七話 『第二の王都 バズバルド②』
国王像の足元に積み重なれた荷物は、運べども運べども減る様子がなかった。
それもそのはずで、実際自動的に次から次へと荷物がここに搬送されているのだ。
「これじゃ、休憩もノルマもなさそうだね」
ランダがそう呟くのが、やけに印象に残った。
そして、やがて。
頂上の景色にうんざりしはじめた頃、気がつけば空は夕焼けに染まっていた。
「作業終了ーーっ!」
荷物を運ぼうと国王像の外へ出た所に、号令が鳴り響いた。
その瞬間、どっとした疲れが全身を襲った。
全身が汗でずぶ濡れで、湯気さえ立つような状態だった。
「つっかれた〜!」
思わずティーマは声高にそう言って、地面にへたり込む。
そして、不意に出た自分の大声に気づくと、恥ずかしくなって口に手を当てた。
「おつかれさん」
ランダが横からそう労いの言葉をかけた。
この暑さに慣れているのだろうか。ランダはあまり汗をかかずに涼しい顔をしている。
「途中から無言になってたね」
「やっ……思っていた以上に、大変でした……」
肩で息を吐きながら、ティーマはうつろな目でランダを見上げた。
「さあ、集合場所に集まろう。立てるかい?」
そう言ってランダは手を差し伸べる。
その手を握ろうとティーマは手を伸ばすが、何かに気づくとさっと手を引っ込めた。
「す、すみません。今、汗をかいているので……その……」
そう恥じらうティーマに、ランダは察すると口元に笑みを浮かべた。
「ああ、ごめんね」
ティーマは一人でプルプルと震えながら立ち上がると、二人で集合場所へと向かった。
作業員がおおかた集まる頃には、すっかり街並みは夕闇に暮れ、人々の形が影のように見える。
汗に塗れた顔に、ほんのりと冷たい風が吹き抜ける。
「よし、これで全員だな」
監督が名簿を見ながらそう言った。
(……あれ、最初の時と比べて、人が少ないような)
よく見てみると、最初に鞭を打たれて倒れたあの男も含めて数人がいない。
まず間違いなく、逃げ出したか、死んでしまったかだろう。
しかし、疲れ切った今のティーマの頭では、それに気づく事は無かった。
「まずはご苦労だった、貴様ら。何人か消えちまったが、見ての通りまだまだ作業は残っている」
隣を見てみると、まだまだ荷物が無造作に積み上げられている。それもそのはず、運んでも運んでも荷物は増え続けていくのだから。
「宿はこちらで用意した。よって全員! 汗を流し、ただちに就寝。また明日の朝ここに集まるように!」
(えっ、明日もやるの!)
ティーマは内心げんなりした。
この全身が痛むような体の疲れは、一晩休めば回復するような物ではない。
間違いなく、ティーマ達を使い潰すつもりだろう。
まさに奴隷、使い捨ての道具扱いだった。
「さあ解散だ! 散れ散れ!」
監督はそう言うと蜘蛛の子を散らすように鞭を地面にひっ叩いた。
周りの労働者は不満を喉元にぐっと堪えて、しぶしぶと散っていく。
ティーマとランダもその流れに乗ってその場を離れた。
「まったく、ひどいです。あのお方は人を人だと思っておりません!」
ランダの横でティーマはぷんすかと怒った。
「ま、そんな物さ。それよりもティーマ、よく頑張ったね。男ばっかりの場所で、よく着いてこれたよ」
「ランダ様が率先して重い物を持ってくれたおかげです」
「はは、照れるな」
もうすっかりと日も落ち、あちこちで灯る人工的な光だけが視界の頼りだった。
「ティーマ」
ランダに呼ばれて、ティーマは見上げる。
かすかな光に照らされたランダの顔は、どことなく感情が読み取れなかった。
「さっき言っていた噂、あるじゃないか」
「噂……。国王軍が集まっているって奴ですか?」
「……それってさ」
ちょうどその時。
遠くの方でバシィッと鞭が打たれる音が聞こえた。
