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第5話「卑怯者」


「やれ打つな、蠅が手を擦る足を擦る――」


 俺は自らの手の甲で前足を擦り合わせる二匹の蠅を見やって、どこかで耳にしたその詩を口ずさむ。

 なんでもこの詩は、蠅が前足を擦り合わせる様が人間に命乞いをしているように見えることから作られた詩らしいが……

 うむ、これほどユーモアに富んだ者がいるならば、人間もなかなか捨てたものではない。


「こ、子ども……?」


 赤ん坊を抱えた彼女が言う。

 夫である彼ともども、状況がうまく呑み込めていないようであった。

 そんな中、いよいよ耐え切れなくなったかのように、仮面の死霊術師(ネクロマンサー)、ギルゼバが噴き出した。


「いやはや、何かと思えば……迷い込んだか? なんと間の悪い……不幸な子どもだ」


 ギルゼバがこちらへ向き直り、ゆっくりと歩き出した。

 まるで退屈な作品を鑑賞する偉ぶった評論家のように、後ろ手を組みながら、ゆっくり、ゆっくりと距離を詰めてくる。

 ここで、我に返ったアルシーナ母が叫ぶ。


「――に、逃げてぇっ!! 殺されてしまうわ!!」


 普通ならば男の注意がこちらへ向いている隙に逃げ出すことを考えそうなものだが、彼女はきわめて善良な人間なようで、どこの誰とも知らない俺の身を案じてくれている。

 だが、ギルゼバは俺を逃がすつもりなどなく。

 そして同時に、俺も逃げ出すつもりはなかった。


 とうとう俺の目の前までやって来たギルゼバが、俺の頭上に影を落とす。


「その薄汚い蠅は、君のペットかね?」


「おま、馬鹿、既婚のマダムになんてこと言いやがる」


 まったく信じがたい無神経だ。

 俺は彼女らを慰めるべく「よしよし、傷ついちまったな、あいつ童貞なんだ」と後ろ翅をなぜてやった。


 その時、視界の端でギルゼバの仮面の下の表情が大きく歪む。


「……子どもは嫌いだ、不潔で五月蠅くて、愚かにも身の程をわきまえない」


 ギルゼバが懐から一本のナイフを取り出した。

 「まさかあいつ!?」アルシーナ父がこれから起きる惨劇を予測して、その場を駆けだす。

 しかし到底間に合わない。


「私は几帳面な性格でね、純粋なお楽しみの時間に不純物が混じると、虫唾が走る」


「難儀な性格だな、そうカッカするなよ」


「このクソガキーー!!」


 ギルゼバの構えたナイフがぎらりと輝き、俺の脳天めがけて振り下ろされた。

 こちらへ駆け寄るアルシーナ父の表情が強張る。

 アルシーナ母が悲鳴をあげ、目を伏せる。


 そんな中、俺は――


「だからカッカするなと言ったんだ」


 瞬間、どむん! と鈍い音が響き割った。

 まるで土袋を思い切り地面に叩きつけたような、そんな音。

 からんと音が鳴って、ギルゼバの手から滑り落ちたナイフが、跳ねる。


「えっ……?」


 アルシーナ父がどこか間の抜けた声をあげて、その場に立ち止まった。

 位置関係からして、彼には俺とギルゼバの間に一体何が起こったのか、見えなかったのだろう。


 彼に分かることと言えば、そうだな。

 俺は一切その場から動いていないにも関わらず、突如にしてギルゼバが身体をくの字に折り曲げ、声なき悲鳴をあげ始めたことだけだ。


「あ……がっ……!?」


 ギルゼバがかすれた声で悲鳴をあげながら、ゆっくりと視線を下す。

 彼の腹には、一匹の飛蝗(バッタ)がめり込んでいた。

 俺は目を白黒させる彼に、説明してやる。


「――ムコウヅチ、という虫だ、熱に向かって突っ込む性質があり、非常に硬い外殻と高い跳躍力を持つ、まるで腹に砲弾でも食らったようだろう」


「うぶっ……!?」


「ちなみに今からお前がぶちまけようとしてるのが虫唾だ、勉強になったな」


 ギルゼバは「げばあっ」と仮面の隙間から胃液をぶちまけ、崩れ落ちる。

 アルシーナの父母両名も、言葉を失っていた。

 なんせ突如現れた五歳の少年が、あの恐るべき死霊術師(ネクロマンサー)に膝をつかせてしまったのだから――


「こっ……こここの、クソガキぃぃ……!?」


 ギルゼバが仮面から吐瀉物を滴らせながら、ゆらりと立ち上がる。

 仮面の穴から覗く彼の瞳の中には、憎悪の黒い炎が渦巻いていた。


「ガキの分際で……この私に二度も、薄汚い虫なんぞを……!!」


「お望みなら三度でも四度でもくれてやるが」


「反吐が出るほど、低俗な、クソガキがぁっ!!」


 ギルゼバが腰に提げた剣を、ずろりと引き抜く。

 刃が大きく湾曲した短刀――船乗りが使うような、カトラスと呼ばれる刀剣だ。

 まったく、大人げないやつだ。


「じゃあ俺も」


 俺は背中に手を回して、彼らに見えない位置の――背中を形作る虫たちを操り、俺の体内から一本の刀剣を吐き出させた。

