過去を集めて
元部屋の前に立つと、蹴飛ばすように扉を開けた。出発の準備を昔の女からせびるのは外道のすることの様に感じるが、既に道を踏み外した以上気にしない様にするしかなかった。
必要なのは、保存食と水だ。他の場所からも掻き集めようと思ったが、安全が確認できない以上手を出すのは迂闊すぎる。少なくともここにある物は俺の体が安全を保障している。早急に体調が崩れることはない。
「その鞄に適当に食い物と水を突っ込んどいてくれ」
彼女は俺の命令を受けると鞄に丁寧に詰め込み始めた。
鞄一杯に入ったらいいほうだろう。食い物の心配をしたことはないが(意図的に逸らしていたのかもしれない)二人の人間を不自由なく暮らしていけるほどはないはずだ。
俺は、彼女が詰め込むのに色々と思考しているのを確認すると、クローゼットの方に向かっていった。
埃が少し詰まった扉を開けると中には防護服が何着か入っている。
さて、使い物になるのはどれやら。彼女の体格は男の俺よりは華奢だ。どうあがいても、大きめになるが耐えてもらうしかない。未知の細菌やら放射線に飛び込むよりはましだ。まぁ彼女が何も防護服を持たずに生き長らえている所を見るにこの辺は安全なのだろう。
しかし、ここを離れる以上必要不可欠なものだ。本来は定期的な殺菌処理をして長期的な安全使用が出来ればいいのだが、不可能だろうな。精々アルコール消毒と日光による殺菌が積の山だ。それでも無防備よりはましなのだ。
俺は殺菌処理の日付が若いのを取り出した。若いと言っても一年も前だ。生憎、俺の巣にそこまでの施設はない。気休めだ。だが気休めはきっと旅では重要なことだと思う。
彼女の方を振り返った。防護服と彼女を交互に見るがやはり、一回りほど大きそうだ。実際に着てもたって駄目なら代案を考えるしかない。
「悪い。こっちに来てくれ?」
彼女は飲料を詰め込んでいた手を止めると、無垢な子供の様に歩いてきた。その姿をみて少し笑いがでそうになった。
「笑うんですね」
その言葉に悪意や皮肉を感じなかった。それよりも、親近感を得たに近い。そういえば、彼女の前で笑うのはこれが初めてな気がする。
なぜ俺は笑ったのだろうか。きっと彼女が無垢に俺を信頼している様に見えたからだ。きっとそれが滑稽で、皮肉に笑ってやったに違いない。
決して誰かに近づくような温かい笑みではないはずだった。
「俺だって気分が良ければ、笑顔の一つくらいみせるさ」
笑うも何も世界の崩壊が始まった時の余裕のあるやつは消え去った。崩壊に肯定的な俺でも決して笑顔なんて物を浮かべようとはしなかった。恐怖心もなく、時計の針を数えるように過ごすだけの生活しかしていない。
「とりあえず、これを着てみてくれ。服の上からでいいから」
俺は手に取っていた防護服を押し付けた。
彼女は思わず一歩後ろに下がりなが受け止める。
彼女が受け止めたのを確認すると、別の作業に移る。食料が入った鞄をちらっと見たが、精々八割埋まっている程度だった。大満足とはいかないが、ある程度希望は見える量だ。
窓側にある机に辿りつくと、一番上の引き出しに鍵が付いており、まだ掛かったままであることを確認した。鍵は自身が持っているし、彼女も特に変なそぶりを見せなかったので心配はしていないが。
鍵をポケットから取り出し、彼女に見つからない様に開けた。彼女は防護服の着方に手間取っていた。
予備知識なしに着るのは苦難の業だろう。時間稼ぎとしては十分だった。
鍵を刺し、回すと音も立てずに引き出しは空いた。中を見ると、手巻きの懐中時計が目についた。
勿論電気や電波が止まってしまった今、これも十分必要なものになる。しかし俺にとってのお目当ては引き出しの奥にある物だった。
手を奥に伸ばすと、コツンと硬いものに手が当たる。
俺はそれを手繰り寄せる。
それは窓から入ってきた光を浴びて、金属特有の鈍い光と無気質な殺意を浮かび上がらせていた。
俺にとっても別に馴染みがある物ではない。預かり物みたいなものだった。
俺は拳銃を手に取ると、自身の鞄の比較的取り出し安い場所に入れ込んだ。
恐らく弾はそのまま入ったままだ。
