日本の神はこうして死んだ。
息が出来ず、どっちが上か下かもわからず、目を開けているのに暗闇しか見えない。
「ぐは! はぁ―はぁ―」
急に息ができるようになったと思ったら視界にも色が付き、足が地面についているいつもの感覚を感じることができる。
「……ここは?」
何度か大きく呼吸をしてようやく息を整えた魔王は周りを見渡す。
綺麗な部屋だ。 物は整頓され埃一つない部屋、そして周りにある見たことのない数々の調度品が魔王のいた世界ではないことを示していた。
「ここがアーロンの世界……勇者が生まれた世界とゆうわけか」
魔王は冷静にそう判断する。
夢の中ではない。 死後の世界でもない。
余は生きていてここは新世界だ。
「まずは情報を……ん? なんだお前は、何者だ? アーロンの手下か?」
部屋を見渡していると隅に体を丸めている存在を見つけた魔王は警戒しつつ近づく。 着ている物は汚れが染みつききたならしく、離れていても悪臭が流れてくる。
「誰だと聞いているのだ! 答えよ! ……死んでいるのか?」
部屋の隅にいる人間ははぴくりとも動かず死んでいるようにも見える。 それを確認するために歩み寄るが、その時鏡に映った自分の姿を魔王は見て叫ぶ。
「な、何だこれは!」
写っている姿が自分のことだと理解した魔王は鏡を揺さぶり何度も子供の姿になっている自分を見る。
鏡が幻を見せているわけではない、視線は低いし手や体も小さくなっていることは自分の目で見ても確認できる。
「やってくれるではないかアーロン。 余の体を幼くして召喚するとは。 やはり遊ぶ気なのだなまた、余を使い」
自分が幼い姿になっていることに驚きはしたが理解するのに時間は掛からなかった。 魔法を使えば体の成長を止めていつまでも若く体を保つことが出来るし、逆に成長を早めたり体を幼くさせたりする魔法も存在する。 それらの術をあの神が使えても不思議ではない。
「魔王様」
「ん?」
幼くなった自分の姿を確認していると声が聞こえた。 部屋の隅に目をやるが汚いあれはさっきと同じで動く気配はない。 ならば声はどこから聞こえるのか。
「こちらです魔王様」
今度はちゃんと声のしたほうを確信して首を動かす。 すぐ横にテーブルがあり声はそこからしていた。 子供の姿になった魔王ではは身長が足りないので仕方なく近くになった椅子を足場にしてテーブルの上を確認する。
「ここです魔王様」
テーブルの上に置かれているのは袋に入ったパンと薄く長方形の形をした物体だけであり、その物体が声を発しているのだろうと考え魔王はそれを手にとった。
「私はユウリン。 これから私が魔王様をお手伝いします」
自分の声を遠くに届ける道具は魔王の世界にも存在していたので、手に持っている四角いそれがその道具だと理解できた。
「ここはアーロンが準備した魔王様の家になります。 そこにいる少女は魔王様の奴隷として呼ばれた者です」
「……お前は誰だ?」
「私はユウリン。 魔王様の手助けをするためにここにいます」
「何が手伝いだ。 貴様はアーロンの手下なのだろう? だったら余の監視をするのが目的――」
「アーロンは死にました」
平坦で感情の起伏がない声で伝えられた内容に魔王は目を細めてユウリンを睨む。
「アーロンは神のルールを破りました。 なのでその罰を受けて死んだのです」
「誰が殺した?」
「私です」
「……お前は何者だ」
「私はユウリン。 魔王様の手助けを――」
「そうではない、余が聞きたいのはお前の存在が何者かと聞いている。 お前はなぜ余の手伝いをする?」
今まで間をおかず答えていたユウリンが僅かに口ごもり答える。
「私はユウリン。 神が罪を犯した時に罰を下す存在です。 アーロンは罪を犯したので私が罰しました。 そしてその罰の清算をするために魔王様の手伝いをするのです」
「……余は神の世界について知らないのでな。 そっちの事情など信じられるわけがない、それはつまりお前の言っていることを信用しないとゆうことだ。 アーロンがお前の背後にいて余を操ろうとしているのかもしれないしな」
「……どうすれば信用してもらえるのでしょうか?」
