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FAR SKY  作者: 谷口
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転換点


 私は“アリス”で良いの。

 そうしたら先生は私を愛してくれるから。


           ――ロリーナ・リデル


「ふうむ……確信を持って言えないが、おそらくは領主様の封蝋だろうね。国を象徴する花が掘られているところを見るに……まぁ、ことがことだから言葉を濁すけど」


「そんな……領主様が……」


 もはや夜の帳が降り魔の者が潜む時間となった頃、二人は馴染みの道具屋であるダニエルの元を訪れていた。

 目的は人攫いたちが落とした空の便箋に捺してあった封蝋のことを知っているかどうかであった。

 もちろん二人は入手した経緯を話しており、その話を聞いた彼は酷く眉間に皺を寄せた。

 まるで面倒事に巻き込まれたかのように。


「多分、その人攫い誰かに……国に関係する者にから依頼されてゴブリンを誘拐したんだろう。まぁ……“珍しい話でもあるまいて”。率直に言うけど、コレには拘わらない方が良いよ」


「だめだよ! だって誘拐だよ!?」


「少年、分からないのか? 爺さんの言う通りだ。藪を突いて蛇でも出て来たら……」


「だって、だって! ゴブリンは“平等”を約束されたじゃないか!」


「少年……」


 無垢な少年に、世論に詳しい彼と彼女。

 この世界は多くの種族が混在し、多くの歴史を築いてきた。

 そんな歴史の中で当たり前のことだが迫害もあった。それも気の遠くなるほど長い間。

 その迫害に遭っていた種族の一つが地妖人(ゴブリン)であった。

 緑色の肌に斜め上に尖った耳。人間(ヒューム)の半分にも満たない体躯。

 そして醜いまでに木を削って掘られたかのような面相。中には例外もあるが、それがゴブリンの特徴である。


 そんな斜陽の時代にあったゴブリンたちであったが僅か二百年前にこの世界の神であり一番に力を持つ巨大宗教である“アリス教”が世界へ向けて御触れを出したのだ。

 曰く、「ゴブリンもまたアリスの許にある。」と。それにより各国の指導者は考えを改めざるを得なかった。

 例えそれが建前であったとしてもだ。

 御触れから二百年経った今、もはやゴブリンを差別する国家は無いと言っては良いが、それは“国家”として見た場合である。

 それもそのはず、古来から続いてきた教育と言う名の(まじな)いは簡単に解けるものではなく、もはやそれは(のろ)いと言って差し支えない。

 皆も心当たりはないだろうか。家で教えられてきた“常識”が外へ出てそれが“非常識”であったことが。

 そこで常識を非常識と言われても中々に受け入れることが出来ずにいたに違いない。ましてやそれが世界にまで広がっているとすればなおさらだ。


 故に、ゴブリンは未だ市井には受け入れられてはいない。

 表だって差別はされていないが、みんな無意識下で差別や区別をしているのだ。

 そして、今回の話はそれだけでは収まらない。


「……坊主、ありがとう。我々のために怒ってくれて。けれども、今回の話は領主様……ひいては国家が関わっているかもしれない以上、これより情報も進展も無いだろう。下手をすれば身に覚えのない罪を着せられるかもしれない」


「そんな……」


 民衆が差別をしている場合であれば憲兵に報告をすれば形だけでも助けてくれたかもしれない。

 しかし、今回の話は憲兵以上の存在が関わっているために、下手に突いてしまえば事態を隠そうと不利益をこうむってしまうかも知れないのだ。

 つまり、無難な選択は何も見なかった、何もありませんでした、と耳を塞ぎ目を瞑って蹲ることである。

 そう、これは何気ない物語。たかが少年一人の物語。


 そうだろう?


