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第4話「死霊術師」


 アルシーナの父、グルカスは名うての戦士であった。

 もちろんラカムという田舎村にいっぱしの兵を育てるような環境はないため、こればかりは天から授かった彼の才能である。

 幼くして斧でもってゴブリンを狩り、17の頃には数人の仲間と結託して3m級のワイルド・ボアを仕留めたことさえあった。

 一対一の力比べで彼に敵う者は、少なくともラカムにはいない。


 そんな彼ではあったが――しかし、今回ばかりは分が悪かったと言わざるを得ないだろう。


「くそっ……!」


 ばぎぃんと、激しい金属音を打ち鳴らして護身用の銅剣が叩きつけられる。

 波打つ黒髪を後ろで束ねた山賊の一人は、一瞬よろけたが、すぐに態勢を立て直して下卑た笑みを浮かべた。

 グルカスの表情は命を賭す者のソレだが――彼らは違う。

 その眼は、さながら小虫をいたぶる少年たちのように、嗜虐心に満ちている。


「剣がよォ」


 黒髪を束ねた男――彼らのリーダーらしき男が、にちゃりと口元を歪める。


「まるで蠅が止まるみてえだ、だいぶ息も上がってきたんじゃあねえのかぁ?」


「お前らのような卑劣漢と一緒にするな」


 グルカスはにやりと不敵に笑み、自らの力こぶをぱしんと叩いた。


「――こちとら村一番の力自慢よ、鍛え方が違うぜ」


 グルカスは白い歯を覗かせて言うが、強がりだ。

 本当はもうグルカスも限界である。

 得意の軽口にもいつものキレはない。


 それも当然だ。

 なんせ相手は六人、しかも山賊――殺しのプロである。

 対してワイルド・ボア狩りのグルカスといえど、当然のごとく殺人の経験はない。

 そもそもの経験値が、殺人の覚悟が違いすぎる。


 加えて


「(問題は、後ろに控えているあの男だ)」


 グルカスはちらと山賊たちの後方、岩の一つに腰かける仮面の男を見やった。

 彼は戦闘に参加しようとせず、仮面に空いた二つの穴から、ただ無感動にこちらを眺めている。

 明らかに異質、おそらくは山賊どもの雇った用心棒か何かだろう。


「(用心深いことだな……山賊だけならかろうじてクロエの逃げる時間ぐらいは稼げたかもしれないが……いや、どちらにせよもう無理か)」


 グルカスは山賊たちの一挙一投足に警戒しながら、彼女らを一瞥した。

 妻クロエは恐慌状態にあり、腕の中の赤ん坊を抱きしめるばかりで、到底逃げ出せるような状態ではない。

 彼女は生来臆病な気質で、それも当然と思えた。

 状況はきわめて絶望的である。


「別によ、取って食おうってわけじゃねえんだ」


 黒髪の男が、生理的嫌悪を催す粘っこい口調で言った。


「ちいとばかし早い子離れだと思えばいいじゃねえか、アンタも奥さんも、それからそこの娘さんも、みーんな別のところで暮らすんだ、アンタは奴隷、奥さんは娼婦、赤ん坊は……うへ、何に使われるかは、知らねえけどよ」


 見え透いた挑発だ、とグルカスは堪える。


「あいにく、ウチの娘を嫁に出すつもりはないんでね、嫁もそうさ、俺は嫉妬深い」


「へっへっへ、束縛は嫌われるぜパパさんよォ」


 山賊たちの下卑た笑い声。

 きっと、彼らもまた長年の勘で確信しているのだ。

 もはやグルカスにはただの一太刀、受け切る余力すら残っていないことを。


「もうやめてグルカス!」


 きっと彼がギリギリのところで踏みとどまっているのは妻のクロエにも伝わっていたのだろう、彼女は涙ながらに訴えた。


「ごめんなさい山賊の皆さん……! 私たちはお金になるものなんて持っていません! 赤ん坊だってまだ生まれてひと月なんです! 見逃してください……! 私ならなんでもしますから……!」


