第7話「泣く子もあやす四天王」
「る、ルードぉぉぉ……! すまんが薪割りを手伝ってくれ! こ、腰を、腰をやっちまった……!」
誤算だった。
「ルード、今日は大勇者ルグルスの御伽噺を聞かせてあげましょう、さあこっちへ来なさい」
……誤算だった。
「おおい、ルード! ははは! 晩酌に付き合ってくれよ! ワイルドボアの燻製もあるぞ!」
「グルカス? ルードは子どもなのよ、お酒はまだ早いわ」
「手厳しいなぁクロエ、でもま、ルードが大人になってからの楽しみにとっておくか! あっはっは」
ルード少年は、自らの両親となってしまった両名に、はははと愛想笑いを振りまきながら、心中で絶叫した。
――まったくもって、大誤算だ!
なぁにが大人になってからの楽しみに、だ!
少なくともお前らの数十倍は歳を重ねているのだぞ、俺は!
そしてそのぬるいエールを俺に近付けるなグルカス!
俺の虫たちは発酵食品の類(特にエール)が大の好物なんだ!
エール臭に虫たちが興奮してしまって、身体がむずむずするだろうが――!
などとは、当然言えるはずもなく。
「ええ、僕も楽しみにしていますよ、お父さん」
俺は引きつった笑みを浮かべながら、そう答えるしかないわけだ。
――俺がアルシーナ一家に転がり込んではや三週間が経とうとしていた。
何故、端折るのかって?
そんなの言うまでもない! 何もなかったからに決まっている!
いずれ勇者となる娘、アルシーナは未だ「だー」とか「うー」とかしか言わない赤ん坊であるし。
一方でグルカスとクロエは、まったく驚くべき善良さでもって、どこの馬の骨とも知らない俺を受け容れ、あろうことか実の子のように扱い始めてしまっている!
それはすなわち、四六時中俺がグルカスもしくはクロエの監視下にあるということだ!
これではなんのアクションも起こしようがないし、起こりようもない!
では、この三週間何をやっていたのかと言えば――ああ、信じられるか!? 子守りだ!
俺はこの三週間、クソ真面目にアルシーナの御守りをし続けていたのだ!
魔王軍四天王の一人、泣く子も黙る怪蟲神官ガガルジ様が、こともあろうに――
「ふえっ……ふええええええ……!」
「今度はなんだ!? 腹が空いたのか? それともおしめか!?」
――こともあろうに、泣く子をあやすために走り回っている!!
「うええええええ……ああぁ……!」
「ミルクでもない! おしめも乾いている! あとはなんだ!? 何が足りない!?」
ああでもないこうでもないと独り言ちながら、彼女を抱きかかえ、部屋の中を歩き回る俺。
今まで散々卑怯者と罵られた俺でも、一応のプライドはあるのだ!
こんなのは間違っても俺の役目ではない!
しかしだからと言ってアルシーナに何かあれば――最悪死んでしまったとしたら、俺が魔王様に殺されてしまう!
「――あらルード、また先を越されちゃったわね、アルシーナの泣き声が聞こえて駆け付けると、とっくにあなたがあやし始めてるんですもの」
いつの間にかクロエが背後に立っていた。
どうやら洗濯から戻って来たらしい。
俺は慌てて口調を作って……
「お、お帰りなさいクロエさん」
「ルード? お母さん、でしょ」
ひくりと笑顔が引きつる。
お母さん呼びは未だに慣れない。
いかん、いかん……
「ごめんなさい、お、お母さん……もうお洗濯は終わったのですか?」
「ええ、今日は洗濯日和よ、もうすっかり春ね」
「それは良かったです」
「ルードもたまには外に出て遊んでもいいのよ? 友達だって欲しいでしょう?」
再び、笑顔がひくりと引きつった。
……遊んでいい、だと?
それは、なんだ。
近所の子どもらに交じって野を駆け回ったり、花を摘んだりしろと、そういう話か?
――無理に決まってるだろ! 俺はこれでも今、仕事中なんだ!
「お、お気持ちは嬉しいです、でも、ボクにはアルシーナの面倒を見るっていう、大事な役目が……」
「……ルード、よく聞いて」
こちらが語尾を濁すと、クロエはその場にしゃがみこんで、俺と目線の高さを同じにした。
ぎこちない愛想笑いをする俺、未だ俺の腕の中でぐずるアルシーナ、そして真剣なまなざしのクロエ……
「いーい? まず、あなたがいつもアルシーナの世話をしてくれているおかげで私たちはすごく助かっています」
「お、お役に立てたようでなによりです……」
「でもね、ルード、あなたも間違いなくウチの子なの、アルシーナと同じくね、だから私たちには、あなたにも子どもらしい暮らしを提供する義務があるわ」
クロエは“義務”の部分を強調して、更に続ける。
「――外で遊んで、友達を作りなさい」
「で、でも僕は家の中の方が……」
「だーめ、四六時中家にこもってたら病気になっちゃうでしょ、たまには外でお日様の光を浴びないと」
俺の虫たちは、暗くてじめじめしたところの方がかえって調子が良くなるのだが……!
「ともかく明日から外に出るの、それに、私にだってアルシーナを可愛がる権利があるわ」
今度は“権利”の部分を強調して、ふんす、とどこか誇らしげに鼻を鳴らすクロエ。
……この三週間、常々思っていたのだが、母親というのはその言葉に何か不思議なパワーを宿している。
このパワーを発揮されるともう駄目だ。
いかに論理的な反論を用意していようと、関係なしに……
「分かり……ました……」
その言葉に従うほかなくなってしまうのだから。
「良い子ね、ルードは」
俺の頭に、あかぎれだらけの細く白い手が乗せられる。
俺は思わず顔を伏せた、肩を小刻みに震わせながら。
彼女の気遣いに感動したわけではない、かといってその手の温もりに心を安らがせていたわけではない。
――屈辱で歪んだ顔をクロエに見せるわけにはいかなかったのだ!
しかし純粋なクロエはしっかりと勘違いしてしまったらしく。
「ルード、あなたは自慢の息子よ」
ぎりいっ、と奥歯を噛み締めた。
――ああ魔王様、これは本当に俺がやらなければならない仕事なのですか?
どうか、どうか違うと言ってください。
さもなくば私はあと数日の内に、屈辱のあまり憤死してしまうでしょう……
いつの間にかアルシーナは、俺の腕の中ですうすうと寝息を立てていた。
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