救済の代償
「そうですか。あなたが世界を救って・・・私も助けてくださったんですね?」
「助けた?いや、俺は世界を救っただけであんたを助けたつもりなんてないぜ?」
俺は頭を急いで回して、自分が世界を救った仮定で話をしなければならなかった。今すぐにでも投げ出してしまいたい様な気分だ。しかし、背負う者が誰もいない以上こうするしかなかった。
「そうなんですか?こうして私が生きているということは、助けてくださったんですようね?」
「…あぁ、俺は慈悲深いからな。世界を救ったんだ。人間一人助けるぐらいどうてことないさ」
生憎世界どころか、人間すら救ったことなどなかった。俺が常に救い続けたのは自分ただ一人だ。誰かを助ければ、孤独から離れなければならなかった。つまり俺が今していることは自身の道を回れ右しているようなもんだった。
きっとここに立つのが俺じゃなくて普通の人だったら、傷ついた彼女を癒し、そこから愛が芽生えお互いにここに留まり続けるのだろう。だが俺の巣に同居人がいるのは許せない。俺は彼女を癒し、素早く世界からさよならしてしまう事を考えなければならなかった。
「そうですよね!ありがとうございます」
彼女の瞳に溜まっていた涙は気付けば消えていた。女の涙とは嘘一つで枯れてしまうくらい軽いもんなのだろうか。
「で、あんたこれから本当に世界ってのをやり直すと思ってるの?」
滅んだものは元に戻らない。それに俺は先ほどの通り時間の逆行には興味がない。やるなら一人でやってほしいものだ。もしくは俺以外の生き残りとだ。
「はい。正確にはやり直さなければならないと思っているんです。これが私に唯一出来る罪滅ぼしんあだって」
罪滅ぼしか。彼女にあるのは俺が作り出した罪だ。罪があるとしたら俺の方だ。だがその罪のおかげで彼女は今世界を瞳に映すことができている。それがなければ生きていけない。しかし、背負い生きるこよもできない。世界を滅ぼした罪なんて一人に背負い切れるわけがない。そして見えない物に触れられる人間は存在しないのだ。
彼女はいつまでこの矛盾を抱えて、いくのだろうか。この矛盾がほどけた時が彼女の人生の終わりだ。
俺がしなければならないのは矛盾に気付かないままこの世界にいて死んでもらうことだ。
「罪滅ぼしね…」
あたりを見回せば崩壊した建物しかない。この街だけでこれだけの量だ。一体どれだけの時間と労力が必要だろうか。いくら建物を建築しようともそれを管理、使用する人がいなければそれは人形遊びよりも空しい行為だ。賽の河原よりも無意味。償う罪が存在しないからな。そんな事に付き合っていれば俺の人生は永遠に孤独を得ることがないまま完結してしまう。
「悪いけど、そんな事に付き合うつもりはないぜ。世界は俺が救ってやった。あんたも止めてやった。正義の味方はここまででいいだろ」
「確かに、私がやるべき事です。でも私だけの世界じゃなくてあなたも居れる世界が必要なんです……」
「だから!あなたも一緒にいて欲しいんです」
俺が居れる世界にお前は必要がない。そして、彼女が作ろうとしている世界に俺はいられない。あんたが死ぬまで俺はずっとあの部屋に引篭るつもりなんだ。
「なぜ、そこまで俺に対して気に掛ける?俺が唯一の生き残りだから?それともあんたを助けたから?」
「だって、世界を救ったんなら、なにか報われてもいいんじゃないかって」
「一生懸命に世界を救って、それで得られるものが瓦礫の世界だなんて、それじゃ頑張った意味がないじゃないですか。だから、せめてあなたが喜ぶ世界を…」
そんな事をわざわざ考えてくれていたのか…
俺はすでにこの滅んだ世界という最高のプレゼントを手に入れていた。それは決して世界を救ったかrあじゃない。自分と世界を見捨てたから手に入れることができたものだ。
「俺の喜ぶ、世界か。もうこれでいいんだよ。俺の世界ってのはさ…」
「無欲な人なんですね…」
無欲じゃない。世界を独り占めにしたいほど欲張りだ。
彼女は俺から視線を外すと、辺りを見回した。きっと彼女にはこの世界がまるでゴミ捨て場の様に見えているはずだ。決して俺とは相いれない。俺とは違った物を見る目。まだ世界が健全で汚れた愛で満ちていた時代。俺はこの目を見るたびに部屋に閉じこもった。
俺は彼女から目を離し、同じように辺りを見回した。すでに日は落ちかけており、瓦礫が頬を赤く染めていた。
「これ、全部私がやったことなんですよね。」
「…」
「もう遅いですし、どこかで休みませんか?」
彼女はそう言った。これが平和の時代なら甘い誘いとして認知するだろう。
「…近くに俺の宿がある。こっちだ」
彼女の事が放っておけなかったわけではない。ただ、死んでいるか生きているか分からない状態でいるのが恐ろしかっただけだ。そして何より、自身が背負ったものが行方不明になるのが一番恐ろしいことだと思った。
