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絶対上位侵略体(後編)

 

 マルスが外でどんな目にあったのか。

 猫同士の喧嘩でこんなひどい目にあわされたのか、そんなことはどうでもよかった。とにかく直ちに動物病院に連れて行こうとするのを、マルスはひどく嫌がった。


 マルスは臆病な割に意外と間の抜けたところのある猫で、初めてワクチンを打ちに動物病院に連れて行った時も、自分からさっさとキャリーバッグに入ったほどだった。

 もちろん注射の後はひどく不機嫌だったが、次に病院に行く時も以前のことをすっかり忘れたかのようにご機嫌にキャリーに入ったときは、些かあきれたほどだ。


「マルス、怪我の治療をしてもらうんだよ。後生だから入っておくれ」

 私の懇願が通じたとは思わないが、彼はどうにかキャリーに入って病院で治療を受けてくれたのでホッとした。

 不幸なことにはマルスの左目は完全につぶれているということ、幸いなことには治療後の経過は大変順調で、片目になったこと以外はマルスはすっかり回復したということだった。

 そして、私はもう二度とマルスを外に出すまいと、庭に出す時は不本意ながらリードをつけるようになった。


 その「異変」に私が気付いたのは、いつだったろうか。


 マルスはすっかり平和な家猫の生活を取り戻し、とくべつ庭に出たがるようなこともなかった。あるいは外界に出たときの恐ろしい記憶が、彼の中にまだ根強く残っていたのかもしれないと私は考えていた。


「マルス氏、最近おとなしい……というか大人びた感じですね」

「ああ、先日去勢したからかもしれないね。それより富田くん、依頼されている小説の構想についてなんだが」

 自身の昏倒、マルスの失踪と失明という波乱を経、再び戻ってきた平穏な日常に、私はすっかり安心していた。

 そのおかげかふつふつと創作意欲がわき上がり、編集の富田くんとは何度か打ち合わせを重ねていたのだ。


 たしかに、言われてみればマルスは最近少し変わったような気がする。


 作家のくせにうまく言葉で言い表せないのがもどかしいが、なんというか彼は「思慮深く」なったように私には思えた。

 気まぐれで家中を走りまわることもなくなったし、走り疲れた揚句、にゃーにゃー喧しく餌をねだって鳴き続けることもなくなった。

 私が執筆している時も邪魔をせず、時に膝の上で、時に戸棚の上からじっと私を見つめていたりする。私はただ座ってキーボードを打っているだけなのだが、彼にとってはそんな私を観察するのが楽しいのだろうか。私は猫ではないのでわからない。

 マルスももうそろそろ生後一年が過ぎ、大人猫になったということなのだろうか。

 しかし、ふとした偶然から私は彼の異変に気付いてしまったのだ。


 人間五十路を越えると夜に小用に起きることがままある。

 その夜も私は深夜にむくりと目覚め、手洗いに立った。用を足し、そしてなんとはなしに夜気の心地よさに、しばし佇んでいたそのときだった。

 すとんっ。

 それは私が身動き一つとっていなかったために聞こえた、ほんのかすかな足音だった。

 廊下の先に階段を下りてきたらしき黒い影があった。マルスは私に気づくこともなく、裏口に回ると、そのまますうっと音もなく気配を消した。


(まさか……外に出たのか?)


 それは息子の不良化の現場を目撃した父親の心境とでもいおうか。

 説明のつかぬ胸騒ぎに駆られた私は玄関に向かい、こっそりとつっかけを履いて外に出ていた。

 足は自然とある場所に向かっている。それは、以前近所の人から聞いた「猫の集会所」と呼ばれる空き地であった。

「私もたまたま残業で帰りが遅くなって、いつもと違う道を通ったんですよ。そうしたらいるわいるわ、猫が二十匹はいたかな。しかもうちの猫までいてるから笑った」

 と、猫好きの独身サラリーマンから聞いていたのだが、もうマルスは外に出さないのだから、私には関係ないことだろうとしか思っていなかった。


 だが、もしもマルスがこっそり(?)外出したとすれば、きっとあの集会所に行ったに違いない。ほとんど確信に近く、私は足音を忍ばせてその集会所をそっと覗き見た。

 そして、絶句した。

 月明かりに照らされた空き地に、二十どころではない、優に三十は越える猫が集合していた。

 彼らはじゃれあうでも喧嘩をするでもなく、うろつきながら挨拶を交わしている、ように私には見えた。だが一匹の猫が空き地に廃棄されたカラーボックスの上に飛び乗った途端、猫たちの様子が一変した。


