第一章 六.五話 おっちゃんと姉
「ういー。おおはらのおっちゃんやでー」
唐突に表れたのは、妙に太った男だった。
寺の一室。
千佳は、そこで謹慎させられていた。
寺には来たが、葬儀に出ることは許されなかった。
部屋の真ん中に正座したまま、男を見る。
男は、しゅたっと片手を上げながら、満面の笑みで千佳を見ていた。
「おおはらの叔父さま…ご無沙汰しております」
いつも通り、千佳は丁寧に頭を下げて見せる。
しかし。
最愛の妹を事故で失い、その葬儀の真っ最中。
あまつさえ…怒りに暴走し、空手経験者にもかかわらずテレビ中継のカメラの前でTVレポーターを殴打し、謹慎させられた千佳。
訴えられれば、間違いなく傷害事件。
空手道場の破門も、間違いないだろう。
おそらく、学校の部活動の柔道も。
その彼女にかける言葉が、「大原のおっちゃんやでー」。
非常識この上ない男であった。
だが千佳は、それに違和感は覚えなかった。
こういう男だ、この男は。
叔父。 父親の、弟だ。
こうみえて、優秀な男であった。
実家で働くのは嫌でござる、と言って、実家に逆縁切りを叩きつけた男だ。
そして…同時に、家族に数十億相当の証券類を叩きつける。
小学生の頃から始めていた投資や外為で稼いだ金の半分だ。
これあげるから、もう働かない。 義務は、果たしたから。 じゃあ。
そう言って家を出て行った変わり者だった。
そして…ご丁寧に、かなりの費用をかけて生前葬までやらかした。
そのまま…稼いだ金で自由に遊びまわっていた。
海外旅行やキャンプ、父親譲りのサバイバル。
その写真などをブログで公開し、アウトドア志向をアピール。
だが…その中身は、完全に二次元オタクだった。
その証拠が、今の体形だった。
一言でいうと、調子に乗ったデブ、金を持ったオタク、という感じか。
とはいえ。
伊藤家の人間で彼を悪く言うものはいない。
逆縁切りと言いながらも…親類縁者の冠婚葬祭に顔を出すのは当たり前だったし、その親類縁者の親類縁者にまで、出すものは出す。
びっくりするぐらい、出す。
また、甥と姪にも、受けがいい。 と言うか甘い。
誰が言ったか『おおはらのおっちゃん』。
その呼称の人気は伊達ではない。
「にゃははははー! やったな! やりやがったな、千佳!!
よくやった!! すかっとしたわ! にゃははははー!!」
思うに、放送事故のことを言っているのであろう。
すでにネットにアップされて快哉をあげられ、またこき下ろされている。 再生数は、今も伸び続けていた。
大原のおっちゃんはそう言いながら、千佳の頭をぐりんぐりん撫でる。
大原のおっちゃんにとって、千佳千奈はかわいい姪っ子だった。
普通に考えればオタク成人にロリっ娘を与えるのは危険な行為。 だが…甥や姪と言うのは、精神構造に例外を設けるほど、可愛いものだった。
それはおそらく、彼女らが成人しても変わらないだろう。
それを知っているから、千佳は抵抗も抗議も告訴もしなかった。
「よしご褒美! 大原のおっちゃんに言うてみ!! 何でも買うたる!
どこへでも連れて行ったる!!
アキバか? ポンバシか? 違うか、にゃははははー!!」
完全に大阪弁。 その、ハイテンション。
それは葬儀の真っ最中であるはずだった。
それでも、大原のおっちゃんの声の大きさとテンションは変わらない。
…ちなみに、おおはらのおっちゃんの本名は伊藤大原である。
と…ふいに大原が声のトーンを落とす。
「…うん。 まあ、千佳も落ち着いてきたようやな。
よかったよかった。
千奈もなあ。 安心しよるやろ。
よし。
俺が掛け合ったるから、葬式に出さして貰お…」
「大原の叔父様…実は、ご相談があります」
頭をぐりんぐりんされながら、千佳は神妙な口調で話しかける。
「お。 なんやなんや」
「実はこれは…両親には話しづらくて。
大原の叔父様にしか話せないことで」
「お、おおう。 藪から棒やな」
「申し訳ありません、叔父様。
これから私が言うことが…その、おかしいと思ったら、精神病院に連れて行ってほしいのです」
「………」
さすがの大原も言葉を失った。
耳を疑ったし、精神病院、と言う言葉にも驚いた。
ためらったままの大原に、千佳は続ける。
「わたしも…自分でおかしい、と思っています」
「……。 はは…ま、まあ狂気の第一歩は、異常を異常と思わなくなることらしいから。
そ、そういう意味では正常やと言えるかなぁ…う、うん」
「どう考えてもおかしいのです。
そう思います。
それでも…そうとしか、思えないのです。
大原の叔父様。
私…千奈が、生きているような気がするのです」
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「………。 根拠は?」
たっぷり数秒の沈黙の後、大原はゆっくりと、優しく問いかけた。
それは、狂気、と言うにはあまりに悲しい言葉だった。
まあ確かに…彼女は、千奈を失い、あまつさえその遺体を拾い集めたと聞いている。
その時の影響で、精神の変調をきたした…精神疾患の医師を適当に捕まえて聞いても、全てそういう診断を下すに違いない。
珍しく真剣な表情を見せる大原。
その目の前に、千佳は自分の両手を突き付ける。
そして一言。
「ガントレット」
「う、うわああああ!!!」
大原は、腰を抜かしそうなほどに驚き、尻餅をついた。
そして、まじまじと千佳の両腕を見る。
黄金色のガントレット。
それは、西洋の甲冑のパーツを、両腕だけ取り付けたようにも見える。
そしてそれは…彼女が軽く腕を振ると消え去った。
白くて小さい、年相応の少女の手だ。
そしてもう一度。
「ガントレット」
彼女の言葉に応じ、黄金のガントレットがもう一度出現する。
それを大原は、真剣な表情で眺めていた。
「……。 手品…じゃなさそうやな。
…おっ。 全関節がまがるんやな。
…パーツが細けえな。 え? 完全防水!?