驚いてその方を見ると、一人のボロボロの男が貴族らしき男に鞭を打たれていた。
ボサボサの髪に無造作に生えた髭。薄汚れた姿から見てきっと奴隷階級の男だろう。
「ひどい……」
ティーマがそう呟くと、その奴隷はチラリとこちらの方を見た。
「見るな、関わらない方がいいよ」
ランダはそう言って視線もやらずに歩み続ける。
ティーマもおどおどとしながらも、ランダの言う通りにした。
「奴隷に同情なんていらないよ。僕らと奴隷では身分が違うんだから、関わるだけ損さ」
そう冷徹に吐き捨てるランダが、少し恐ろしく見えた。
「そ、そういえば……。先程は何をおっしゃろうとしていたのですか?」
ティーマがそう尋ねると、ランダは彼女の方をチラリと見た。
やがて、穏やかそうな顔を陰に浮かべながら。
「いや、なんでもないよ」
と言った。
やがて、ランダとも別れたティーマは、用意された宿の風呂にいた。
男と女用に分ける配慮はあったらしく、この風呂場にはティーマ一人しかいなかった。
石で作られた風呂は、狭く、夜空に吹き抜けの粗雑な作りだったが、ティーマ一人という事もあり足を伸ばすには充分だった。
湯船の中で思いっきり背伸びをして、夜空の月を仰ぐ。
(てっきり冷水を浴びせるだけかと思ってたけど、ちゃんとお風呂に入れるんだ)
疲れ切った身体にじんわりと温かみが染みて、心地よい気分になっていく。
(男性の方は人数がある分まとめて入れるお風呂の方が効率がいいのかな。もしかして、お湯の取り合いになってるのかも……)
ぶくぶくと鼻までお湯に浸かりながら、そんなことを考えていた。
第二の王都、バズバルド。
そこはまさに労働の街で、多くの奴隷が集められている。
(自由解放団のスレイブ……)
あの時の奴隷の会話を思い浮かべる。
たぶん、バルターは奴隷解放組織の一員なのだろう。
(バルター様は、きっとこの地の奴隷を解放しに来たのでしょう……)
ティーマはそう考察した。
(そしてそれを、国王軍が察知して止めにこの地に来たとしたら……)
ティーマは湯船から顔を上げた。
(やはり、この街は戦火に包まれる)
静かな夜空の下、ティーマは目を曇らせた。
やはりバルターは、戦に向かうのだ。それに私を関わらせまいと、遠くへ行くと嘘をついたのだ。
「……どうしよう」
ティーマ一人でどうにかできる問題ではない。
しかし、立場上無視していい問題でもない。
バルター様に会って、戦わないでくださいと、そう言えば済む訳でもないだろう。
この解放戦に私が関わるべきか、関わらないべきか……。
そう思いを馳せる中、この全身が痛むような疲れや、このバズバルドで出会った奴隷達や仕事仲間が脳裏によぎる。
あの三人のチンピラや、列車内で復讐と称して一般人を刺した男に、人質ごと斬り伏せた国王軍。
(……でも、やっぱり。この時代は、間違ってるんだろうなぁ)
ティーマはもやもやと悩みながら、湯気の中、静かに目を瞑った。
そして、数日が経った。
日をいくら跨いでも仕事の終わりは見えず、中々解放されずにいた。
いや、そもそも解放する気なんてないのかもしれない。
最初に出会った仕事仲間もずいぶんと減った。その理由は知らされる事はなかったが、だいたい察しはついた。
幸運にもティーマとランダと他の数人は倒れる事なく、今日も今日とて国王像の元に集まっていた。
最初は耐えられないと思っていたこの運搬作業も、日が経つと不思議と慣れてきた。
ランダが率先してティーマのサポートをしてくれているおかげだろうか。
それでも、やはりいつ倒れてもおかしくないような疲れはずっと身体にのしかかっては来ている。
(このままじゃジリ貧だよ……)
ティーマは考え込んでいた。
スレイブを探しにこの街に来たはいいものの、探す暇がない。
辛うじてスレイブがいるという情報は手に入れたが、肝心のスレイブに会えなきゃどうしようもない。