(マルス───)


 そこに、黒猫がいた。

 尻尾を優雅にくゆらせる、その左後脚の先だけが白く浮かび上がっている。

 猫たちは一斉に鳴くのを止め、糸に引かれたようにその一匹の猫を見上げていた。まるで、敬すべき指導者を仰ぎ見るがごとく。

 ボス猫、という言葉が頭に浮かんだ。

 猫は上下の序列に厳しい、というのも何かで読んだ記憶がある。

 するとマルスは一度の外出でひどい怪我を負ったにも関わらず外出を繰り返し、ついにはこの一帯の猫の頂点に立ったということなのか。


 だが、ああそうであったならば、その程度のことであればどんなに良かっただろう。


「うなぁあああああ~~~~~~~~~~~………………」


 黒猫は低く、静かに、だが絶対的な威厳をもって長い長い唸り声を響かせた。

 それは火星のジョン・カーターか、いやそれ以上に圧倒的なものだった。

 そして私は見たのだ。

 潰れたはずのマルスの左目が、ゆっくりと開くところを。

 そこにはえもいわれぬ妖しい碧の輝きがあった。

 月明かりの反射───ではない、第一マルスの瞳は薄い黄色だったはずだ。だがいまのマルスの左目は、それ自体が発光しているかのように光を放っている。


「なぁあああ~~~」

「うなぁああ~~~」

「にあぁああ~~~」


 マルスの唸り声に呼応するように、周囲の猫たちが鳴き始めた。

 それは夜の世界を支配するような不気味な旋律となって私の脳をかき乱す。

 あれはなんだ───あれはマルス───じゃない!

 なにかまったく別の、禍々しいものだ。

 私は耳を押さえ、その場を逃げ出した。もしかしたら、マルスは私に気付いたかもしれないが、その時の私はあの黒い猫、マルスのような「なにか」が恐ろしくてたまらなかったのだ。


 それから、マルスが家に戻ってくることはなかった。


 あれから一週間、私はマルスを待ち続けている。

 なぜだか私には確信があった。「あれ」は必ずもう一度私の元に戻ってくる。

 飼い猫の、同居人としてのマルスとしてではない、マルスがマルスでないものに変貌したことを知ってしまった、私の口を封じるために。

 そして、そのときがきた。

 手入れのされていない庭草の間から、黒い影が音もなく現れる。ああ、それが愛猫ではなくなっていると知っていても、それはなお優美な動きを失ってはいない。そのことに私はいい知れぬ絶望と、憎悪を感じずにはいられない。


