偽物の婚約者になりました
誤字脱字報告とても助かります。ありがとうございます。
ただの夜会のパートナーのはずだったのに、一夜にして私はナディル・ドルマンの婚約者として知れ渡ってしまった。
「どういうことよ!」
バンッとテーブルを強く叩くも、ナディルは動じない。
ここは夜会後連れてこられた王都の公爵邸だ。私の住んでいる男爵家の家より何倍も大きな敷地と豪華さを誇るそこで、私とナディルは対峙していた。
「どういうことと言われても、初めに言っただろう。身を固めろと周りがうるさいと」
「でも夜会の代役だって……!」
「そんなことは一言も言っていないが?」
確かにはっきりそう言われていないので、言葉に詰まった。なるほど、つまり私は騙されたわけだ。
「卑怯者……」
「何とでも言えばいい」
涼しい顔をしている男の顔を殴りたい。でもそれを何とか堪えた。
「あくまで振りだ。仮の婚約者として大事にしてやる」
人の悪い笑みで笑われても、安心できない。
「だから、私はそんな茶番に付き合っている暇はないの!」
文字通りの独身貴族の遊びに付き合っていたらこちらが婚期を逃す。そして家は没落する。
「お前にとっても悪い話じゃないぞ」
ナディルはこちらの考えなどお見通しだというように、鼻で笑った。
「報酬はやると言っただろう」
夜会に参加する前に確かに付き合えば報酬をくれると約束した。
「お前の実家の借金、全額返済してやる」
私は驚きで目を見開いた。
借金のことは知られているだろうと思ったが、それを全額返済?
「あ、あんた……私の借金いくらかわかってるの……?」
「六千万リールだろ? 少々手痛いが、まあどうにかできない額ではない」
ナディルは肩をすくめた。
「というか、どうやったらこんなに借金こさえるんだ?」
「お、お父様は人がいいのよ!」
人が良すぎてあっさり騙されてしまう人だ。でも大好きな父だ。馬鹿にしないでほしい。
どうにかできない額ではないというが、平民が一生働いても十分の一も返せない金額だ。そんな大金をあっさり返済してくれるという。
「そんな……割に合わないでしょう?」
「それは俺が決めることだ」
ばっさり言い捨てられる。
「俺は金を出す代わりに、お前を婚約者にする。お前は没落しかけている実家を守れる。みんな利害が一致している。文句あるか?」
ない。まったくない。こちらとしてはありがたすぎるぐらいだ。ただ、ナディルがそこまでして、得をしているようにも思えない。
じっと見つめるも、これは彼にとって決定事項らしい。そこから無視を決め込まれた。
「ありがとう……」
どことなく納得はできないも、こちらとしてはありがたい。礼を述べるとナディルは満足そうな顔をした。
「でも、私を仮の婚約者にするとしたら、あんたもしばらく結婚できないけどいいの?」
私が訪ねると、ナディルは当たり前のことを聞くなとばかりに眉を顰めた。
「まだ結婚はしない」
言って視線を逸らされた。
「時期じゃないからな」
もうしばらく独身貴族でいたいということだろうか。
私のほうは今まさに結婚適齢期なので、もしこの仮婚約を解消されても、結婚は難しいかもしれない。
でもやっぱり、没落しないことが一番大事だ。
ごめんなさい、お父様お母様、私の生んだ孫は見せてあげられないかもしれないけど、でも、その場合養子取るから! 育ての孫は作れるから!
「ああ、それと、レティシアに優秀な侍女を一人取られて、今我が家は人手が足りない」
何がどうしたら、それと、と話が繋がるのだろうか。
「へえ、そうなの?」
「その侍女は優秀でな。レティシアの身の回りのことだけでなく、掃除などの、メイドの仕事も担っていたんだ」
あ、オチが読めた。
「ごめんなさい、両親が心配するからそろそろ帰らないと……」
席を外そうと立ち上がろうとするも、腕を引かれて椅子に戻った。ああ、お願い。口を開かないで!
「お前、実家では、メイドの仕事もしてるんだってな?」
「どうしてそれを……」
「仮にも婚約者にする相手のことは調べている」
私はあんたのこと大して知らないのだけど……。
勝手に調べられていることにもイラっとしながら、言葉を待った。
「メイド、やるよな?」
「やりませんけど?」
ぐっ、と握られた腕に力が入れられる。
「や、る、よ、な?」
「い、や、で、す!」
腕を引き抜こうと頑張るも全然力を緩めない。こいつ、仮にも乙女の腕を何て力で握ってるのよ!
「やらないってば! 婚約者はやるんだからそれでいいでしょ!」
「いいわけあるか。それだけじゃ、お前が言った通り、割に合わない」
やっぱりただ婚約者役やるだけでは割に合わないと思われていたんだ!
「婚約者をしている間、うちでメイドをやるということも込みでの肩代わりだ。それが嫌ならやめるか?」
「う……」
やめられるはずがない。
私は渋々椅子に座り直し、人生で最も低い声で、「やります」と答えた。