そんなの…相当な技術と手間やで。
強度は…計測せんとわからんか。
で…自由自在に出し入れできるってわけか」
「はい」
「材質は?」
「分りません、金属としか。 比重的には、非常に重そうです。
さすがに純金ではないと思いますが…金メッキと言うには重すぎます。
ですが…重さ的には、大変いい感じです」
「いい感じ?」
「武器として、です。 頼りがいのある重さです。
ああ、それに関してですけれど…叔父さま?
この部屋の入り口のドアノブ、ご覧になりましたか?」
「え? あ、ああ…なんか、曲がっとったな」
「そのドアノブですが、実は、私が…曲げてしまったのです」
「はぁ? ドアノブって、相当頑丈なはずやろ?
耐衝撃、耐摩耗、耐劣化じゃないといかんからな。
そんなに簡単に曲がるわけが………いいい!?」
それは、書道などで使う文鎮だった。
千佳は、指先だけの取り回しで、飴のように文鎮を曲げてみせた。
そして手を離す…するとそれは、硬い音を立てて床に落ちた。間違いなく金属だ。
「どういう訳か…私、一昨日の夜から、かなりの力持ちになってしまったようなんです。
それに…このガントレット、先ほど純金ではないと言いましたけど…それに近い重さがあって」
「アホな。 純金て、実は滅茶苦茶重いぞ!
映画やアニメなんかで、金の延べ棒を楽々扱うシーンがあるけど、あれは制作者が金の重さを知らん貧乏人やからや。
たしか、水の二〇倍ぐらいじゃなかったか?」
「正しくは、一九.三四倍ですね」
「やろ!? そんなん絶対…」
言いながら、大原は床に落ちた文鎮を見て、無言になる。
力持ち…千佳は言ったが、そんなレベルではない。
仮にガントレットが純金だったとして、それを振り回すことなど大の大人でも無理だ。
できても、それは自由自在とはいくまい。
だが千佳は…それを使って人を連続で殴打するということまでやらかしているのだ。
…良く死ななかったな、と大原は思った。
「それに…これだけではないのです。
最近…視界の右半分に、こんなものが見えてしまって…」
言いながら、手近にあったノートに四角い枠を書く。
それはいくつかの枠に分かれ、日本語で文字が書き込まれていた。
それを大原ものぞき込む。
「LV、HP、MP…か。 RPGのステータス画面っぽいな。
攻撃、防御、魔法攻撃、魔法防御、速攻性…ふむ、魔法使いか回復系っぽいな。
あとこれは…スキル欄かな? 成長速度倍化、肉体強化…パッシブスキルか」
「パッシブスキル?」
「ええと…意図して使うわけじゃないスキル、かな。 持ってるだけで役に立つというか
…分かりやすく言えば、特技、って感じの」
「はあ、なるほど…」
「だが、これは分らん。
『全裸待機無効化』? 『ハーレムエンプレス』? 『乳しぼり待ったなし』?
『エンドレス果実収穫』? 『作る側の子供好き』?
まったくもって意味が分からん。
特に後半は…エロゲか? エロゲなのか?
スキルなのか、称号なのか…それでもなんで同じ欄にある?
わけがわからん」
…そのスキルを与えた神様が聞いたら赤面してしまうに違いない。
大原は、それくらいまじめな口調でこき下ろしていた。
「私も、意味がわからないのです」
「それに…何や、この装備? ガントレットの籠手? セーラー服?
ガントレットって籠手やろ? こてのこて? 黄金だけに、コテコテとかけてるんか?
それにセーラー服を合わせるて。 随分傾いた格好やな。
いやしかし…セーラー服ってのがまたそそ…げふんげふん。
…あれ?」
ふと、大原は気付いた。
ガントレットとセーラー服を装備した少女なら、目の前にいるではないか。
それに、肉体強化と言う表現に、先ほどの千佳の力持ち、という言葉がかぶる。
それに…魔法のような、黄金のガントレットの存在。
そして…千佳が書き出した、ステータス画面と思しき絵、その上の端。
そこには、千佳の双子の妹、TINAの名前が書いてあった。
「!? これは…」
大原は、ふと思った。
まるで…ゲームのような世界から、千奈が千佳と名前を変えて飛び出してきたような。
あるいは逆にゲームのような世界に千佳が千奈と名前を変えて飛び込んでいきそうな。
そんな妄想…大原は、思わず身震いした。
「この…スキル、ですか。
…は、少しずつ増えていってるのです。
レベルもそう、HPやMPもそうです。
だから…このキャラクターは、どこかで生きているのだと思うのです。
だから…私は思うのです。
千奈は…どこかで生きているのではないか、と」
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