十一話 『スレイブ無双』
深い闇に包まれた国王像の中、スレイブとヤラドゥは天から釣り下がるロープを必死に手繰り登っていた。
天からはわずかに赤い陽の光が見える。あの頂上まで行けば、ひとまずは安心できる。
問題は、下からズンズンと追尾してくるズガドガンだった。
彼は異常なまでに発達した筋肉を活かして、まるで泳ぐような速度でスレイブ達を追いかけてきていた。
「急げ、急げ!」
スレイブが先導するヤラドゥを急かす。
「分かっておる! くそ、こんな事ならもっと身体を鍛えておくべきだった」
大きく息を乱しながら、ヤラドゥは焦る。
どんどんとズガドガンが近づいてくる。
ふと、スレイブが下を見れば、奈落の底からズガドガンの影が見えた。
「おいズガドガン! 聴こえてるか!」
スレイブが叫ぶ。
「なんだ! 命乞いなら聞かんぞ」
下からズガドガンも叫んだ。
「実はな、本当の俺達はここにはいないんだ! 今いる俺達はただの影武者だ!」
その突然の告白に、ヤラドゥは目を丸くした。
だが、ズガドガンはその話を話半分に嘲笑う。
「その話が本当かどうかは、貴殿の首とじっくり話し合うとしよう」
その微塵も信じていない返答に、スレイブは苦い顔をした。
「やっぱり騙されないか、賢い奴だ」
「くだらん嘘をつくな。気が散る」
ヤラドゥが息を切らしながら怒鳴った。
辺りがどんどんと夕闇に染まってきた。
既に頂上も近い。しかし、もはやズガドガンの顔が見える程に接近されている。
「やばい、早く!」
やがて、ズガドガンはぬうっとその太い手を伸ばして、スレイブの足を掴んだ。
その分厚い手の平の感触に、スレイブは心臓がはち切れそうになった。
「掴んだぞ、《火の民》よ」
ズガドガンは歪んだ笑みを浮かべた。
「スレイブ!」
ヤラドゥが呼びかける。
「くぅ、離せ。いててて! バカ、もっと優しくしろ!」
スレイブは足をぶんぶんと暴れさせるが、ヤラドゥの手は決して離しはしない。
もう既に頂上まで目と鼻の先だというのに、スレイブは歯を食いしばった。
(こうなったら……)
スレイブは何か思い浮かべると、片手でロープを握りしめ、もう片方の腕を自分のいちもつに伸ばし始めた。
「ぬぅ、何を……」
その様子を見たズガドガンが思わず冷や汗を浮かべる。
スレイブはそのいちもつを取り出すと、ズガドガンに向けて標準を向けた。
「喰らえ! スレイブ砲!」
そう言い放つと、スレイブは思い切り小便を解き放った。
キラキラと煌めくそれは、見事ズガドガンの顔に命中した。
「かはっ! な、止めっ!」
これにはたまらずにズガドガンも、スレイブを掴んだ手を離し、自分の顔を覆い隠した。
びしゃびしゃと嫌な音を立てて巨体が濡れていく。
その隙に、スレイブはズガドガンに蹴りを入れて、後ずらせた。
「よし、行くぞ」
スレイブはいちもつを直すと、再び登り始めた。
その様子をヤラドゥは放心したように見ていた。
(なんて奴だ)
そう心で思いながらも、二人は必死で登った。
……そして、すっかり辺りは夕闇に染まり、見渡す限りの赤い空が広がる。
なんとか二人は、ズガドガンの魔の手を逃れ、頂上に辿り着いたのだ。
ヤラドゥが地面にへたり込み息を整える横で、スレイブは辺りを見渡した。
そこには木の骨組みの上に、大きな布を翼のように貼り合わせて作られた機体があった。
「ヤラドゥ、これか? アンタの言う考えってのは」
スレイブはそう問いかけると、ヤラドゥは額の汗を拭ってその機体に近づく。
「ああ」
「……まさかとは思うが、どう使うつもりだ?」
スレイブは若干察したように苦笑を浮かべると、ヤラドゥはその機体の紐に身体をくくりつけ始めた。
「これで空を飛ぶのさ」
