アゲイン
アリスと話したいって?
やめときな、キャロルに怒られるよ
――イーディス・リデル
昼下がり。
人の往来から少し、路地へと入った薄暗い場所にある。
青年を少し過ぎたゴブリンが営む小さな道具屋の扉が開き、扉に備え付けられていたベルが鳴る。
そのベルの音に店主である地妖人――名をダニエルと言う――が扉へと振り向き、来客を迎え入れた。
「やぁ、坊主」
「どうも、ダニエルさん」
来客、つまり店へと踏み入れた人物は年若くまだあどけなさが顔に残る少年――名をバッドと言う――であった。
しかし、腕の残る傷や立居振舞などは戦士の“それ”であり、ただの年若い少年とは言い難い……というのがダニエルの第一印象である。尤も、今となっては全く別の印象にすり替わっているのだが。
「ダニエルさん、いつものロープと鉈と鎌はあるかな? 後、杭も」
「あぁ、そこの棚に用意してある。杭はそっちの棚の二段目左側だ」
「ありがとうございます」
客が道具屋に来たのなら目的は一つだ。
バッドは手短に用件を伝え、ダニエルはいつものように商いをする。当たり前だ。
店の中にバッド以外の客は見当たらず、昼下がりだと言うのに窓から射しこむ日差しはお世辞にも良いとは言えない。
窓から射す明かりだけでは店内を照らすには良いとは言えず、明るいうちから蝋燭を灯す必要がある。
立地が良いとは言えず、ましてや世間的にも良い顔をされないゴブリンが店主をしているのだ。閑古鳥が鳴くのも頷ける。
それでもまだ商いを続けられるのは一定の顧客がいるからこそ。
だからこそのダニエルもバッドをという顧客を大事にしたいと思っている。
思っているのだが、やはり受け入れがたいこともある。
「それでね、ダニエルさん。今日はこれを買い取ってもらいたいんだけど」
「またか……。うちはその手の物は買い取っていないと何度言ったら……」
少年は目的の物を買い、満足したところで懐からとあるものを取り出した。
これこそが彼の受け入れがたいことであり、頭痛の種にもなっていることである。
「じゃーん、コカトリスの肝と鶏冠なんだけど」
「うちは薬屋でも装飾品屋でもないのだぞ」
なんと少年が取り出したものは鮮度抜群の内臓と切り取った鶏冠であった。
鮮度抜群。肝に至っては何かが滴っている。ダニエルは精神的ダメージを受けた。
彼が眉を顰めるのに対して、少年はどこかしたり顔。まるで親に狩った成果を報告する猫みたいだと彼は思った。
少年は世間一般的で言う“冒険者”であり、時折こうして収穫したものを持ってくるのだが……いかんせんここは道具屋である。
肝ならば薬。鶏冠であるならば装飾品となるのであろうが彼にとっては無用の長物。
知り合いを通じて利益となることはあることにはあるのだが、あまりうまい話ではない。
それとも何か、よもや食べるとでも思っているのだろうか。ダニエルは訝しんだ。
冗談じゃない。ゴブリンだってグルメなのだ。
「冒険者ギルドでは買い取ってもらえなくて。ダニエルさんなら有効活用できるんじゃいないかと思って持ってきたんだけど」
「生憎と使い道が分からないものは買い取れないよ。ジャイアントスパイダーの糸ならまだしも、さすがにこれじゃあね」
「あんまり顰めるもんじゃないぜ、じいさんよ」
常連とて客と店主だ。
商いに利益がなければ余程のことが無い限り渋るのは当然のことであろう。
彼はそれは買い取れないという意思を伝えると、それに続くように新しい声が扉から聞こえて来た。
最近聞くようになった声の持ち主は一言で言えば絶世の美女、知る者が聞けば警戒をする、そんな女性であった。
簡素でありながら豪奢にも見える全身を覆う黒いローブは、胸元を大胆に開けておりスカートに値する部分には深いスリットが入っているために、非常に男の目線を集める仕様になっている。
髪は燃えるような緋の色に如何にもな三角帽子から覗く黄金色に輝く双眸を携えてやって来た女性は――名をオズと言う――店主然とした態度で近くの椅子に座り、煙管をくゆらせた。
彼は彼女を知る者である。
初めのうちは何故このような少年と一緒にいるのかと邪推したものだが、蓋を開けてみればなんてことはない出来事から行動を共にしているのだそうだ。
そんな彼女が……おそらくは年下である彼に窘めるような口調で話しかけて来たのは分かったが、そこは商売人である。簡単に譲ってはいけない。
