大人な上司とうっかりOL、ふたりは仮眠室でこっそりと。
「はい、よくできました」
仕事の上司である篠原課長はそう言って、私の差し出した資料をぽふんと机の上に置いた。
「あの、本当に申し訳ありませんでした!」
「反省しているならよろしい。……まぁ、あまり気にするな。なにかあっても俺が責任を取ってやるから」
「篠原課長〜」
「次から気をつけてな」
「はいっ」
うう。篠原課長は優しい。
いつもにこやか爽やかで大人な四十二歳。
あーー、好き。
好き好き好き。
私と付き合ってくれないかなぁ。
無理、かなぁ。
二十六歳の私なんか、小娘としか思っていなさそうだもんね……。
「鈴野せんぱーい、なに課長を見てんですかー」
「ぎゃ、朝比奈くん! 見てない、見てないからー!」
後ろからにゅっと現れるの、本当に勘弁してよー、朝比奈くん!
ってか、朝比奈くんは私が篠原課長のことを好きだって知ってるくせにこんなこというなんて、意地悪だ……!
いやー、朝比奈くんってなんか話しやすくてつい言っちゃったんだよね。失敗だったなぁ。
「ミス、大丈夫でした?」
「うん、なんとかなった……っていうか、課長がなんとかしてくれたよ」
「よかったっすね」
「……うん」
篠原課長はきっと、私じゃなくても助けてくれる。
わかっているけど、やっぱりちょっとうれしい。でもまぁ、ミスはしないようにしなくちゃね。
朝比奈くんの教育係としても、これ以上恥ずかしいところは見せたくないし!
「……悔しいっすね」
「は? なにが?」
朝比奈くん、いきなりなに言ってるんだろう?
悔しいに繋がる言葉が見当たらないんだけど。
「篠原課長に恋してる顔、かわいすぎっすよ」
「ちょ、しー、内緒って言ったでしょ!」
ってか、かわいいってなに言ってんだか!
私は朝比奈くんより四つも年上だけど?!
「俺、鈴野先輩のこと、好きになっちゃいました」
はい〜〜〜?!
え、ちょ、ここオフィスだから! どう答えろと?!
うー、顔が熱い……どうしよ、私、告白されたのなんて生まれて初めてだよ!
ああ、なんか目が霞んできた。
「おい、鈴野の様子、おかしくないか?」
篠原課長の声が近づいてくる。課長、私のこと気にしてくれてるんだ……わぁん、嬉しい!
「顔真っ赤だぞ。大丈夫か、鈴野」
私を心配してくれる低音イケボ、ほんっと好きです!
恥ずかしくて言えないけど!
「あ、すんません、俺が今、鈴野さんにコクっちゃって」
バラすな朝比奈ぁぁああ!!
「はぁ。社内恋愛をとがめるつもりはないが、そういうのは終業後にしろ、朝比奈」
「はーい、すんません、課長!」
「鈴野、朝比奈の口調をもっとちゃんと指導しておくように」
「はい、すみません……」
「怒っているわけじゃない、謝らなくていい。すぐに謝るのは鈴野の悪いくせだぞ」
目を細めて微笑んでくれる篠原課長。
優しいよぉ〜、もうほんっと好き!
「しかし、鈴野と朝比奈か。お似合いのカップルになりそうだな」
って、え、そんな……篠原課長ぉ!?
「絶対大事にします!!」
「よかったな、鈴野。ようやく彼氏ができて」
え、なに、もう恋人認定されちゃったの?!
うそ……篠原課長、全然焦ってもない。私のことなんて、なんとも思ってなかったんだ……!
わかってたけど、わかってたけどーー!!
「私、私が好きなのは──」
あれ? 酸欠? なんか頭がくらくらして──
「鈴野!!」
「鈴野先輩?!」
私の背中は、二つの手に支えられる感触がした。
***
「大丈夫か」
目を開けると、そこには篠原課長の姿があった。
あ、ここは仮眠室かな。私、あのまま気を失っちゃったんだ。
「課長がいてくれたんですか?」
「今日はノートパソコン一つ有ればできる業務だったからな」
そう言いながら篠原課長はパタンとパソコンを閉じてる。
また課長に迷惑かけちゃったよぉ……情けない。
「あの、すみませんでした……」
「また謝る」
「あ、ありがとうございました!」
「疲れてたのか? 無理はするな」
そう言いながら篠原課長は、ペットボトルのお茶の蓋を開けて渡してくれた。
そういうところです、好きになっちゃうの。チョロいと自分でもよくわかってるけど。
「じゃあ俺は行くが、鈴野はもう少し休んでいても構わないからな。大丈夫そうならオフィスに戻ってきてくれ」
「あ、あの!」
「どうした?」
今にも部屋を出ていきそうで、私は慌てて篠原課長を呼び止める。
「私、朝比奈くんとは付き合わないです!」
「……」
宣言しちゃった。篠原課長は『どうして』とでも言いたそうに顔をしかめてる。
でもこれはちゃんと正しておかないと!
