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第25話「月下の戦い」


「片付ける、ときたか、これはこれは」


 仮面の男は肩を小刻みに震わせ、くつくつ笑う。

 しかし、シャロンには見えていた。

 仮面の穴から僅かに覗く彼の瞳は、一切笑っていない。

 その不気味さが、シャロンの確固たる決意を揺るがす。


「片付けは私も好きだ、なんせ几帳面な性格でね、特にゴミを一度にまとめて捨てる時の快感ときたらないよなあ、その点に関しては同感だ、痛いほど分かる……」


 仮面の男が、ぱちぃんと指を鳴らす。

 すると彼のすぐ傍らで、だらんと脱力するだけだった仮面の女が、杖を構えた。


「ただし片付けるのは私だ、貴様は片手間に払われる木屑程度の存在でしかない」


 一触即発である。

 張り詰めた弦のような極限の緊張感が場を支配する。

 そんな中、シャロンは構えた剣の切っ先を鋭く光らせたまま、ゆっくり口を開いた。


「……一つ尋ねてもいいだろうか」


「なにかな?」


「貴様、何故私を狙う? 私と貴様は初対面のはずだ、仮面の知り合いはいない」


「……ああそうか、知らないのか、気付いていない(・・・・・・・)のか」


「なに?」


「いいや、こっちの話さ、なあに私にはどうしてもあの村で済ませたい用事がってね、もののついでだよ、これから君を殺すのは」


「もったいぶらず、喋れる内に喋っておいた方がいいぞ、私はせっかちでな、命乞いだって聞くつもりはない」


「せっかちはよくないな、何事も順序があるのだ、せめて彼女を倒すことができたのなら教えてあげよう」


「その余裕ぶった態度、後悔するなよ!」


 均衡が崩れた。

 シャロン・ヘルティアは弾丸のように踏み込んで、男の懐へ潜り込む。

 しかしその時すでに、仮面の女はごく短い詠唱を完了していた。


「っ!?」


 まるで目に見えない巨人に殴りつけられたかのような暴力的風圧。

 シャロンは咄嗟に身構えたが、まるで意味をなさず、数十メートルも転がされてしまう。


 シャロンはなんとか体勢を立て直すも、すかさず次の攻撃が彼女へと襲い掛かった。

 ――矢だ。

 数えきれないほどの光の矢が、さながら雨のごとく頭上から降り注いできたのだ。


「なんでもありだな!」


 シャロンは態勢を低く、夜の草原を駆けた。

 肌を裂く光の矢はあえて無視をし、致命傷にあたる部分へ落ちてきたもののみ驚異的な反射神経で斬り伏せる。

 これと並行しながら全速力で走り続け、間一髪シャロンは光の矢の射程圏内から脱出。

 シャロンの人間離れした身体能力が為す業である。


 だが、その時すでに仮面の女は次の詠唱も終えていた。


「今度はなんだ……!」


 シャロンの頭上に落ちる影。

 見上げると、そこには全長5mにも及ぶ土の巨人がシャロンを待ち構えており――


「くぅっ!?」


 シャロンとっさの判断で体勢を崩す。

 次の瞬間、彼女の頭上を、巨人の岩石じみた腕が通過した。

 もし食らっていれば、身体がバラバラにはじけ飛ぶところだ。

 シャロンは地面を強く蹴って飛び上がり、そして一閃――土の巨人を袈裟懸けに両断し、元の土くれへと還す。


 仮面の女が何者なのか、シャロンには分からない。

 しかし彼女の繰り出す魔法が非常に高い水準のものであることだけは理解できた。

 魔法そのものの強力さはもちろんのこと、詠唱の早さや、唱える魔法の多彩さ、どれをとっても間違いなく自分よりも格上。

 Aランク……よもやSランクということはあり得ないだろうが、ともかく強い――


 その時である。

 切り伏せたはずの土の巨人が、大質量の泥に変質して、シャロンへ襲い掛かってきたからだ。


「なっ、罠!? しまっ……!」


 すかさず剣を振るったが、僅かに遅れる。

 まず初めに腕を、次に足を泥で絡め取られ、地べたに押し倒される。

 そして泥は即座に硬化し、彼女を地面へと縫いつけてしまった。


「くっ……!」


「八手詰めだな、美しい、いい、いいぞ」


 仮面の男が実に愉快げに言う。

 シャロンが屈辱に満ちた表情で見上げると、杖を携えた仮面の女が、すぐ傍からこちらを見下ろしていた。

 不気味な仮面で隠れているから、というのもあるだろうが、なんというか彼女からはまるで生気が感じられない。

 そんな彼女から見下ろされ、シャロンの全身に怖気が走った。


「――もう一度呪いを植え付けてやる、次は逃がしたりしないさ、きっちり死ぬまで見届けてやろう」


 仮面の男が嗜虐的に言い、仮面の女が身をかがめる。

 仮面の内側から聞こえる、くぐもった呪文。

 これに伴い、女性の手の内に粘っこいスライム状の物体が生成され始める。

