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第27話「我が名は」


 はらわたが煮えくり返る、鶏冠(とさか)に来る、堪忍袋の緒が切れる?

 いや、いや、この感情は、そんなありきたりな言葉では到底表しきれないだろう。


 ともかく全身の虫どもがうずいて仕方がない。

 しいて言うならば、虫唾が走る(・・・・・)というやつだった。


「しょ、うね、ん……なぜ……!」


 ちらと足元を見下ろす。

 無惨にも全身を打ち据えられ、満身創痍のシャロンの姿があった。

 ……内臓を潰されている、骨だって折れているのだろう。


「に、げろ……あの、おとこは……くるって、いる……ころ、され……」


 シャロンが血の泡まじりの声で言う。

 俺は人差し指でぽりぽりと頬をかきながら。


「……死ぬぞ、お前」


「いい……! したい(・・・)、とはいえ……いだいな、ゆう、しゃのてにかかる、のは……めいよな……ことだ……!」


 シャロンは痛みに耐えながら、言葉を振り絞る。

 それはさながら残り少ない命を削るような、そんな声音であった。

 俺はわしわしと自らの栗毛頭をかきまぜ、ひとつ深い溜息を吐き出す。


「……まったくもって虫が好かん」


 シャロン・ヘルティアに勇者の資格はない、勇者とはアルシーナのことだ。

 しかし、それでもやはり勇者の血は、大勇者ルグルス・ヘルティアの血は彼女へ受け継がれているということか。

 これは一体なんの嫌がらせだ、くそ……


その目(・・・)は何度向けられてもいい気分がしない」


 俺は魔王軍四天王の一人、怪蟲神官ガガルジ、泣く子も黙る虫使い。

 外道、畜生、卑怯者、考えうる罵倒は全て受けてきた。

 だからこそあえて必要はないと思うが、念のため説明しておこう。


 俺はただ、自分の安眠を妨害されたことに対して、憤りを覚えているだけ。

 決して、勇者の誇りを守る(・・・・・・・・)などというくだらない理由のため、ヤツに立ち向かうわけでは無いと、それだけはご留意いただきたい。


「……一か月ぶりだな仮面男」


 俺はシャロンの制止を無視して、ギルゼバとの距離を詰めた。

 仮面の下は、さながら般若のごとき怒り顔か、それとも顔面蒼白で、今にも泣き出しそうな顔か――


「く、はははは……! やはり、運は私に向いている! 会いたかったぞクソガキィッ!」


 ……どうやら再会を喜んでくれているらしい。

 ギルゼバはげたげたと気味の悪い笑い声をあげながら、感動に打ち震えている。


「ゴミは一度にまとめて片付けるに限る! まさかお前の方から出向いてくれるとはな! 片付けてやる! 片付けてやるぞクソガキが!!」


「お前、俺の為にわざわざそんな珍しいオモチャ(・・・・)まで用意してくれたのか?」


「そうともさ! 全てお前の為だ! あの時の屈辱を晴らす為のなぁ!」


 ギルゼバの言葉に従い、死体どもが一斉に武器を構えて俺の前に立ちはだかる。

 ……こいつらとも、まさかこんな形で再会する羽目になるとはな。


「寝物語ぐらいには聞いたことがあるだろう! これはかの大勇者ルグルス・ヘルティア率いる勇者パーティのゾンビども! 全員がSランク冒険者だ!」


 ……知っている、知っているとも。


 魔術師ニーシアの魔法は、巨大蟷螂(かまきり)のカンムリオトシを一撃で屠り。

 武道家ルリの拳は、鉄よりもはるかに強固なヒヒイロコガネの背中すら砕き。

 騎士ドラテロの槍術は、全長数十メートルにもわたる大百足、シシガシラの百本足ですらさばき切った。

 そして大勇者ルグルス・ヘルティアの振るう剣には――俺の虫たちが恐れを感じたほど。


 全部、全部見てきたのだ。

 何故ならば、他ならぬ俺が、彼らを――


「因果なものだな」


 何故彼らの死体が、ギルゼバの手の内にあるのか。

 その理由にはおおよそ見当がついているのでよしとしても、なんにせよ厄介だ。

 さすがの俺でも、ヤツらが相手では本気を出さざるを得ない。


 俺は、再びシャロンへと振り返る。


「はや、く、にげ……」


 彼女はそのボロボロになった身体を引きずりながら、なおも俺を止めようとしていた。

 実の父親をゾンビにされて、精神的な損耗も計り知れないはずなのに、一丁前に俺の心配なんぞをしている。

 ……ここまでくれば、さすがの俺も負けを認めざるをえまい。


 彼女はまぎれもなく大勇者ルグルス・ヘルティアの娘である。

 そして……ああ、くそ、事もあろうにこの俺が、こんな手段をとらなければいけないなんて――


「しょう、ねん……はやく……!」


「――悪いが俺はルード少年ではない」


 俺は今までの子どもぶった喋りをやめて、かつてのように威厳に満ちた口調で言った。

 シャロンが言葉を失う、ギルゼバもまた訝しげに俺を見る。

 そんな中、俺は――懐から香炉を取り出した。


「しょう、ねん……?」


「……貴様、やはりただのガキじゃないな」


「ああ、御察しの通りだとも、改めて自己紹介をしよう」


 魔法を唱え、人差し指にごく小さな火を起こし、香炉へ火をくべた。

 たちのぼる紫の煙が、ゆるりゆるりと薄衣のように宙を舞い、辺りは不思議な香りで満たされる。

 さあ、覚悟を決めよう(・・・・・・・)


 俺は煙を振りまきつつ、両手を大きく広げ、天を仰ぎながら高らかに言った。


「――我が声を聞け、我が姿を見よ、お前たちの王が帰ってきたぞ」


 煙を身に纏い、俺は踊るように続ける。

 その時、俺たちを取り囲む夜の闇が、ざわめいた(・・・・・)


「地べたを這いずるもの、影に潜むもの、死肉を貪るものどもよ、我こそが父であり母である」


 刹那。

 闇はさながら津波のごとく伸び上がり、月明かりを遮る。

 そして間もなく、闇は俺たちの視界さえも覆い尽くしてしまった。


「な、なんだこれは……ぐっ!?」


 身がすくむほどの轟音うずまく中、ギルゼバは反射的に顔面を守った。

 何故ならば闇が質量を持っていたからだ。

 闇を形作るは、小さな、ごく小さな、しかし無数の彼ら(・・)――


「――我が名はガガルジ、魔王軍四天王の一人、怪蟲神官ガガルジ」


 闇が俺の元へ収束する。

 空を覆っていた闇が晴れ、月明かりが再び俺を照らした。

 そこにあるのはすでにルードという名の少年の姿ではない。


 ――さて、四天王とは魔王軍の中でも精鋭中の精鋭。

 当代の魔王様が直々に選抜した、たった四人の最高幹部のことを指す。

 その中には一人、誰よりも長く魔王様に仕え、誰よりも忠実でありながら、しかして四天王の面汚しと呼ばれた男がいた。


 それが俺だ。

 虫を操り、奇襲奇策に秀で、卑怯者の誹りを受け続けた。

 そして――


「……大勇者ルグルス・ヘルティアを葬った者だ」


 かつての姿を取り戻した俺の言葉に、シャロンは声さえ忘れてしまったかのように、ただこちらを見つめていた。


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