「おぉ?」


 山賊たちが再びにちゃりと口元を歪めて、舐めるような視線をクロエへ向ける。

 クロエは自らの意思と関係なく震えだす身体を無理やり押さえつけて、気丈にも彼らを見返した。


「なんでも」


「なんでもだってよォ」


「そそられるよなァ、人妻っていうのは、いつの時代も……」


 クロエの細身に山賊たちの視線が集中する。

 その時であった。


「うぉらあっ!!」


 一瞬の隙を突いて。

 グルカスは獣のごとし咆哮とともに最後の力を振り絞り、銅剣を投げ放ったのだ。

 勢いよく投げ放たれた銅剣は風さえ貫き、黒髪の男の横っ面に――


「おっと」


 しかし男はすんでのところで身を退いて、銅剣を躱した。

 銅剣は空を切り、男の背後へと消えてゆく。


「ハズレェ、あぶねえなパパさんよ、子どもの前で刃物投げるなんて教育に悪いぜ、へひひ……」


 最後の力を振り絞った攻撃さえいとも容易く躱され、それどころか武器も失った。

 山賊たちはグルカスの絶望に満ちた表情を期待して彼に向き直る――が。

 何故か、グルカスは笑っていた。笑いながら言った。


「……言っただろ、俺は嫉妬深いんだ、なんでもしますなんて俺だって言わせたことねえんだぞ、あと躱してくれてありがとよ」


「は……?」


 ――直後、ぶもおおおおおおおおっ! と大地すら揺るがす本物の咆哮。

 山賊たちはびくりと肩を震わせて、何事か、と咄嗟に辺りを見渡した。

 声の主は地這い竜である。

 後ろ脚に深々と銅剣を食い込ませた地這い竜の、悲痛な叫びである。


「や、野郎!? まさか最初から地這い竜を狙って……!」


 気付いた時には、もう遅い。

 本来温厚な性格の地這い竜だが、腐っても竜のはしくれ。

 その巨体をもって暴れ出したとなれば、山賊の五人や十人、ものの数ではないのだ。


「や、やべえ完全に興奮してやがる!」


「潰されるぞ! 早く離れぶぅっ!?」


 グルカスの狙い通り、痛みに耐えかねた地這い竜が暴れ出し、近くにいた山賊たちに襲い掛かる。

 地這い竜の暴走に、山賊たちは為すすべなく踏みしだかれ、蹴り飛ばされ、一方的に蹂躙されるだけだ。


「クロエ! 今の内だ! 逃げるぞ!」


「あ、あなた……! で、でも腰が……抜けちゃって……!」


「悪い! お姫様抱っこをするには少し疲れすぎた! せめてエスコートしてやるよ!」


 グルカスはクロエに肩を貸して、やっとのこと助け起こす。

 あとはこの混乱に乗じて逃げ出すだけ――のはずだったのだが。


「――万事問題はない」


 おもむろに聞こえる男の声。

 見ると、ついぞ一度も戦闘に参加しなかった仮面の男が、いつの間にか荒れ狂う地這い竜の前に立ちはだかっているではないか。


「(なんだあの男!? 自殺行為だ! 100㎏200㎏の話じゃないんだぞ!? どうやったって地這い竜の巨体は止められない!)」


 去り際、グルカスの思考が巡る。

 ローブの男は微動だにせず、いよいよ地這い竜はその前脚を振り上げて――しかしその脚は振り下ろされなかった。


 何故ならば、地這い竜が殴り飛ばされて(・・・・・・)しまったからだ。

 仮面の男にではない、まるで彼を守るように突如として現れた大男によって――


「なっ!?」


 ばがぁんっ! と凄まじい衝撃音。

 殴り飛ばされた地這い竜は土埃をあげながら地面を滑り、やがて勢いを殺すと、そのままピクリとも動かなくなる。

 信じがたいことに、地這い竜は死んでいた。

 グルカスはその非現実的な光景に、思わず言葉を失う。


 あの大男、素手で地這い竜を殴り殺したのか? それもただの一撃?

 しかしあの巨体、さっきまでの山賊たちが子どもに思えるほど。

 一体どこに隠れて……と、そこまで考えたところで思い至る。

 そうだ、あの仮面の男が腰かけていた大岩――あれは岩ではない、うずくまったあの大男の背中だったのだ、と。


 いや、それよりも驚くべきことが一つ。

 どうしてあの大男は先の衝撃で拳が裂け、手の甲から折れた骨が飛び出しているというのに、悲鳴の一つすらあげないのだ――?