「じいさんとは言うが、これでも三十を過ぎたばかりなのだがね。それと店内は禁煙だぞ」
「ゴブリンの年齢なぞ分かるものか。それにコレは煙草じゃない。おしゃぶりさ」
「僕より年上の癖におしゃぶりかい」
「今の体では十九歳さ」
「……はぁ、頭が痛くなって来た。……って、当の本人は店の奥かい」
「子供なのさ、いい意味でね」
長い付き合いではないが、それでも軽口を叩けるくらいには付き合いのある二人。
そんな二人の仲を取り持ったと言って良いバッドは、二人が軽口をたたき合っている間にこれ幸いにと店の奥に消えてしまっていた。
カウンターの台の上に残された生ものは、決して良いとは言えない日差しを浴びて輝いている。
だからこそ彼は再び眉間に皺を寄せるのだ。
「……相も変わらず坊主には話していないのかい?」
「当たり前だ。俺様のことを話したら……いや、全ては想像の範疇を出ない。まぁ、短い付き合いだろう。直ぐにアイツは死ぬだろうしさ」
「君が言うと現実味がありすぎる。……ちょうど去年だったか、君が坊主を連れてきたのは」
「……あぁ、これからも早々忘れることは出来なさそうだがね」
そう言ってまるで遠いところを見るかのような仕草に、彼は過去の――星の数だけあるうちの一つを思い出しているのだろうと思い至った。
今からちょうど一年前。酷く雨脚の強い夕立の日であった。
びしょ濡れになりながら少年を担いで駆け込んできた彼女は酷く取り乱しており、対応した彼もその様子にただ事ではないことを悟ったのである。
聞けば少年は彼女が蛇型のモンスターであるバジリスクに襲われていたところ助太刀に入ったは良いが、討伐したバジリスクをその場で解体し、食べてしまったのだと言う。
その際にバジリスクの毒も一緒に摂取してしまったがために、こうして彼女に運ばれるに至った。
なぜ彼の道具屋に来たのかと思えば、ここならば血清を売っていると少年がうわごとのように呟いていたのだそう。
それを聞いた彼は大層呆れかえってしまい、溜息を吐きつつもバジリスクの血清を投与したのだ。
この出来事があって以来、少年と彼女は行動を共にしている。
正直彼にとって何が彼女の琴線に触れたのか分からないが、その時少年と彼女にとってそれ程の何かがあったことは想像に難くない。ついぞ彼がそれを知ることは無かったが。
「それよりも少年が持ってきたものにもちゃんと意味があるのだぞ」
それも少年の受け売りだがね、と一言。
改めて彼は生ものへと目を落とす。ぬらぬら。てらてら。
やはりと言って良いか、見るたびに空しさと向かう先の無い苛立ちが彼を襲う。
その姿を見て愉快愉快と笑みをこぼす彼女。
まるで心を見透かしているかの様。こんなのがどう役に立つのか、と。
「肝は滋養強壮……は言うまでも無く、足の疲労回復に効果があるらしい。鶏冠はそのままお守りだ。病魔から遠ざけてくれるのだとか」
「……つまり」
一度、彼女はくくくっと笑い、
「年寄りに送るものってことだ。よかったなじいさん」
「結局坊主も僕を年寄りだと思っているのか!?」
そして盛大に笑いだした。
◆ ◆ ◆
「うーんこの辺だと思うんだけど」
明くる日。
バッドとオズは街からほど近い森……というには巨大すぎる森林地帯に赴いていた。
少年は年季の入ったところどころふしがささくれている本に目を落とし、切り株に腰掛けていた。
それは少年が幼い頃より書き記して来た“研究成果”であり、少年が最も信頼しているもののうちの一つである。
少年には夢があると彼女は聞き及んでいた。曰く、『全てのモンスターを記した図鑑を作りたい。』と。
未だ夢半ばではあるものの、その冊数は二十にも及び少年もひいては彼女も助けられている。
そんな少年が見ている研究成果の項目にはとあるモンスターが記されていた。
それこそが今回の少年と彼女の目的であるモンスター“ダストバグ”であった。
生態は深い森を好み、死肉や枯れ葉を食べ、腹部に属する先端から高温のガスを噴射して外敵を身を守るが人間はあまり襲うことは無い等の一般的には駆除される優先順位の低い虫型モンスターである。
それでもダストバグが噴射するガスは時には火災を起こすこともあり、乾燥期には要注意度が上がるため度々冒険者ギルドから手配されることがある。
ちなみに人間がガスに身を投じれば何の障害もなく燃やし尽くされることだろう。怖い怖い。
