第1話「怪蟲神官ガガルジという男」
――男の名前は大勇者ルグルス・ヘルティアという。
グランテシアの片田舎でとある農夫の息子として生を受けた彼は、自らが神より選ばれた勇者だなどとはきっと夢にも思っていなかったことだろう。
彼の運命を決定づける、あの日までは。
あるよく晴れた日、突然にして彼の故郷に闖入者が現れた。
人知れず近くの山岳地帯で力を蓄えていた、ゴブリンの群れである。
彼らは村へなだれ込み、略奪の限りを尽くした。
勇敢にもこれに抵抗した彼の父親は嬲り殺しに、そして絶望に打ちひしがれた彼の母親は、彼の目の前で考えうる最大限の辱めを受け、やはり嬲り殺された。
しかし皮肉にもこの出来事がきっかけとなり、ルグルスは勇者として覚醒、ゴブリンの撃退に成功する。
人魔入り乱れた無数の屍の山の上で、彼の心に宿ったのは復讐の黒い炎――ではなかった。
彼の中には強い決意の光が芽生えたのだ。
力を持つ者として、勇者としての責務を全うしなくてはならない、二度とこんな悲劇を繰り返してはならない、と。
それから彼はともに戦う同士を集めた。
宮廷魔術師のニーシア。
ザガン流拳法の達人、ルリ。
そして一騎当千の騎士団長、ドラテロ。
この四人からなる勇者パーティは破竹の勢いで魔王軍の先兵をことごとく打ち倒し、とうとうロクト廃城玉座の間――すなわち魔王軍四天王の一人、剣聖マグルディカルの下へたどり着いた。
彼らは強かった。
彼らの力が、想いが、マグルディカルの剣を上回っていたことはもはや疑いようもない事実であり、実際、彼らはほとんどマグルディカルを打倒しかけていた。
あと一度、ルグルスが剣を振るえば、それで決着だったのだ。
しかし勝利の女神というやつは気まぐれで、残酷である。
偶然、些細な偶然の重なりが、最後の局面で盤そのものをひっくり返してしまった。
しつこいようだが、彼らは間違いなく勝てていたのだ。
俺が――魔王軍四天王の一人、怪蟲神官ガガルジが、魔王様に依頼された仕事を片付けるため、近くに立ち寄っていなければ――
「……俺は、死ぬのか」
獅子のように雄々しい男、勇者ルグルスが血の泡混じりの声で呟く。
背後には、かつて彼の仲間だったモノたちがその身体を横たえていた。
しかし、ルグルスの言葉に仲間を殺された怒りはなく、かといって死に対する恐怖もない。
ただ穏やかに、自らの死を受け入れ始めているようにさえ見える。
俺はそんな彼の気高さに敬意を表して、静かに答えた。
「ああ、死ぬともさ、俺の放った蟻――ヤタイクズシは、すでにお前の内臓深くまで食い込んだ、万全の状態ならともかく、今のお前にこれを防ぐ手段はない」
「あらゆる虫を操る力……怪蟲神官の名は伊達ではないということか……」
彼は一度、ふふ、と自嘲する。
「あっけないものだ、俺は……いや、俺たちは、このまま魔王を倒すものだとばかり思っていたのだが……自惚れが過ぎたな、はは、俺の悪い癖だ……」
「いいや、悪かったのは運さ、俺が来なきゃアンタらが勝ってたよ」
「毎日三回、食事の前のお祈りは欠かしてないはずなんだけどな……」
彼は冗談めかして言い、玉の汗の浮かんだその顔をくしゃりと歪めて笑った。
彼の体内では今も俺の虫が暴れ回り、その肉を、臓腑を食い散らかしながら心臓へと突き進んでいる。
人間にはとても耐え難い激痛が、彼の全身を襲っているはずだ。
なのに、彼は笑っている。
強がりとはいえ、笑うことができている。
そんな彼のさまを見ていると、どうしても不思議になった。
「……アンタは」
聞かずにはいられなかった。
「アンタ、どうして俺を罵らない?」
――卑怯者の誹りを受けるのは慣れている。
俺の虫を操るという能力の特性上、戦法としてはどうしても不意打ちや奇襲などが主となる。
