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第24話「勇者の娘」


 草木も眠る丑三つ時、シャロン・ヘルティアはゆっくりと覚醒した。

 いや、覚醒したというのは少し語弊がある。

 何故ならば、彼女には初めから眠るつもりなど毛頭なかったからだ。


 シャロンは、そこでようやく腕の中で眠るルード少年を解放する。

 何故かうなされているようだったが、しかし寝顔を見る分には年相応の、ただの少年であった。


「……色々と迷惑をかけたな、少年」


 シャロンはぼそりと呟いて、彼の頭を撫ぜる。

 ふんわりとした栗毛色の頭髪は実に撫で心地が良く、後ろ髪を引かれる思いだったが、なんとか堪えた。

 彼女には行かねばならない理由がある。


「巻き込むわけには、いかないからな」


 そう独り言ちて、シャロンはルードを起こさないよう実にゆっくりとベッドから抜け出した。

 それから元よりさほど多くなかった荷物をまとめ、窓枠に足をかける。

 ――満月だった。


「世話になったと直接伝えられなかったのが心残りだが、許してくれ……さらばだ」


 彼女は最後にそう言い残して、夜の闇へと身を投じる。

 そして彼女が去ってしばらくしたのち、ルードはおもむろに寝返りを打って――


「ぷっ」


 口から小さな、ごく小さな何かを吐き出した。

 吐き出された何かは、硬質な音を立てて床を跳ねる。

 それは昼間、シャロンの体を蝕んでいた魔法生命体の、その欠片であった。


「……」


 虫たちの単なる食い残しではない。

 それは虫さえ食わない、嫌らしい術式。

 術式の作用は、対象の位置の追跡――


「……ルグルス・ヘルティア、アンタの娘がたった今、死にに行った」


 ルードはごろりと仰向けになって、何もない天井を見上げながら呟く。

 しばしの静寂。


「……ま、俺には関係ないけどな、やっとベッドが広くなったよ」


 そう言って、ルード少年は一つ大きな欠伸をすると、ようやくまどろみに落ちた。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 シャロン・ヘルティアは、月下を韋駄天のごとく駆けた。

 向かう場所は、呪いに侵されたシャロンが命からがら逃げ込んだ例の場所――夜の森である。


(少年がどんな手段で呪いを解いたのかは知らないが、追跡の反応が途切れているとすれば、間違いなくあそこだ)


 シャロンは更に加速し、風となって草原を駆ける。

 彼女の脳裏には、数刻前、突如現れた「ヤツら」の顔が浮かんでいた。


 二人組の男女だ。

 一人は仮面をかぶった魔術師の女。

 もう一人は一切戦闘に参加せず、これを眺めていた仮面の男。


 魔術師の女は強かった。

 相対した瞬間、シャロンは文字通り格の違いを思い知らされた。


 しかしシャロンは思う。

 真に恐ろしかったのは、あの仮面の男であると。


 ――これから君に呪いを植え付ける、決して解けない呪いだ。


 ――君はこれからじわじわ苦しんで死ぬこととなるだろう、だけど、苦痛のあまり自らを傷つけ、自死を選ぶような真似だけは慎んでいただきたい。


 ――後で使う(・・)からね、なるべくそのまま死んでくれ。


 魔術師に捕まり、体内へ呪いを流し込まれるシャロンを見下ろして、仮面の男はそう言った。

 その時、シャロンは絶望に染まった瞳で、見たのだ。

 仮面で隠し切れないほどの、あの男の憎悪、憤怒、狂気――


 気が付くと、シャロンは逃げ出していた。

 追手はなかった、きっと追跡の術式も組み込んでいるのだろう。

 まぁ、その呪いを解ける者など見つかるはずがないという、確固たる自信もあったのだろうが。


 呪いに蝕まれ、意識朦朧としたシャロンは、気が付くと森にいた。

 シャロンの身体に流れるエルフの血が、せめて自然の中で命尽きることを望んだのか、それとも夜の森が帯びた魔力に魅かれたのか……

 それは定かでないが、ともかくシャロンは死に場所として夜の森を選んだのだ。


 ――シャロンには望みがあった。

 誇り高き大勇者ルグルスの娘として、世のため人のために剣を振るうこと、彼の意志を継ぐこと、次なる勇者の助けとなること。

 すなわち、次なる勇者を見つけ出し、勇者パーティの一員となることであった。


 そのためにシャロンは剣を鍛えた。

 父ルグルスの剣技を受け継ぎ、来る日も来る日も剣を振り、魔物を斬り続けた。

 弱音は吐かなかった、逆境は笑い飛ばした。

 父ルグルスがそうしていたからだ。


 その努力が認められ、シャロンはつい先日Bランク冒険者として認定される。

 父ルグルスの率いる勇者パーティの面々はSランクだったというから、道のりはまだ険しいが、しかし確実に一歩近づいたのだ。

 希望が見えた、光が見えた。


 しかし、それは「後悔」の二文字へ変わろうとしていた。

 鍛えた剣も、耐え続けた日々も、全てが無為となる。

 絶望、彼女の胸に満ちたソレはほかに表しようがなく――そんな時に、彼が現れたのだ。


 ルード、ルード少年。

 彼はいかなる手段によってかシャロンの身体を蝕む呪いを取り除き、再び光を見せてくれた。

 その時のシャロンが、一体どれだけ彼に感謝したのか、きっと誰も正しく理解してはいまい。


 ともかく、シャロンは今一度僅かばかりの生を拾った。

 それで十分だった、むしろ長すぎるぐらいだった。


 死地へ赴く覚悟を固めるには――


(少年、私は本当に感謝しているよ)


 森が見える。

 薄闇の中、シャロンは目を凝らす。


(君のおかげで、私は無様にも逃げ延びた臆病者としてでなく、勇者の娘として死ぬことができる)


 暗闇の中に人影。

 シャロンは鞘から愛刀――火竜の息吹を抜き、そして彼らの前に立ちはだかった。

 月灯りに照らされる、不気味な仮面の二人組の前に。


「……急に反応が途切れたので、どうして呪いが解けたのかと頭をひねっていたのだが」


 仮面の男はシャロンの顔すら見ずに言い、「くく」と一度笑った。


「ちなみに後学のため、どうしてわざわざ死にに戻ってきたのかを尋ねてもいいかな?」


 男が振り返る。

 仮面に空いた二つの穴から覗く、濁り切った眼。


 シャロンの胸中で、あの時の恐怖の残滓が膨れ上がり、彼女の胸に充満する。

 しかし、彼女は抑え込んで。


「私はシャロン・ヘルティア、大勇者ルグルスの娘、それで十分だ……あと、何故死にに戻ったと決めつける?」


 そこでシャロンは、ぎんと眼光を鋭くした。


「私は、お前たちを、確実に、仕留めるため、舞い戻ったのだ」


「……万事、問題はなし」


 仮面の男がにたりと口元を歪め、同時に仮面の女魔術師が構えをとる。

 勇者の娘、シャロン・ヘルティアの孤独な戦いが、今始まろうとしていた。


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