第1話 はじめまして 2
「昨日のあれは何だったんだ……」
旧校舎を後にし、昨日の夜のことを改めて考えていた時、橡のスマホが音を立てる。
ポケットから取り出して画面をみると、そこには雪平からの着信が表示されていたので
歩きながら着信を取る。
「もしもし」
『橡! お前家帰ってなかったのか!? どうしたんだよ!』
心配した雪平の言葉に、橡はつい真実を語るべきではないと察してしまい、嘘をつくことに。
「えっと……あ~。ちょっと色々とあってネットカフェで一夜を明かした」
『色々って……屋上でなにかあったのか?』
「いや? 帰り際駅を通った時に不良に絡まれて、怪我して疲れたから、もういいかぁと思ってそのまま近くのネカフェで寝てた」
『ホントかよ……』
「ああ。それより、なんてお前がそんな事知ってんだよ」
『今朝起きたらお前の母親から電話来たんだよ。橡が帰ってないから知らないかって』
「まじか……」
『俺も咄嗟に、家に泊まってたって事にしたけど……』
「悪いな。助かったよ」
『お前、家には帰れよ。そして電話には出ろよ。あの後連絡してもまったく反応ないんだから』
「爆睡だったからな。全然着信なんて気が付かなかった」
『ったく……。それで、お前は今何処にいるんだ?』
「もう学校にいるよ」
『……鞄は?』
「あ……」
昨夜は一度家に帰ってから集合したので、鞄は家に置いてきていた。
校庭の時計を見てみると、始業までの時間は割と短く、家に帰る時間はなさそうだ。
「まぁなんとかするさ」
『ったく……とりあえず無事で良かったわ。じゃ、また後で』
「ああ」
そういって通話を切る。
着信画面が閉じると、雪平からの連絡のほかに、母から数十件の着信履歴とメッセージの通知が入っていた。
「うわぁ……」
かけ直すのが怖くなる具合の着信に、少し躊躇しながら母の携帯に電話する。
『橡! なんで連絡しないの!』
電話に出た母の第一声は怒っていた。思わずスピーカーを一度耳から少し遠ざけた。
『わ、悪い……スマホのバッテリー切れてた……』
「夜遅くに出かけるっていうから何かと思えば……まったく」
声を聞いて安心したのか、少し落ち着いた声になる。
『泊まりなのはいいけど、ちゃんと連絡しなさい。いいわね』
「ああ。悪かったって」
『それで? 1回帰ってくるの? お弁当は?』
「いや、もう学校にいるからいいや。弁当作ったの?」
『そりゃ念のため作ったわよ。いらないのね?』
「母さんの昼飯にしていいよ」
『お父さんの分も作ってるからまぁいいけど……朝早く起きて作るの大変なのよ?』
「ならいいだろ。悪かったって。じゃあな」
『はーい。今日は帰ってくるでしょ?』
「ああ。じゃあな」
『じゃあね』
橡は通話を切ると、思わずふぅと一息を入れる。
通話を終えた頃には自分の教室付近まで来ていて、まだ誰もいない教室に入り、自分の席に座る。
始業までまだ40分程あり、こんな早く来るのは部活の朝練のある生徒ぐらいなもので、教室は静かだった。橡は暇を持て余し、日常的な会話をした後ということもあり、起きた時より随分と落ち着いていた。非凡な出来事があった昨日の事が、まるで夢の事のように感じる。
窓の外を眺めながら冷静に思い出してみる。かなり怖い出来事だったし、少し身震いもするが、目が覚めた時のあの女の子が、その恐怖心を大きく減らしてくれていたような気がする。
朝日の中に佇む女子は、恐怖とはまったく逆の存在だった気がした。
「あれは……誰だったんだ?」
昨日の幽霊との特徴の差はいくつかある。
一目で分かる髪の色。細く長い髪が朝日を浴びて白銀に光っているようだった。
闇を知らない純粋無垢な子供のようなあどけない表情。
他に違う部分がない故に、だから彼女は昨日の幽霊である、と確信付ける事は出来る。
が、しかし、その大きな人間性の違いに、その確信付けるのを躊躇ってしまう。
仮にあの白髪の女の子が幽霊だとしたら、何故あんなにも変わってしまったのか?