自らが敵と剣を交えることも、ほとんどない。
だからこそ、俺の能力で生きながら虫に食われ、もしくはその毒で全身を蝕まれた者たちの末期の台詞は決まっている。
――卑怯者。
――おぞましい虫なんぞをよくも、俺の身体に。
――正々堂々と戦え、この臆病者が。
しかし彼はそれをしない。
何故か、何故か。
大勇者ルグルスの答えは――
「はは、馬鹿な、戦いに綺麗も汚いもない、誇りとは目的に宿るのだ、大事なのはどう戦うかではなく、なんのために戦うか、そうだろう?」
「……アンタ、本物の勇者だよ」
俺は、彼の頭上へ一匹の翡翠色の蝶を飛ばした。
蝶ははばたくたび、光り輝く鱗粉を彼の下へ降り注がせる。
「……この蝶は?」
「深く息を吸え、その蝶の鱗粉は痛みを麻痺させる、せめてもの手向けだ」
「はは……お前そんなおっかない見た目してるのに……案外……優しいん……だな……」
「……じゃあな、大勇者ルグルス・ヘルティア」
どさり、と彼の身体が崩れ落ちる。
とうとうヤタイクズシの顎が心臓に食い込んだのだ。
これにて勇者パーティは全滅……決着はついた、その時である。
「ふふ、やっと死んだか、薄汚い勇者どもめ……!」
背後から憎しみを押し殺すような男の声。
振り返れば、そこには虫の息の剣聖マグルディカルの姿がある。
彼自慢の地面に引きずるほどの黒髪は、自らの血で固まって、見るも無残な有様だ。
彼は自らの痩躯を怒りにわななかせながらルグルスの下へ歩み寄って行くと、剣を高く掲げ――
「お、おいマグルディカル、お前まさか――!」
ずん、と鈍い音。
ルグルスの亡骸から首が断たれた音だ。
「……ひは、ひはは! ああ! すぅーっとする! 下等な人間の分際でよくもボクの身体に傷を……!」
「やめろマグルディカル! もう死んでるんだぞ!?」
慌てて止めに入ろうとしたところ、マグルディカルがぐりんとこちらへ振り向く。
……目が据わっていた。
「ふぅー……ボクを助けてやったとか、そういう気持ち悪い勘違いをするなよガガルジ」
「……どういう意味だ」
「ボクはこんな奴ら、一人でも勝てたんだと言っている! キミはただ勝負の邪魔をしただけだ!」
「……ああ、そうかい! それは悪いことをしちまったな! もう神に誓ってこんな真似は……」
そこまで言ったところで言葉を遮られた。
突然、マグルディカルが俺の喉元に、剣の切っ先を突き付けてきたのだ。
「――発言に気をつけろガガルジ、その神になんとかってのはNGワードだ、昔あった恥ずかしいことを思い出して衝動的に誰かを殺しそうになる」
「……はっ、そりゃ難儀な性格だな、いい解消方法を教えてやるよ、枕に顔をうずめて叫びまくってろ、一人でな」
「いいか、一度だけ言ってやる」
マグルディカルがずいと顔を寄せてくる。
整った顔立ちは醜く歪んで、まるで悪鬼のようだ。
「ボクはこの世のなによりも恥をかくことが嫌いなんだ、だからあまり舐めた口をきくな恥知らずの虫野郎――お前は四天王の面汚しだ、さっさと失せろ」
恥知らずの虫野郎、四天王の面汚し。
あまりにも耳慣れた罵倒の言葉に、失笑が漏れた。
「それだけ元気なら心配もないな、急ぐから帰ってもいいか? 俺はこれから魔王様に勇者パーティの討伐報告をしなくちゃならん」
「ああ、ちゃんと伝えておけよ、薄汚い勇者パーティは剣聖マグルディカル様がぶっ殺したって」
「……覚えてたらな」
マグルディカルの剣を手で払い、俺は踵を返す。
まったく、虫唾が走るとはこのことだ。
最後に勇者たちの亡骸へ一瞥くれて、俺はその場を後にした。
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