第21話「シャロン・ヘルティア」
場所は変わって、ここはグルカス夫妻宅。
陽も暮れて、グルカスが仕事から戻ってくるこの時間、俺たちはいつも通りに食卓を囲んでいた。
ただ二つほどいつもと異なる点がある。
一つ、今日の食卓にはミュゼルの姿がある。
二つ、我らが食卓に並べられたクロエの手料理の数々が、見る見るうちに、銀髪の美女の口の中へと吸い込まれていくことだ。
「嘘だろ……」
誰もが自らの空腹さえ忘れ、食事の手を止めて彼女を見ていた。
本来汁物に浸してふやかさないことには歯も立てられない黒パンが、まるで砂糖菓子か何かのようにたやすく噛み砕かれて、彼女の口の中へ収まっていく。
スープは直接器を傾けて水のように飲み干し、間髪入れずにふかした芋を頬張る。
食べ終えたと思ったら、いつの間にか次の料理に手をかけている。
先ほどまで死にかけていた人間の食欲とは思えない。
そもそもあの細身のどこに、あれだけの食い物がしまわれていくのか。
「(おっぱいだ、おっぱいだぞ、ルード)」
……こちらの考えを見透かしているのか、グルカスが耳打ちをしてきた。
彼の目は、食事中の彼女の、揺れる豊かな胸部に釘付けになっている。
「……お父さま、彼女の胸がなんですって!?」
「おまっ、ルード!? 馬鹿こら!!」
「まだまだあるからいっぱい食べて頂戴、ほら、こっちのスープもどうぞ」
「く、クロエ! それは俺の……!」
無言で見つめ返すクロエに、グルカスは途端に顔を青ざめさせる。
よし、これで少しは静かになるだろう。
と思っていたら、今度はミュゼルが耳打ちをしてきた。
「(すごくいっぱい食べるのね、あのおねーさん……さっきまでしにかけてたなんて思えないぐらい……)」
「――いや、本当に死にかけていたとも、そこの可憐なお嬢さん」
「ひゃっ!?」
まさか聞こえていたとは思わなかったのか、銀髪の彼女の返答にミュゼルはびくりと身体を震わせる。
彼女は、綺麗になったグルカスのスープ皿を置いて、改めてこちらに向き直った。
まるで宝石をそのままはめ込んだような、透き通った碧眼である。
「君たちが介抱してくれなければ私は間違いなく死んでいた、感謝してもしきれないよ、ありがとう」
「ど、どうも……」
ぺこりとぎこちない会釈をして、俺の陰に隠れてしまうミュゼル。
……最近分かったことだが、ミュゼルは意外と人見知りである。
「それに、こんな美味しい料理まで……ご婦人はさぞや名のある料理人なのだろう」
「あらお上手、息子はともかく、主人はあまり褒めてくれないもので張り合いがなかったんです、黒パンもどうぞ」
「く、クロエ、それは俺の……いや、なんでもないです」
グルカスは無言の圧力に負け、自らの皿を差し出した。
「ありがたくいただこう」
彼女も彼女で容赦がない。
しかし、いつまでも彼女の大道芸じみた大食いを眺めているだけ、というわけにもいかないだろう。
ここは俺が話を進めることとした。
「不躾ですが、あなたが腰に提げている剣、かなりの業物ですね」
「おお、君はなかなかいい目をしている、いかにもそうだ」
「それに身体も鍛えているようですし、さぞや名のある冒険者様でしょう……お名前をうかがっても?」
そこで銀髪の彼女は何か驚いたように両目を見開き、じっとこちらを見つめる。
「……何か?」
「いや、何と言うか、随分と子どもらしくない子どもだなと……失敬、これは失言だった、では改めて……」
銀髪の彼女は、一度ごほんと咳払い。
そして凛とした声音で、言った。
「――私の名前はシャロン、シャロン・ヘルティア、Bランク冒険者だ」
「まぁ、Bランクですって、こんなにお若いのに!」
「そいつはすごいな、美人の上に強いなんて……」
よせばいいのに余計なことを言ってクロエに睨みつけられるグルカスはともかくとして、俺は驚愕していた。
彼女のランクにではない、彼女が名乗ったその名前に、である。
「――大勇者ルグルス・ヘルティアの関係者ですか」
俺の発言でクロエとグルカスがこちらへ振り返り、そして弾かれるようにシャロンへ視線を戻した。
シャロンは、自らもまた驚いたような表情でこちらを見つめ返している。
「驚いたな少年……その鋭さはちょっと怖いぞ」
「え、じゃあもしかしてあなた……!?」
「まぁ隠すことでもないからな」
シャロンはいかにもばつが悪そうに、頬をぽりぽりと掻きながら。
