第14話「懺悔」
『お嬢さん、お怪我はございませんか?』
スケルトンのスケさんはわざとらしく紳士ぶってミュゼルの下へ跪く。
一方でミュゼルの様子は、彼女がよく口にする“レディ”とは遠くかけ離れていた。
「スケさん……! こわかった、うう……なんで……こんなことに……」
不安と安堵、恐怖と歓喜、言いようのないごちゃまぜの感情がそのまま顔に表れている。
『よしよし、よく頑張りましたね』
スケさんは涙でぐじゃぐじゃになった彼女の顔を、せめて指で拭ってあげようと手を伸ばす。
しかし自分の骨ばった指では、かえって彼女の肌を傷つけてしまうかもしれないので、やめた。
代わりに彼女を抱き起こして、その柔らかい頭を軽く撫でる。
「えっぐ……うぅ……スケさん、でも、どうして……どうしてここが……?」
『足元を見てくださいよ、お嬢さん』
スケさんが言うので、ミュゼルはゆっくりと床を見た。
すると、先ほどまでは必死で気が付かなかったのだが、教会の扉からミュゼルまでの道のりに、何やら一本の黒いヒモのようなものが伸びている。
ミュゼルは更に目を凝らしてみると、やがてそれがヒモでないことに気が付いた。
――蟻だ。
無数の蟻が行列を為して、ミュゼルのポケットに伸びている。
「あ、ありさん……? なんで……」
『失礼しますよお嬢さん』
スケさんが、アリの行列をたどって、彼女のポケットからある物をつまみ上げた。
それは、ポケットの中でボロボロに砕けたビスケットである。
「あ……!」
『おやおや、これはレディとしては如何なものですかな、まさか食べ残しのビスケットをポケットの中に入れておくなんて』
「……ぷっ」
とうとう堪えきれなくなって、ミュゼルは噴き出した。
まさかこんなバカげたことで自分が助かるなんて……!
スケさんもまた、これに優しげな微笑みで応えようとした――その時だった。
「――“炎よ”!」
静寂を切り裂いて、男の叫ぶ声。
スケさんが反射的にそちらへ振り返ると、目の前に、彼らを丸ごと呑み込まんとする大質量の火炎が――
『うわっと!?』
「きゃあっ!?」
スケさんはミュゼルを抱きかかえたまま、大きく飛びずさる。
炎は、先ほどまで彼らがいたあたりを舐めて、しかしそれだけだった。
床の表面を軽く焦がしただけで、すぐに消えてしまう。
あれは――魔法。
元冒険者であったスケさんは、直感的に判断する。
『……心臓飛び出るかと思いましたよ、怖いですねえ、最近の牧師様は魔法も使えるんです?』
「……汚らわしい、モンスターが……」
体勢を立て直したサマト牧師が、教典を片手にスケさんを睨みつけている。
血走った眼は、いかにも殺意に満ちていた。
「その醜い身体……あなた、アンデッドですね……」
『心外ですね、これでも骨には自信のある方なのですが』
「よりにもよってこの神聖なる教会に、私の前に……彼の意思に背く、悪しき存在が……!」
サマト牧師はスケさんの言葉などまるで聞こえていないかのように、ぶつぶつと呟きながら教典をめくっている。
その憑りつかれたようなさまに、ミュゼルは計り知れない恐怖の念を抱いたが――意を決して叫んだ。
「――ぼくしさまもうやめて! どうしてこんなことをするの!? 森へ入ったことならあやまるわ! だから……!」
「……謝る? ふふ、ミュゼルはおかしなことを言うんだね」
けひひ、とサマト牧師が歪んだ笑みを浮かべる。
「いいかい、もうそんなの関係ないよ、キミはさっき、ボクを投げ飛ばしたそこの薄汚いスケルトンと仲良さそうに話してただろう、地獄行きさ」
「そんな……!」
『――牧師様のお言葉は身に沁みますなぁ、ひとつ浅学な私めにも分かりやすいよう、教えていただいてよろしいですか?』
スケさんは、怯えるミュゼルを庇いながら言う。
『彼女が地獄行きなら、あなたはどこに行くんです? 森林浴のお好きな牧師様』
「……うん? なんだ、よく見たら君、最近森に居ついたっていうスケルトンじゃないか、そうかなるほど、じゃあ君は私が何をしてきたか、知ってるんだね」
『ええ、よーーく知ってますとも、あなたはとても許されないことをしてきました』
「許されない? はは、許されないだって?」
サマト牧師がくつくつと笑う、そして――
「――許されるに決まってるだろぉ!? だって私は教典を一言一句間違えずそらで言える!! お祈りだって欠かしたことはない!」
『……何を言ってるんです』
「私みたいに信心深い人間を、彼は必ずや許してくれるって言っているのさ! ――“氷よ”!」
牧師が叫ぶとその刹那、スケさんの頭上に巨大な氷柱が出現する。
『氷魔法……!? くっ!?』
「きゃあああっ!?」
スケさんが咄嗟に飛び退いて、氷柱を躱す。
がしゃあああんっ、と凄まじい音とともに氷柱は砕け、その破片が霧散する。
(詠唱から魔法の発動までが早すぎます! いや、これはそもそも詠唱していない――!?)
