メイタンテイの謎解き「朝」
一、イライニン
部屋の説明は必要ないだろう。なぜかって?
ここがどんな部屋で、どれくらいの広さか、どのような設備があって、最寄り駅までは徒歩何分か、あなたはそれが気になるかもしれないが、彼にとっては違うからだ。彼にとっては紛れもなく、ここはタンテイジムショ以外の何ものでもない。
今日は、彼を慕っている友人の一人が、このタンテイジムショへとやってきていた。無論彼は、この客を「友人」だなどとは思っていない。「友人」が自分の部屋へ遊びにきたという認識は、微塵もないのである。
それは、その客が彼に対して敬語を使っているからではない。彼にとってその客は、イライニン以外の何ものでもないからだ。
「ところで君、例の事件の犯人は見つかったかい?」
「ああ、別に事件って感じのものでもないですけど」
「若いな、君は。事件は常に、絹の衣をまとっている。つまるところ、事件という感じの事件など、この世に存在しないのだ」
「はあ……」
イライニンという名の友人は、ミックスジュースを一口飲む。
「実は、こいつがやったんじゃないかっていうのが一人いましてね、こないだ問い質したんですが、違うっていうんですよ。『ならあんた、あの日の午前10時、どこで何してたか、説明してみろ』って言ったんですがね」
「アリバイを説明できたのか」
「最初は、『誰が答えるもんですか』って言ってたんですが、そのうちニヤリニヤリと笑いだしまして」
「その擬態語は戴けないな」
「『今から話そうか、私がその日の10時、どこで何をしていたかってのを』って言いだしまして」
「『午前』という言葉が抜けたな」
「まあとにかく、彼女は話し始めたわけですよ」
「で、その内容は?」
イライニンという名の友人は、ミックスジュースを飲み干すと、手振りでおかわりを要求しながら、話し始めた。
***
「ふむ、なるほどな」
「それで僕が、『そのアリバイは証明できるのか』って言ったらそいつ、『は? アリバイ? バッカじゃないの、ケッ』って言ったんですよ」
「『ケッ』は戴けないな、『ケッ』は」
「それで、嘘なのかと問い質すと、嘘じゃないと言うし、もう、何がなんだか……」
「フッ……。若いな、君は。簡単なことじゃないか」
「え……?」
二、ヨウギシャの話
グラノーラを食べながら、部屋でペンを走らせていました。パンじゃないですよ、ペンですよ。
新作のプロットを書いていたんですよ、内容は言えませんけど。まあ、あなたに教える必要もないですしね。
そして、ちょうど納得のいくプロットができたところで、壁の時計が時刻を教えてくれました。ちょうどですよ、もう嬉しくて小躍りしながら、言いましたね、「朝だ」と。
時計の示す時刻は10時。10時って、早いですか? それとも、遅い? まあとにかく、私の家では、その時刻になると『朝』っていう決まりなんですよ。そして私は、シャワーを浴びるんです。
シャワーのあと、部屋を移動して戸を開けると、緑色に包まれた朝の川の光景が眼に入ります。私、これが大好きなんでね、ぼうっと眺めるのが日課なんですよ。時には10分以上、なんてことも……。ああ、それから、天窓から見えるのは、明るい空。こっちも捨てがたい。こういうのを見てると、世の中ってなんて素敵なんだろうって、いつも思うんです。
そして私は、ベッドに身体を預ける。いつもそうです。その日も例外ではなく、ね。
従ってこれが、その日の私の10時前後の行動ですよ。
三、カイケツ
若いな、君は。簡単なことじゃないか。
そいつの話したそれは、アリバイなんかじゃなかったということさ。
そいつはグラノーラを食べながら、新作のプロットを書いていた。
新作というのが小説なのか脚本なのか、芸術的作品かエンターテインメントか、いろいろと気になるところではあるが、ここでは仮に、ピカレスクロマンとでもしておこう。それと、グラノーラに関しては、私は詳しくないから、突っ込まないでおこう。下手に手を出して、火傷を負った夏の虫になっても困るからな。
ここ、笑うところだ。
さて、ちょうど納得のいく新作ピカレスクロマンのプロットができあがったところで、壁の時計が、時を告げた。
ただしそれは、ハト時計でもなければ、カッコウ時計でもない。それは、音楽で時を告げるタイプの壁掛け時計だ。で、そのとき鳴り出した音楽、それは、『ペールギュント組曲』の『朝』という曲。だからそいつは「朝だ」と言った。夜の10時にも拘わらずな。
そう。そいつが話したのは、午前中の出来事ではない。
君はグラノーラに惑わされて、午前中の話だと思い込んでいたようだが、なんのことはない、これは夜の出来事なのだ。
まだ君は訝しんでいるな。その先の出来事だって、夜の10時と考えてもなんらおかしなところはないんだが。
まず、シャワーだ。夜にシャワーを浴びるのは、ごくごく普通のことだ。たまに面倒だからと浴びないで寝てしまう人間もいるが、少なくとも私は違う。君もそうだと信じたいところだが……、私は「疑う」プロであって、「信じる」ことに関しては素人も同然だからな……。
それはいいとして、話を進めよう。
シャワーを浴びたあと、戸を開けると、朝の川が見えると言った。この「戸」というのは、窓のことじゃない。おそらく、廊下と寝室を隔てる戸のことだ。「おそらく」というのは、そいつの家の造りによってはトイレと寝室を隔てる戸ということもありうるということだが、ここでは仮に、廊下と寝室のほうにしといてやろう。
ここまで聞いてもらえばわかると思うが、そいつのいう「朝の川」は、窓の外にあるものではない。それは、部屋のなかにあるのだ。ここでは仮に……、まあ、かなり高い確率でそうであると思うのだが、壁にあるということにしておこう。
もうおわかりだろう。そいつの見た「朝の川」の光景というのは、絵画だ。クロード・モネの『セーヌ川の朝』、緑に包まれた朝の川だ。それがきちんとした複製画なのか紙に印刷しただけの壁絵なのか、気になるところではあるが、ここでは仮に、6万円相当の複製画ということにしておこう。うむ、それなら申し分ない。……そうそう、天窓から見える明るい空というのは、なんのことはない、星空のことだ。壁にはセーヌ川、空には星の川が流れていたというわけだな。そうして私は、難解極まる大事件という名の大河の激流を、また一つ、乗り越えてしまったというわけだ。
笑うところではない。私がうまいことを言ったのだから、感心して唸るところだ。もしくは、こう言ってくれたまえ、「なんて素敵な探偵さんなんでしょう」ってな。
***
こうして彼は、イライニンの持ち込んだ不可解な事件……、不可解なジケンを、見事解決してみせた。
無論、イライニンとしては、彼に謝礼を払う義務は存在せず、ただただ驚いて、「僕はあいつにからかわれていたのか」と顔を赤くするばかりだった。
「フッ……」
いや、正確に言えば、「友人がヨウギシャにからかわれていた」という事実がわかったのみで、彼らのいう「例の事件」なるものに関しては、なんら解決していないのだが……。
「ところで君、そいつのことを『彼女』と言っていたな。『彼女』というのは、女性を指す三人称の代名詞。つまり、そいつは女性ということだ。まあ、そう言うのはな、話を聞く限り、私とその女性とは、気が合いそうに思うんだ……」
フッ……。