「冗談だろ?」
「安心しろ。間に合わせだが、不足はない。私は殿下に仕えていた時、こういう技術関連を担っていた物だ」
スレイブは気まずそうに頬を指で掻く。
「うへぇ、俺こういう高所系って苦手なんだよなぁ」
「ズガドガン相手に小便をぶちまける度胸のある男が何を言っておる。さあ、早く用を済ませろ」
そう言われたスレイブは懐をまさぐる。
ちょうどその時、ロープの下から声が響いた。
「待て、しょんべん野郎! おのれ、貴様だけは絶対に許さんぞ、戦え!」
スレイブが覗き込んでみると、下の方から物凄い勢いでズガドガンが登ってきていた。
それを見ながら、スレイブは懐から点火装置を取り出し、火を点ける。
「悪いな、ズガドガン。今回は俺達の勝ちだ。また今度な」
そう言って、スレイブは火を点けたまま点火装置を底の方へ放り投げる。
その吹けば飛ぶようなか細い火は、蛍の光のように小さく辺りを照らしながら、奈落の闇へと消えていった。
ズガドガンはその光を横目で捉える。
そして、スレイブは急いで飛行装置の元へ向かうと、ヤラドゥと同じように紐を身体にくくりつけた。
「さあ行くぞ」
ヤラドゥがそう叫ぶ。
それと同時に、二人は助走をつけ、夕空に向かって勢いよくその身を放り投げた。
ふわっとした浮遊感と共に、全身に風が強く吹き抜ける。
その直後、背後から大きな爆風が追い風となって二人を強く押し出した。
大きな煙を上げながらガラリガラリと黄金像が崩れてゆく。
首なしのヴァルハタ王の巨像は、もはや跡形もなく崩壊する。
スレイブは溢れ出る笑みを抑えきれずにいた。
「さあ、復讐の始まりだ」
夕焼けの赤い日が、スレイブのその赤い瞳に呼応するようより紅く染まっていた。
そして、時は登り、ラァーフ陣。
砲弾の嵐がより勢いを増して、とうとうすぐ付近で爆発が起き、破片がラァーフに向かって飛ぶ。
すると、それに気付いた団員達がその身を持って肉の盾となり、ラァーフを守り倒れた。
それでもなお怯まずに、振り返る事なくラァーフは国王軍に向かう。
ラァーフは獅子のように叫んだ。
その鬼神と見紛う程の気迫に、国王軍は身じろぐ。
「何故、奴らは突っ込んでくる。死が怖くないのか」
兵達が尻込みながらも、次から次へと大砲に弾を装填する。
白兵戦になる事も危惧して、兵達は準備を整える。
「撃て、早く!」
兵の一人が叫ぶ。
狙撃兵が狙いを定める。目標はラァーフ。
この一発が放たれれば、自由解放団は終わりを迎えるだろう、そんな一発だった。
しかし、それは放たれる事なく、奇跡がやって来た。
「おおおおおお!」
突如、空から雄叫びが上がった。
自由解放団も奴隷も国王軍の誰もが驚き、空を見上げ、目を丸くした。
特攻するラァーフの瞳にもそれは写り、にやりと笑みを浮かべさせた。
「来たね、スー坊」
それは、大きな布の羽を広げ、国王軍の旗目掛けて滑空してくるスレイブとヤラドゥの姿だった。
そのあまりの突然の出来事に、国王軍は固まる。
「突っ込め、スレイブ!」
ヤラドゥがそう叫ぶと同時に、スレイブは空中から敵陣の中へ直接飛び降りた。
どさりと土煙を上げ、赤い目を覗かせる。
兵達は戸惑いながらも、スレイブに向かって剣を構えた。
それらを余裕の笑みで見渡すと、大きく息を吸って、こう叫んだ。
「自由解放団、スレイブ参上!」
そう言い切ると同時に、スレイブは近くの長剣を持った兵に襲いかかった。
兵は一瞬の隙に武器を奪い取られ、流れのままに斬り裂かれた。
スレイブは剣をぶんっと素振りして血を振り払うと、国王軍に向かって剣を向ける。
「この手の武器は使い慣れていないが、不足はない。さあ、今から俺が暴れ回るぞ。死にたくない奴は逃げるといい」
