第8話「ミュゼル嬢」
よもや一夜明ければ、クロエは自らの発言など綺麗さっぱり忘れてしまっているのではないか?
そんな淡い期待を抱きながら、その夜は床に就き。
アルシーナの夜泣きに叩き起こされ、床に就き、叩き起こされ――そして翌朝。
(結局家を追い出されてしまった……)
案の定と言えば案の定。
朝、いつも通り働きに出るグルカスを見送って、さあアルシーナの監視に戻ろうとしたところ、まんまとクロエに捕まってしまった。
そして問答無用で家を叩き出され、今に至る。
今日も空は、憎たらしいぐらいの晴天だ。
「――妹が可愛くて仕方ないのは分かる、当然分かる」
途方に暮れる俺を見下ろして、何を勘違いしたのかグルカスが言った。
「アルシーナが生まれた時に俺は思ったね、“ああやべえ、クロエが間違って天使を産んじまった”――なんてさ、そんぐらい可愛い! ウチのアルシーナは天使だ!」
まるで神様に感謝でもするかのように、両手を合わせて天に祈るグルカス。
俺はそんなヤツの横顔を見つめながら――内心ハラワタが煮えくり返るような心地であった。
天使、天使だと!? 違うあれは悪魔だ!
空腹とあらば泣き、排泄しては泣き、なにがなくとも泣く!
朝も夜もこちらの都合も関係なしに!
「まぁ、そんな天使と離れたくない気持ちも分かる……でも、アルシーナとばかり遊ぶのは駄目だ、同年代の友達も作らなくっちゃな」
瞬間、俺の顔に貼りついたぎこちない作り笑いが、すんと消えた。
「いいこと言うなぁ、俺」満足げに頷くグルカスは気付いていない。
その横顔に、殺意100%の視線が向けられていることに。
グルカス……愚かな、本当に愚かな男だ……
こともあろうにお前は今、子守りのことを“遊び”と言ったのか……?
お前はいったい何度アルシーナのおしめを替えてやったことがある?
その無精髭だらけの面を、赤ん坊の柔肌へ無遠慮にこすりつけ、夜ぐーすか眠るだけのソレを子守りと呼ぶのなら、まったくの見当違いだ。
グルカス……おしめの交換方法さえ知らぬ愚かな男よ……
今は生かしておいてやるが、その時が来たら覚悟しておけ……
「ま、ルードはしっかりしてるし、友達だってすぐできるさ!」
しかし、こちらの殺気などいざ知らず。
能天気なグルカスは最後にそれだけ言い残して、ぴいぴいと下手な口笛を吹きながら仕事へ向かっていった。
「……グルカス、今夜お前の枕元に爆音コオロギのマツリバヤシを仕込んでおいてやる……夜中に飛び起きて俺の苦労の千分の一でも味わうがいい……」
彼の憎たらしい背中に捨て台詞を吐きかけると、俺はゆっくりと歩き出した。
しかし行くアテはない。
(さて、これからどうしたものか……)
ううんと頭をひねる。
……本当に面倒なことになってしまったものだ。
俺の任務は、あくまで次なる勇者アルシーナの監視と保護。
しかし家を追い出されてしまった以上、任務の続行は不可能……要するに手持ち無沙汰というやつである。
では、どのようにして時間を潰すか……
(間違っても人間の子どもらに混ざって遊ぶなんて御免だ……どこかの木陰にでも隠れて日が暮れるまで虫たちを休ませるか? それともラカム周辺の虫たちに挨拶がてら森へ……)
などと考えていた、その矢先のことである。
「――あら、あらあらあら、こんなところで会うなんて、めずらしいじゃない、ルード」
背後から、なにやら聞き覚えのある声。
瞬間、俺の表情はこわばって、全身の虫たちが警鐘を鳴らす。
ああこの声は……
「……これはこれはミュゼル嬢、ご機嫌麗しゅう」
振り返りざまに皮肉たっぷり、丁寧すぎる挨拶を返す。
しかしこちらの意図は伝わらなかったらしく、彼女はきわめて満足げに小さな胸を張って。
「ふふん、レディへのあつかいがうまいじゃない、気にいったわ」
彼女は、てとてととこちらへ歩み寄ってきて、その小さな手のひらに握り込んだ何かを差し出してくる。
……チップでもくれるのだろうか?