「如何に生息地とは言え跋扈しているわけでも無し。運がなかったとして出直したらどうだ?」
「オズ、そうは言うけどさ」
「なに、時間はある。今日は諦めてワインでも飲みに――」
「っ! オズ! 後ろっ!」
「――はぇ?」
少年と同じように隣で切り株に腰掛けていたオズがどこか達観したように提案する。
そのことに若干の焦りはあるものの、彼女の提案を飲もうと本から顔を上げて彼女を見やった……瞬間だった。
まるで獲物を警戒するかのように無音で近づいてきたソレは居た。
立ち上がればこちらの身の丈など優に超えるだろう巨体が目と鼻の先にまで迫り、乱雑に削り取られたかのような大あごがぎちぎちと鳴らすその正体こそが少年らが求めていたモンスター、ダストバグであった。
少年は即座にその場から翻り敵と相対したが、生憎と彼女は普段からは想像できない……否、親しいものであれば容易に想像が出来るほどの情けない声を出して茫然としていた。
故に彼女だけが動くことが出来ず、哀れモンスターは跳びかかってきてしまった。
「こなくそ!」
そのことに少年は腰に提げていた投げナイフを抜刀がてらモンスターへと投擲する。
常在戦場の心構えがあればこそ出来た芸当。投げナイフは吸い込まれる様にモンスターの複眼へ突き刺さる。
堪らず後退り、その巨体からは似合わない甲高い悲鳴を上げた。
そのことに正気に戻ったのか彼女はハッとしたかのように切り株から飛び降り、最低限の動きで少年の背後へと回る。既にその瞳は戦闘の意思を見せていた。
「大丈夫だった?」
「けっ、俺様としたことがしてやられちまった」
「無事で何より。それと、打ち合わせ通りでお願いね」
「任せておけ」
二人は不意打ちを食らったのにも拘らずほんの一瞬で体勢を立て直し各々得物を構える。
バッドは刃の先端の他に峰にも石突が施してある角鉈とターゲットシールド。オズは愛用の黒檀の杖を。
対するモンスターは複眼を片方失ったにも拘わらず相も変わらずぎちぎちと警戒音を鳴らしている。
作戦は事前に決めてある通り。まず動いたのは少年であった。
森林は人が歩くには適していない。木の根や石などの隆起はもちろん草や低木も悪路を作り出している。
しかし、そうだと言うのに少年はものともせずスルスルと踏破しモンスターまで距離を詰めるとターゲットシールドを目の前に構えた。
もちろんのことモンスターもみすみす接近を赦すはずもなく、大あごを用いた攻撃を仕掛けてくる。
それを読んでいたかのように少年は構えていたターゲットシールドを頭上へ構えなおし、当たる直前にスライディングをするようにモンスターの懐へと飛び込んだ。
虫の複眼は周囲を見渡すにはそれはそれは凄まじい効力がある……が、体の構造上真下を見ることには適してはいない。それを逆手にとっての行動であった。
「今だ!」
「おうとも」
飛び込んだ瞬間に少年は合図し、それに応える彼女。
彼女が魔法を詠唱している間に、まるでスライディングから返す刀のように胸部から伸びる脚を角鉈で打ち払う。
そして潰した方の複眼からモンスターの懐から脱出。それと共に彼女の魔法が放たれた。
「ボトムレススワンプ!」
その直後、モンスターがしっかりと踏みしめていた地面はぬかるみ、底なし沼へと変貌する。
直前に脚を打ち払われたせいか、脱出しようともがき始める前にずぶずぶと沼へと沈んでいく。
内骨格とは違い外骨格の生物は重く、ましてやぬかるみに対して抜け出す力が弱い。足の裏が面ではなく点であるとこも大きいだろう。
結果としてモンスターは突如として現れた底なし沼へと為す術なく沈んでいったのであった。
そのために普段であれば高く持ち上げられた頭はまるで首を垂れるかのように低い位置に。これこそが少年が狙っていたことである。
「でやあ!」
角鉈による大上段からの振り下ろし。
剥き出しの弱点となった頭部へ振り下ろされたその一撃は外骨格を突き破り、モンスターは程無くしてその活動を停止させた。
その姿を一秒、二秒と観察し、十秒が過ぎてようやく二人は勝利の鬨を上げたのであった。
◆ ◆ ◆
日も傾き始めた森林の中。
二人は戦利品を持ち帰路へと着いていた。
日が沈むまではまだまだ時間があるとはいえ、薄暗くなる前に森林を抜ける必要となる。
そうなれば直ぐに夜の帳は降り魍魎が跋扈する怪物の世界へと姿を変えるのだ。
それでも、目的を達成した時は少しだけ浮かれるの仕方がないことである。
