十二話 『邂逅と正体』
その頃、ケルビア達は包囲網を敷いていた国王軍との乱戦を迎えていた。
先陣を切るケルビアに続き、団員達が一丸となり武器を振るう。
しかし、蟻一匹倒しはしないと国王兵達が食い止める。
国王兵の数は遥かに多く、団員達は一方的な防戦を強いられ、この包囲から脱出する事は不可能に思えた。
その様子を奴隷達は、背後から不安げに眺めている。
(ケルビア様……)
ティーマは胸を強く握りしめながら、ただ前を見つめる。
彼らの戦う姿を見て、何か違和感を覚えた。
(……なんだろう。時間を稼いでいる?)
ケルビア達の振るう剣に、殺意を感じられない。
敵の攻撃を受け流し、受け止めたり、無闇に追撃を行わずに、まるで死なない事を最優先に武器を振るっているように見えた。
それでは、じわじわと体力を削られ、この状況を打開できないと言うのに。
そして、この防戦はしばらく続いた。
たじたじと殺しも殺されもしないような戦いに、業を煮やした兵達が段々とこの場に集まり始め、段々と押されっぱなしになり始めた。
ケルビアが兵の一人と鍔迫り合いをしながら、ちらりと後ろを見る。
(そろそろか……)
途端、ケルビアは勢いよく兵を蹴り飛ばすと、踵を返しこう叫んだ。
「撤退だ! みんな、戻れ!」
その言葉と同時に、団員達は一斉に撤退を始める。
その様子を見て、ティーマも奴隷達も、国王兵達でさえも唖然とした。
状況を理解できないまま、ティーマ達はケルビアに抱えられ逃げ始める。
「ランダ様、いったい何を……」
ティーマは困惑しながらケルビアの顔を見上げ、戸惑った。
その顔は、敗走を喫するような顔ではなく、まるで予定通りとでも言いたげな平然な表情を浮かべていたからだ。
先ほどまでの勇ましさとは打って変わって、撤退を始めた自由解放団を見て、兵達は血気に逸った。
「司令殿、追撃を!」
そんな中、一人の兵が叫ぶ。
司令と呼ばれた男は、逃げゆく自由解放団を見て、訝しげに思った。
「しかしだ、今更撤退など……。この包囲を敵わぬと判断するのは、もっと早くに出来たはずだ。それに、奴らの戦い方……まるで時間を稼ぐかのような戦いぶりだった」
「何か策があったとしても、撤退しているのは事実です! おそらく苦し紛れに一点突破で切り抜けようとでもしたのでしょう。それよりも、このままでは手柄を他の陣営に渡す事になります!」
そう言われ、司令は辺りを見渡した。
兵の誰もが、獲物を目の前にした獣のように滾り燃えていた。
その様子を見て、司令は心のもやもやを拭いきれぬまま、手を上にかざした。
「……うむ。全軍、追撃に移れ!」
そうして、国王兵は逃げゆく自由解放団に喰らい付き、包囲陣は崩れ去った。
「喰い付いたな」
ケルビアが走りながら後ろをチラリと見て、呟いた。
背後からは、地平線を埋め尽くす程の国王兵達が砂塵を巻き上げながら追ってきている。
その様子を見て団員の一人が冷や汗をかく。
「改めて見るととんでもねぇ数だな……」
途端、背後から勢いよく風を切りながら石が飛んできた。
その石は地面を抉り、粉々に砕け散る。
「投石だ! 気をつけろ!」
その攻撃に、奴隷達がざわめくのを鎮めるように、ケルビアが叫ぶ。
「いいか、ここが正念場だ! なんとしてでも、必ずラァーフ姐さん達の元へ戻るんだ!」
ティーマは腕の中で、うろうろと周囲を見渡した。
奴隷達は相変わらず困惑と不安を隠せずにいたが、団員達は身震いこそしていたが困惑はしていなかった。
きっと、何か策があるのだろう。
だが、このままではきっと追いつかれてしまう。
そう思っていると、一人の団員がケルビアの横を並走しながら話しかける。
「ケルビア、行ってくるぜ」
その男は覚悟したように言葉を放ち、ケルビアはじっと目を見つめ、やがて頷いた。
そして、その男が手を掲げると同時に、一部の団員達が突然身を翻し、雄叫びを上げながら国王軍の元へと突っ走っていった。
「な、何を。まさか……!」
その背中を見て、ティーマは慌てた。
たった十数人で敵陣の中に突っ込むなんて、自殺行為に等しい。
だが、それでも臆さずに、彼らは特攻を仕掛けた。
時間稼ぎの為だろう。生きては帰ってこれないというのに。
そう察し、腕の中でプルプルと震えるティーマを見て、ケルビアは言った。
「憐れむなよ、お嬢ちゃん。全て覚悟の上なんだ。この決死が、勝利への追い風になるんだ」
そう言葉を紡ぐケルビアの声も、また震えていた。
「ケルビア様……」
