第3話「ラカムへの道中」
「面倒なことになったな……」
俺こと怪蟲神官ガガルジは、ふううぅぅ……と、向こう数百年分の幸せが逃げ出すような特大の溜息を吐き出した。
吐き出した息は白く細く、いっそ嫌味なぐらい青い空へ上っていく。
ここはラカムの村へ続くうら寂しい街道の、その道中である。
なんでもこのあたりはたいへんに雪深い地方であるらしい。
もう春先だと言うのに、ところどころに泥をかぶった冬の残滓が見受けられる。
……寒いのは苦手だ、虫たちが冬眠するからな。
「勇者と接触しろだなんて簡単に言うけど……どうすりゃいいんだよ」
とぼとぼと歩きながら、溜息混じりに独り言ちた。
魔王ギルティア様から命を受けたのは今から二か月ほど前のこと。
しかし、未だ妙案は思いつかずにいる。
人間社会に紛れ込むこと自体は、まぁできないこともない。
なんせ俺は元人間だ。
無数の虫を身体に宿してはいるものの、見てくれだけなら人間の青年とほとんど変わりない。
人間社会の道理だって、まだかろうじて覚えている。
しかし、ある特定の人物に接触するとなれば、話は別だ。
「(ラカムは小さな田舎村だ、その中に転がり込むとなれば、どういう形が一番自然だろうか……)」
小さな村ということは余所者が紛れ込めば必然、警戒されるということ。
無難なのは旅商人、宣教師、あとは旅芸人……?
しかしこれでは同じ村にあまり長く居座ると、不自然に思われてしまう。
それに、そういった役回りでは勇者アルシーナへ近付くにも限度がある、向こうは赤ん坊なのだ。
わしわしわし、と頭を掻いた。
ああ面倒、面倒だ。
やっぱり一番都合がいいのはアレか……
俺は懐から極小の香炉を取り出し、魔法で火をくべた。
香炉より白煙とともに不思議な香りが立ち上り、俺の身体を包み込んで……
「散ってくれ、皆」
俺の言葉を合図に、全身がざわりと波打って、途端に俺の身体が崩れ始めた。
正確には、俺の身体を形作る無数の虫たちが方々へ散開し始めたのだ。
見る者が見れば、きっとその場で卒倒してしまうような光景だろう。
蜘蛛の子を散らすの言葉通り、虫たちは思い思いの方向へと散らばっていって、そして後には――少年の姿となった俺だけが残る。
「こんなものだろう」
俺は香炉の火を消して、再び懐へしまい込む。
それからそのへんの水たまりを覗き込んで、自らの姿を確かめた。
ふんわりとした栗毛色の髪の毛、利発そうな顔立ちでありながら、虫も殺さなそうな優しい瞳……思わずふふんと鼻を鳴らす。
「人間でいえば五歳ぐらいってところか、なかなか美少年じゃないか?」
自画自賛である。
――人間の子どもに化けるのは、なにかと都合がいい。
なんせ聞かれて都合の悪いことは「子どもだから分かりません」でしらばっくれられる。
それに良識ある大人ならば、まさかこんな年端のいかない子どもを怪しむようなことはしないだろう。
あとは親に捨てられたとか適当な理由をこじつけて、村へ転がり込めばいい。
完璧だな。
「しかしこんないかにも育ちのよさそうな、小綺麗な子どもが一人ってのは少し不自然だな……泥でもかぶっておくか」
自画自賛しつつ、念には念を入れる。
完璧だな。
などと、半ば現実逃避じみた自画自賛を繰り返しながら、さて頭から水たまりに突っ込んでやろうとしたところ――不意に、悲鳴が聞こえた。
「(……近い)」
俺は泥をかぶるのをやめ、咄嗟に香炉へ火をくべて、白煙を身に纏う。
これは俺が虫を操る時に用いる、特殊な香炉だ。
「行け」
そして、自らの目を一匹の蛾に変えて空へ飛ばした。
俺は俺の身体を見下ろしつつ、更に視点を高く、上昇させる。
――捉えた。
「(山賊、か)」
ここから丘を越えた前方50mの地点で、数人の男たちに竜車が襲われていた。
客車の中は空、御者は力なくうなだれており、乗り手を失った地這い竜が悲しげに御者の顔を舐めている。
竜車から少し離れた場所で、うずくまる女性が一人(おそらく悲鳴は彼女のものだ)。
そしてその彼女を守るように、山賊たちを相手取る男性は、恐らく彼女の夫だろう。
男は勇敢にも護身用の剣を構えて山賊たちを牽制しているが――多勢に無勢、向こうは数えて六人である。
取り囲まれて、夫妻ともども殺されるのも時間の問題であろう。
まぁ……
「関係ないけどな」
俺は頭上ではばたく蛾を呼び寄せて、あるべき場所へ戻らせた。
視点の高さは必然、五歳児のものに元通りだ。
俺の任務はあくまでラカムの村へ潜り込み、勇者アルシーナへ接触すること。
人間同士のいざこざなど知ったことではない。
「とはいえ巻き込まれるのも面倒だな、迂回しよう」
さて、どのように回り込んだものかと思案する、その時だ。
――この子だけは……アルシーナだけは、見逃してください――!
……さて、これは運が良かったのか、悪かったのか。
丘向こうから聞こえてくる女性の必死の懇願の中には、間違いなく彼女の名があった。
確かに、上空から向こうの様子を見やった時、うずくまる女性の腕の中には赤ん坊のような黒い影があったが、このままだと……
「――いや最悪だ! 勇者が殺されちまったら、俺まで魔王様に殺されちまうだろうが!」
俺は慌てて香炉を振りかざし、白煙に身を包む。
虫たちが興奮したようにざわめき、全身が波打った。
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