第30話「魔王軍一の卑怯者」
「あぶ、ぶ」
「ほら! やっぱり今アルシーナが俺のことを見てパパって言った!」
「言ってないわよ」
「言ってませんね」
「言ったって!」
俺が寝ぼけ目をこすりながら言うと、グルカスは噛みつかんばかりの勢いで、その髭面をこちらへ寄せてくる。
外はあんなにも爽やかな晴れ模様なのに、グルカスとくればいつにもまして鬱陶しさが極まっていた。
まったく、ただの一年やそこら落ち着いて待てないのか、この男は。
「ふん、そんなこと言ってクロエもルードも悔しいだけだろ、アルシーナはパパのことがだいちゅきですもんね~」
「気味の悪い赤ちゃん言葉はやめなさいグルカス」
子どものように拗ねるグルカスであったが、クロエはそれをばっさりと切り捨てた。
彼女は日に日に逞しくなっていくな……。
「……それにしてもシャロンさん、何も言わず夜の内に出ていくなんて、どうしちゃったのかしら?」
おもむろにクロエが独り言ちる。
これに対して、グルカスはさほど気にしていない風だ。
「何か粗相でもあったのかな」
「怖いこと言わないでよ、なかった……とは思うけど……ああ心配だわ、ルード、本当に気付かなかったの?」
当然のごとくこちらへ話が振られた。
俺は、かぶりを振る。
「いいえ、知りませんよ……きっと色々と気を使わせてしまい、忍びなく思ったのでしょう」
「そうなのかしらねえ」
「そうですよ」
俺は心配性のクロエに微笑みかけて、半ば無理やりにこの話題を終了させた。
昨晩、グルカス夫妻の手厚い歓待に引け目を感じたシャロン・ヘルティアは、皆が寝静まっている内に家を飛び出し、武者修行の旅へと戻った。
そういうことになっているのだ。
クロエは未だに納得がいっていない様子だったが、そんな思索も、扉をノックする音で強制的に中断させられる。
俺は人知れず溜息を吐いた。
今日も今日とて、今日も今日とて、だ。
「――ルード! 遊びに来てやったわよ!」
……ミュゼル嬢のお出ましである。
「クロエおばさま! グルカスおじさま! おはようございます!」
「おおミュゼルちゃん、今日も元気だなぁ」
「ミュゼルちゃんいつもありがとうね、ルードは出不精だから、本当に助かるわ」
「えへへ」
クロエに優しく頭を撫でられ、顔をほころばせるミュゼル。
……幾度となく目にした、いつも通りの光景だ。
グルカスが渋々仕事に出る支度を始めて、クロエがそれを手伝う。
それからクロエは「今日は絶好の洗濯日和ね」などと言いながら、洗濯を始めて。
残された俺は、アルシーナとミュゼルの御守りだ。
いつも通り、いつも通りの日常が、今日も繰り返される。
「一体何をやっているんだ、俺は……」
俺は誰にも聞こえないよう、溜息混じりに呟いた。
俺は魔王軍四天王の一人、怪蟲神官ガガルジだ。
それがこんな、代わり映えのしない日常を甘受するなんて、間違っている、間違っているに決まっている。
俺はすっかり憔悴しきって、アルシーナの下へと歩み寄った。
彼女は、一体何が楽しいのか小さな手のひらを閉じたり開いたりしながら、俺の顔を見つめている。
……もしかしてわざとやっているのか?
ただの赤ん坊のフリをして、俺が困るのを見て楽しんでいるのではなかろうな?
「はぁ……お前がさっさと大人になってくれれば、楽なのに……」
疲れているのだ。
こんなことを言っても仕方がないとは思いつつも、アルシーナに語り掛ける。
するとアルシーナは、一度小さな唇を震わせて
「ぱぱ」
「……は?」
その時、俺たち四人の間の抜けた声が重なった。
――ご存知の通り、赤ん坊の成長とは実にめまぐるしいのである。
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ある晩のこと。
夜の森に一つ、不気味な影があった。
長身痩躯にして、その恐ろしいほどに長い黒髪は地面に引きずるほど。
見るだけで心を惑わされる妖しげな美貌は、彼が人外の者であることの、なによりの証左であった。
魔王軍四天王の一人――剣聖、マグルディカルである。
「ふうむ、せっかく良い玩具を用意してやったのに、やっぱ使い手が三流じゃダメだね」
彼はふんとつまらなそうに鼻を鳴らして、腰の剣を抜く。
そして切っ先を地面に突き付けて。
「土よ」
彼の詠唱に従い、地面が割れて、ソレが露わとなる。
それは昨晩、シャロンが手厚く埋葬した、ルグルス・ヘルティアの遺体である。
マグルディカルは、にたりと口元を歪めた。
「――馬鹿な奴だよ、ホント、勇者の遺体なんて焼くか刻むかすればよかったのに」
そう、彼がわざわざこのような辺境の森に出向いた理由とは、ルグルス・ヘルティアの遺体を回収することだったのだ。
「リサイクル、リサイクルさ、次はもっと有能な死霊術師をけしかけてみようか、それとも……ふふ、楽しみだな」
くつくつと笑いながら、マグルディカルはしゃがみこむ。
その瞳に宿る、濁った輝きは――執念。
「絶対に許さない、許さないともさガガルジ、お前は必ず殺すよ、剣聖マグルディカルの名にかけて……」
整った顔かたちを醜く歪めながら、マグルディカルはルグルスの死体へ手を伸ばし――ふと、あるものを発見した。
「……おや?」
ルグルスの死体、その傍らに、なにやら折りたたんだ紙切れのようなものが添えられている。
「手紙……? ふん、勇者の娘ともあろうものが、ずいぶんとセンチメンタルじゃないか、どれ」
それもまた一興だ、と言わんばかりにマグルディカルは紙きれを拾い上げ、これを開いて、目を通す。
そこには一体どれだけお涙頂戴な文言が綴られてているのやら――
さて、手紙にはこうあった。
――森林浴のお好きな我が親友に捧ぐ。
――神に誓ってお前を殺す。
――地べたに顔をうずめて、叫びまくってろ。
「なんだこれ……?」
マグルディカルがその奇怪な手紙の内容に首を傾げた、その刹那。
死体の腹を食い破って一匹の蟻が飛び出し、マグルディカルへと襲い掛かった。
「なっ――!?」
マグルディカルは咄嗟に身を守ろうとするが、もう遅い。
蟻は素早くマグルディカルの腹部に取り付き、服を、次に皮膚を、そして肉を食い破りながら体内へと穿孔する。
蟻の名はヤタイクズシ。
勇者ルグルス・ヘルティアを討ったのち今の今まで冬眠させられていたため、ひどく腹を空かせている、きわめて獰猛な肉食蟻だ。
「う、ぐっ……!? く、クソがぁっ!! 恥知らずの! 浅ましい虫風情が……僕の……!! 僕の中にぃ……っ!!」
ヤタイクズシは一直線に食い進む。
マグルディカルの肉を、内臓を、大好物の心臓めがけて――
「この、卑怯者がああああああああああああああああああああああっ!!!!」
夜の森に、マグルディカルの悲痛な叫びがむなしく響き渡った。
親愛なる読者の皆様! ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
これにて「魔王軍四天王の面汚しと呼ばれた俺、今は女勇者のお兄ちゃん」は完結となります!
またどこかでお会いできれば幸いです。





