憎きヴァルハタの事。
そして、最後に思い出すのは、自分の娘の事だった。
(こ、こんな所で)
スレイブはなんとか腕だけを脱出させ、ズガドガンの腕を掴んだ。
(こんな所で死んでたまるかよ)
そう心の中で叫び、スレイブはズガドガンの腕を握り潰す勢いで爪を立て、必死の抵抗をする。
ズガドガンの腕から血が滲み、流れ落ちるが、力は一向に緩む事はない。
永遠にも思えるような鍔迫り合いだった。
その時。
突如として前方車両の扉が開き、そこから人影が現れた。
「離れてください!」
その声の主はティーマだった。
バズバルドに行く前に拾った銃を、プルプルとその手に構えながら、泣きそうな目でズガドガンを睨んだ。
その戦場に似つかわしくない少女の声に、ズガドガンはそちらをチラリと見た。
そして、彼女を見るや、呆気に取られたような表情を浮かべた。
「貴殿は……まさか」
ふと、ズガドガンの力が緩んだ。
その隙に、スレイブは全身全霊の力を、声を振り絞り、ズガドガンの肩を掴んだ。
「らあああああ!!」
スレイブは勢いよく起き上がると同時に、ズガドガンの巨体を掴みかかると、列車の外へと押し出した。
突然外へと放り投げられたズガドガンの瞳が、ティーマからスレイブの方に向く。
その吸い込まれそうな深い目は、まるで永遠のようにスレイブを見つめて──。
やがて地面へと打ち付けられ、そしてとうとう、ズガドガンの姿は遥か後ろへ見えなくなった。




