第15話「免罪符」
――拳をもらう直前、ヤツは子どもの拳と侮ったのかもしれないが、見立てが甘い。
身体を形作る虫どもを活性化させるだけなら、香炉を焚かずともできるのだ。
そして活性化させるとどういうことが起こるか……簡単だ、比例して俺の身体能力が跳ね上がる。
それこそ、優男一人殴り飛ばすぐらい容易いほどに――
「ぼぐぅえっ!?」
顔面に一発叩き込まれたサマト牧師は、鼻血を撒き散らしながら、遥か後方へ吹っ飛んでいく。
その際にテーブルへ背中を打ち付け、燭台を巻き込み、それでもなお勢いを殺せない。
最終的には、ステンドグラスに描かれた大好きな彼の胸の中へ、がしゃあああんとド派手な音を立てながら突っ込んだ。
飛び散る破片のひとつひとつが、窓から差し込む月明かりに照らされてきらきらと輝く。
今まで教会なんぞくそくらえと思っていたが、その光景はなかなか幻想的なので気に入った。
「ま、俺の虫たちには劣るけどな」
俺は香炉を振りかざして白煙をくゆらせた。
薄く長い絹のような煙は巨大アリジゴク、マンジュウガサの下へと届く。
地面から顔を覗かせたマンジュウガサは二本のブラシじみた触覚をひくひくと動かし、やがて地面の中へと戻っていった。
もちろん、ミュゼルとスケさんは置いて、だ。
「げほっ、げほっ……!」
『こ、これは……一体何が起こって……?』
咳き込むミュゼルに、困惑するスケさん。
なんにせよ、大事はないようだ。
俺はゆっくりとミュゼルの下へ歩み寄る。
ミュゼルが、咳き込みながらゆっくりと薄目を開いた。
「る、ルード……? な、なんで……あなた……」
俺はミュゼルのすぐ傍で跪き、そしていつものごとく微笑みかける。
「なんで、とは妙なことを聞きますねミュゼル嬢、レディをエスコートするのは紳士として当然ではないですか」
「えす、こーと……?」
ミュゼルはその単語を反芻して、ふふふ、と弱々しく笑う。
「そうね、たしかにそのとおり……なんてったって、あたしは……レディ、なんだから……」
「ええ、どこからどう見ても一人前のレディですとも」
ミュゼルの頭上から、きらきらと光り輝くソレが降り注ぐ。
それは、彼女の頭上ではばたくユメマクラという蝶の鱗粉である。
かつて大勇者ルグルスへ手向けたソレと同じ虫だ。
眠りに誘う鱗粉を吸い込み、彼女はゆっくりと瞼を下ろしていく。
「……だから、あとは全て私に任せて、お眠りください、夜更かしは美容の大敵ですからね」
「ええ、そうね……あたし、きょうはすごくつかれたみたい……」
まどろむ彼女は最後、夢見心地といった風に、安らかな笑みを浮かべて
「またあした、あそびましょう、やくそくしたんだから……」
その言葉を最後に、ミュゼルは意識を手放した。
すうすうと、ミュゼルが深い寝息を立て始めたのを確かめると、俺は立ち上がってスケさんの下へと歩み寄る。
『お、お坊ちゃん、あなた、一体……?』
スケさんは未だ状況が理解できないらしく、困惑した風に骨をかたかたと鳴らしていた。
サマト神父にやられたのだろう。
身体が上半分と下半分に両断されて、切断面では骨が何本も断たれている。
スケルトンの魔力は骨に宿る――スケルトンにとって骨とは血肉なのだ。
この骨が破壊されると、そこから魔力が漏れ出し、魔力循環もそこで断たれる。
すなわち、スケルトンにとって骨を破壊されることは、存在そのものを脅かす事態なのである。
スケさん、アンタはモンスターとなってなお、そこまでして彼女を――
俺は彼の下へと跪いた。
そこに少年ぶった俺はいない。
俺は、彼の誇りに最大限の敬意を払い、そして言った。
「――スケルトンよ、大儀であったな」
『え、お、お坊ちゃん……?』
俺が突然厳めしい口調になるものだから、スケさんはいよいよ訳が分からなくなってしまったようだった。
俺はそんな彼に構わず、厳かな口調で続ける。