「“土よ”!」
『なっ!?』
スケさんは突如にして足場がぬかるみ、沈んでいくのを感じた。
見ると、軟化した石の床がくるぶしのあたりまで呑み込んでいる。
これを好機と見たサマト牧師は、すかさず――
「“風よ”!」
『また……! すみませんお嬢さん!』
「えっ……きゃあっ!?」
スケさんは咄嗟の判断でミュゼルを投げ放り、ミュゼルの身体が床上を転がる。
――次の瞬間、飛来した不可視の風の刃が、スケさんの肩から脇腹にかけてを斜めに切り裂いた。
『ぐっ!?』
「スケさん!!」
がしゃあん! と派手な音を立てて、スケさんの上半分が床の上にぶちまけられる。
ルードの時とはわけが違う、骨そのものが綺麗に寸断されていた。
「スケさん!! ああ、うそでしょ、こんな……!」
「ああ、少しだけど胸がすっとしたよ、邪魔な骨もいなくなって、これでようやくボクは昔のように気軽に森へゴミ捨てに行けるわけだ、それもこれもこのありがたい魔本のおかげだなぁ」
『魔本ですって……!?』
スケさんは苦しげに呻きながら、驚愕の声をあげた。
魔本――話だけならば彼にも聞いたことがある。
なんでも、魔術書などの類とは根本的に異なり、それ自体が魔力を宿した書物。
これを用いれば、どれだけ魔術的素養のない人間でも自由自在に魔法を扱うことが可能となるというマジックアイテム。
『だから詠唱をしてなかったのですね……! まんまと騙されましたよ、私はてっきりそれがただの教典だと……!!』
「騙したつもりなんかありませんよ? というか教典の中身は全てここに入っていますので」
サマト牧師は勝ち誇った笑みを浮かべて、自らのこめかみを指先でとんとんと叩く。
それからにいいっ、と口元を吊り上げて唱えた。
「“土よ”」
牧師の言葉に従い、再び石の床が軟化し、泥状に変質する。
一転して底なし沼と化した床は、問答無用にスケさんの身体を、そしてミュゼルの身体を呑み込んでいく。
「い、いやぁ! そんな……! スケさん――」
『う……ぐ……すみませんお嬢さん……がぼっ』
「さようならお二人さん」
二人の身体はずぶずぶと床下に沈んでいって、すぐに身動きはおろか、声も出せなくなる。
彼らの身体が完全に床下に沈み込むまで、さほど時間はかからなかった。
「う、あぐ――」
『っ――』
とぷんと音がして、最後の骨の一本が床に取り込まれる。
すると、さっきまでのことが嘘のように、床は石造りのものへと戻り、あたりは元の静寂を取り戻した。
「……ああ、ミュゼルを直接神の御許へ送れなかったのは残念ですが、ふふ、これで全部綺麗に片付きました、ははは」
サマト牧師が笑う。
たった一人、静寂に包まれた教会の中で、狂ったように笑う。
「ははは、ああ、気分がいい、今なら空だって飛べるような……」
「――なにかいいことでもありましたか牧師様」
「!!?」
突如として背後から声。
サマト牧師は弾かれたように振り返って――目線下に彼の姿を見る。
一体いつからそこにいたのか、自らの背後に立つルード少年の姿を。
(なっ!? コイツいつの間に……! 見られた!? 消すか――!?)
瞬間、サマト牧師は思考を巡らせ、魔本を強く握りしめる。
しかし予想に反して、ルード少年はにっこりと微笑み。
「懺悔――まだやってますか?」
「は?」
そのあまりにも間の抜けた質問に、サマト牧師もまた間の抜けた声をあげるしかない。
だが、その反応を見てサマト牧師は確信した。
(ああなんだ! あまりにも奇跡的なタイミングだったから焦りましたが――なんのことはない! 彼はさっきの光景を見ていない! 私をただの牧師と、間抜けにもそう思っているのだ!)
サマト牧師はいつも通りにっこりと微笑みを作って腰を屈め、ルードと視線の高さを同じくする。
「ええ、もちろんですとも、懺悔はいついかなる時も受け付けておりますよ、さああなたの罪を告白してごらんなさい」
「ありがとうございますサマト牧師、でもまずはこれを受け取ってください」
「うん?」
ルードに差し出されたソレを、サマト牧師は訳も分からず、とりあえず受け取る。
――瞬間、サマト牧師は自らの全身から血の気が引くのを感じた。
今彼の手の内にあるのは、以前、自らが使っていた十字架だ。
数か月前、とある少女を神の御許へ送ったその時に無くしてしまった、あの――
「じゅ、十字架だね、はは、どうしたんだいこれ? 随分と使い込んであるみたいだけど、こんなものどこで……」
「すっとぼけないでくださいよ、生臭坊主」
「おいおい、生臭坊主って……」
サマト牧師が、魔本を握る手にいっそう力を込める。
その時であった。
――突如、背後からざばあああああんっ!! とすさまじい音が響き渡る。
「なっ!?」
サマト牧師は音がした方へ振り返って、そして信じがたい光景を目にした。
四メートルはくだらない、巨大な昆虫が石の床をまるで水面のようにかき分け、飛び出してきたのだ。
そしてその虫の頭の上にはぐったりと項垂れた――しかしまだ息のある、ミュゼルとスケさんの身体がのっかっている。
サマト牧師は知る由もないが、その虫の名はマンジュウガサ。
触覚から発する超音波で、分厚い岩盤でも巨大な岩石でもあっという間に流砂へと変えて自らの住処とする、巨大アリジゴクである。
「――どうした? さっさと罪を告白しろよ、サマト牧師」
「はっ!?」
突然の闖入者に気をとられていたサマト牧師は、我に返って身体を翻した。
しかしその時すでに、目と鼻の先には握られた拳が迫っていて――
「――ぼぐぅえっ!?」
人外じみた膂力で顔面を殴られたサマト牧師は、血の飛沫を撒き散らしながら、遥か後方へと吹っ飛んで行った。
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