主は少々小うるさい
「それは何だ……?」
帰ってきたナディルをお出迎えし、荷物を手渡されながら、自室についていく。今朝と同じように、さあ着替えさせろと指示する男の前で、それをつけた。
「サングラスってやつ。これなら少し暗く見えるし、そっちから私の目もはっきり見えないでしょう!」
いい解決策だと私は自分を褒めたたえている。これがあれば裸を見ても今朝ほど恥ずかしくないはずだ。
ちなみにこのサングラス。貴族の方々に売りつけようとしたが失敗したものである。貴族は自分に自信があるため、顔を隠すようなものはいらないとのことだった。
在庫を余らせるわけにもいかないので、消費者ターゲットを変えて、庶民向けに少し改良した。直射日光の場所で働く人を対象にしたらまあまあな売り上げになった。
「却下だ」
ナディルは苛立ちを隠しもせず、私がつけていたサングラスを奪い取った。
「あー! 何するのよ!」
「今後これをするのは禁止だ」
「どうしてよ! 仕事をスムーズにするために必要なのに!」
私の主張をナディルは一蹴した。
「俺はお前に仕事のスムーズさは求めていない。慌てふためく姿を見たいだけだ」
「あ、悪趣味!」
「どうとでも言え。ほら、着替えを手伝え」
「う、ううぅ……」
自分の手の届かないところに仕舞われてしまったサングラスを名残惜しい気持ちで見つめても手元に戻ってくることはない。
渋々あきらめ、ナディルの服を脱がせていく。
今朝一回やっているもの。大丈夫よ。男の上半身なんて恥ずかしくともなんともないわ!
自分の心に言い聞かすが、それと反比例して顔は赤みを増していく。
ダメだわ、一日二日で慣れるものじゃないわ……。
震える指にほとほと困りながら、ナディルを見ると嬉しそうに口の端が上がっている。悪趣味! 本当に悪趣味!
「ほ、ほら、ボタン外したから腕動かして!」
「優しくしろよ」
「変な言い方しないでくれる!?」
明らかにこちらをからかう言い方だ。怒る私をナディルは楽しそうに見ている。
相手にしているだけ無駄だ。私はナディルの着ている服を手早く脱がせる。
「ほら、脱がせたから、今度はこれに腕通して」
「今朝より動きがスムーズだな。つまらん」
「仕事というのは回数を重ねるたびに効率よくできるものなのよ!」
恥ずかしがってはいるが、今朝ほど取り乱していない私にナディルは多少不満そうだ。
「俺はお前が取り乱している姿を見たい」
「そのセリフ、誤解を招くから余所で言わないほうがいいわよ」
スーツを脱がせ、部屋着のシャツのボタンをとめていると、今朝と同じように扉が開いた。
「今卑猥な言葉が聞こえた!」
「ほら誤解を受けている!」
前回と同じように扉をノックせずに入ってきた若執事。ナディルは不快そうに眉をピクリと動かした。
「ベン、ノックをしろ」
「すみません! だって坊ちゃんの貴重なラブシーンが見れるかと思って」
「ベン!」
「すみませんすみません!」
一言も二言もしゃべる若執事に、ナディルは苛立ちを露わにする。そして本人から自己紹介される前に名前を知ってしまった。というか、自己紹介もしていなかったわ!
他の下働きの人たちには挨拶をしたが、この執事は朝に別れたあとから会えなかったので、まだできていない。
私は若執事に、すっと手を差し出した。
「挨拶が遅れたけど、私はブリアナ。一応男爵家の娘よ。しばらくナディルのメイドとして働くから、よろしくね」
「ブリアナさんですね! 俺はベン! よろしくお願いします!」
にかっ、と若者らしい爽やかな笑顔を浮かべてベンが握手してくる。ナディルにはこの無邪気さが足りない。
ほっこりしながら握手を交わしていると、上から手刀が入った。
自然と手が離れる。
「…………」
「…………」
「…………」
呆然とナディルを眺める私とベンに対して、なぜかナディルも黙り込んだ。なにやら考えるそぶりを浮かべながら、咳ばらいをひとつする。
「未婚の女が気安く若い男と手を繋ぐな」
暴論である。
「……手を繋ぐなって……ただの握手よ……?」
「不必要なときにするな」
「挨拶に握手は必要だと思うのだけれど」
「するな」
「わかったわよ!」
本当はまったくわかっていないが、とりあえずそう言うとナディルは納得したようだ。その様子を見ていたベンは、うんうんと何やら頷いている。
「ブリアナさん、やっぱり坊ちゃんのコレですね!」
「違うって言ってるでしょうが!」