いくつか候補はある。1、恨みを晴らした。2,日が出ると性格が変わる。3、まったく関係のない別の幽霊。4、それこそ誰かが仕掛けた悪戯。一番嬉しいのは誰かの悪戯だが、その線は薄い。巧妙だし、見ず知らずの奴をひっかけて何が楽しい。先生が引っかかったら大目玉だ。
考えても全ては推測でしかなく、答えに辿り着くことはない。それに気が付いた橡は、大きく伸びをすると、机に突っ伏した。
先ほどまで寝ていた、もしくは気を失っていたとはいえ、屋上では安心して眠っていたわけではなく、橡の身体はようやく精神的にも落ち着き、安心出来たのか、眠りについたのだった。
遠くから誰かの声が聞こえる。
「……くん……くぬぎくん……お~い」
母親の声ではない。優しくて心地よい、聞き慣れた声だ。段々と声が近づいていくと、自分が学校の机で寝ていた事を思い出し、その声が花園の声だと気が付くと、橡は目を覚ます。
「ん……あれ?」
意識が戻ってくると、クラスは既に賑わっていて、皆登校してるようだった。
隣の席には、花園が椅子に座りながら、橡の方に身を乗り出して声をかけていた。
「やっと起きた。寝不足なの?」
体勢を戻すと、呆れたように花園は言う。
「……まぁそんなところかな」
起き上がり、大きく伸びをして適当に言葉を返す橡。
「もうすぐ始業時間だよ。大丈夫?」
「ああ……なんとか……」
そう言いながらも眠そうに大きな欠伸をする橡。
「昨日屋上まで行ったんだね。 何かあった?」
「いや……別に何もなかったよ」
「そうなの?」
「ああ。誰もいなかったし、何もなかったよ。あったのは地蔵だけだ」
「地蔵? ……あ〜、あれお地蔵さんだったんだ」
「知ってたのか?」
「昨日も話したけど、学校探索してた時に、外から屋上見上げたの。そしたら、何かあるな〜ってずっと思ってて。そっか、お地蔵さんだったんだね」
「……お前の反応にこっちが驚くよ」
「そう?」
「ああ」
そんな会話をしているとチャイムが鳴り、教師が入って来て授業が始まる。
「……花園」
「何?」
「教科書見せてくれ」
授業中、橡はやはり昨日からの事があり授業に集中できなかった。
花園に教科書を見せてもらいつつも夢現で。時間が経てば経つほど昨晩の事が夢の様で。
橡は次第に何を考えるべきなのかを見失っていた。
疲労と眠気で午前中の授業は身に入らず、時折屋上での出来事を思い出しながら、無意味に時間が過ぎていく。
いつもと同じこの退屈な時間が、日常が日常に感じられない。
日常を日常と感じたその瞬間、橡の中では日常ではなくなっていたのだ。
気は屋上に取られ、常に頭には幽霊の不気味に笑った顔が浮かんでくる。
窓の外を、隣の校舎は旧校舎ではないが、隣の後者の屋上に目線を向けていた。
「…………」
机に片肘をついて、思いふけった様子の橡。
「……橡くん?」
名前を呼ばれると、橡は少し遅れて反応する。
「ん?」
窓の外から視線を戻すと、花園がこちらを少し心配そうな表情で見ていた。
「もうお昼休みだよ」
「え?」
クラスに目を向けると、皆各々昼休みを謳歌していた。
「今日ずっと変だよ? 大丈夫?」
心ここにあらずな橡に、心配した様子を見せる花園。
「……寝不足でどうにも頭が回らない」
と、心配する花園に申し訳なくなり、なんでもない理由をつける。
「保健室で少し寝てきたら?」
「……大丈夫だ。あと2限だし、なんとかなるだろ」
そう言いながら橡は立ち上がる。
「? どこ行くの?」
「購買で昼飯買ってくる」
「今日弁当じゃないんだ」
「ああ」
「いってらっしゃい」
そういう花園を後に、橡は購買部を目指す。