素人オナリスト的「地の文」理論
※初めに※
この作文は身内に向けた文章です。
始めてみる方には何言ってんやろコイツみたいな話やネタが唐突に出てくることがあります。ツッコミは厳禁です。したら地の果てまで追いかけた上で土下座して回る哀れなストーカーが生まれますご注意ください。
それでは。
正直素人作文みたいなのを一本作ったくらいでこんなこと偉そうに書いて大丈夫なんかと震えています疎遠ですよろしくお願いします。
まあ書いた動機とかその辺はめんどくせーし読んだところでクソの役にも立たないのですっ飛ばします。
僕の思う「地の文」ってやつの書き方なんですけど、まずは「地の文」の意義について僕なりにいくつか挙げておこうかな、と。
①状況描写
②心理描写
③補強
④時間感覚の調整
こんなところですかね。
分かってんだよクソボケって方はブラウザバックして頂いて構いません。ていうかしろ。読んでねえでさっさと書け。
①・②について
まあこの辺りは基本みんな分かってる体でサラッと行きたいんですけど、要は「地の文」ってやつは「口に出したらおかしい部分の補強」としての意味合いが一番強いと思います。
例えば、サスペンスものとかで探偵が真犯人に気づくシーンとかを想像してみてください。
「凶器から検出された指紋は確かに容疑者のものだった。しかし犯行時刻の容疑者には確固たるアリバイがある。これでは矛盾が生じてしまう。いや待て、そもそも容疑者の指紋は本当に着いていたのか?一体それは誰が言い出したことなんだ?……ハッ!まさか彼女が真犯人なのか!?」
もう率直に言ってバカ丸出しですよ。誰に説明する訳でもないのに一人ででこんなことブツブツ言ってる奴が探偵とかやってたら未曾有の犯罪国家が秒で誕生ですよ。だってバカだもん。他人の犯罪首突っ込む前に自分の頭を何とかしろって話ですよ。
では、
彼は一人思考に耽る。
凶器に刻まれた指紋は確かに容疑者のもの。
しかし同時に、犯行当時のアリバイは完璧である。
その矛盾。
「……であれば」
まず疑うべきは、前提そのもの。
アリバイは彼自身が容疑者をその目で見ていることから疑う余地がない。変装など簡単にできるものでは無いし、そもそも突発的なこの状況で変装を可能にする道具など持ちえない。
つまり。
「容疑者の指紋……」
そう。容疑者を容疑者たらしめる唯一絶対の物証。
それは本当に正しいのか。それを正しいとする根拠はなにか。
検察である彼女がそう言ったからだ。
自問を重ね、自答が応じる。
では、その根拠は信じるに足るものなのか。
いいや、そもそも。
彼女が検察だという証拠は、一体どこにある?
……まあ僕の拙い文章なのでこの辺りが限界ですが、探偵の知能指数は流石に少し上がったんじゃないかと思います。少なくとも思ったこと全部口に出す精神異常者ではなくなりました。
地の文ってのはこういう役割なんじゃないのかなーと個人的には思うわけです。
状況描写にしても一緒ですね。街中で「今僕は渋谷のスクランブル通りに立っている。初めて見る人の多さにあんぐりと口を開けて」とか言ってたら頭おかしいでしょ。どんだけ人多くても皆テメーだけは避けて歩くよテメーの周りだけ空間ができるよ新手の公害じゃねえか。異世界ベーコンとか書いてそうだよな。
③補強について
意味合い的には①②と被る部分があるんですけど、主にこっちは三人称や三人称一元視点を書いてる人向けになるかと思います。
補強、というのは要するに修飾ってのと同義かなと。
僕は説明とかド下手なので軽率に例文を挟んじゃうんですけど、
「バーカ」
彼は笑ってそう言った。
というのがあったとします。
さっきみたいに頭おかしくもないし、バカっぽくもない。一見普通の人です。
でも、これだと読者はただ「笑った」という情報しか得られないわけですね。敵に向かって本気でバカと言ったのか、友達に対して冗談でバカと言ったのか、そういう細かいところが分からないわけです。
そこで出てくるのが補強としての「地の文」なわけで。
「バーカ」
彼は笑ってそう言った。
まるで、決壊しかける涙腺を抑え込むように笑って、そう言った。
とまあ、こんな感じにすると好きな人との別れ際に強がって笑ってるのかな、とか、泣き虫な主人公がそれでも強敵に強がってるのかなとかっていう想像の余地が生まれるわけです。少なくとも、ただバカみたいに笑ってるわけじゃねえなって印象は与えられますね。
更に言うと、彼は自分が悲しくてもそれを表には出さずに強がるタイプの人間性なのかという人物像もセットで印象付けられるんですよね。実際、そう思ったでしょ。思ったって言えよ。
要は、そうやって読者の「想像する指向性」を与えるわけです。上手い人とかになるとこれ自体を伏線として使ってくるまであります。なんなのバカじゃねえの。