《くそくらえだ》


「え?」


「そんなのはダメだ! 僕は赦せない!」


 座っていた椅子から蹴飛ばす勢いでいきり立ち、不条理へ向かって一人の常識が吼える。

 誰かに突き動かされてではない。簡単な常識である。

 尤も単純で一番大事な感情“赦せない”だ。


 赦すことは一種の優しさであり強さでもある。大人は嘯いた。

 なれば大人ではない少年はどうなのか。それが答えであった。


 いきなり立ち上がった少年に思わず面喰ってしまう彼。

 それもそのはず、彼が知る少年は聞き訳の無い“ガキ”ではなかった、利口な子供だ。

 しかし、彼が少年の何を知っているのだろう。そう口端を弧に描き彼女が嗤いだす。


「よく吼えた! それでこそ男だ! 褒めてやろう」


「うわっぷ!?」


 何がおかしいのか。甘露甘露と嗤い出した彼女は少年を抱き寄せ思いっきり頭をガシガシと撫でまわした。

 非常に羨ましかったと彼は後に語る。


「よしよし。残念だったな爺さん。というわけで俺様達は自由に動く。なぁに安心しろ、ギルドには話を通さないでおくからよ」


「おいおい! 君が乗っちゃダメだろう! それにさっきまで……」


 そこまで言いかけて彼は言葉を止めてしまう。

 何故なら見てしまったのだから。彼女のギラギラとした瞳に宿る怒りの焔とまるで快活児かのように笑う表情を。

 あぁ、そう言えばそうであった。彼は思わず顔を覆う様に手で押さえ、椅子に深く座りなおした。

 彼が“知る”彼女はどちらかと言えばそっち寄りであったことを。


 観念したかのように彼は苦々しく口を開く。

 それは決して怒りや呆れからくるものではない。

 二人に訪れる苦難を心配してのことだ。


「……でも、どうやって国の内状を探るんだ? 息のかかった者が軽々しく口を開くでもあるまい」


 それもそうだと少年は内心頷く。

 その件に関わる者であるならば戒厳令を出されているに違いない。

 もしうっかり漏らしてしまいでもしたら良くて投獄、悪くて消されてしまうことであろう。

 そうならば情報を集めるのに相当に苦労するだろうことは容易に想像できる。


 しかし、変わらず彼女の口は弧を描き、こう言った。


「ちょっとした伝手があるのよ、伝手がね」




◆ ◆ ◆




 夜の帳が降り、路地を覗けば暴虐の誘い。

 月明かりに照らされぬからこそ大手を切っていける場所がある。

 静寂の中からかすかに聞こえてくる喧騒に耳を貸せばきっと辿り付けるであろう大人の社交場。

 そう、お父さんの息が抜ける場所“大衆酒場”である。


 観音開きの扉を開ければ肌に感じるほどの大音量。しかし、決して嫌なものではない。

 カウンターには大人ぶりたい若者がなれないショットを飲んで悶えている。

 等間隔で並べられた大きなラウンドテーブルには一仕事終えた農夫や兵士たちが肩を並べて楽しそうに酒を飲んでいる。