仕事を放って探してもいいが、それで困るのはティーマだった。
国立職業斡旋所に通報されてしまっては、今後の食い扶持が無くなってしまう。
だから、今はただ解放されるまで耐えるしかなかった。
さんさんと朝の太陽が労働者達を照らす。
立っているだけでも汗が出るような暑さだ。
鞭を持った監督が罵倒と共に点呼を取り、労働者達は渋々と現場へと向かう。
まだこの現場に入って数日ではあるが、もはや見慣れたような光景だった。
いつもだったらここら辺で、ランダが「さあ行こうか」と言ってくる筈だが、今日は違った。
ティーマは辺りをキョロキョロと見渡す。
(ランダ様がいない……)
昨日までは何事もなく一緒に仕事をしていた筈だが、今日の朝になってからどこにも見当たらなくなってしまったのだ。
ティーマは鞭を持って睨みを効かせる監督におそるおそると近づいた。
「あ、あの、すみません。ラ、ランダ様を見かけませんでしたか? 今日の朝から見当たらないのです」
そう尋ねると、男は目線だけをティーマに向け、嘲笑を浮かべた。
「貴様はそいつの何だ? 恋人か?」
「えっ、いや……私はただ……」
「ならどうだっていいだろう。さっさと作業に戻れ、ガキが」
そう言い飛ばすと、監督はティーマを蹴り飛ばした。
「きゃっ!」
ティーマの華奢な身体はいともたやすく吹っ飛んで、ザラザラとした地面に転がった。
「う、うう……」
ただでさえ薄いボロ布が破け、血が滲み出る。
男はそんなティーマの姿を見て下品に笑うと、その場から立ち去って行った。
ティーマが涙をうっすらと浮かべながら、よろよろと立ち上がる。
こんな時にランダがいてくれたら、きっと心配してくれるだろう。
しかし、そのランダがどこにもいない。
(……つまり、そういう事なのかな)
ティーマは嫌な予感が脳裏によぎり、即座に首を振って気を取り直す。
(いや、昨日まで元気だったもの。きっと、体調が悪くて休んでるだけだよ)
ティーマはそう思うと、若干の不安に蓋をして仕事へと取り掛かった。
あの監督が体調が悪いくらいで休ませてくれる訳がないと気付きつつも、そう思うことにした。
それからしばらく。
心細くもティーマは一人で頑張った。
やはりランダの存在は大きかったようで、か弱い少女一人では大変な事も多く、周りの人達にも侮蔑され、下に見られる事もあった。
だが、そんな時は、服の中に隠した胸の赤い首飾りを見て、兄の事を思い浮かべる。
そうすると、兄が守ってくれているようで、ほんのりと心が和らぐのだ。
と、そうして作業を続けているうちに、昼が過ぎ、太陽が沈みかけているその頃。
階下の方から笛の音が鳴った。
(あれ、もう終わり……?)
この笛の音は作業終了の合図だった。しかし、いつもよりそれが鳴るには早い時間だ。
ティーマは不思議に思いながらも、意外にも早めに終わった仕事に喜びを感じ、集合場所へと歩いて行った。
国王像の足元まで来ると、そこにはティーマと同じように突然の笛の音に戸惑いながらも労働者たちが集まっていた。
いつもなら、ここで監督からの罵倒まじりの点呼を聞くのだが、ここには肝心のその彼がいなかった。
代わりにいつもの取り巻きの男達がその場にいた。
やがて、全員が集まるとその男が一歩前に出る。
「まずはご苦労だった、諸君。諸君らのおかげで我らが国王像も完成まで秒読みとなった」
一向に進捗が進んでいないように思えたが、これでも一応は完成に近づいているらしい。
周りの人々の顔に、ほんのりと歓喜が見える。
「そして、今日! 早めに作業を切り上げたのはある必要な儀式を行うためだ。今回は監督のご意向で、その儀式を諸君らにも見学させてやる」
(儀式……?)
ティーマは何故だが、心の奥底でざわりと嫌な空気がよぎった。