そう挑発され、尻込んでいた国王軍は奮い立った。
「あれが《火の民》の生き残りか」
「怯むな、所詮相手はおっさん一人だ」
「全員で相手する事はない。砲撃を続けろ」
そんな会話を聞いて、スレイブは剣を構える。
「させねえよ」
スレイブはそう呟くと、ぐぐっと腰に力を入れ、大きくその場を飛び跳ねた。
その脅威の跳躍であっという間に狙撃兵の元へ辿り着くと、その身体を切り裂いた。
それを見た兵達は全員スレイブに注目し、唾を飲み込む。
今目の前にいるおっさんが、ただのおっさんではないと理解し、警戒せざるを得なくなった。
スレイブは剣を玩具のようにぶんぶんと振り回し、次から次へと兵に襲いかかる。
止めにかかる兵達も一瞬にして切り捨てられる。
そのスレイブの圧倒的な無双ぶりを見て、兵達の士気は崩れた。
兵達の一人一人が鍛え上げられた屈強な特別部隊の一員であるというのに、それが束になっても敵わないこの男に、全員が恐怖した。
「くっ、総隊長殿やズガドガン殿がこの場にいれば……」
そう愚痴をこぼす者もいた。
そして、逆に士気が上がったラァーフ達は、ここぞとばかりに突き走る。
「今が好機だ! あの男に続け!」
そうしてラァーフ達も、とうとう国王軍の元に雪崩れ込んだ。
そこからは、まさしく乱戦だった。
全員ががむしゃらに武器を振るい、四方八方の敵を薙ぎ倒す。
まさか接敵を許すとは思っていなかった国王軍は焦りを隠しきれずにいた。
その一方で、武器を手にした奴隷達も、戦い慣れした自由解放団も、これ以上ない程の好調を見せる。
そんな血と粉塵が舞う光景を空から見ながら、ヤラドゥは少し離れた所に着地した。
「たいした奴だ。たった一人で戦況を覆しやがった」
そう呟いて、身体にくくりつけていた紐を解きながら、スレイブを見た。
彼は敵を次々と斬り払っては剣を投げ撃ち、その都度に武器を取っ替え引っ替え奪い回っていた。
時には仲間の援護をしたり、仲間に援護をされたりと、戦場慣れした動きで暴れ回り、段々と国王軍も恐れを見せ始める。
その光景を見る内に、ヤラドゥはトクンと胸の奥が熱くなった。
とうに枯れ果てた筈の闘争心が、徐々に輝きだすのを感じる。
ヴァルハタ王に全てを奪われ、諦めていたはずの希望が瞳の奥に浮かんだ。
「すごいだろ、うちの団は」
そんなヤラドゥに、ラァーフが声をかけた。
煙と返り血で汚れた顔を拭うその姿を、ヤラドゥは横目で見る。
「お前が自由解放団とやらの頭目か」
「ラァーフだ。アンタはヴァルティス派の生き残りだね」
そう言いながら、ラァーフはヤラドゥの隣に立った。
「……どう思う?」
その質問の意図がよく分からずに、ヤラドゥは眉をひそめた。
「そうだな。これまでの展開がお前の作戦だとしたら、スレイブ一人に重荷を背負わせすぎだ。国王像の中でも、かなり危うい場面があった。もしスレイブがそこで死んでいたら、全てが破綻……」
「あー、違う、違う。そう言うのじゃなくて」
ラァーフはそう遮ると、ヤラドゥの目を横目で見る。
「何か、響くものはあったか?」
ヤラドゥも目線だけを合わせ、そして何かを考えるように黙り込んだ。
遠くの方で、乱闘が起きている。
奴隷の寄せ集めが武器を持ち、スレイブに続き、強大な国王軍を退けていく。
やがて、ひとつ息を吸い込むと、
「まだ、分からんよ」
と一言だけ答えた。
ラァーフは「そうかい」と言うと、にやりと不適な笑みを浮かべた。
元々包囲網を敷くために多くの兵が出払っていた事や、白兵戦を予定していなかった為、今この場にいる兵は多くはなかった。
その兵も半数近くが倒れたが、それでも尚兵達は逃げ出す事は無かった。
「なんとしてでも喰い止めろ!」