「――それはもちろん彼がすでに死んでいるからだよ」


「っ!?」


 前方から声。

 突然の出来事に思わず飛びのくと、一体いつの間に移動したのか、行く先に例の仮面男が立ちはだかっている。

 仮面にぽっかりとあいた二つの深く黒い穴が、まるで奈落にでも通じているかのように、男の感情は読めない。


「あ、あなた……!」


 男の危険性を感じ取ったのか、クロエはグルカスへ縋りつく。

 グルカスも、本当のことを言えば内心震えていた。


 ――この男、何か分からんがヤバい、格が違う、山賊どもなどとは比べ物にならない――


「……なぞなぞか何かかい? 残念ながら俺は頭が悪い、その言葉のままの意味で捉えちまうぜ」


「抜け目のない男だ、軽口を叩きながら隙を窺っている、いいぞいいぞ……よし」


 仮面の男が、例の大男を呼び寄せる。

 そこで初めてグルカスたちは大男の顔を正面から見据え、そして――


「ひっ――!!?」


 クロエが悲鳴をあげる、グルカスはといえば完全に言葉を失っていた。

 何故ならば、大男の顔に生気と呼ばれるものがまるでなかったからだ。

 血の通わない青白い肌に、焦点の定まらない眼、だらんとこぼれ出た舌。


 これではまるで、本当にあの男の言った通り――


「死人だとも、死霊術(ネクロマンシー)というやつさ、私の十八番でね、ちなみに彼は巨人族と人間のハーフで、生前は名のある格闘家だったのだよ」


 死霊術(ネクロマンシー)、グルカスも話ぐらいには聞いたことがあった。

 とある特殊な術式を用いて死人を動かす、禁忌の業。

 ならば、目の前の男は――


「ああ、私の自己紹介がまだだったね、私はギルゼバ、そこで伸びている彼らに雇われた死霊術師(ネクロマンサー)さ、ランクはC」


「Cランク……!」


 ギルドに所属していないグルカスは、もちろんランクというやつを持たない。

 しかし、もし彼をランクに当てはめようとするのなら、最下級のFランク、よくてEランクが妥当だろう。

 等級一つの差でも実力に相当の開きがあるとされているのに、よりにもよって二つ以上も等級が違う。

 勝ちの目など、ただの一つだってありやしない――


「私は自分で言うのもなんだが几帳面な性格でね、なんでもしっかり揃えないと気が済まない、たとえば上下巻のある魔導書があるとすれば、たとえ必要なくとも両方揃えたい、そういう男だ」


 仮面の男が、こつこつとこちらへ歩み寄ってくる。

 なんのことはない、ただ歩いているだけだ。

 しかしグルカスとクロエは、さながら金縛りにでもあったかのように動けない。


「で、私は君が欲しくなった、正確には君の死体がね、そうなると三つ(・・)、きっちり揃えてコレクションしたい、たとえ不要だとしても……万事問題なし、だ」


「クロエ、逃げっ……」


「逃がさんよ――」


 仮面の男がぱちぃんと指を鳴らし、大男がその岩石じみた巨腕を振り上げる。

 死が、確実な死の予感が、彼らの頭の中を駆け抜けた。


「さあ、終わりだ……!」


 男が仮面の内で、にたりと笑う。

 ――その時、不意に一匹の小さな()がぶぶぶ、と羽音を鳴らしながら飛び回って、やがて男の仮面にとりついた。


「だぁいっ!?」


 仮面の男が奇声をあげて仰け反る。

 蠅は、ぶぶぶ、と羽音を鳴らしながら、再び男の周りを飛び回り始めた。


「な、なんだ、蠅!? クソ! 私は潔癖症なんだ! 汚らわしい! この虫畜生が!」


 二匹に増えた蠅が、再度仮面にとりついた。

 ギルゼバは「だぁいっ!!」と奇声をあげて仰け反る。


「また蠅だ! 畜生が! ボケ! お前か!? あれだけ防腐処理を施してやったのに、まだ一丁前に腐りやがるのか!?」


 ぽかんと呆けるグルカス夫妻を尻目に、仮面の男――ギルゼバは大男に詰め寄る。

 当然ながら、大男は腕を振り上げたまま、ぼけーっと中空を見つめるだけで応えない。


 これに答えたのは――


「――良かったな、蠅に好かれたらしい」


 背後から、少年の声。


「何者だ!?」


 ギルゼバが振り返る。

 グルカスも、クロエも振り返る。

 そして――丘の上に彼の姿を認めた。

 手の甲に二匹の蠅を乗せた、少年の姿を――


「蠅どもが言うには、その仮面の内側から大好きな腐ったゴミ山の臭いがするんだとさ、ギルなんとかさん」


 栗毛色の髪をした少年は、とても少年のものとは思えぬ、妖しい微笑を浮かべた。



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