異世界定番の奴隷解放で好感度上がるイベントの現代版はきっとこんな感じ。
「ここから出ないで待ってなさい。 いいわね?」
この言葉は母が私の名前を呼んだ回数よりも多かった。 物心ついたときから部屋の片隅から私は動いたことがない。
床に張られているガムテープの囲いが私の世界。
用を足す時も、食事も、寝るときもずっとこの囲いの中だった。
母は日中は寝ていて夜仕事出ていていきたまに男を連れて帰ってくる。 私の父親はここにきた男の誰かだと聞かされたことがある。
部屋の中は汚く臭い。
気休めに置いている消臭剤は乱雑に置かれみんな空っぽ、たまに掃除する母親が少女のことに気づいてようやく食事を与えられる。 食事といっても母親が食べ残した物や捨ててなかったカップ麺の汁などであり、当然そんな食事とも言えない物しか口にしてない少女の体は痩せ干せていた。
ガムテープで囲われた少女の世界にあるのはボロボロの毛布と母親が気まぐれに買ってきた小さなクマのぬいぐるみだけ。 ずっと同じ服を着ていて、髪もずっと切ってない。
この小さな世界で少女が出来るのはじっとしていることだけ。
声を出せば静かにしなさいと殴られるから音を出さず過ごしている。
母の機嫌が悪い時に視界に入れば殴られるから毛布にくるまり膝を抱えて過ごす。
毎日じっとしているだけでなんの変化もない日々が少女の日常だった。 ――あの声が聞こえるまでは。
「やや! いい感じの子がいるね! ねぇ君。 魔王の世話係りにならないかい?」
どこからか声がして少女は被っていた毛布を外して部屋を見渡す。 母は仕事に出かけて今は誰もいない、いつも通りの汚い部屋なのだが――
「探しても無駄だよ。 君は僕の姿を見ることはできないんだ」
確かに声は聞こえるが姿は見えない。
「いなくなっても誰も気づかない。 誰も悲しまない。 そんな子供を探していたんだよ僕は」
「だれ……ですか?」
久しぶりに出す少女の声は自分でも驚くほどはっきりと発せられた。
「よしよちゃんと言葉が話せるようだね、文字は読めるかい?」
「……ひらがなは、よめます」
「いいねいいね、グットだよ。 僕はこの世界の神様で君は僕に買われんだ。 母親とはもう話がついてるから大丈夫だよ」
突然のことで話が理解できず首を傾げていると部屋のドアが勢いよく開いた。 母が息を切らせて入ってくると隅にいた私を持ちあげて叫ぶ。
「この子を売るわ! さぁ早くお金を頂戴!」
少女が母親に触れたのは久しぶりだった、こんなに真剣な顔で見つめられたのは初めてだった。
久しぶりに見る母親の顔は厚く化粧が塗られ、口元はひどくいびつな笑みを作っている。 こんなに嬉しそうな母を初めて見た少女はつられて笑みを作り手を伸ばして母の顔に触れようとして――意識を失った。
――――
視界がぐにゃりと歪んだと思ったら少女は違う場所にいた。 異臭を放つゴミ袋、乱雑に置かれた雑貨、飲み捨てられた空き缶。 さっきまであった物がすべてなくなったとても綺麗な部屋の中にいる。
「彼が来るまでここで待っててくれるかな? たぶん明日くらいには連れてこれると思うから。 じゃあね」
姿の見えない声の主はそう言うとどこかにいったようだった。
ポツンと一人置いてきぼりになった少女は周りを見渡す。 大きなテレビに綺麗なイスとテーブル。 透き通るようなガラスの向こうにはベランだがあり植木鉢が置かれていた。
さっきまで自分がいた世界とまるで違う世界。
そしてほんの少し前にした短いやり取りを思い出す。
「うられたんだ」
母の言葉に対してショックはなかった。
「お前はもう少し成長したら売られるんだよ。 売られた先で子供を孕んで、子供を産んで、その子供を売る。 そうやってみんな生きていくんだよ」
母自身に向けての言葉だったのか。
少女に向けての言葉だったのかはわからない。
だけど母はそれを口癖のように言っていた。
だからこれはいつか起きることだったのだと理解できていた。
――ああ……おなかすいたな。
不意に腹の虫がなる。
「……ぱん」
綺麗なテーブルの上に袋に入ったパンが置かれているのを見つけて、少女はそれに近づこうとしたが――近づけなかった。
物理的な壁があるわけではない。 あと数歩も歩き椅子を登ればばパンに手が届くが、体が動かない。
自分でも不思議に感じながら視線は下を向き――納得した。 あったのは何の変哲もないカーペットの端。 後ろにはベランダ、前にはカーペットが敷かれている居間。 そのカーペットの端の線が少女を動けなくさせていた。
「ここで待っててね」
姿の見えない神がなんの意図もなくいった言葉。 それが少女を縛る。
フローリングとカーペットの間にある僅かな隙間が少女の魂を捕える。
「ここからでないでじっとしてなさい」
母の言葉と神の言葉が重なる。 もはや体に染みついている習性。 少女はここから先には行けない。 目の前にパンがあっても水があっても進めない。
結局はいつもと同じ。 綺麗な部屋に来たとしても少女のすることは変わらない。 囲いの中でじっとしてるだけだ。
それを理解した少女に絶望はなかった。 もう慣れてしまったから。 空腹にも痛みにも一人なことも。
そして。
「なんだお前は。 何者だ? アーロンの手下か?」
少女の世界はこの言葉と共に大きな変化を迎えることになる。
とりあえずの投降です