拳銃など撃ったことなどない。多分まともに発砲も出来ないだろう。それでも持っているだけで、ひとまずの安心と護身用としては十分だ。
それに、これを置いたまま行くのは気が引ける。
鞄のチャックを占めると、時間稼ぎは十分だと思い、彼女の方を振り返る。
「無事着ることはできたか。って確認するまでもない状況だな」
彼女は防護服に腕を通そうと必死になっていた。俺は彼女に近寄り手を掴むと、彼女は一瞬怯えた声を出したがすぐに持ち直した。
「……悪い」
彼女が着ようとしている防護服の裾にあるコックを緩めた。こうして中の空気をある程度吐きださないと裾が通らない仕組になっている。
「これで、裾が通るはずだ。最初に説明しとけばよかったな。すまない」
俺が軽薄な謝罪を済ませると同時に彼女は裾を通し防護服を着た。パッと見ると、やはり少し大きめに感じるが多少動く分には問題なさそうだった。
「これで、大丈夫だろ。一余適当に動いて見てくれ」
彼女は手足を折り曲げ、脱げないか確認していく。そのポーズが一昔前のアイドルみたいな感じがして少し、何とも言えない気分になる。喜んでいいのか滑稽と笑っていいのか。
適当に部屋の中を歩き回っているが特に脱げていく様子もない。激しい運動をしない分には問題ない。この格好で激しく動いたら酸欠間違いなしだろう。
部屋を一周して戻ってくると彼女は防護服を脱ごうとしていた。俺は彼女に一言入れ、脱ぐのを手伝う。
世が世ならセクハラだろうが、そんな世の中はもう存在しないのに感謝した。
両手を上にあげさせ、コックを捻ると彼女はそそくさと脱ぎ始める。
やっぱり女性の腕というのは細いななど、適当に選評していると腕に痣みたいなものがあることに気付いた。痣といっても生まれつきある物より、怪我をした後に残るようなものだ.腕をなぞるように見ていると、それが黒子の様に小さいが時々、無造作に存在していることに気付いた。
「俺と会う前に怪我でもしたのか」
彼女は何を指摘されたか分からずにいたが腕の痣を指すと、不思議そうに首を傾げる。本人も気付いていなかった様だ。
「いえ、特に怪我をした記憶はありませんが……」
記憶を失う前についた傷というわけか。俺はその痣がいつ出来た物かは分からないが、怪我をする程度には活発に活動をしていたという事だ。ここに逃げ込んでいる仮定でしたものか。将又、世界が平和だったころに出来たものか。
「案外、世界を滅ぼす過程で出来たものか」
「……きっとそうなら、これも私が向かい合わなければいけない物かもしれませんね」
……口にしていたか。苦虫でも噛んだ気分だ。そんな俺とは対照的に彼女はその痣を嬉しそうに見ている。
記憶がないと自分の傷まで愛おしく感じるものなのか。普通の女性なら肌の傷は悲しむことだろうに。
彼女は他の傷を探す様に焦って防護服を脱ぎだす。
そんなに急いで脱いでいるとコケるぞ。
彼女は案の定、足を裾で滑らせると、可愛らしく息をのむと同時に後ろに尻もちをつく。
幸いにも昨日彼女が部屋を片付けていたお陰で怪我はしていない様だった。
俺は彼女に手を伸ばす。
彼女も俺の腕を手に取り、立ち上がろうとする。
「あ……」
俺は彼女の体に釣られるように前に倒れ込む。咄嗟の所で膝を突きそのまま倒れ込むことを防ぐが、上半身はそのまま彼女に預けるように倒れた。
気が付くと彼女の顔が目の前にあった。
よく見ると目の当たりの皮膚が異様に乾いているのに気づいた。
俺は急いで体を起こした。出来るだけその跡を見たくはなかった。
きっと彼女は泣いていたんだろうな。涙をこすると皮膚が削れ、水分を保てなくなる。といっても余程の期間目をこすらない限りその後はすぐに消えてしまう。
彼女の体は彼女の過去への唯一の手がかりといっていい。
気づかぬうちに俺は彼女の過去をかき集めていた。そして気付いた事を話す気はない。恐らく指摘しなければ気付かない事だ。
もし、こうして集めきって、俺の中に今の彼女とは違う形が出来た時俺はそれを受け止め切れるだろうか。俺の嘘に仮初の正当性は無くなり、真実の彼女が俺を押しつぶしてしまう。しかし、彼女の過去を探る事をやめれば、俺はいずれ致命的なミスを犯すかもしれない。
俺が思っている以上に時間はないようだった。