「アーロンを殺したとゆうならその死体をここに出せ。 そうすれば信じてやる」
魔王の言った言葉にユウリンが戸惑っているのを感じる。
すぐに答えが返ってこないと察した魔王は椅子に座り腕を組んで今までのことを整理し始めた。
魔王である自分は勇者に殺された。
その後神々のいるエデンで魔王達のいる世界での神であるミユ・ユズハに出会い、勇者を送り込んだ元凶の別世界の神アーロンと会敵した。
結果、魔王はアーロンに指一本触れることできず破れアーロンの世界に転移される。
重要なのはここだ。 この世界はアーロンが神として支配する世界であり自身はその駒にすぎないとゆうこと。
体が子供の姿になっているのがその証拠だ。
対岸の火事を見るのが好きだと言っている奴が自分の世界が滅茶苦茶になるのを見過ごすはずがない。
魔王が何かしら大きなことをしようとすれば絶対に邪魔をしてくるはずだ。 そして自分の都合のよいように世界を動かすに違いない、魔王の世界の時のように。
つまり、アーロンがいる限り魔王は自由に行動が出来ないとゆうことだ。
アーロンの退屈をしのぐ駒になるくらいなら自ら首を切ることを魔王は選ぶ。
だがもしもアーロンが本当に殺されたなら、この世界で自由に生きられるなら、魔王は自分の力を使い好きなようにする。
体は子供だが魔力は前の世界にいた時と変わらず感じられる。 むしろ前よりも密度お高い魔力が体を巡っているようだ。
「わかりました。 そちらにアーロンを転移させます」
ユウリンの返答と同時にアーロンは表れたが――それはひどく変わり果てていた。
顔色は薄青く、全身から汗が吹き出し、何かに貫かれたように服には穴が開いていて体の中心には大きくて丸く赤いあざがある。
ひどい状態だが生きてはいる。
「殺したのではなかったのか?」
アーロン。
神を名乗り魔王の世界を壊した元凶。
少し前まで殺そうとして相手が目の前で無防備に倒れている。
「力を奪い体に毒を埋め込みました。 助かる術はありません。 そこにいるのは本体と切り離したアーロンの精神を具現化した存在です」
「こいつを殺せば本体も死ぬかの?」
「精神は死にます。 体はエデンで生き続けますが」
「殺せるのなら、それでいい」
魔王はアーロンを見下ろし片足で踏みつける。
「苦しいのか? 余が誰だか分かるか?」
馬乗りになり手を伸ばし、息苦しそうにしている首に手をかけた。
エデンにいた時のように見えない壁で防がることもなく魔王の手は神に触れることができる。 激しく動いている脈と気道の感触で魔王は確信した。 神も人と同じように殺すことができるのだと。
「今どんな気持ちだ? 死を直面して何を思う? こんな状況でも楽しむ方法を考えているのか?」
両手でしっかりとアーロンの首を掴み、ゆっくりと力を加えていく魔王。 子供の姿になり力が弱くっているが何の抵抗もしない人間を絞め殺すくらいの力はあるらしい。
アーロンの表情が苦しそうに歪んでいく。
「貴様は神だからな、ここで殺してもなんらかの力を使い吾輩に復讐することがあるかもしれない、その時になったら教えてくれ。 地獄がどんな所だったのかをな」
絞める。 絞める。 絞める。 絞める。 絞める。
口から涎を垂らし何かを言っているようにも見えるが魔王はさらにアーロンの首を絞める。
絞める。 絞める。 絞める。 絞める 絞める。
そして――強く脈打っていていたのが――止まった。
「……最後はなにも言えず死んだか。 あっけないものだなアーロン。 ……こんな程度で終わるのか?」
アーロンは死んだ。
こんな簡単に死んでしまった。
魔王の拳が死体になったアーロンの顔に振り落とされ鈍い音を出す。
「本当に! 終わりかぁ! 吾輩の国を滅ぼした元凶がこんな簡単に死ぬのか!」
何度も何度も拳を振り下ろす。
「死ぬな死ぬな死ぬな!」
国は滅ぼされ、愛した妻は無残な姿で死に、息子は喰われて死んだ。 その怒りがこんなことで消えるはずがない。 もっとだ! もっと!
「があああああああああああああああああああああ!」
思い出される悲しみ。
こみ上げてくる怒り。
それらをぶつけるように魔王はただひたすらに殴り続けたのだった。