 先刻、シャロンの体内へ植え付けられた、命そのものを食らう魔法生命体だ。


 今度こそ彼らは、自分を逃しはしないだろう。

 じっくりと命を蝕まれ、息絶えるその時まで決して拘束を緩めない。

 そんな絶望的な状況のさなか、シャロンは――笑っていた。


「く、くく」


「……なんだ、気でも触れたか?」


「――油断したな仮面の男、貴様のように神経質な男なら、必ず前回の失敗を挽回しにくると思っていたぞ」


 シャロンが口を開ける。

 犬歯と犬歯の間で、きらりと輝く翡翠色の結晶。


「それは、風の魔石――」


「正しくは九手詰め、詰んだのはお前だ」


 シャロンは魔石を「ぷっ」と噴きだし、魔石は今まさに呪いを植え付けようと迫っていた女性めがけて飛んで行って――


「エアル!」


 こつん、と間の抜けた音を立てて仮面にぶつかり、そして炸裂した。


「――っ」


 形容しがたい音とともに発せられた風の奔流が、仮面ごと女性の額を刺し貫く。

 これにより、魔法生命体はどろりと溶けだし、シャロンを拘束する岩石も脆い土くれへと戻った。

 術者に魔法を維持するだけの力がなくなったのだ。

 当然である。なんせ彼女は、額に親指大の穴をあけられたのだから。


「……あなたほどの凄腕の魔術師を、こんな不意打ちじみた真似で殺したくはなかった」


 土くれを払い、立ち上がるシャロン。

 これとは反対に、仮面の女はぐらりと傾いて、力なくくずおれた。

 しかしシャロンはもはや彼女を見ていない。

 その鷹のように鋭い眼光が捉えるのは仮面の男、ただ一人である。


「風の魔石……か、言葉に反応して魔法が発動するタイプのものだな」


「私の奥の手だ、高かったんだぞ」


 シャロンはこきりと肩の骨を鳴らして、剣を構えなおした。

 その目は、決意と覚悟に満ちている。


「釣りは貴様からもらう、さあ武器を構えろ」


 この時シャロンは確信していた。

 長年の経験を頼りにするならば、あの男自身の実力は大したものではない。

 一対一の斬り合いになれば必ず自分が勝つ、ならばこの状況は完全に詰みだ――


 ……そう思っていたのだが。


「いやはや、何も知らずに死んだ方が幸せだったと思うがね、私は」


 男の口から発せられたのは、命乞いでも負け惜しみでもなく、そんな訳の分からない台詞であった。


 一体どういう意味か……いや、関係ない、私はただ目の前のヤツを斬るだけだ。

 シャロンは今まさに男の懐へ飛び込もうと、姿勢を低くして――その瞬間、全身になんとも言い難い悪寒が駆け抜ける。


「!?」


 シャロンは動物的直観に従い、後ろへ飛びのいた。

 見ると、足元で力尽きていたはずの例の仮面の女が、ゆっくりと起き上がろうとしているではないか。


「な、何故……!? 確実に脳天を――」


 脳天を、貫いたはずなのに。

 それを言い切るよりも早く、更なる衝撃が驚愕を上書きした。


 仮面が外れたことで露わになっていたのだ。

 額に穴をあけ、虚ろな表情で、死人のように土気色をした彼女の顔が。

 そしてその顔に、シャロンは見覚えがあった。


「ニーシア……さん……?」


 ニーシア。

 宮廷魔術師のニーシア。

 かつて大勇者ルグルス・ヘルティア率いる勇者パーティを魔法によって支えた心優しき彼女。

 魔王軍四天王の一人に敗れ、命を落とした彼女――まぎれもなく、彼女であった。


「自己紹介が遅れたね」


 シャロンが目の前の光景を理解するよりも先に、仮面の男は仰々しく礼をする。

 まるで、シャロンを嘲笑うかのように。


「私は死霊術師(ネクロマンサー)のギルゼバ、自分で言うのもなんだが、私は几帳面な性格でね、なんでもしっかり揃えないと気が済まない」


 がさがさと木立を揺らしながら、森の暗がりから三つの影が現れる。

 いっそまぶしいぐらいの満月は、無慈悲にも三つの影を照らし上げた。


 ザガン流拳法の達人、ルリ。

 一騎当千の騎士団長、ドラテロ。


「たとえば上下巻のある魔導書があるとすれば、たとえ必要なくとも両方揃えたい、そういう男だ……これが君を欲しがる理由だよ」


 そして――最後の一人の正体が明らかになった時、シャロンは咆哮していた。

 彼女の内に生じた様々な感情が、そのまま発露したような、そんな咆哮だ。


 そして仮面の男ギルゼバはこれを聞いて愉悦に浸り、邪悪に口元を歪めて言う。


「――必要はないが揃えたいんだ、勇者親子(・・・・)はね」


 最後に現れたのは、逞しい体つきの、歩く首なし死体であった。


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