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「1+1=3」になりうるのか

個人的な見解



哲学が個々人にとって異なるものになりうるという主張の論拠というか、例示として、「1+1=3と教えられた子供」というものが出たらしい。結論から個人の考えを言わせてもらえば、その主張の論拠として出すにはこの例示は不適切である。子供を舐めすぎであると言ってもいい。数学は主観で結果の変化するものではない。その真理そのものは、人が何を思おうと、どう試行しようと不変である。1+1=3と主張したところで、本質部分が変化するわけではない。子供は(それを探求する意志を持てば)自力で正しい真理に辿り着くだろう。故に例示として引き合いに出すのであれば、「正義を成すのは良い事である」とかその主張そのものに議論の必要があるものにするべきであろう。

さて、「1+1=3」に戻るとしよう。そもそも私は、1+1=3と教えるという行為が、表面的にしか実行不能であると考える。本質的に、1+1=3であるという誤謬を与えることは、子供相手であっても困難であろう。1+1の結果生じる解Xを、通常であれば2と呼ぶところを、3と呼ぶという、間違った名付けが起こるだけであろう、と私は考える。

いや、そもそも本当、何をどう教えたら1+1=3を納得させられるんだ。いみがわからない。そもそも、数字を覚えずに計算はできないのだから、十進法を理解せずに足し算はできない。前提そのものが意味不明だ。1+1という計算そのものに誤謬があるのか。いみがわからない。

言うまでもなく、1+1=2というのが数学的真理である。十進法で計算を行う上での前提条件、と言い換えても良いが。数式の表記そのものが真理ではない。1と1を足すと2になるということを、1+1=2である、と表記しているだけだからだ。哲学っぽく言ってみるなら、クオリアとでもいうのか。人が1+1を2と言おうが3と言おうが、Xと言おうが、ムルムルと言おうが、本質的に1+1の解が変化することはない。1+1をした結果生じるものが変化してしまえば、他の計算が成立しなくなるからである。本質的な部分で1+1=3となるのであれば、それは3が十進法のアラビア数字ではないか、+1が左辺に隠れているか、右辺に-1が隠れているのである。でなければ、他の計算が全て狂い正しい答えが導き出せなくなる。

まあ個人がどう考えるかは個々人の自由である。人は全知全能ではないのだから、「これが確かな真理であろう」という理論の提示はできても、その証明はできない。しかし、人が何を主張しようと、世界の真理そのものはただ一つであるはずである。その時々で気まぐれに、或いは人の思想に合わせて変化するのであれば、それは真理ではない。個人の思想は真理ではない。

多分、その主張は本質的には言葉の定義の問題なのではないかと私は思う。哲学は個々人にとって異なるものである、という主張の話である。言葉の定義というのは、そもそもの議論の前提条件である。此処で躓いていれば、議論はできない。

個人の主義、思想、主張は人それぞれに異なるものである。哲学は、違う。哲学は世界の真理を探究することである。本質的に人にその解を証明することが不可能であるから、この解が正しい唯一であると示されることがないだけで、本当の世界の真理というものはただ一つしかない(という前提のもとに議論は行われる)。故に、哲学の名の元に主張される思想は数多あれど、それは真理として認定される以前の仮説にすぎない。本質的に、哲学が個々人に異なる存在というわけではないのである。

言い換えるならば、哲学とは未だに一つたりとも証明の終わった定理のない数学のようなものである。証明の完了していない定理は、真理とは言えない。その正しさを証明される以前の仮定しか存在しないので、正しい解は未だ定まらず、表面的には哲学とは個々に異なるものに見える。正答のないものに見える。

哲学に正答がないというのは、現状、一面においては正しい。現在のところ、誰もが納得できる真理を提示できた人間がいないからである。しかし、それは哲学に正答が存在しえない、唯一の真理が存在しない、ということにはならない。人間がそれに到達できないことと唯一の真理というものが存在しないということは≠だからである。

人間にそれを証明し、提示することが出来るかどうかということを議論の外に置けば…つまり、その"世界の真理"がどんなものかではなく、実在の有無だけを言うのであれば、それは唯一の解が存在する、というのが哲学の前提条件である。それを以て、哲学は個々によって異なるものではない、という結論に至る。





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