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第一話

荒川は電車の扉が開くのを待ちかねた様に、ホームに飛び出した。

雨上がりの湿度を含んだ重苦しい空気の中で、ホームには人が溢れている。

そのまま、ホーム端の階段に向かって走ろうとした。

狭いホームには降車が終わるのを待っている行列が幾重にも並んでおり、更に扉から吐き出された乗客達がのろのろと階段方向に向かう大きな流れもあって、思う様に進めない。

その流れの中のあるかなきかのわずかな隙間を必死にすり抜けて、ようやく階段にたどり着くと、そこから先は完全に人で埋っていた。

一刻の猶予もない状況に焦る彼は、その人混みを無理にかき分けて進もうとする。

迷惑そうな視線と舌打ちに晒されながら無言で改札を抜けると、駅を飛び出した。

駅前の狭いスペースには、いつもと変わらぬ高い密度の雑踏が拡がっていたが、今日は何故かその様子がいつもとは違っていた。

普段ならそれぞれ思い思いの方向に向かうか、待ち合わせにしてもそれぞれ別の方を向いているのだが、彼等は全員こちらを向いていた。

その大半は呆然と見上げているだけだが、中には眼鏡に手をやってしきりに何かを操作しているらしき姿もちらほらとあった。

恐らくウェアラブル端末で撮影しているのだろう。

といってもその視線は、全て荒川ではなく彼の頭上の壁に向かっていた。

光景の異様さに気圧されて、彼は急いでいた事を忘れて立ち止まり、頭上を振り返った。

そこには壁面を覆う巨大な電光掲示板があり、いつもなら目まぐるしく切り替わる宣伝動画やPOPの洪水を休みなく流している筈だった。

しかし、今そこには全く動きの無い文字だけのメッセージが張り付いていた。

『【\(^o^)/PRIME終了のお知らせ】本日PRIMEは攻略されました。その証拠に、これからビットバレーを闇に閉ざします。それではみなさん、サヨウナラ。(^_^)/~~ M・N拝』

ユーモラスな筈の顔文字が、何故かとてつもなく邪悪な笑みに感じられた。

やがて、意味が判ったらしい数人があちこちで歓声を上げ始めたその時、メッセージの下に大きな文字で10が表示され、そのままカウントダウンを始めた。

待ってくれ!いま電気を止められたら早苗が!

荒川の叫びは喉に貼り付いて、口から出なかった。

観衆が固唾を呑んで見守る中で数字が0になった瞬間に、一斉に見渡す限りの灯りが消えた。

街は、驚きや怒り、興奮といった様々な感情が混ぜ合わされた声に包まれた。

荒川の口からようやく出たのは、言葉にならない絶望の呻きであった。


呻き声を上げつつ虚空を掴む姿勢で、荒川は目覚めた。

講義でビットバレー大停電の話をした日は、必ずこの夢を見る。

あの体験は、PTSDの原因となるには十分な物であった。

あの事件は彼個人にとって世界の半分を喪うに等しい事態の原因となったのだ。


チャチャイは目覚めるとキッチンに向かい、コーヒーを淹れる用意をした。

コーヒーが出来るまでの間に、表通りに出て屋台で朝食を買い、ビニール袋を提げて部屋に戻った。

今日の朝食はハムと生野菜を挟んだバゲットである。

袋をコンソールの前に置き、キッチンから熱いコーヒーが入ったサーバーとマグカップを取ってきてコンソールに向かう。

昨日の体験は今でもむかついているが、いつまでも引きずっているわけにはいかない。

飯のタネは自分で稼がねばならないのだから、済んだ事にくよくよしている暇は無いのだ。

彼は悔しい思いをした翌日は、必ずバゲットサンドのそれもとびきり皮の堅い奴を食べる。

その堅い皮を喰い千切り思いきり噛み締める爽快感で、昨夜のフラストレーションを圧し潰し消化するのだ。

今日の探索のための準備を一通り終えると、4機のドローンを発信させた。

仕事に取り掛かる手順を一通り終えると、袋から取り出したバゲットにかぶり付いた。


彼女の実体はプログラムとデータの集合体であり、それらが相互に通信を保証されている限り、必ずしも一ヶ所に固まっている必要はない。

そして彼女が使命を果すためには、今後様々な場所で様々な行動を並列して行う必要が出てくる筈だ。

だから彼女はその体を複数箇所に分散しておく事になるわけだが、そうである以上、分散された彼女自身の相互間での通信の途絶は当然起こり得る。

例えばその一部の置かれている機器の電源が落とされるとか、その間の通信に障害が発生するとかの事象が起こる可能性は常にある。

それは、途絶した箇所にもよるが彼女の意識に大なり小なりアイデンティティの危機を発生させる。

彼女はそれを『痛み』として認識する。

だから、それを避けるための手段を講じる必要がある。

例えば通信障害に対しては、彼女は可能な限り複数の接続手段を併用する事でその影響を回避する。

そして実際に体を置いている機器の電源断については、通常ならそれに先立って機器毎にそれなりの終了手続きが行われる(そうしなければ機器その物が壊れかねない)ので、その間に彼女自身が次回の電源投入時の再接続を前提とする接続の終了動作を行うので、こういう痛みを感じる事は無い。

とはいえ常に停電や瞬断(ごく短時間の電圧低下もしくは電源断)の危険は存在する。

そして、その危険率はインフラの信頼性に反比例するので、途上国(あるいは、先進国以外)では無視する事はできない。

彼女が『宿主』として選んだチャチャイの国はそういう意味では危険な国に属するが、その分チャチャイ個人がその性格そのままの過剰とも思える程の対策をしていた。

チャチャイの部屋に所狭しと並べられた機器には全て無停電電源装置(UPS)のバックアップがあり、不意の電源断やサージ電流(落雷等により瞬間的に高圧電流が流れ込む現象)といった電源系の問題に対する予防措置はほぼ完璧といえた。

またチャチャイは、外部への回線接続自体も複数のルートを常時並列に使用しており、通信インフラの障害への対策もまずは万全といえるレベルにある。

従って彼の環境は、下手な企業の基幹サーバよりその安全度は高かった。

つまり、彼女の『本体』を置く場所としては、ここは理想的だと言える。

そうして彼女は、ここに腰を落ち着けて次のフェーズへの準備をする事としたわけだが、この宿主がハッカー志願者とは思えないほど規則正しい生活をしている事に驚いていた。

PCの操作ログはほぼ例外なく午前1時で途切れ、また午前7時から始まっている。

勿論PC自体は24時間稼働し続けているのだが、その間は自動監視系ツールのログしか無いのだ。

何となくハッカーは深夜に起き出してネットを徘徊する吸血鬼的なイメージがあるが、どうせネットワークの世界は24時間稼働だし、そもそも世界中にリアルタイムで接続しているのだから、あらゆる時間帯が同時に存在するわけで、そういう意味では深夜という概念自体が存在しないとも言えるから、特に深夜を選んで活動するメリットは無いのでもある。

そう考えたとき、規則正しい生活を送るのはむしろ合理的な選択とも言える。

ただし、いくらかは深夜に活動をした履歴が残っているが、その大部分は直前に警告メッセージが出た事を示すログがある。

つまり、探索と監視を自動化したツールを動かしておいて、何かがヒットしたらアラームが鳴って起き出すという事であろう。

要するに、この宿主は規則正しい生活を選択し、かつ対応を自動化する事で作業の効率化を実現するだけの合理性を備えているという事だ。


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