兵の一人がそう叫ぶが、自由解放団の勢いが止まる事はなかった。
スレイブが一人の兵と鍔迫り合いの形になる。
「いい加減に降伏したらどうだ。お前達はよく戦ったよ、だが命を落とすまではないだろう」
そう諭すように語りかけるも、兵は歯を食いしばりながら笑った。
「抜かせ、これは殺し合いだろう」
「殊勝な奴め」
スレイブはそう言い切り、一刀両断に兵を斬り裂いた。
そして、剣を天高く掲げると、周りの味方に向けて声を放った。
「鬨の声を上げろ! あと一息だ!」
その声と同時に、戦場は雄叫びに満ちた。
今まで溜まりに溜まった鬱憤を解放させるかのように、奴隷達は暴れ回る。
その怒りと復讐心を燃え上がらせるように、スレイブは煽動する。
次から次へと兵達は倒れゆく。
段々と戦の音は少なくなってゆき──。
そして、やがてとうとう、この場に国王兵は一人も立ち上がる事はなくなった。
しんとした静寂がこの場に満ちる。
スレイブ達自由解放団が、完全にこの陣中を制したのだ。
「やったのか、俺達……?」
奴隷だった一人の男が呟く。
周りを見渡せば、国王軍は皆倒れ、武器を手にした自分達だけが立ち上がっている。
胸の奥からわなわなと高揚感が込み上げてくるのを感じ、胸を手で押さえた。
「それが、自由だ」
スレイブが歩きながらそう声をかけ、国王軍の旗を持ち上げると、それを地面に叩き伏せた。
「この場を制したのは俺達自由解放団だ! 自由を叫べ!」
途端、この場は勝鬨の声に包まれた。
誰もが声を上げ、奴隷達は涙を流し生を叫ぶ。
そんな中、スレイブの下にヤラドゥとラァーフが近づいた。
「よくやったね、スー坊」
「ラァーフ姐さん。もしかして心配してた?」
「……少しな」
ラァーフがニッと笑いながら言う。
「にしても空からの御登場たぁ、びっくりしたね」
「俺もびっくりしたさ。心臓バクバクだよ。なあ、ヤラドゥ」
「あれしか方法が無かったんだから仕方がないだろう。それにびっくりは私もだ。もうスレイブに会ってからびっくりの連続だ」
「よせや、照れるぜ」
そんな会話の中、ラァーフはある事を思い出した。
「そういえば、スー坊。アンタが黄金像の中にいる時、アンタの事を探してた少女が尋ねてきたよ」
それを聞いて、スレイブはいまいち察する事が出来ずに片眉を上げた。
「俺の事を……? 俺のファンかな」
「確か、ティーマと言ったかな」
その言葉を聞いて、スレイブとヤラドゥは目を丸くした。
「おい、スレイブ。ティーマってお前が話してたあの子じゃないか」
スレイブは信じられないとでと言いたげな苦い顔を浮かべた。
「嘘だろう、ティーマって……。白い髪の女の子だったか?」
その問いにラァーフが頷くのを見て、頬に冷や汗が浮かんだ。
まさかの来訪に、スレイブは現状を把握しようと小声で呟く。
「参ったなあ、まさかこんな所にまで追いかけてくるとは……。どうやって分かったんだ? もう会わないつもりでカッコつけた事言っちまったし、どんな顔して会えばいいんだよ……。いや、というよりも」
スレイブは焦った顔でラァーフに尋ねた。
「ティーマは今どこで何をしているんだ?」
ラァーフは遠い目で街の向こうを見つめる。
「そうだね……もうそろそろこっちに戻ってくるんじゃないか?」
その発言に、スレイブもヤラドゥも釈然とせずに首をかしげた。
だが、それを問いかける間もなく、ラァーフはいまだに歓喜を分かち合う奴隷と団員に向き直る。
「と、まあ。雑談してる場合じゃないね。さあ、野郎共。まだ戦いは終わりじゃないよ」
その大音声にざわめきは一瞬で止み、全員がラァーフに注目した。
「……? 他にも敵がいるのか」
ヤラドゥが尋ねる。
「ああ、今度はこっちが迎え撃つ番だ」