そう思って受け取ったら、ただの木の実であった。
「……まことに光栄でございます、ミュゼル嬢」
「うふふ、よきにはからいなさい」
彼女は羽うちわでも仰いでいるつもりなのか、その小さな手のひらをぱたぱたとやっている。
……実を言うと、俺が家の外へ出たのは、これが初めてではない。
俺が村へやってきてからの三週間、グルカスの仕事の手伝いや村民への挨拶回りという名目で、ちょくちょく家を連れ出されてはいたのだ。
彼女――ミュゼルもまた、その中で出会った村民の一人である。
村長の娘ミュゼル、確か今年で七歳だったはず。
ゆるりカールした金髪と、透き通るような蒼い瞳。
長い睫毛に、幼いながらもしっかりと通った鼻筋は、彼女の性格がそのままあらわれているようだ。
さてその性格とは高飛車で自信家、加えてワガママ。
誰に対してもツンケンしているが、なんといっても顔がいいので、子どもながらモテる。
しかし当の本人「あなたたちみたいなお子さまにきょーみないわ」とばっさり切り捨てる。
そんな彼女が、どうして事あるごとに俺に絡んでくるのかは、未だ謎である。
「ところで、こんなところで何をしているのかしら」
大人ぶりたい年頃なのだろう。
彼女は髪をふぁさりとなびかせて尋ねてくる。
いまさら言うまでもないことだろうが、俺はミュゼルが苦手である。
「……散歩、ですよ、春光が心地よかったもので」
「しゅ、しゅんこ……?」
首を傾げるミュゼル。
いかに大人ぶっていても、しょせんは七歳児である。
「と、とにかくさんぽ、ね、いいじゃない、スマートだわ」
ふぁさりと髪をなびかせて誤魔化すミュゼル。
散歩がスマートかどうかはともかく、俺は踵を返して。
「そういうことです、では……」
「ええ、どこに行くの?」
……おかしいな。
俺は今、彼女との会話を適当に切り上げて、この場を後にしようとしたのだが……
嫌な予感がして振り返ると、背後にぴったりとミュゼルがくっついていた。
そればかりか、彼女はさも当然のように
「あたし、お昼までには帰りたいわ、おうちに昨日ののこりのシチューがあるの」
などとのたまっている。
「……まさかついてくるおつもりで?」
「? おかしなことを聞くのね、ついていくにきまってるじゃない」
何が決まっているのか!
いっそ怒鳴り散らして追い返してやろうとしたところ、彼女ははっと何かに気付いたようなそぶりを見せた。
……思い直してくれたのか?
一瞬そんな希望的観測が頭をよぎったが。
「ていちょーにエスコートするのね、なんてったってあたし、レディですもの」
何故か誇らしげに、その手を差し伸べてくる彼女を見たら、怒鳴る気力もすっかり失せてしまった。
「……光栄ですミュゼル嬢、ええ、ホントに……」
溜息を押し殺して、差し出された手を取る。
すると、どうしてかミュゼルは見る見るうちに、顔を赤らめていって――
「や、やっぱりふつうに歩くわ! ほらいくわよ!」
ぴしりと手を払いのけ、勝手に先へ進んでいってしまった。
俺は彼女に聞こえないよう深い溜息を吐いてから歩き出し、すぐに彼女に追いつく。
「ミュゼル嬢、お言葉ですが」
「な、なによ! べつにはずかしがったわけじゃないんだから!」
「いえ、そうじゃなく、私が向かう場所は東の森ですよ、方向が違います」
「東の森ですって!?」
彼女はぴたりと歩みを止めて、こちらを見た。
「あそこはおばけがでるのよ!? ぼくしさまだって言ってたじゃない! あぶないわよ!」
「そんな、お化けなんて……」
バカバカしい――そう答えようとしたところ、ふと妙案が思いつく。
「……ええ、確かに、牧師様も言っていましたね、危険だから子どもだけで入ってはいけないと」
「そうよ! もっとあぶなくないところにしましょう! たとえばむこうのお花ばたけとか……!」
「――しかし申し訳ありませんミュゼル嬢、私はどうしても東の森へ行きたいので、一人で向かいます」
「え、ええっ!?」
仰天するミュゼルを尻目に、俺はつかつかと歩を進める。
「おこられちゃうわよ!?」
「バレなければ問題ないですよ」
「あ、あなたいがいとわるい子なのね……!?」
慌てて追いかけてくるミュゼル、しかし俺はこれを意にも介さない。
ふふん、どうだ、多少強引だがこれでよし。
恐ろしかったら帰るといい、愚かなミュゼルよ。
……しかし、俺はすっかり失念してしまっていた。
彼女は高飛車で自信家で、加えてワガママ――さらに加えて、負けず嫌いなのである。
「い、いくわよ! つれていきなさいよ!」
とうとう、彼女に追い越される。
俺は彼女の背中を見つめながら、げんなりしつつ、思った。
……なんだか最近の俺はやること為すこと、全て裏目に出ている気がする……
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