 彼らから見れば、あたかも背中に提げていた刀を抜いたように見えたことだろう。


「なっ……なんだその剣は……?」


 ギルゼバが目を見張る。

 俺の手に握られているのは、深紅に染まった異質の長刀であった。

 その湾曲加減とくればカトラスの比ではなく、いっそ美しい曲線を描いている。

 極めつけは刃の内側に無数に並んだ(のこぎり)刃――


 お察しの通り、これは刀剣ではない。

 Aランク冒険者すら挟み殺す巨大鍬形(クワガタ)、スイギュウ――その大顎の片割れを加工したものである。


「み、見かけ倒しだ! そんなでかい剣が、子どもに振り回せるものかぁっ!」


 ギルゼバが絶叫とともに斬りかかってくる。

 俺はそんな彼の見立てを、言葉でなく太刀筋で否定した。


「よっと」


 ぱきゃあっ、と小気味の良い音が鳴り響く。

 俺の振り上げた刀剣が、彼の手の内からカトラスを弾き飛ばした音だ。

 呆然とする彼の背後で、カトラスが音もなく地面に突き刺さる。


 誰もが、呆けたように言葉を失っていた。

 誰もが、俺という少年に目を奪われていた。


 そんな中、俺は言う。


「……さ、次は何をする?」


「――来い!! 腐れゾンビィッ!!!」


 ギルゼバが叫ぶと、これに応えるように、今までぼーっと佇むだけだった大男が動き出した。

 どすどすと地面を踏み鳴らしながら、一直線にこちらへ向かってくる。

 その迫力はさながら戦車(チャリオット)だ。


「もももも、もう勘弁ならん! 貴様は、貴様はむごたらしく殺すっ! このおぞましいゾンビで、四肢を引きちぎりぶちまけ、犬の餌にしてやる!!」


「まずい! そこのキミ、早く逃げろ!!」


「いやぁぁっ!!」


「――万事! 問題はなしっ!!」


 大男が俺の前に立ちはだかり、その岩石のごとし拳を振り上げる。

 死霊術師(ネクロマンサー)ギルゼバの、勝利を確信した高笑いを聞きながら――しかし俺は一歩もそこを動かなかった。

 動かずに、言った。


「ふぅ……これは三度目だ、カッカするなと言っただろう、仮面はもう十分に温まった(・・・・)ぞ」


「は?」


 まぁ、どのみちもう遅いがな。

 孵化(・・)はすでに始まっている。


 彼の仮面の表面で、何か白いものがうじゃりと蠢いた。

 動き出したそれらは思い思いに仮面の上を這いずり回り、やがて、彼が先ほど吐き出したご馳走にありつくべく、三つの穴を目指す。

 目と、口の穴に――


「お、おい、なんだこの白いのは……! 仮面の、内側に、もぐりこんで……ひっ、まさか、まさかこれは――!」


 ギルゼバが、全身をぶるりと震わせる。

 そうそのまさか、最初の二匹が産みつけておいたのだ。


「――畜生ぉぉぉっ!!! おぞましいウジ虫(・・・)どもが私の顔にぃぃっ!!」


 ギルゼバは憑りつかれたように絶叫。

 即座に仮面を投げ捨て、犬のようにぶるぶると顔を振ったり、顔中を血が出るまで掻き毟ったり、たいへんな騒ぎである。


「これでようやく素顔が見られたわけだが……うむ、あまり感動はないな、平凡な顔だ」


「こぉぉ……の、く、そ、が、きいいいいいい!!」


 怒りのあまりに裏返った声。

 それと同時に大男は高く掲げた拳をとうとう振り下ろし、掴み上げた。

 ――ギルゼバの、身体を。


「なんっ……!? お、おい! ボケが! 私じゃあない!! あのガキだ! 殺すのはあのガキだぞ!? クソ! 離せっ……!」


 ギルゼバが身をよじる。

 しかし大男は相変わらず生気のない表情でギルゼバを見つめるだけ。

 俺は踵を返して、彼らに背中を向ける。


「お、おいこのクソガキ! どこへ行く!? 私のゾンビに何か仕込みやがったのか!? 私をおちょくってる間に……貴様! ただのガキじゃないな!? クソ、この卑怯者め!」


 卑怯者。

 あまりに耳慣れたフレーズに、俺は思わず噴き出してしまう。


「……もう帰れ、命だけは取らないでおいてやる」


「ふざけるな! 私は恐るべき死霊術師(ネクロマンサー)ギルゼバだ! 誰もが私の名を呼ぶことすら恐れる! 禁忌に触れた男だ! おぞましい死霊術(ネクロマンス)の使い手なんだ!!」


「おぞましい死霊術(ネクロマンス)、ね……」


 俺は一度香炉を振りかざし、立ち上る白煙に大男の身体を舐めさせた。

 これを合図に、大男がギルゼバに顔を寄せる。

 そして――ばかりと口を開き、自らの体内に蠢く無数のソレを、彼の前に露わにした。

 詳細を語るのは……あえてよそう。


「……どっちがおぞましい?」


 返事はない。

 見ると、ギルゼバは白目を剥いて、ぶくぶくと泡を噴いていた。


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