「まぁ、鈴野の好きにすればいいが……彼氏ができるチャンスじゃないのか? 今まで一度も彼氏ができたことないんだろう?」
「うっ、そうですけどー! でも、私……初めての彼氏は、篠原課長がいいんです……」
きゃあー、私、つい言っちゃった……つい言っちゃったーー!!
まだ言うつもりなかったのに、つい流れでーー!
怖くて課長の顔が見られないよー!
「俺って……鈴野よりもひと回り以上年上だぞ?」
「わ、わかってます……でも、好きなんです……っ」
顔……顔が燃えて、死ぬかもしれない……告白、しちゃったぁ……。
心臓がこんなに耳のそばで聞こえるの、初めての経験だよ!
「そう……か……」
どうしよう……困ってる? 困った顔してるよね?
怖いけど……篠原さんの顔を確認しなきゃ……
………
って、真っ赤なんですけどーーーー?!
どうしたんですか篠原課長!!
「課長、一体なにが?! 突発的な熱ですか?!」
「いや、これは違う。ゴホン」
なんですかそのうそくさい咳払い。そしてなにが違うんですか。
あら、でも咳払いひとつでいつもの爽やかな課長に戻ってる。さすが!
「鈴野」
「はい!」
え、もう返事くれるつもり?!
やだーー、なんて言われるか怖いー!!
せめて一日だけでも保留にして夢を見させてほしいー! 無理だってわかってても、夢を見たいお年頃なんですーっ! 二十六歳だけど!
「俺を、最後の彼氏にするつもりはあるか?」
「え?」
いえ、最後ではなく最初の彼氏なんですけど?
「俺はもういい年だし、付き合うなら互いに添い遂げられる人を選びたい。もし俺のことを最初の彼氏にしかしたくないと思うなら、俺は鈴野と付き合うことはできない」
……ん? つまりそれって……
「そ、添い遂げます!! 篠原課長のこと、最初の彼氏ってだけじゃない、最後の彼氏にしたいですー!」
「じゃあ、鈴野は俺の最後の彼女になってくれ」
「はい!!」
え、なに、これは夢??
酸欠で倒れたあと、都合のいい夢を見てるの??
ああ、篠原課長の顔が甘いよーっ!
「ああ、夢なら覚めないで〜〜」
「夢じゃないぞ。でも俺も夢のようだな。ずっと好きだった鈴野が俺の彼女になってくれるんだから」
「……へっ?!」
今、なんて言った? 私のことが……好き?!!
ああもう、照れ笑う課長がかわいすぎて、頭がふわふわしちゃう!
「好きだったんだよ、鈴野のドジだけど愛嬌のあるところとか、一生懸命に仕事をしてくれる姿勢だとか。こんなオジサン、相手にされないと思って諦めてたんだが」
「篠原課長はオジサンじゃないですー!! 大人の魅力と色気がたっぷりなのに爽やかで優しいイケボのイケメンですー!」
「はは、ありがとう」
え、本当の本当に夢じゃないの?
私のことを好きだったとか……嬉しいよぉ、泣きそう!
「あ、あの、ちゅーとか! ちゅーとかします?!」
「え? 今?? というか、鈴野はファーストキスなんじゃ……」
「私はいつも妄想で鍛えているので、大丈夫です!」
「……じゃあ」
篠原課長が戻ってきて、私に迫ってくる……っ
きゃーー、本当に?! 誘ったのは私だけど、本当にーー?!
心臓が飛び出しそうー!!
ちゅっ
……ん?
「ちょ、おでこじゃないですかーーーー!」
「そりゃそうだ」
「なにがですか、なにがそりゃそうだですかーー、期待させておいてー!」
こんなにドキドキさせておいておでこだけなんて、激おこですよーっ
「鈴野の大事なファーストキスだからな。こんな会社の仮眠室で奪ったりしないよ。ちゃんと考える」
篠原課長の手が伸びてきて、私の前髪がくしゃりと音を鳴らされた。
「篠原課長……期待しちゃいますよ?」
「どーぞ」
「あの、課長」
「ん?」
私はさっきキスされたおでこに手を当てる。熱が出てそうなほど、熱くなっちゃってるや。
「おでこにちゅーも……嬉しかったです……」
ああ、今さらすごく恥ずかしくなってきた!
課長はすごく嬉しそうな顔してるし……私も嬉しいよー。
「俺も嬉しかった。キスさせてくれて、ありがとな」
篠原課長はそう言うと、今度は私のほっぺにキスしてくれた。
ああ、もう課長……大好きです。
ーENDー