 その間を縫うかの様に器用に歩いていくバニー姿のウエイトレス。

 奥まったところではカードに興じているのかディーラーの挙動に一喜一憂する市民たち。


 何もかもが少年にとって初めての光景であった。

 少年はハチミツエールやミードこそ口にしたことはあるが、それも少量。

 ましてやこうして酒を飲みにどこかへ行くと言うことが頭に無かったのだ。


「うわぁ……って、置いてかないでよっ」


 呆気に取られる少年を尻目に彼女は慣れているかのように酒場の中へ歩いていく。

 その後を慌ててついていく姿はまるで姉に連れてこられ臆している弟の様である。

 彼女は比較的入口の近くのラウンドテーブルまで歩いていくが、その席は既に埋まっている様子。

 それなのにも拘らず彼女は座っている兵士にしなだれるかのように密着し、その手に幾つかの貨幣を握らせた。

 兵士は綺麗な女性……少なくとも少年が思っている見た目だけは綺麗な女性に密着され悪くはなかったのだろう、ふらつく足取りで別の席へと歩いていった。


 そこが目的の人物がいる席なのだと少年は理解した。


「ほら、座りな」


「え、僕が?」


 改めて彼女に近づく少年であったが、席に座るように促されてしまった。

 刹那、少年の脳裏に嫌な予感がよぎる。これは絶対に面倒事に巻き込まれる奴だ、と。

 しかし、一瞬の抵抗空しく膝かっくんの要領で席に着席してしまった。してしまったのだ。

 そうして彼女は少年が座っている椅子の背もたれから、これまた少年の背にしなだれるかのように抱き付いてきた。もちろん、彼女の豊満な胸も押し付けられるわけであって。

 その姿を見た周りの紳士諸君からは妬みや憎みにも似た視線が弦から離された矢のごとく少年に刺さりまくる。

 彼女は度々こうして少年が(うぶ)なのを良いことにからかうことがあるのだ。

 少年からしてみれば堪ったものではない。そして、彼女がこうする時は決まって何か企んでいる時なのだと少年は知っていた。


 そしてその不安は的中することになる。


「ああん? 何だガキ、女連れて自慢かコラ!」


「えぇ……」


 少年のすぐ左隣に座り胡乱な目を向けて絡んでくる兵士がいた。

 テーブル上のみならず椅子の下にも空の酒瓶が散乱しているところを見ると飲み始めて相当な時間が経っていることが窺える。

 ましてやこんな状況になる前にウエイトレスなんだりが空瓶を片付けに来るだろうが、おそらく片付けに近づいてくるバニー姿のウエイトレスにもちょっかいを掛けるのだろう、遠巻きにその姿を見ているだけである。


 そしてなによりその兵士は他の兵士とは異なる恰好をしていた。

 少年でも知っているその漆黒の鎧はかつて王国の首都の防衛を担う近衛隊の鎧であり、そしてそんな近衛隊の鎧の中でも機能美と頑丈を追求して特別に誂えられた美しくも無骨な鎧。