「……そう、私の父はかつて魔王軍四天王の一人に討たれたという、前勇者ルグルス・ヘルティアだ」
「なっ……!?」
グルカスとクロエ、そして俺の背中に隠れたミュゼルがあんぐりと口を開け、言葉を失った。
一方俺はといえば、最悪の予感が見事的中し、今にも泣き出してしまいたい気持ちである。
「ま、マジかよ!? 大勇者ルグルス様の!?」
「あ、あああ……! ご、ごめんなさい! こんな粗末な料理を……!」
一転してグルカス夫妻は大パニックだ。
ミュゼルに至っては、未だ目の前の現実が受け容れられずに、呆けている。
なんせ目の前の少女はあの、御伽噺にすら語られる伝説の勇者の娘であるのだから。
一方で、くだんの伝説の勇者の娘は、きわめて居心地悪そうな表情だ。
「や、やめてくれご両人! そんなにもかしこまらずとも……!」
「ですが……!」
「聞いてくれ! ヘルティアの姓を名乗ったのは決して偉ぶりたいからではない! あえて隠すなどして、偉大なる父上への敬意を曇らせたくなかっただけだ!」
シャロンがそこまで言うと、ようやくグルカス夫妻は落ち着きを取り戻した。
彼女は、ふうと一つ溜息。
「……素晴らしいのはあくまで私の父上で、私自身はまだ何の功績も残せてはいない、事実、そこの彼らが私を救ってくれなければ、人知れず死んでいたわけだしな、なあ少年」
……何故こちらに振る。
「特に何もしておりません、ただ行き倒れていたあなたを介抱して、ここに送り届けたまでです」
「……うーむ、君はどうも可愛げがないな、そんなにも可愛らしい顔をしているのに」
「どうも」
そっけなく答えて目を逸らした。
グルカスとクロエがすごい目でこちらを見ていたが、あえて気付かないふりをする。
「なんにせよ助かった……これはほんのお礼だ、受け取ってくれ」
そう言って、シャロンは俺に麻袋を手渡してくる。
ずしり、と両手にのしかかるそれなりの重量。
グルカスとクロエが、ぎょっと目を丸くする。
「……これは?」
「言っただろ? ささやかなお礼だ、あいにく手持ちはそれしかなくてな、許してくれ」
「受け取れないです」
「受け取ってくれないと私が困る、じゃあ世話になった、私は行くよ、可愛らしい少年少女よ」
そう言ってシャロンは深々と礼を一つ。
最後にどこか冗談っぽくひらひらと手を振って、呆気にとられるグルカス夫妻の側を通り抜け、そのまま家を出て行ってしまった。
残ったのは静寂……まるで嵐のような女性である。
「……」
誰もが状況を正しく理解できず立ち呆ける中、ふいに、麻袋の緩んだ口から黄金色のソレが覗く。
「きんか……」
ミュゼルがぼそりと呟いた、その次の瞬間のことである。
それまで彫像のごとく固まっていたクロエが、いつもの温厚な彼女からは考えられないほど俊敏な動きで家を飛び出した。
「し、しまっ――!」
思わず声に出してしまったが、時すでに遅し。
俺は慌てて窓を開け放ち、すでに薄闇に包まれた外の様子を眺め見る。
基本的にクロエは善良な人間である。
なれば俺は、さっさと麻袋の口を締めてしまうべきだったのだ。
クロエがこんなにも法外な「ささやかなお礼」を目にすれば、どういう行動に出るか分かり切っていただろうに――!
――う、うわっ!? ご婦人!? な、なにを……!?
――受け取れません! ルグルス様のご息女から、あんな大層なお礼は受け取れません!
――し、しかし……!
――どうしてもと言うのなら、ウチに泊まっていってください! 今夜はもう暗いので! 宿もとっていないのでしょう!?
――だが、それでは迷惑が……!
――かかりません!!
家のすぐそばでクロエから羽交い絞めにされ、ものすごい剣幕で迫られるシャロンの姿を望み、俺は頭を抱えた。
一応おさらいしておこう。
大勇者ルグルス・ヘルティア。
三人の仲間を従え、破竹の勢いで魔王軍の先兵をことごとく打ち倒すも、魔王軍四天王に惜しくも敗れた伝説の勇者。
彼女はその娘――すなわちルグルスを討った俺は、彼女にとって親の仇だ。
「どうして、こんなことに……」
クロエ必死の説得に負け、どうやらウチに泊まることに決めたらしいシャロンの姿を眺めて、俺は自らの絶望的な不運を呪った。
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