「仲間が死ぬのは、やっぱり慣れる事ではない。でも、そこで諦めてはいけないんだ。仲間の屍の上に立ってでも、立つからこそ勝たなきゃならないんだ」
そう言われて、ティーマは胸の奥を抉られるような感覚を覚えた。
不意に兄の事を思い出して、形見の首飾りを服越しに握りしめる。
そうして、次々と行われた玉砕特攻が効いたのか、国王軍との距離が縮まる事は無かった。
第一、第二と、団員達が死地へ向かうのを見届ける度に、ティーマを抱えるケルビアの腕の力が強くなるのを感じた。
そして、次から次へと特攻を仕掛けてくる団員達に、国王兵達は思いの外手こずっていた。
(やはり何か引っかかる。この者達は何故……)
国王兵の司令が疑問に思いながら、団員を相手にしている時の事だった。
血塗れになりながらも戦うその男に、司令は剣を構え、ひとつ尋ねた。
「答えろ、何故パンをちぎって捨てるような特攻を繰り返す」
その問いに、男は息を切らしながらもニヤリと笑った。
「その蒔いたパンにお前らを喰らいつかせる為だ」
そう言い残すと、体力の限界だったのだろう。男はばたりと倒れた。
司令はそれを黙って見下ろす。
(どう言う事だ……。そんな事をして何になる。奴らが逃げているこの先にあるのは……)
そこまで考えると、ある推測が思い浮かび、息を詰まらせた。
「露骨な時間稼ぎをしやがって。さあ、急げ! 手柄は目の前だ!」
兵の一人が叫び、その声に他の兵達も我先にと突っ走る。
「待て! 待つんだ、我らは既に……!」
その時だった。
司令も、国王兵も、奴隷達もティーマもケルビアも、遠くの方でキラリと鈍く何かが輝くのが見えた。
その輝きは、稲妻の矢のように司令の元へ飛んでくる。
瞬間、大爆発が起きた。
突然の爆発に、自由解放団の誰もが後ろを振り向いた。
国王兵の陣中で巻き起こる炎上に、ケルビアはにやりと笑った。
「俺達の勝ちだ」
遠く、丘の方でばさりと旗が翻る。
その旗には、自由解放団の紋章が記されていた。
その旗の下で、スレイブ達がせっせと大砲に弾を詰め込む。
「バンヴィル! 準備は出来てるかい?」
ラァーフが大声で問う。
バンヴィルと呼ばれた、頭をバンダナで巻きつけた筋骨隆々な男が、ギョロギョロと目玉を動かして、大砲の標準を目視で測る。
彼は自由解放団に雇われた、隣国から来た腕っこきの砲兵だった。
「ああ、姉御! 全て良し! だ」
「さあ、お返しだ! そりゃ、撃てぇ!」
ラァーフの下知と共に、手練れの狙撃兵達が国王兵に向かって砲弾を発砲した。
煙と共に解き放たれた数々の弾丸は、見事に全弾国王兵へと命中した。
「すげぇぜ、バンヴィル! アンタ、最高だ!」
スレイブがバンヴィルの肩に手をかける。
「当たり前だ。俺は引退した身だが、元は祖国を救った救世主だぞ。この程度、アレに比べたら屁でもねぇ」
彼は、ヴァルトゥナ王国が隣国を攻め入った際、その侵攻を食い止めた立役者の一人だった。
そんなバンヴィルは、今回の革命運動を聞き、自由解放団に協力してくれたのだ。
砲撃が爆発と共に、血煙となって巻き上がる。
その様子を見たティーマと奴隷達は、我が目を疑った。
あれ程強大に見えていた国王軍が、一方的に蹂躙されている。
しかも、さっきまで自分達に向いていた大砲の標準は、いつの間にか国王軍へと向けられているではないか。
「もしかして、この為に時間稼ぎを……?」
ティーマは低く呟いた。
もしそうだとしたら、一体どこまで計算づくなのだろうと、心が震わせる。
「さあ、ここにいたら巻き込まれるぞ!」
ケルビアはそう言うと、皆を引き連れて丘の上へと走り出した。
そうして、とうとうケルビア達とラァーフ達は合流を迎えた。
どんどんと発砲音が鳴り響く中、ラァーフは彼らに近づいた。
神妙な顔つきでラァーフとケルビアは見つめ合い、やがてラァーフがケルビアの肩に両手を強く置いた。
その数秒の視線で何を交わしたのだろう。勇ましくも、哀しみを抱いた顔だった。
「よく戻ってきた」
そう言って、次にラァーフはティーマに目を向けた。
「ティーマも、ごめんね。怖かっただろう」
「い、いえ。ケルビア様達が守ってくれたので……」
「そう、強い子だ」
そうニカッと笑うと、「そうそう」とラァーフは辺りを探した。
「おい、スー坊! お客だよ」
ティーマはどきりとした。
そうだ、彼女は彼の行方が気になってここまで来たんだ。
しかし、呼べども呼べども肝心のスレイブは出てこない。