とまあ、ここまで読んでくれた人なら分かってくれると思うんですけど、「地の文」って基本は必要な情報しか入れてないんですよ。会話では表現しきれない部分を補う情報の羅列なんですね結局。
そもそも、大前提として抑えておいて欲しいのが、他のフィクションエンターテイメントに比べて小説ってのは圧倒的に情報ソースが少ないってことなんですよ。映画やドラマなんかは映像的視覚情報、聴覚情報で別系統の情報ソースが二つもあるし、漫画だって映像的視覚情報と文章的視覚情報っていう二つの情報ソースで成り立ってる中、小説だけ文章的視覚情報の一本勝負なわけなんです。小説なんてもん最初に書いたやつは辺獄くんくらいのドMだよ間違いねえ良かったな仲間がいたぞ。
だからこそ、小説における「地の文」っていうのはつまるところ「違和感なく情報を付け足していく」ためにあるんであって、それさえ出来れば基本的に「地の文」ってのは勝手に埋まっていきます。
④時間感覚の調整について
さて、ではなぜ『基本的に』なのかっていうのがこの先の話になります。
恐らく、物書きなら誰もが共感してくれると思うんですけど、書いてて一番恐怖になるのが「沈黙」なんですよ。日常生活でもあるじゃないですか、ボーッとして誰も喋らない時間。日常生活であるってことは当然リアリティのある小説を書こうとしたら出てくるわけで。
そんな時に使うのが時間感覚の調整としての「地の文」かな、と。
まあこの辺り説明難しいのでまた軽率に例文入れてくんですけど、
「なんでこのクソ暑い日に体力測定なんかやるのよ」
「知らんよ。新手の拷問じゃねえの?」
彼はげんなりした顔でそう答えた。
ボンヤリと正面に目を向けたまま沈黙すること十秒。
「で?なんでクラス違うお前がここにいるわけ?」
正直これでも文としては成り立ってると思うし、普通に考えてそれくらいしか書くことないんですよね。だってコイツなんも考えてねえし。なんもしてないし。必要な情報を入れる余地がねえ。
だけど、それをそのまま書いちゃうと風情もクソもないわけなんですよ。たまに挟むくらいならいいけど毎回それじゃあ味気も何も無いパッサパサのカツオ節みたいな文章が出来ちゃうわけですね。
そこで使えるのが「時間感覚の調整としての地の文」です。
どういうことかって言うと、
「なんでこのクソ暑い日に体力測定なんかやるのよ」
「知らんよ。新手の拷問じゃねえの?」
彼はげんなりとした顔でそう答えた。
やたらうるさい空砲が耳朶を打って、正面を勢いよく駆け抜けて行く数人。小さくなっていくその背中をボンヤリと見送りながら、彼は口を開く。
「で?なんでクラス違うお前がここにいるわけ?」
こういうことです。
大事なのは「主人公が動いていると同時に世界も動いている」って感覚じゃないのかなと。
主人公が黙ってるからって、皆が皆何もせずに主人公の動きを待ってる訳じゃないじゃないですか。だったらその世界に目を向けてしまえって発想ですね。
ぶっちゃけ今の地の文に物語の展開上必要な情報って何一つ入ってないんですけど「空砲が耳朶を打った」から「小さくなっていくその背中」で、読者との間に「一〇〇メートル走のスタートから終わりがけまで主人公は黙っていた」という認識の共有ができるわけです。そんで大体世間共通認識として「一〇〇メートルは十秒前後で走れる」というのがあると思うので、これだけで主人公が黙ってた十秒を埋められるわけですね。
これが出来ると、かなり書ける幅が広がります。例えば、会話をしている男女二人がいるとして。
「バカにしてんじゃないわよアンタ!!」
そう地団駄を踏む彼女。
彼はそれにため息をついて、
「で?何の用だよ」
これだけ見るとなんか唐突すぎるなって感じしません?しません?あ、そう。OKお出口あちらです。
まあとにかくこういう唐突すぎるなークッション挟みたいなーって時にもこの手法は使えると思うわけ。
「バカにしてんじゃないわよアンタ!」
彼女はそう喚きながら地団駄を踏む。
その姿に、道行く人達が若干ギョッとしながら目を向けながら足早に去っていった。そりゃそうだ。こんなお嬢様然とした奴がチャラいJKみたいな真似してたら誰だってビビる。
なんでそんなのに関わらなきゃいけねえんだ俺、と彼は重めな溜息をついて、
「で?何の用だよ」
即興ですがどうでしょうか。
多少なりとも違和感は拭えたんじゃないかなと思います。
つまり、「地の文」で世界へファインダー向ければ沈黙はカバー出来るよって話なんですけどね。
まあこんな所ですかね。
要は、「地の文」の存在意義を考えれば自ずと書けてくんじゃねえのってだけの話だったんですが気づいたらめっちゃ長くなってました。ごめん。
ダラダラ終わり口上とか書くのもだるいんでもうこの辺で終わろうかなって思いますありがとうございました。
あ、あと最後に一個だけ。
こんなもん読んでる暇あったらさっさと小説書けバカチンが。