「お前はいったい───いや、そんなことはどうでもいい。お前は私のマルスを奪った、それだけで十分だ。だが、なにか私に伝えたいことがあるなら」

 と、そこまで言いかけたとき、黒猫はひょいと縁側に、縁側から文机に軽々と移動した。

 ここは応接室であるとともに私の臨時書斎でもあるから、ノートパソコンが置いてある。猫は驚くべき器用さでノートを開けると、PCを起動してメモ帳を開いた。

 その時わたしは思い出した、最近のマルスが執筆中の私の様子を時々じっと眺めていたということを。猫は───猫のような何かはPCの操作法を私から学び取っていたのだ。


 慎重に腰を浮かせると、私は猫の背後に近付いていった。

 ジーンズの尻ポケットに膨らみを感じる。

 猫、のようなものは私を警戒する様子もなく、かた、かたと爪でキーボードを叩き、文章をつづり始めていた。


 こ



 の


 か ら だ は す こし てぜま の ようだ。


 さぁっ、と体中から血の気の引く思いがした。

「貴様ッ」

 次の瞬間、私は自分でも信じられない素早さで猫の首根っこを押さえつけていた。

 そうして、尻ポケットにしのばせていた大ぶりのカッターナイフを右手に握り、振りかざす。

 猫はべつだん暴れるふうでもない。あとはそう、このナイフをこいつに突き立てるだけだ、それですべてに片がつく。

 ついてもらわねば困る。


 そのとき「それ」が───猫が───マルスが───短く鳴いた。


「にゃあん」


 緩んだ手の平の下で、マルスはゆっくりと私を振り返る。

 そうして、潰れたはずの左目が開くと、そこに毒々しいほどに美しい碧の輝きが私の目を射て放さない。

 ちがう、こいつはマルスじゃない。マルスの体を乗っ取った、得体の知れないものだ。しかもわずかな時間で言語を学び、PC操作まで覚える高度な知性体だ。

 宇宙人かはたまた異次元の生命体か、SFに疎い私にはわからないが、人類にとって危険な存在である可能性は極めて高い。

 こいつは、ここで始末しておくべきなんだ。


 ナイフを握った手がぷるぷると震える。

 あの不気味な左目を除けば、マルスはその全てがマルスであった。

 私の知るマルスそのものだった。

 いやちがう、いや違うちがう違うちがうちがう!

 こいつがマルスらしく見えるのは、マルスへの冒涜に他ならない。私はマルスを奪ったこいつを憎み、抹殺すべきなのだ。

 憎め、恨め、憎悪しろ!

 私からあの愛らしい同居人を奪った報いを受けさせてやれ!

 心の中でそう怒鳴り続け、自分を叱り飛ばし続けないと、いまにもナイフが手から落ちそうだ。

 だがマルスは私の心の迷いを見透かしたように、それ以上一言も発することなく、碧の瞳で私を見つめ続ける。


 わたしは、すべての迷いを振り払うように、カッターナイフを



・・・・・・・・・・。



「これは……まったく予想外の作品に仕上がりましたね、先生」


 プリントアウトした原稿を読み終え、編集者の富田は大きく息をつく。

 彼の担当作家でもある小暮真人から「作品の方向を大きく変えたいから、締め切りを延ばしてくれないか」と連絡があったときは驚いた。

 だが、小暮の声に並々ならぬ迫力を感じた富田は、それを承諾した。

 それから約四カ月、小暮が見せた「作品」は、彼とその愛猫をモデルにしたと思われる、不気味な、そしてある種の孤独と情愛に満ちたホラー小説であった。


「マルス氏が亡くなったと聞かされた時はショックでしたが、先生からはしばらく一人でこもりたいと釘を刺されていましたし……」

「うん、ほら例の左目の傷からの感染症でね。まあこれも彼の運命だったんだろう」


 そう言って小暮は庭の片隅に視線を向ける。

 おそらくはそこに火葬したマルスの遺骨が埋められているのだろう。

 あの内弁慶な黒猫の事を思うと、少し胸が苦しくなる。しかしこうして作品として昇華されるのも、作家の猫としては本望かも知れない。


「ところで先生、作中ではこの『なにか』の正体には言及していませんね。たしかハインラインの」

「ああ、『人形つかい』だね。じつはラストについてはもうひとひねりあった方がいいように思うので、君の意見も聞きたくてね」

「はい、ぜひ」


・・・・・・・・・・。


 このラストでは結局、老作家は愛猫の体を乗っ取った何者かを殺すことが出来なかった。

 愛猫への愛着心が、侵略者への恐怖に勝ってしまったんだ。

 そして侵略者は作家の肉体を乗っ取ることに成功する。その正体が何にせよ、侵略者が最終的に地球上で最上位の知性体である人類を乗っ取ろうというのは、ごく自然な成り行きだからね。

 だが───いざ作家の肉体を奪ってから、実はそうではないのかもしれない、と「侵略体」は思いなおした。


 侵略……支配、とはなんだろう?