「貴殿は骨を断たれ、このような姿になってまで、自らのモンスターとしての使命を全うしようとした、これは称賛に値することだ」
『え、モンスターとしての使命……? なんのことです……』
「謙遜するな、お前はあの悪しき人間から、我らが魔王軍のため、魔本を回収せんと奮闘したのだろう?」
『え、え、そんな、私はただ……』
「――奮闘、したのだろう?」
念を押すように、もう一度言う。
するとスケさんはそこでようやくはっ、と何かに気付いたように。
『え、ええ! そうですとも! 何かの間違いで人間の手に渡ってしまった世にも珍しき魔本を、我らが魔王様に献上するためでございます!』
「ふむ、大儀である、それでこそ俺が加勢する価値もあろうというもの」
俺は鷹揚に頷いて、それから寝息を立てるミュゼルへ一瞥くれる。
「一応、念のために言っておくが、俺は人間なんぞどうなろうが知ったことではない、将来有望なモンスターであるお前がやられるのを見過ごせないというだけだ」
『……そういうていで、お嬢さんを助けに来たのですか?』
「何か言ったか?」
『いえ、何も言っておりませんよ、身に余る光栄でございます』
「……お前は骨だろ」
『これまた一本とられました』
スケさんが、かたかた笑う。
俺もまた彼に微笑み返してやろうとして――
「“風よ”!」
――無粋な声に遮られた。
そしてその直後、ざんっ、と空を裂くような音がして、右腕に衝撃。
見ると、俺の右腕の肘から先がすっぱり断たれて、床の上に転がっていた。
『ぼ、坊ちゃん!?』
「――ひ、ひひひ! やった! やったぞ! 腕を落としてやった! 油断してる君が悪いのさ!」
俺はふうと溜息を一つ、ゆっくりと後ろへ振り返る。
そこには全身にステンドグラスの破片を食い込ませ、狂ったような笑いをあげるサマト牧師の姿がある。
「ぶ、ぎはは! 痛かった! 痛かったよルード君!? それは当然の報いさ! 神に仕えるこの私の顔を殴った、その報いだ!」
『お、お坊ちゃん、ああ、そんな……! 腕が……!』
「ははは! そおら悲鳴をあげろ! 激痛に悶え苦しめ! そしてその穢れた血をドバドバと吐き出し……て……?」
『……あれ?』
サマト牧師とスケさんが、同時に首を傾げた。
何をそんなに驚いているのだろうかと考えて――しばらくしたのち、ようやく思い至った。
ああ、そうか、ふつう人間は腕を切り落とされれば、ドバドバと血を流すものだったな。
「な、なんで……腕が千切れたのに、血、血が……?」
「なるほど勉強になった、次からは気を付けよう、こんなつまらないことが原因で正体がバレてはたまったものではないからな」
俺は、残った方の腕で香炉を振りかざす。
白煙が、地に落ちた右腕を包み込み――そして次の瞬間、右腕がばらけた。
正確には右腕を形作っていた無数の虫たちが、その結合を解いて、ざわざわと蠢き出したのだ。
「ひ、ひいいいいっ!? な、なんだ!? む、虫!?」
戦慄するサマト神父の目の前で、ばらけた虫たちはめいめい空を飛び、また俺の足から這い上り、肘から千切れた俺の右腕へ群がり出す。
そして再び元の右腕へ戻ろうと、蠢いていた。
サマト牧師が、まるで悪魔でも見たかのように、両の瞳を震わせている。
俺はそんな哀れな彼に向けて、優しく微笑みかけた。
「牧師様、私の虫たちは発酵食品のたぐいが好物で、腐りかけのものともなれば、それはもう大喜びで貪るんです、綺麗さっぱり、ね」
一歩、彼の方へ歩み寄る。
右腕は、すでに元の形を取り戻しつつあった。
「あ、ああ……神様……!」
サマト牧師が魔本を握りしめ、後ずさる。
俺は、そんな彼のありさまを見て、貼り付けたような笑みで応えるのだ。
「――あいにく免罪符は切らしてる、冷たい土の下で眠れ、ゲス野郎」
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