 少年の記憶の中でもそんな人物は一人しかいなかった。


「俺はなぁ……! 救国の英雄“ローラン”だぞっ! わかったらさっさとどこかへ行きやがれ! 俺に殴られないうちにな!」


 救国の英雄。王国最強の騎士。国王の剛剣。

 などなど、彼を言い表すために例えられた賛辞……とは別にこのようなことも言われている。

 税金の無駄遣い。磔刑にされるべき売国奴。前国王の不良債権。

 というようなとても国を救った騎士に送る言葉とは思えない罵倒も一緒に着いて回っている。


 それこそが少年の隣でべろんべろんに酔っぱらっている男――名をローランと言う――であった。


 彼は前国王“オリヴィエ”に仕え、その生涯の半分を前国王へ奉げ右腕として、時には友として傍に在ったと言う。

 しかし、それは前国王が現女王によって失脚させられるまでの間でのことであって、今となってはこうして落ちぶれている。

 前国王が悪政によってギロチンで処刑されてからはこれまでの経歴から考慮された結果、首都からほど近いこの都市で守備隊の兵長を任されている。

 ……そのはずなのだが、今に至るまでまともにお勤めを全うすることなく飲んだくれているそうな。


 かつては常勝無敗を誇った姿は見る影もなく、腰に提げているはずの名剣デュランダルはどこへやら。

 一説には担保に出されているとかなんとか。


「くっくっく……相も変わらず飲んだくれているのか?」


「んあ? なんだ姉ちゃん。知った風な口をきいて。それより何か、俺の相手をしてくれるってのかい」


「おいおい、十年ぶりだというのにつれないじゃないか」


「十年……? 魔女……? ……お前まさか、オズか!?」


 今まさに彼女の足元から髪の先まで嘗め回す様に見ていた彼であったが、軽い問答をした途端はじけるように飛び上がった。

 それと同時に足元の酒瓶が音を立てて転がっていく。それを驚いたように見ているウエイトレス達。

 きっと彼はここの常連なのだろう。暴れることはあってもこのように驚愕の声を上げたことは無いに違いない。周囲が物語っている。


 そのことに少しだけ罰が合悪そうな顔をした彼であったが、わざとらしく咳払いをして同じく席を共にしていた兵士たちへ目配せをする。

 そうすると何かを察した兵士たちは何も言わずに席を空けていくのであった。

 腐っても兵長。そこらの兵卒よりは偉いのだと再確認された。


 静かに座りなおした彼であったが、先ほどまで少年に妬みの視線を向けていたはずがいつの間にか同情の視線を向けている。

 おそらく彼も何らかの被害に遭ったものなのだろうと少年は理解した。


「……それで、何の用だ。表舞台から鳴りを潜めたかと思えばガキの御守でもしているのか」


 しばらくして先ほどまでの喧騒を取り戻した頃を見計らって彼は口を開いた。

 その言葉を聞いた彼女は心底面白そうにくぐもった笑い声を漏らして少年により一層強く抱き付く。

 ソレだと言うのに彼が少年に向ける視線はまるで肉食獣に捕まってしまった獲物に向けるような、可哀想なものを見るソレである。


「やらんぞ? 俺様のだ」


「いらんわ。それより離してやれよ。ガキが可哀想だ」


「やれやれ、仕方がない」


 心底名残惜しそうに少年を離した彼女。

 解放された少年は心底嬉しそうに見えたのは彼の見間違いではないだろう。

 そして交わされる視線。この時ばかりは男同士の友情が芽生えたとしても問題は無いはずだ。


 彼女は彼を挟むように席に腰掛けると、少しばかり真面目な顔をした、

 本題を切り出そうとしているのだ。嫌でも分かる。


「単刀直入に訊く。領主はゴブリンを憎んでいるか?」


「あぁ、憎んでいる。すると、あれか? アイツがゴブリンを攫っているのがバレたのか?」


 声を潜め、しかし喧騒の中だと言うのにやけにはっきりと聞こえる声だ。

 まどろっこしいのは無しだと言わんばかりに本題を切り出すと、望んでいた情報はいとも簡単に手に入れることが出来た。

 そのことに驚愕を隠せない少年であったが、彼女の表情はぶれない。まるで分っていたかのように。

 ましてやこんなに簡単に機密を話すと思っていなかったのだ。動揺を隠せない少年は所詮子供である。


「あぁ、この間見た」


「油断だな。分かった、何とかしようってんなら――」


「し、知ってたんだったら何で止めないんですか!」


「――んあ?」


 思わず二人の会話に口を挟む少年。

 そんな少年に対する彼は気の抜けた返事を返す。

 そのようなこと、聞かずともわかるだろうと言わんばかりに。


「兵士なんでしょう!? 悪いことをなんで見過ごしているんです!?」


「あのなぁガキ……」


 一拍、


「そんなの面倒くせぇからに決まってんだろう」


「んなっ!? な、なんて――」


「落ち着きな少年。文句なら……後で幾らでも聞いてやっから」


「――ぐうぅぅ!!」


 彼女に窘められ、拳を握りしめ、彼を睨む少年。

 そんな少年に怖い怖いと飄々に振る舞う彼。

 沈黙は続きを促した。


「三日だ。三日後の領主邸の警備に就く兵士たちを全員何らかの理由で席をはずさせる。下弦の月だろうが“油断”するなよ」


「わかったよ。ありがとう」


「オズから感謝の言葉が出るなんて……ガキ、やるじゃねぇか」


「…………」


「おぉ、こわっ」


 話は終わったとばかりに立ち上がる少年。

 それに倣って立ち上がり、わずかばかりの貨幣をテーブルに置いて少年の後を追いかける彼女の姿はどこか楽しげであったと彼は感じた。

 おそらく少年が彼女を変えたのだろうと確信めいた気付きがあったのだろう。


 そんな二人の後ろ姿を見送った彼は酒気の混じった溜息を……そう、まるで十年分吐き出したかのように深い深い溜息を吐いた。

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