彼女が滅ぼし、俺が世界を救った。彼女を見失った瞬間にこのどうしようもない嘘を背負い続ければならないのだ。俺は逃げるつもりはない。逃げた瞬間に俺は彼女という存在を脇に抱えて生きていかなければならなくなる。それは自身の夢を捨てることにつながった。
俺は時計塔をもう一度見ることなく来た道を引き返し、見覚えのある場所までもどり巣へ帰還した。戻る間は彼女は何も喋らなかったし、俺も何かを話す気はなかった。それより、勢いで彼女を自身の世界に入れてしまう事に対して後悔が走り始めていた。
俺の巣に入れてしまうという事はあの部屋と縁を切らなければならかった。自分以外が存在する部屋など吐き気がする。
時折後ろを振り返り、彼女がついてきているか確認すると、彼女はあいまいな笑みを俺に向けてきた。そしておれが前を振り向くと下をみて何かまた考え事をするのだ。
恐らく、世界のやり直しも、一つの自身を奮い立たせる理由だったんだだろう。だがそいつを俺で補強しようとするのは大間違いだった。逆に俺は柱を一本倒してしてしまう結果となったのだ。
彼女はどうやって罪滅ぼしをするのだろう。そこには少しだけ興味が沸いていた。我ながら意地の悪く、醜い性格だと思う。そしてその性格が災いした不幸を清算するために巣へと戻るしかなかった。
帰りに未練がましく時計塔の方をみた。建築したての頃は俺の部屋からも見ることができた。まぁ、すぐに目の前に一軒家が建てられるにつれ徐々に他の建物も増えていき埋もれたが。どう振り返っても俺にとってはもう美しくない物だった。あれぐらいは世界から消えてもいいかもしれない。
「ここ、俺の家だから」
俺はアパートの前に立つと、そのまま上がっていた。彼女は歪んだ階段を恐ろしそうにゆっくりと登ってきた。もし今彼女がここで階段を踏み外して、死んでしまったら俺の責任は消えてしまうのだろうか。
しかし、そんな意味もない妄想は起こるはずがなく彼女は無事に階段を登り切った。
俺は自身の部屋の前まで行き、ドアノブに手を掛けた。本当にこのまま部屋に入れてしまっていいのだろうか。今なら引き返せる。俺は昨日と同じように世界が滅ぶか自身が死ぬか。その二択しか存在しない世界に戻る事ができる。
顔を振り返らず目線だけで俺の横にたつ彼女を見る。彼女はおとなしく扉が開くのを待っていた。俺が一生開けなくても彼女は待ち続けるだろう。今、彼女にとって俺がすべてだ。俺がこれを言はなければロマンチックなんだけどな。
俺はおとなしくドアノブを開けた。その瞬間に部屋の中から安心が勢いよく、飛び出ていった。彼らはこの時を待ち続けていた様だ。俺にただ飼い殺されるだけの生活にうんざりしていたらしい。そして俺自身の世界は部屋ではなく、この俺の思考にゆっくりと帰ってきた。彼も安心を押さえつけるのに必死だった。俺の望みにただ寡黙に答え続けた。そして彼の努力を裏切ったのは俺だった。
「散らかってるけど、適当に寝転んでいてくれ」
「食べ物は…そこの箱の中にレーションが入ってる。期限切れだけど食べられるから勝手に食べてくれて構わないぜ」
彼女は俺の好意に無言で会釈をすると床に伏せた。
「じゃぁ。ごゆっくり」
俺はそういうと玄関の方まで戻っていた。
「あの!あなたはどうするんです?」
正直ここにいる気にはなれなかった。他人と一緒に寝るなんて考えたくもなかったし、裏切り者の俺がその部屋にいる資格はもなかった。
「…夜は危険だろ。外で見張っとく。野生化した家畜どもが来ないとも限らないしな」
勿論嘘だ。俺はこれまで、そんな物騒な物音も聞いたことはないし、もし存在すればおれは今頃家畜どもの腹の中だ。
「そうですか。お気遣いありがとうございます…あ、でも世界を救うほどの力があるからって無理しちゃ駄目ですよ?」
「こちらも、お気遣いどうも。ごゆっくり、世界を滅ぼした人」
俺は皮肉を言い残すと扉を閉めた。そして隣の部屋の扉を開けた。ここも決して俺がいていい場所じゃない。
昼と変わらず几帳面なまま彼らは宿主の帰りを待ち続けていた。この部屋にとって俺は、邪魔者でしかなかった。構うもんか。待ち人は帰ってこないんだ。一晩だけの関係と洒落こもうじゃないか。
毛布などを見つからなかったが、薄っぺらいバスタオルを手に取るとそれを床に敷き俺は眠りについた。
夢を見た。俺は十字架に張り付けにされていた。それを天高く掲げる彼女。だがいくら掲げようとも俺は生き返らない。俺は決して復活を許さなかった。それでも彼女は俺を掲げようとする。しかし、最後には諦めたのか俺を張り付けから降ろすと、自身の横に並べた。そしてただじっとその場で救いを求めるように祈りをささげた。
俺は何もできないまま彼女を見下ろしていた。