第三話
驚く程身体はぴんぴんして元気だったが、
依然として頭の中はグチャグチャのカオスだった
何しろ記憶がはっきりしない事が僕を苛つかせた
自分の事故の事を調べようにも証明しようにも、一体どこの駅だったのかも、何月何日だったのかも思い出せないのだ、もっと言うと、あの事故から何日?何ヶ月?もしかして何年も経っているのかすらも分からないのだ
そして記憶がないと言うのは「轟木哲也」としてだけでなく「東郷忠良」としても同様だった
昨日病室を訪れた大柄で背の高いスーツ姿の「僕の上司」が一体誰なのかも思い出せない、どうやら僕は55歳のサラリーマンだったらしいのだが、会社の事も仕事の事も何一つ覚えていなかった
朧げながらに覚えているのはあの駅のホームで起きた事件の事だけ、勿論普通に言葉は分かるしご飯も一人で食べられるしトイレも自分で行けるし日常生活を送るには何一つ不自由無いのだけれど、所謂エピソード記憶と言うものがすっかり欠落してしまったらしい
医師によれば、そんなに深刻にならなくとも数日すれば不意に思い出すから心配ないと言う事で、身体に特に問題がない事は検査の結果はっきりしたので、それでは自宅に戻って以前と同じように生活するのが記憶を取り戻す為にも良いだろう、と言う事で今日から僕は「僕の自宅」に戻ってくる事になった
「パパ、お風呂入れるよ、」
「あ、はい、すみません、」
「僕の娘」の悠里は本当は東京で一人暮らしをしているのだけれど、今だけは僕の身の回りの世話をする為に僕の家に一緒に戻ってきていた
「身体洗ったげようか?」
「いえ、それは、自分でできますから、」
ついつい謙った他人行儀な受け答えになるのを見て悠里が苦笑いする
彼女にとってはただ一人の父親が、奇跡的に一命を取り留めて無事に帰ってきたのだ、それなのに、実は中身は全く別人なのだという事実がとても申し訳なく思えた
僕は、ピアノの上に飾られた「僕の妻」の笑顔の写真を眺めながら
ほんの少し途方に暮れる