ラァーフは目を鋭くさせて辺りを探すと、奴隷達に隠れるように男の人影が見えた。
「こらっ! スー坊! 女の子を待たせるんじゃないよ!」
とうとう観念したのか、気まずそうにしながらスレイブは奴隷達の陰からのそのそとやって来た。
「よ、よお。その……なんだ。よく来たな」
そう頬をかきながら現れるスレイブの姿を見て、ティーマはポロリと涙が頬を伝うのを覚えた。
そして、今までの色んな感情が溢れてくるのを抑えきれずに、たまらずスレイブに向かって抱きしめた。
突然の事にスレイブは驚くも、やがてほんのりと笑みを浮かべながら、胸の中で静かに震えるティーマを優しく撫でた。
戦場に似つかわしくない、ただ唯一の微笑ましい光景だった。
「ティーマ、すまなかったな」
そう声をかけると、ティーマは胸から顔を離し、赤い顔でスレイブを見上げた。
「バルター様、血と煙の匂いがします」
「戦場だからな」
「……生きててよかったです」
そう言いながら、彼女は離れた。
ラァーフはそれを見ながら微笑みを浮かべた。
「ラァーフ姐さん! 国王軍が撤退していきます」
仲間がそう報告する。
双眼鏡を持って遠くを見てみれば、数がかなり減った国王兵達が散り散りに逃げていくのが見えた。
「どうします、追撃は……」
「いい、捨ておけ。私達の目的は奴らを追い払う事であって殲滅ではないからな」
ラァーフはそう言うと、陣の中心に向かって歩き出した。
そして、顔を俯かせて、しばらく。
「砲撃止めぃ!」
その声は、砲撃音よりも大きくこの場に轟いた。
彼女のその姿は、人々を一斉に注目させた。
「諸君、よくやった。よく戦ってくれた。よく着いてきてくれた。本当に感謝する」
そう言って彼女は深々と頭を下げる。
「見ろ! アンタらを散々弾圧してきた奴らは! 国王兵は! こうして尻尾巻いて逃げていくではないか。アンタらは奴隷なんかではなく、一人の戦士となったんだ」
「……それってつまり」
最前線で砲弾を詰め込み、必死に働いていた一人の男が聞く。
その言葉にラァーフはニヤリと笑った。
「ああ、我々の勝利だ」
瞬間、この場は喝采に包まれた。
さっきまでの戦の音にも負けず劣らずの歓喜の声は、大地をも揺るがすようだった。
ある者は涙を流し、ある者は隣人と抱き合い、ある者は血に濡れた手を見て震えていた。
その様子をティーマとスレイブは眺める。
ふと、ティーマはスレイブの肩を見上げると、小さく焦りを見せた。
「バルター様、怪我を……!」
そう言われて、スレイブは肩の傷を見る。
先ほどズガドガンに抉られた傷から血が溢れ、服を赤く染め上げてしまっている。
「ああ、大丈夫。そこら辺の火で炙ればとりあえずはなんとかなるさ」
そう軽く言うと、ティーマは若干の怒気を混ぜながら言う。
「ダメです! そんな事したら、体が悪くなっちゃいます。えっと……しゃがんでください」
ティーマはそう言うと、少しウロウロして、やがて自分の服をビリっと破いた。
そして、それをスレイブの肩に巻き付け始める。
「おいおい」
「すみません、綺麗な布じゃありませんが……。でも、炙るよりマシです」
スレイブは何か言いたげだったが、それを我慢すると照れ臭そうにされるがままになった。
ティーマはぎゅっぎゅっと布を巻き付けながら、憂いを帯びた光を瞳を浮かべる。
「私のお兄様も、私が怪我をした時、こんな風に止血をしてくれました……」
そう過去を思い返すように呟くと、最後にギュッと布を結んだ。
スレイブは肩の布をぽんぽんと叩くと、「ありがとな」とティーマに言った。
「スレイブ。その子がティーマか」
遠くの方から、男の声がした。
群衆の中から、一際ボロボロの格好をした男が現れる。ヤラドゥだ。
見知らぬ人に名前を呼ばれて、思わずティーマはスレイブの腕に隠れた。
「ああ、可愛い子だろ」
スレイブは軽い笑顔を浮かべるとそう言った。
ちらりと腕からヤラドゥを覗き見る。
その男の薄汚れた格好に、ティーマは見覚えがあった。
(この人、確かここに来た初日に鞭を打たれていた……)
ちらちらと覗き見るティーマの瞳を見て、ふとヤラドゥの動きが止まった。
日に焼け爛れた瞳をパチパチと瞬かせ、じっとティーマの目を見る。
まるで、信じられぬ物を見たかのような、黒く深い眼差しだった。
その様子にスレイブとティーマは、どうしたものかと疑問に思う。
やがて、ヤラドゥは一度目を擦ると、再度ティーマの方を見つめて──。
「……姫?」
と言った。