「いやぁ、良いものが手に入って良かったよ」
「そりゃよかった。こっちも目的の物は手に入ったからな、大満足だ。そろそろ新しい触媒を仕入れなきゃいけなかったしな」
そう言ってポーチを撫でる二人。
バッドの目的の物はダストバグが持つガスを生成する袋状の器官だった。
その袋状の器官の中には粉末状の薬品にも似たものが入っており、それが一たび粘膜へと触れると強い激痛をもたらす。
少年はそれを用いた目潰しの道具を作ろうとモンスターを狩ったのだ。
対するオズは魔法で扱う触媒のためダストバグの大あごと適当な大きさの外骨格を得ていた。
オズがあのモンスターを狩ろうとするならば機動力を削ぐ事は出来ても、器用に全身を残したまま倒すには骨が折れることだろう。有り余る魔法の威力が消し炭にしてしまうのだ。
バッドがあのモンスターを狩ろうとするならば倒すことは出来ても、あの機動力を削ぐために何重にも罠を仕掛けるには骨が折れることだろう。そうなれば時間が足りないのだ。
そのため、あのような“回りくどい”倒し方をしたのである。
二人が二人、それぞれが得意なことで敵を倒す。
それが二人が一緒にいる理由の一つでもあった。
森林を歩くことしばらく、少年は獣道を通らずモンスターや魔獣と思しき足跡を警戒することで敵とエンカウントを避けることで時間はかかったが無事森林を抜け出すことに成功した二人。
その頃には既に辺りは夕焼けの光によってオレンジ色に染まっていた。
けれどもこれから街道を通って進んでいけばそう遅くない時間には町へと辿り着けることであろう。
少年はコンパスを取り出し、街道の方角を探ろうとした……そのときであった。
「や、やめ……! むぐう!?」
悲鳴にも似た声が穏やかな風と共に二人の頬を撫でたのだ。
咄嗟に声が聞こえた方を見やればフードとローブを着こんだ数人が人型の……夕焼けで肌の色が分かりづらいがおそらくゴブリンの子供だろう者へ襲い掛かっているではないか。
二人は一瞬だけ顔を見合わせると、少年は決意に満ちた顔で頷き、彼女はそんな少年に対して若干の呆れと諦めにも似た溜息を吐きだして同時に走り出した。
身をかがめ、伸び放題の草むらを掻き分けて突き進む。
そんな二人に気が付いた数人のうちの一人がこちらを指し、ゴブリンの子供を慣れた手つきで麻袋へとしまいこんで逃げ出した。
人攫いかはたまた儀式のためか、定かではないが二人にとってそれが到底許せることではない。
しかし、どうやら二人よりも人攫いたちの方が素早いようで、見る見るうちにその距離は話されていく。
それどころか連携してどうにかこうにかゴブリンの子供をもった人攫いを守るように射線に入ったりと、かなりの手練れであることが窺える。
ここで彼女が魔法で人攫いたちを焼き尽くすことは簡単である。
しかしどうしてゴブリンの子供まで巻き込みかねないため手を出すことが出来ないでいる。
それを差し引いても二人には致命的な弱点があった。
それは、
「はぁ……はぁ……くそったれ!」
彼女、もといオズの体力が低いことである。
ましてや一日中足元が安定しないところを歩いていたためにさらに顕著だ。
この分だとまともに魔法を詠唱することも叶わないであろうことは一目瞭然。
かといって少年だけで人攫いたちを追っても返り討ちに遭うであろう。
どう見ても二人の負けだ。少年は歯をぎしりと鳴らす。
だが、このままでは終わらない。
少年は苦し紛れに腰に提げてあった投げナイフを弧を描くように放り投げる。
そして幸運にもその投げナイフが人攫いたちのうちの一人を浅く切り裂くことに成功した。
しかしそれだけ。ついには彼女は体力が尽きて走ることが出来なくなり、えずくように咳き込むと座り込んでしまった。
それを見て、少年も足を止める。
「オズ、大丈夫?」
「うっ……くそ……。どうにもこの体は軟弱すぎる……」
さすがに仲間を無理させることは出来ず、少年は人攫いたちが消えた方角へと目を向ける。
もう既に夕焼けが夕闇へと変わる頃合い。ここらが潮時だろう。
だがその時、少年の眼に止まるものがあった。
少年は彼女に一言伝えてその気になったところへ行くと草むらの上に何かがあった。
近くに小さく破けたローブの布片と僅かな血が滴っているのを見る限りどうやら人攫いたちが落としていったものらしい。
それは、蜜蝋が捺された開封済みの空の便箋であった。