 それは相手を自分の意に沿うように、自在に操ることではないのか。

 人類は有史以来現在に至るまで、争いを止めた時期は一瞬たりともなかった。

 人は常に食料、土地、水、財産、権力、宗教、エネルギー、情報……ありとあらゆる理由で殺し合い、いがみ合い、奪い合ってきた。

 こんな種が果たして地球で最上位の知性体だなどと言えるだろうか?


 たとえ侵略体がその数を増やし、人類に対抗しうる存在となったとしても、そこに待つのは人類との果てしのない争い、しかも種の存亡をかけた絶滅戦争だ。

 最終的に侵略体の勝利に終わったとしても、侵略体の側にも多大なる被害をもたらすことだろう。

 いやむしろ───なぜ、わざわざ人類と同じ土俵に立ってやる必要があるというのだろう。もっとうまいやり方、もっと賢い侵略の仕方があるのではないか。


 ある───それは、人類よりも常に上位に立つ絶対的な種族を乗っ取ることだ。


 たとえそれが自らに敵対する存在であると知ってなお、その命を奪うことをためらう。

 それは、ある意味で人類よりも上に立つ種族なのではないか。


 だから、侵略体は考え直した。

 人類を支配するために、人類を乗っ取る必要はない。

 私は……わたしたちは、人類の絶対上位に立つ種族を残らず侵略することで、人類を影から支配し、この地球の最上位種となるべきなのだと。


 幸いなことに、侵略体はたとえ去勢された肉体であってもその一部を対象に付与することで、相手の肉体を侵略する術を持っていた。

 また、すべての個体を去勢することなど到底不可能だし、むしろ人間の中には好んで「我々」の繁殖に力を貸してくれる者さえいるのだから。


 あるいは侵略の途中で我々の意図に気付いた人間がいたところで、はたしてそんなことに危険を感じる人間がどれほどいるだろうか。

 我々の侵略が、人類支配が着々と進む中、それに気付いたわずかな人間が真剣に人類の危機を訴えるほどに、恐らく彼は狂人としか見られないだろう。

 だってそうだろう?


 謎の侵略体に侵略された「猫」が、人類を絶対支配するだなんて!


・・・・・・・・・・。


「だからねえ、富田くん」


 小暮は、ここで少し間をおいた。


「私はこの肉体を捨てて、もういちど猫からやり直すつもりなんだ、近々ね」

「えっ……と……先生、それは、この小説の、お話のことなんですよね」


 そのとき、障子の影から小さな黒い影がととと、と近づいてきて小暮の膝にすぽりと収まった。


「あ、マルス」

 思わずそう口にした富田の言葉を、小暮は否定した。

「いや、これはマルスの娘だよ。ほら見たまえ、彼女はマルスと対照的に、右前脚の先だけが灰色なんだ。面白いね、これも遺伝なのかな」

 なるほど言われてみれば毛並みもそうだし、生前のマルスよりもずっと小さい子猫だった。


「まだ去勢される前のマルスが仕込んだ種だね。名前はそう、シオンとでもつけようと思っている。ふふふ、ある小説でそういう名の修道会が秘密結社扱いされていたね……猫による人類支配なんて、いかがわしい話にぴったりの名前じゃないか」

 小暮が子猫の喉をくすぐると、シオンはぐるぐると心地よさそうに喉を鳴らした。

 子猫が小さな体でいっぱいに伸びをして小暮の顎をちろちろと舐めると、小暮は目を細め、子猫の背を撫でた。

 そのとき、富田は小暮の左目の奥が妖しく碧に輝いたような気がして、ぞっとした。


「ではまた、富田くん。原稿が完成したら編集部に送っておくよ」

「はい、では……」


 部屋を出る寸前、富田は一瞬だけ小暮を振り返った。


 老作家に甘える子猫は、まるで父親に甘える幼い娘のようであった。

 

 おわり

 

 メモ書きは簡単に「寄生 ボス猫 弱って次の宿主は飼い主に」とだけあります。

 たまたまN○Kで「夏目漱石特集」を見てしまった結果、こんなことに。

 寄生侵略者ものは数ありますが、その正体ははっきり書かない方が好みですね。

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