噂とは変化していくもの
本当に、どういうことだろう。
私はナディルに促されて応接間に来ていた。当然ナディルも、エイベルもいる。
そしてエイベルは引き続き土下座中だ。
どうしよう。どうしたらいいだろう。
「あの……椅子にお座りになってください」
家主でもない私が言うことではないのだが、いたたまれずにそう言うと、エイブルはガバリと勢いよく頭を上げた。
「昨日あれだけの暴言を吐いた私に対してそんな言葉をかけていただけるだなんて……ブリアナ嬢……」
ちょっとうっとりした視線で見られているのは気のせいだろうか。まさかあれで危ない扉を開いていやしないだろうな。
「おい、じろじろ見るな。減る」
そう言うとナディルはエイベルの襟首をつかんで立たせ、無理やり椅子に座らせた。エイベルは座り直すと、再び私に向き直り、頭を下げた。
「本当に昨日は失礼なことをしてしまって、申し訳なかった」
「あ、いや、私も、やりすぎてごめんなさい……」
色々と頭が追い付かないが、今のうちに自分も謝っておこうと、謝罪を述べる。エイベルは垂れ目に涙を浮かべた。
「ナディルが婚約したというからどんなお嬢様かと思えば、昔少し話題になったブリアナ嬢だったから、化けの皮をはがしてやろうと思って」
噂ってなんだろう。いや、予想できるから聞くのはやめよう。きっとどうしようもない内容だ。
「まあ、友人を思ってしたことでしょうから」
エイベルの話だと、彼はきちんとナディルのことを友だと思っているようだ。ナディルにこんな友達がいるとは思っていなかった。
「うう、すまない……友人がとんだアバズレに騙されたと思ってしまって……」
「それはわざわざ言わなくてもよかったわ……」
そう……私の噂、アバズレなのね……いやわかってた、予測できていたけども!
「今まで女っ気のなかった友人が連れてきたのがそんな噂のあるあなただったので、どうにか目を覚まさせたかったんだ!」
なんだろう、この、謝られているのに詰られている感じ。
今私は喜んだほうがいいのだろうか、悲しんだほうがいいのだろうか。エイベルは必死に頭を下げながら弁明する。
「ブリアナ嬢の事情を全く知らずに申し訳なかった。そんなに苦労していただなんて……うっ……苦労してっ……」
ついに泣き出してしまった。
展開についていけずオロオロする私とは対照的に、ナディルは堂々とこの状況を眺めていた。
「うぅ……お詫びに今度ディナーでも」
「ベン、お客様のお帰りだ」
「えっ、ナディル心狭いよ!」
呼ばれたベンはエイベルを抱え、部屋から出て行った。
「絶対、ディナーしましょうねぇぇぇ」
遠ざかりながらも彼の声はしっかり聞こえた。そんなにディナー行きたいのだろうか。いいもの出してくれるなら私は行ってもいいのだけど。
「ディナーはだめだ」
雇い主がだめだというので行けないようだ。
「で、わかったか?」
「なにが?」
「エイベルの様子を見て、お前は自分が嫌われていると思ったか?」
「いや……どちらかというと好かれてる?」
たぶん、間違いではないと思う。そうでなければ、あんなに必死に謝ってこないだろう。
「お前との婚約は、お前に付きまとっている噂話が悩み物だったが、状況がいい方向に変わったぞ」
「どういうこと?」
エイベルの反応を見るに、悪い方向にはいっていないのは私にもわかった。しかし、なにがどうしてそうなったのだろう。
「人間は、思ったより感情で動くものだ」
「……うん?」
「自分が恵まれた環境にいる貴族ほど、哀れな環境からのし上がった娘の話は感動話になる」
「……うん?」
ナディルはニヤリと笑う。
「お前には前から玉の輿に乗ろうとしている噂はあったが、なぜそうなったのかまでの過程は噂になっていない。ただの金の亡者だ、男好きだと言われていただけだ。さて、その噂に、今度はそうならざるをえなかった過程がつくようになった」
過程、と言われ、目を瞬いた。それって、まさか――
「男好きと言われたブリアナ嬢は、親の借金を返すために努力する親思いの娘で、見た目だけで判断していたが、未だ純潔を守る、立派な女性だと」
「きゃー! いやー!」
私が処女だという話が広まっている。いや事実だけど! 事実だけどそんなの広めることじゃない!
「おかげでお前の評価は一気に逆転した。よかったな」
「びっくりするぐらい喜べない!」
恥ずかしすぎる!
「おかげで俺も、過酷な環境のお前を救い出したヒーロー扱いだ」
「うわぁ、みんな騙されてる……」
「ついでに幼い頃出会っているから、長年の純愛だとも言われてるぞ」
純愛という言葉がこれほど似合わない男にそんな評価がつくなんて。
「今後はみんなお前に優しくしてくれるぞ」
「うぅ……もうどこにも行きたくない……」
「じゃあ借金はそのままだな」
悪魔だ。
「行くわよ! 行けばいいんでしょう!」
「よし、じゃあ今から行くぞ」
え、そんなすぐに?
「待って私今泣いたおかげですごく不細工で」
「ああ、最高に不細工だな」
「ぶん殴っていい?」
「俺の顔に殴られた跡がついたら今度はバイオレンスな女だと噂されるな」
せっかく恥ずかしい思いをして上げた評判を下げることはない。私は振り上げた腕を降ろした。
「安心しろ。今度はパーティーじゃない」
「じゃあ何?」
未だ泣きすぎでしぱしぱする目をこする。ナディルは楽しそうに笑った。
「視察に行く」




